「見た目でかましていきたい!」という意気込みで手に入れたリズムマシンから自分の音楽が生まれ始める
一方、大学では文芸批評家・福田和也さんのゼミに所属し、雑誌作りも経験しました。その延長線上で、ゼミの仲間と『モンスーン』という雑誌を立ち上げます。大学生の遊びではなく、しっかりと書店流通に乗せて販売をしていたというこの雑誌に、Crystalさんは編集者・ライターとして関わり、卒業後も休刊になるまで4年ほど刊行が続けられました。
Crystal:今考えると、MANIC STREET PREACHERSのようにとても生意気な雑誌でした(苦笑)。一番最初の号の特集が「the end of 裏原宿」。裏原宿カルチャーが全盛の頃に「裏原って終わってるよね」という企画を組んでいたんです。また、雑誌『rockin'on』に噛み付いたり、行ってもいないのに、妄想で『club snoozer』というイベントのレポートを面白おかしく書いてみたり。ただ、基本的に音楽ネタを書いていたので、「自分の好きな音楽を広めたい」という部分はDJと共通していました。音楽を聴いて「こう感じている!」というのを、DJだけでなく文章としても発表していたんです。
『モンスーン』は、恵比寿MILKでイベントなども開催し、CrystalさんはDJとしても関わっていました。大学生の頃に友人同士で開催していたイベントとは違い、『モンスーン』のイベントには友人ではない一般のお客さんも数多く訪れます。このMILKでのイベントは、Crystalさんにとって、ある意味本格的なDJデビューの場にもなったのです。
Crystal:MILKで、(((さらうんど)))やTraks Boysを一緒にやっているK404と知り合いました。当時、シカゴハウスという音楽にハマっていたのですが、シカゴハウスではTB-303やTR-808といった個性的な機材をシンプルに使うのが主流だったんです。そこで、K404と「何か自分たちの代名詞になるような変わった機材で音楽を作りたいね」という話になって、原宿の「Five G」というマニアックな音楽機材専門店に足を運んでリサーチしつつ、Sequential Circuits社の「Drumtraks」という古くて見た目も変わったリズムマシンを購入しました。これがTraks Boysの名前の由来です。音もそうなんですが「見た目でかましていきたい!」という意気込みが強かったんです(笑)。
その後も「Five G」で機材を買い足しながら、順調にTraks Boysの活動を続けていった二人。そんな中で、Crystalさんの音楽人生にもある変化が生じていたようです。
Crystal:中高生の頃からバンドは組んでいましたが、特に人前でライブをすることもなく、DJをしていてもそれまで曲作りには気持ちが向かなかったんです。「演奏を極める」ということに興味がなかったのかもしれません。それなのに、お気に入りのリズムマシンやベースシンセを走らせ、サンプラーをいじっていたら、いくらでも楽しく曲が作れるようになっていたんです。それは今振り返ってみると大きな変化でしたね。ただ、Traks Boysは初めからCDを出そうというような目的があったわけではなく、あくまでも自分たちの楽しみを追求する場だったので、仕事っぽくなるんだったら、やらなくていいとも思っていました。
イルリメとTraks Boysの個性がシンクロして生まれた
(((さらうんど)))のポップネス
そして2010年、あるミュージシャンがTwitterに投稿したメッセージがCrystalさんにさらなる転機をもたらします。そのミュージシャンの名前はイルリメ。ソロのラッパーとして活躍していたイルリメさんが投稿した「ポップスをやりたい」というツイートに、以前から親交があったCrystalさんが手を挙げ、後にK404さんも巻き込むかたちで(((さらうんど)))が結成されたのです。
Crystal:イルリメくんは、当初生バンドっぽいポップスをやりたかったそうなんですが、曲を作っているうちに自然と打ち込み系の方向になっていきました。実はダンスミュージック要素の強いTraks Boysでも、ポップス的な要素を取り込もうと思い、トライアルはしていたんです。イルリメくんと僕らの、お互いの要素がうまくシンクロして、(((さらうんど)))の音楽が生まれたんです。
(((さらうんど)))で本格的にポップスを作るにあたり、Crystalさんが影響を受けたのは、山下達郎さんや大滝詠一さん。「いろいろなジャンルの音楽を経た後に行き着いた」という彼らの音楽は、Crystalさんに新たな衝撃をもたらしました。その影響の大きさを物語るように、プライベートスタジオの作業スペースの目の前には、ナイアガラ・レーベルの巨大ポスターが飾られていました。
Crystal:それまで聴いてきた、どんなダンスミュージックにも負けず劣らずカッコイイと思えたんです。山下達郎さんや大滝詠一さんは、ご自身のパーソナリティーからというよりも、豊富な音楽的知識を駆使しながら曲を作り出しているような気がします。それは、ある意味DJ的な視点からの音楽制作スタイルとも言えるのではないでしょうか。僕も自分のパーソナリティからではなく、音楽から音楽を作るタイプなので、そういう部分に反応して、どんどんのめり込んでいったんです。
自然体でやってきたこれまでから
意識的に音楽を作るアーティストへの変化
しかし東日本大震災が、動き始めた(((さらうんど)))とCrystalさんの音楽生活にも影響を与えることになりました。ちょうど子供が生まれるタイミングだったこともあり、大学入学以降、さまざまな音楽活動を行ってきた東京に別れを告げ、彼は家族と一緒に長野の実家に戻ります。当時はちょうど、(((さらうんど)))の1stアルバムを制作していた真っ最中。そんな大切な時期に、長野と東京という「遠距離バンド」に変化することに対して、メンバーからはどんな反応があったのでしょうか?
Crystal:長野に引っ越すにあたって、もちろんメンバーに相談しましたが、「いいんじゃない」と(笑)。というのも、元々(((さらうんど)))では、みんなで集まって曲を作るのではなく、PC上のファイルのやりとりで曲を作っていたんです。僕やK404がリズムパターンとコード進行を決めてイルリメくんに送ると、歌詞とメロディーが乗って返ってくる。そこからアレンジを作りこんでいくんです。デメリットといえば東京〜長野間の移動が少し面倒なことくらい。友達付き合いも減ったので、音楽に集中する時間は増えました。
こうして、(((さらうんど)))は、1stに続き、2ndアルバム『New Age』も順調にリリースし、音楽シーンで注目を集めていきます。これまで、Traks BoysでもDJでも、あくまで自然体で音楽に取り組んできたCrystalさん。しかし、(((さらうんど)))が注目を集めることによって、その活動スタンスは、徐々に変化しているようでした。これからの目標を尋ねると、Crystalさんからは「意識的になりたい」という答えが返ってきました。
Crystal:ただ「ポップスをやってみたい」という思いから、(((さらうんど)))を始めたのですが、予想以上に評判が良くてモチベーションが上がっているんです。DJやTraks Boysのライブでは、音楽を聴いていても、お酒を飲んでいても、ナンパをしていてもいいという、ある意味みんなが自然体でいられる場所。The Stone Rosesや、オルタナティブロック系のアーティストも、スターシステムには反抗的でしたよね。けれども、(((さらうんど)))のライブでは、観客みんながステージに注目し、僕らの音楽を聴くためにライブに訪れます。だから今後は自然体ではなく、もっと自分を意識的に押し出していこうと考えています。今まで、そういうことをあまりやって来なかったので、もしかしたらスベることもあるかもしれませんが……それはそれでいいかなと(笑)。生意気なことを言うようですが、売り上げ的にも内容的にも、もっとポップスを極めてみたいですね。
ちなみに「Crystal」という名前の由来を聞いたところ、本名と同じ名前の有名アーティストが同じクラブミュージック界にいたので、「長野に由来する名前をつけた」ということ。当時の長野県知事・田中康夫の代表作『なんとなくクリスタル』からきているそうです。そういえば、あの小説も1980年代のキラキラした時代を描いた作品。(((さらうんど)))のポップネスも、実は元県知事に由来しているのかもしれません!?
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