を作り上げ、みんなの元に届ける。PaperBagLunchboxが5年間、やろうと思ってできなかったことであり、それができなかったが故に彼らは苦しみ続けてきた。「がんばっても前に進めない。才能ないからもう、やめるしかない」と。音楽をやめるどころか、ボーカルのナカノヨウスケにとってそれは「死」を予感させるくらい絶望的な停滞だった。
でどれだけはしゃぎ回っても、ナカノの内面にはいつも影があった。それが彼の原動力でもあり、その影があるから、小さな光を見つけると、子どものように目を輝かせることもできた。そういう人間だから、喜びや悲しみは、ナカノにとって売れるために「歌うべきもの」ではなく、「歌わずにはいられないもの」だったのだ。
そうやって「歌わずにはいられない」からナカノは、どんなにこの5年間の停滞が苦しくても、結局音楽をやめることができなかった。やめようと思えば思うほど、彼のなかで新しい音楽が生まれてきてしまうのだ。
第1話の掲載後、直接PBLから話しを聞いて、いろんなことがわかった。常に不安定な心と激闘をくり広げてきたナカノだから、4年前、「セカンド・アルバム」の制作を前に実の姉が急逝し、その衝撃で前後不覚に陥ったのは仕方のないことだっただろう。「何もできない、薬を飲まないと起き上がれない」。そういう状態だったのだから、レコーディングどころではない。そうしてナカノが音楽活動もままならない間、他のメンバーも、とにかく前に進もうともがいていた。
の発言が誰かにとってマイナスでも、バンドが前に進むならそれでいい。バンドが前に進むんだったら、何したっていい。だってバンドしかやってないし、やらないなら、もうそれでPBLは終わりだったから」。そう言った恒松自身も、不安という病魔と格闘していた。伊藤は言う。「ようちゃん(恒松)はすごく頑張ってた。ようちゃんも病気だったから、みんなで集まる前に薬を飲んでテンションあげて、まわすんですよ、バンドを。でもその後にクタッってなって、部屋に籠って出てこない」
だったらきっと、そこまで苦しみながら何かをやる必要なんてないはずだ。20代半ばの若者なんだから、いくらだって新しいことを始める余地もある。ここで引き返せばまだ「普通の道」からコースアウトせずにすむ。それなのに何故、彼らは音楽をやめなかったのか。いやせめて、音楽で身を立てるという夢を諦めなかったのか。
今も音楽を続けている4人の心のなかにあったのは「バンドをここで投げ出して、この先なにができるの?」という彼ら自身のプライドと、どんどん生まれてくる新しい楽曲に対する喜びだった。
っていう曲は、姉ちゃんが亡くなって、隣の部屋で死んだ姉ちゃんが寝てるときに作った曲なんです。その曲をバンドみんなで完成させたときのことがすごく美しくて、やっぱりいいバンドだ! って思って。それからも、バンドの音楽だけは絶対に負けてないと思えた経験がたくさんある」。ここでナカノが語ったように、心が壊れかけて、必死にそれに抗おうとしたとき、彼らの不安を埋めてくれるのはやはり、音楽でしかなかったのかもしれない。
の制作を中止したPBLは、その年の年末に渋谷AXで行われたSyrup 16g主催のイベントに出演し、翌年の07年からライブ活動を本格的に再開させる。前後不覚のなかで、それでも前に進もうと無理矢理にも自分を爆発させようとするナカノは、なぜか鎌倉で人力車を引くバイトを始め元気を取り戻していくが、同時に焦りはピークに達していく。
勇気はないくせに、何かを爆破すれば物事はうまくいくんじゃないかと考えていた時期でした。とにかく何かを良くするためには何かを壊さなきゃいけないって、いつも強迫観念のように思ってたんです。大事に何かを積み上げていくことができなくて…。だから『倉地のベースがヘロヘロすぎる!! 倉地、やめてしまえ!やめてくれ!!』ってなったりして」。
こうして07年の夏、制作が頓挫してから1年後、PBLはバンド解散の大きな危機を迎えることになる。その時のことを、マネージャーはこう振り返る。
メンバーが『時間をくれ』って言って、事務所に新しいベーシストを連れて、新生PBLで来たの。『これから、この四人でやります』って。そりゃ当然『何で?』って思うけど、あえて理由は訊かなかった。そしたらね、その理由というか言い訳を並べ始めるわけ。それ聞いてたら、『あ、これ違うな』って思って。言い訳だから、矛盾してたりする。だからそれを一個一個指摘していって、『でもまぁ、いいよ。そう決まったんなら。で、本当に、いいの??』って、最後に念を押したら、伊藤がそこで泣き崩れて『やっぱりやだ!!』って」。
が「倉地やめてしまえ!」と言い、伊藤も恒松もそれを容認した。しかし3人とも本当は、倉地がいなければ「PaperBagLunchbox」であり得ないことも分かっていた。ただただ、前に進めないいら立ちが積み上がって、闇雲に突破口を探したり試したりせずにはいられなかったのだ。
そうやって壊れていったバンドも沢山ある。自分もかつて、そうやってバンドをひとつダメにしたこともあった。うまくいかない本当の問題は違うところにあるのに、目につく問題を洗いざらい潰そうとしてしまう。人生を賭けていればいるほど、その焦りは大きくなっていくのかもしれない。
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