伝統文化のイメージが強い京都ですが、じつは市内だけでも数多くの美術系大学があり、やなぎみわ、森村泰昌、名和晃平など、国際的にも活躍するアーティストを輩出している現代アートの発信地。その京都で国内外40組のアーティストが参加する『PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015』が開催中です。現代アートの解説やコンセプトは、読めば読むほど肩の凝るものですが、京都在住の小説家・いしいしんじさんの、作品を有機的にとらえる「読み」は、アートのオモシロさに直球で迫ります。メイン会場の京都市美術館を一緒に回りました。
いきなりメイン作品が観覧無料。美術館の庭では親子がピクニック?
会場1階の中央フロアにどーんとそびえ立つのは、世界的な現代アーティスト・蔡國強(ツァイ・グオチャン)による、竹で組まれた七重の塔。『京都ダ・ヴィンチ』というインスタレーションの一部です。蔡國強は『北京オリンピック』開会式の大掛かりな花火演出を担当し、「火薬を爆発させて描く絵画」など、奇抜な作品で知られるアーティスト。同作品には京都の子どもたちとのワークショップ『子どもダ・ヴィンチ』で制作した、500点を超える凧や飾り物もぶら下がっています。
いしい:ニューヨークのグッゲンハイム美術館で作品を観て以来、蔡さんのファンなんです。この作品は7階建ての塔で、その姿はまるで天井に向かう巨大な矢印のよう。さらに部屋の奥には扉が開いていて、美術館の庭とつながって、空が見えていて……親子がピクニックしている。ん? なんやこの展示、タダで入れるんか!? と気付いてびっくりしました(笑)。
じつは、1階の正面入口から蔡國強が展示されている中央フロア、その奥のオープンカフェ、庭は入場無料。「パサージュとして開放して、誰でも入れるようにしたんです」と、『PARASOPHIA』ディレクターの河本信治さん。
いしい:アートは自由ってことですよ。つまりフリー! 無料ってこと。その無料ゾーンに芸術祭の目玉である、蔡さんの作品が展示されているのが素晴らしい。誰でもここに立っているだけで感覚を広げてくれる。「アートはしかめっ面で考えながら観なくていいんだよ」と言ってくれている気がします。
手作りの農民ロボットが、現代アート作品を制作、販売中
同じく無料ゾーンに展示されているのが、蔡國強と中国の農民とのコラボレーション『農民ダ・ヴィンチ』プロジェクトで生まれた、約20体の手作りロボットたちです。中でも、紙の上に絵の具をたらしたり、スタンプしたりする「お絵描きロボット」は、子どもたちの人気者。しかもロボットが制作した作品は、その場で絶賛販売中……。
いしい:このフリーな空間でロボットたちだけが働いていて、しかも作品を販売したお金は搾取され、それでもロボットは喜んで絵を描き続けている。芸術家はこうあるべきなんですよ!(笑) しかもロボットなのに、自分の人生の計算はできていない。笑いの要素もあって素敵ですね。
蔡國強『農民ダ・ヴィンチ』プロジェクトより『アクションペインティングをするジャクソン・ポロック』(右)、『しゃがんでいるジャクソン・ポロック』(左)
「誤読」こそが一番クリエイティブ。巨匠ウィリアム・ケントリッジによるアニメーション
無料ゾーンでリラックスした後は、いよいよ本格的に展示会場へ。巨匠ウィリアム・ケントリッジの映像作品『セカンドハンド・リーディング』がお出迎えです。実際の英語辞典のページに描き込んだドローイング、それをパラパラマンガの手法でアニメーションにした作品は、いしいさんが「感動して4回も観た」というお気に入りで、テーマはズバリ「読むこと」。
ウィリアム・ケントリッジ『セカンドハンド・リーディング』(2013)
いしい:読書は、表紙から裏表紙へとページをめくっていく運動の中で、いろんな言葉が縦横につながって成り立つんです。しかも、その運動は、どんどん「はみ出す」んですね。つまり、本に書かれている文章をどうイメージするのかは、読者に任されている。読者が頭の中で言葉をつないでいくときに、その人だけの記憶や経験が発動される。その時点で読書は「セカンドハンド」(二次的)なんです。この映像作品の中で、絵や言葉が、わーっと現れてページの上に投影されていく様子が、読者の頭の中に生まれるイメージの「発動」に見えるし、ページの上で人が歩いたり考えたりジャンプしたりする様子が「読む」ことそのものにも見えて……。「読むって、こんな感じ!」と思いました。
河本:素晴らしい……まったくその通りだと思います。「誤読」っていうのは、一番クリエイティブな行為でもありますし、それが『PARASOPHIA』の隠れコンセプトでもあるんです。
いしい:そういえば、僕の旅行エッセイ『アムステルダムの犬』(1994年 講談社)が、書店のペットコーナーに置かれていたことがあって(笑)。そのときもスゴく嬉しかったんですよね。
雑誌に描き込まれた「味のある落書き」から浮かび上がる、思いもよらぬ記憶
もう1つの「読む」作品が、ブラジルのグシュタヴォ・シュペリジョン『素晴らしき美術史』。アメリカの写真ジャーナリズム誌『LIFE』の名場面をまとめた『The Great LIFE Photographers』という写真集に「落書き」を加えた作品です。誰もが知る有名な写真が、落書きによって意味を変え、その違和感からさまざまな連想が生まれる。さらにその落書きは、美術史や美術の形式、政治や社会への皮肉、写真を読む作法に対する批判でもあるのです。
グシュタヴォ・シュペリジョン『素晴らしき美術史』(2005-15)
From Gustavo Speridião, The Great Art History, 2005–15
いしい:これは面白いですね。写真と落書きとの間にズレやフィードバックがあって……。その言葉と写真が違和感で擦れあったり、ぴたっと重なって気持ち良かったり、それぞれの写真の中で色んなことが起きる。歴史的なワンシーンの写真も使われているけど、そのシーンの意味をあえて捨てて眺めていると、自分の深いところから思いもよらぬ風景が浮かび上がってくるんです。一見、落書きに見える言葉がヒントになってイメージが喚起されるんですね。
ちなみに、日本語に翻訳されて書き込まれた落書きは、作家が知り合いのブラジル在住日系人に書いてもらったそうで、その「字」の味わい深さに、いしいさんは強烈に反応。
いしい:こんな味のある文字、書こうと思っても書けないですよ!(笑) 子どもが書いた字のようで、子どもでは絶対書けない。ああ、この本、欲しいなあ……。
美術館で忘れられてきた「地下室」と「傘」を甦らせる
本会場である京都市美術館は、その建築にも要注目です。昭和天皇即位の礼を記念して昭和8年に竣工した同美術館の内装は、大理石やステンドグラスで贅を尽くした洋風に、和風屋根を載せた「帝冠様式」。西洋文化を吸収する一方で、和風の意匠が奨励された戦前の時代背景をしのばせるスタイルです。
戦後はアメリカ駐留軍に接収される憂き目も見つつ、現代美術の公募展『アンデパンダン展』の会場になるなど、日本のアートの歴史を支えてきた京都市美術館。『PARASOPHIA』では、美術館の開館以来初めてその地下室を展示スペースとして開放し、美術館の歴史資料や作品を展示しています。
いしい:この地下室は、ずっと閉じられてきた「場所としての忘れ物」というか。今回の『PARASOPHIA』では、初めてそこに光を当てた。風が通った。その開放感に地下室全体が喜んでいるような感じがします。美術館の歴史を伝える映像展示では、昔ここで行われたことの記憶が攪拌されて、自分の歴史も戻ってくる。「僕が中学生のときにも『京都アンデパンダン展』をやっていたのか!」とか。今回のお客さんは美術館に『PARASOPHIA』を観に来るわけだけど、この地下室や、記憶や、歴史がそれを下支えしてきたんだな、と気付くんです。
そして文字通り「美術館の忘れもの」にスポットを当てた作品が地下入り口階段のすぐ横に。ベルリンを拠点として活躍するフランツ・へフナーとハリー・ザックスの2人組による『museum casino』では、なんと大量の忘れ物傘がアート作品として復活しています。
へフナー / ザックス『museum casino』(2015)展示風景
いしい:ずっとしまい込まれていた忘れ物が、こうやって見事に作品になって展示されている。晴れやかじゃないですか? 今日は晴れているから閉じられているけど、傘はみんな笑っていると思います!(笑)
マイルス・デイヴィスの名盤『On the Corner』とアフロビートが融合したような音楽を演奏するドキュメンタリー映像作品(?)は、なんと全長6時間の超大作
ふたたび美術館の展示室内に戻ります。いしいしんじさんは、その場で書いた小説をその場で読む、「その場小説」という活動を続け、著書にも残しているほど、場に共感して言葉に描くことに巧みな小説家。そんないしいさんが「今芸術祭の心臓」と名付けた映像作品が、スタン・ダグラスの『ルアンダ=キンシャサ』。10人のミュージシャンが、マイルス・デイヴィスの名盤『On the Corner』と当時のアフロビートが融合したような音楽を演奏する様子を延々捉える、ドキュメンタリーとフィクションの狭間のような映像。なんと全長6時間の大作です!
いしい:僕はこの作品、ず~っと観てしまいました。自分が音そのものになって飛んでいるみたいな気分になって、思わず時間を忘れてしまう。でもそのときに「忘れる時間」ってなんだろう? って考えてしまいました。ふだんの「何時何分」という意味の時間じゃなくて、作品を鑑賞するときの、味わったり、忘れたりするほうの時間が、本当の「時間」じゃないのかなって。音楽をこれだけ真っ正直にピックアップした作品が、美術館1階の大きな部屋に展示されている。僕はこの作品によって建物全体が鼓動しているような気がしたんです。
高嶺格による、音楽の力を信じたアートが泣ける
もう1つ、音楽が印象的だった作品が、高嶺格『地球の凸凹』。映像や音響を用いたインスタレーションやパフォーマンスを制作する作家ですが、今作は地下室で旋回する3つの光が凹凸の上を照らす、音と光を使用したインスタレーションです。
いしい:僕、高嶺さんの作品を観て初めて泣けました。凹凸のある床面を照らしながら旋回する3つの「光」がそれぞれ小さなお月さんのようで、それが月面上を廻っていると思ったら、すごいユーモアを感じたんですね。月面で、僕たちの知らない生命が遊んでいるような……。
この作品では音も重要なポイントになっており、重低音のような持続音と、たまに「パシッ!」とはじけるような音が差し込まれ、光の動きと連動します。フィナーレでは一転して緩やかな音楽が流れる祝祭的な演出も。
いしい:最後の詳細はネタバレになってしまうので、あえて言わないようにします(笑)。ウィリアム・ケントリッジの作品でも途中で音楽が流れるんですが、いずれの作品も音楽が流れたとたん、溶けるような感覚になる。それが「音楽が束ねる力」というか。作家が自分で作品をすべて作るんじゃなくて、最後は音楽に任せるというか、そうやって音楽の力を信じていることに、大きさ、自由、広がりを感じました。これは、ホントに素晴らしいと思う。泣けました。
美術館内に再現された法廷空間にドキッとし、ニットのアートに癒される
『PARASOPHIA』には、紹介しきれないほど、まだまだたくさんの作品が展示されています。パフォーマンスグループ「キュピキュピ」主宰であり、マネキンを使ったテレビドラマ『オー!マイキー』監督の石橋義正による『憧れのボディ / bodhi』は、ミラーボールが回り、ビートの利いた音楽が流れるクラブのような空間。しかし、そのスペース中央には、便座に座る女性のマネキンが鎮座していて、展示室に入ってきた鑑賞者はみんな「ギョッ!」と驚いていたのが印象的でした。刺激的な音楽と映像と造形が交錯した、まるで映画の中にいるかのような扇情的なイメージに囲まれます。
一方、土足禁止のため、靴を脱いで体験する「白い法廷空間」は、倉智敬子+高橋悟による『装飾と犯罪—Sense / Common』。法廷を模した白い空間に枯山水庭園のような岩があり、鏡で区切られた「こちら」と「あちら」の境界もある、コンセプチュアルなインスタレーションです。
倉智敬子+高橋悟『装飾と犯罪—Sense/Common』(2015)
いしい:お客さんがこの証言台でよく記念撮影をしているそうなので、僕もポーズを。ちなみにこれは刑事裁判の法廷だと思います。民事と刑事の法廷って少し違うんですよ。僕は民事で被告人になったことがあるから知っているんです。なんでかというと、昔ちょっと家賃の件でトラブって……(笑)。
まさかの法廷経験者(!)という裏話に驚きつつ、いしいさんと最後に観た作品は、機械編みニットを用いた「ニットペインティング」作品で知られるドイツの女性アーティスト、ローズマリー・トロッケルの「巨大編みもの作品」。遠目では単色に塗られたカンバスのように見えますが、近づいて見るとガーター編みのニットがカンバスを包んでいます。
ローズマリー・トロッケル『カモフラージュ』(2006)、『スクエア・エネミー』(2006)展示風景
いしい:今日展示をぐるっと1周してきて、最後がこの作品ですごく安心しました。この作品は大きいし、停止しているし、安定してるし、あったかい。よく見たらニットも額からはみ出ていたり(笑)、そういうスキが許されるところもいい。眼や気持ちが楽になります。
「とりあえず『PARASOPHIA』は、タダのところだけでも観ておいたほうがいい(笑)」
あらためていしいさん、『PARASOPHIA』初体験はいかがだったでしょうか?
いしい:すごくわかりやすくて面白かったし、これからも続けばいいなと思いました。特にこの京都市美術館の展示は、それぞれの作品の魅力だけじゃなくて、場所に蓄積されてきた「時間」ありきというのがはっきりしてた。美術館に蓄積されてきた光、空気がたくさんあって、それらが作品というスイッチによって作動して現われてくる。特に美術館中央の吹き抜けスペース、これだけでも絶対観にきたほうがいい。だってタダなんだから(笑)。ぜひ、別の展示でも観てみたいですね。
いしいさん、お疲れさまでした。『PARASOPHIA』展示会場は、この京都市美術館のほか、京都府京都文化博物館、京都芸術センター、堀川団地や鴨川など、市内各所に点在。古都を散歩気分でまわりながら鑑賞できる、都市型の開放的なアートフェスティバルです。現代アートと蓄積された京都の「時間」のコラボレーションをどうぞ。
- イベント情報
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- 『PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015』
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2015年3月7日(土)~5月10日(日)
会場:京都府 京都市 京都市美術館、京都府京都文化博物館、京都芸術センター、堀川団地、鴨川デルタ、河原町塩小路周辺、大垣書店烏丸三条店
参加作家:
リサ・アン・アワーバック
ナイリー・バグラミアン
蔡國強
ヨースト・コナイン
スタン・ダグラス
サイモン・フジワラ
ドミニク・ゴンザレス=フォルステル
ヘフナー/ザックス
ヘトヴィヒ・フーベン
石橋義正
ブラント・ジュンソー
笠原恵実子
ウィリアム・ケントリッジ
ラグナル・キャルタンソン
倉智敬子+高橋悟
アン・リスレゴー
眞島竜男
アフメド・マータル
アーノウト・ミック
森村泰昌
スーザン・フィリップス
フロリアン・プムヘスル
ピピロッティ・リスト
アリン・ルンジャーン
笹本晃
グシュタヴォ・シュペリジョン
高嶺格
田中功起
アナ・トーフ
ローズマリー・トロッケル
ジャン=リュック・ヴィルムート
ヤン・ヴォー
王虹凱
徐坦
やなぎみわ
アレクサンダー・ザルテン
料金:一般1,800円 大学生1,200円 70歳以上1,200円
※高校生以下および18歳未満は無料
休館日:月曜、5月4日(祝・月)は開場
- 書籍情報
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- 『いしいしんじの音ぐらし』
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2015年4月22日(水)発売
著者:いしいしんじ
価格:1,512円(税込)
発行:シンコーミュージック
- プロフィール
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- いしいしんじ
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小説家。1966(昭和41)年大阪生れ。京都大学文学部仏文学科卒。1994年『アムステルダムの犬』でデビュー。1996年、短篇集『とーきょーいしいあるき』刊行(のち『東京夜話』に改題して文庫化)。2000年、初の長篇『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で『坪田譲治文学賞』受賞。2007年『みずうみ』が、それぞれ『三島由紀夫賞』候補に。レコード収集家でもあり、蓄音機をスタジオに持ち込んで語るKBS京都ラジオ『いしいしんじのころがるいしのおと』など、ラジオパーソナリティーとしても活躍。画家を志していたこともあり自作に挿画も多い。2010年から京都在住。
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