美術館の役割とは? 観る側にとってそれは、刺激やインスピレーション、または安らぎをもたらすアートとの出会いをくれる場所。さらに、優れた美術品の収蔵とその研究や、大きな意味での地域貢献も大切な役目でしょう。でも、美術館にはもっと可能性があるかもしれない。そう思わせてくれる取り組みが、金沢21世紀美術館で2011年4月16日から2012年3月20日まで開催中の『ピーター・マクドナルド:訪問者』展です。約1年という長い期間、そこで何が行われているのか? そして「訪問者」とは誰なのか? アーティスト本人や関わる人々にも話を聞きながら、実際の展覧会場やワークショップの現場をレポートします。
メイン写真:『ピーター・マクドナルド:訪問者 – ディスコ』 展示風景 金沢21世紀美術館 撮影:渡邊修 提供:金沢21世紀美術館
美術館に「サロン」と「ディスコ」が出現!
まずは、美術館正面入口からすぐの空間へ。ピーター・マクドナルドさんの作品展示室のひとつ、今回『サロン(Salon)』と名付けられた部屋がそこにあります。小窓から覗くカラフルかつユーモラスな雰囲気に誘われて入室すると、そこには大小さまざまの絵画群が。そのほとんどに、アフロヘアーのような「大きな頭」の人物たちが生き生きと描かれています。
『ピーター・マクドナルド:訪問者 - サロン』 展示風景 金沢21世紀美術館
撮影:渡邊修 提供:金沢21世紀美術館
ピーターさんが、最初はソウルシンガーの姿にインスパイアされて生み出したという彼ら。ある絵では空港で佇み、別の絵ではバンドマンのような4人組として登場。さらに海辺での母子の散歩や、道着を着込んだ格闘家(?)、そして名匠マティスと思しき車椅子の画家も、やっぱり大きな頭です。鮮やかな頭同士が重なる部分は互いを混ぜ合わせた色になっているのも、会話をしているようで面白いですね。
『ピーター・マクドナルド:訪問者 - サロン』 展示風景 金沢21世紀美術館
撮影:渡邊修 提供:金沢21世紀美術館
『Shipping Salon』撮影:渡邊修
提供:金沢21世紀美術館
さらに中央の空間には、やはりピーターさんによるドローイングが詰まったアクリルケースが。1枚1枚に「To ○○ / From Peter」と記されているので、誰かにあてた手紙のようです。何やら謎めいていますが、そのわけは後ほどアーティスト本人から明かされることに…。サロンの名のとおり柔らかいソファもあり、ピーターさんの絵画世界にじっくり浸りながら作品についておしゃべりが楽しめそうな空間です。ちなみにこの部屋は入場無料でもあります。
もうひとつの展示室は対照的に、その名も『ディスコ(Disco)』と命名されたギャラリー空間。入口に暗幕が垂れ下がり、往年のダンスミュージックが中から小さく聴こえてきます。サロンがゆっくり観賞できる空間だったので、こちらはディスコっぽい部屋? 巨漢のIDチェック係とかはどうやらいないので、いざ入室。すると…。
四方の壁、高さ6m×全長70m(!)を埋め尽くして描かれたのは、まばゆい光が交差する迫力のダンスフロア。お馴染みのアフロ人間(勝手に命名)たちが大きな頭を重ね合いながら、思い思いに踊っています。彼らがステップを踏むたびにスポットライトが彩りを変える光景さえ目に浮かぶよう。地平線まで続くフロアはちょっとSF的で、気分はもう未来派『Soul Train』(伝説のディスコテレビ番組)!? よく見ると、絵の中には老人や小さな子どもたちの姿も。このディスコは老若男女ウェルカムのようですね。
「ピーター・マクドナルド:訪問者 - ディスコ」 展示風景 金沢21世紀美術館
撮影:渡邊修 提供:金沢21世紀美術館
ディテールまで描き込まれたターンテーブルやPA機材にも、ピーターさんの思い入れが感じられます。フロア正面には実際のDJブースがあり、床のあちこちには自由に使えるクッションも。壁画と音楽に囲まれて、このユニークな空間に身を任せられます。しかしこの壁画、ひとりで描いたら相当たいへんそうですが…この謎も後ほど、解けることになります。
舞踊家、能楽師、ヨガ・インストラクターとのワークショップ
ピーター・マクドナルド
撮影:CINRA.NET編集部
壁画に見とれているうちに、この日の展示関連ワークショップ「ほかのあたまほかのからだ」が始まりました。集まったのはピーターさんご本人と、「メンバー」と呼ばれるみなさん。美術館からの公募に応え、このプロジェクトを共に作り上げるべく集まった人々です。実はこの壁画も、彼らがピーターさんとの共同作業で、今年の春から初夏にかけて描き上げたものだったのです。現れたピーターさんはディスコキング風…ではなく、爽やかな若き英国紳士。日英のご両親の間に生まれ、ロンドンを拠点とする彼は日本語も堪能です。
この日のワークショップのゲストは、地元石川県にゆかりのある多彩なパフォーマーである能楽師の高橋憲正さん、舞踊家の中西優子さん、そしてヨガ・インストラクターの砂山由希子さんの3名とピーターさんです。いったい何が始まるのか…。簡単なあいさつの後、さっそくワークショップ開始です。
参加者たちがおもむろに運んできたのは、巨大な「お面」? ピーターさんの作品に出てくる人々の頭を彷彿とさせます。これは前回までのワークショップで各自が作り上げたオリジナルの「ほかのあたま」でした。自作に込めた想いを、自己紹介のように語る皆さん。木の葉や水滴をイメージした自然派、「いろはにほへと」の文字をあしらった語り部タイプ、そして脳内の思考のように不揃いのパーツが立体的に組み合わさったものなどなど。どれも作り手の興味が反映されていて楽しい作品でした。
ワークショップ風景 撮影:CINRA.NET編集部
その後、皆で自分の「ほかのあたま」を身に付け、ゲスト3名が順にパフォーマンスのワークショップを実施。これはディスコの作品空間を体感しながら、「見ること/描くこと=パフォーミング」という考え方のもと、自己と出会い、対話する試みだそうです。この試み自体がディスコ内で繰り広げられる、未知の自分によるパフォーマンスでもあるのです。お面=異者を演じるイメージもありますが、この「ほかのあたま」は自分の新たな一面を引き出すものかもしれません。
最初のゲストはヨガの砂山さん。室内に流れるダンスミュージックがヒーリング系に変わります。ヨガを通して「生きる道」を学んでいるという彼女は、その日常が身体を使ったパフォーミングとも言えそうです。クッションに深く座り、そこから自分の呼吸を意識しながらゆっくり体を動かします。最初は奇抜に感じた「ほかのあたま」も、身につける本人の創造物だからこそなのか、各々が装着すると案外なじんで見えてきます。ヨガは、ふだんより大きな「あたま」でアンバランスな「からだ」に慣れる、ちょうど良いウォーミングアップにもなりそうでした。
撮影:CINRA.NET編集部
続いて登場したのは、能楽師の高橋さん。能の基本的な動き「カマエ」(立ったまま腰に力を入れあごを引いた姿勢)、「ハコビ」(床に足の裏を付けてかかとを上げない歩き方)を体験します。大きな頭の8人が横1列になり、しずしずと前進。その光景はかなりシュールですが、考えてみれば能も一種の仮面劇。「新しい自分」を探るにはぴったりの体験かもしれません。
撮影:CINRA.NET編集部
3番目は、舞踊家の中西さん。今度は対照的に、それぞれの自由な動きを誘い出します。ボレロが流れるなか、各メンバーはまず自分たちが描いた壁画と同化するように壁際に立ち、そこから抜け出るように、思い思いの動きで中央へ集まっていきます。すると「隣の人と手の平をつけて輪になって」「二人一組で相手のどこかにふれて」と、テンポよく指示が繰り出されます。不思議な儀式のようなこの時間は、それぞれが再び壁際に(壁画の中に?)戻り、終了しました。
撮影:CINRA.NET編集部
最後に、今日が初顔合わせとなったゲスト3名が、ジャンルを越えた競演に挑戦。ヨガの砂山さんは植物のようにしなやかなポーズを繰り出し、能の高橋さんは次回公演で演じる老翁の動きをベースに厳かに登場。そこへダンスの中西さんがトリックスターのように飛び込み、ときに共演者たちの動きを後ろで真似るなど、自由なパフォーマンスを繰り広げました。ピーターさんも、途中で思わずスケッチブックを取り出し何かを描き始めます。その姿もまた、ひとりのパフォーマーのよう? 進む道は違えど、いずれも自らの表現を追求する者同士ならではの即興の掛け合い。緊張感と楽しさが溢れ出します。こうして予定の2時間半はあっという間に過ぎました。
アーティストと公募メンバーたちの、1年間にわたる挑戦
ワークショップを終えたみなさんに、お話を聞きました。まずはこのプロジェクトのそもそもの成り立ちを、金沢21世紀美術館・学芸課長の不動美里さんに教えてもらいます。
「これらの作品展示やワークショップなど全体を『金沢若者夢チャレンジ・アートプログラム』と呼んでいます。大きな特徴は、物としての作品の完成ではなく、出来事としての現象やプロセスを重視している点。18〜39歳の若い世代を対象にメンバーを公募し、プログラムをアーティストや美術館と一緒に実現してもらいます。毎年アーティストを招いて約1年間、滞在制作、ワーク・イン・プログレス(プロセスを公開しながらの作品制作)、そしてワークショップさらにはパフォーマンス等を組み込んでさまざまに変容していく長期プロジェクトです」
参加メンバーが共同作業を通じて自己像や世界像を再発見し、成長していく。そんな目標を掲げ、2007年から日比野克彦さん(第1回)、日比野克彦さんと野田秀樹さん(第2回)、広瀬光治さんと西山美なコさん(第3回)、高嶺格さん(第4回)を迎えて行われてきたそうです。今年度からは同館の活動テーマ「美術館はメディエーター(媒介者)」の集大成として展開。開館時から続く近隣学校との連携などと同時に、個人単位でのつながりをどう築けるか考える試みです。そこには、多くの若者が社会とのかかわり方にどこか戸惑いがちないま、現代美術が役に立てないかという想いもありそうです。
これまでの参加型展覧会とも異なるこの試みは、ストックホルム近代美術館の若者向け教育普及プログラム『ゾーン・モデルナ』を参考に始まりました。しかしプログラムの性質ゆえ、その方法に唯一の解はありません。企画は毎回、独自に考案。今回その役割を担うのが、同館キュレーターの北出智恵子さんです。
「私は今回、シンプルにひとりの人間に立ち戻るところから始めたいと思いました。そこで美術の原点、孤独な自分との対話となる絵画の世界から一人ひとりに向かい合い、視野を広げる形を目指そうと考えました。ピーターは巨大な頭の人物が自身の表現言語だと言います。洞窟画の時代から、絵は伝えるためのツールでもありますよね。彼の作品を観ているとそれがよく感じられて、とても心地いい。そのことも、お願いしようと決めた理由のひとつです」
左から:北出智恵子さん、不動美里さん 撮影:CINRA.NET編集部
こうして、同プログラム初の海外拠点作家となったピーターさん。つまり今回は、国境を越えたチャレンジでもあります。ところで「絵画が自身の表現言語」とはどういう意味でしょう? また北出さんとピーターさんとの対話の中では「ペインティングはパフォーミングのよう」というやりとりも生まれたそうです。その真意をご本人に伺いました。
撮影:CINRA.NET編集部
「僕には以前、芸術家として何を描けばよいかわからない時期がありました。でも舞台などのパフォーミングと一緒で、絵も独自の言語を使って生み出す世界だと気づけたんです。そして誰もが日常の中で常に選択や表現をしている。髪型も歩き方も、言語であり表現なのだなって。そう思うとすごく自由を感じました。外に出て街を歩けば、見るもの全てがパフォーマンスですから(笑)。そこから僕の世界は広がってきました。それが絵で伝わると嬉しいです」
「絵で対話する」というアイデア
そんなピーターさんの絵には、日常と非日常がいつの間にかつながっていくような世界観があります。彼は今回の依頼を受けて、どんな形で活動を始めたのでしょう?
「まずサロンにある絵画群はこれまで描いてきたもので、いわば僕と絵の1対1の世界。そこから始めて、広げていきたいと思いました。ディスコの空間は、1年前に初めてあの空間を訪れ、僕にできる可能性を想像したときに浮かんできたイメージ。そして美術館からの提案でメンバーと一緒にあの壁画を描くことになりました」
ピーターさんはまず今年4月から6月に滞在。サロンが4月16日にオープンし、ピーターさんはメンバーたちと壁画制作を開始しました。この滞在期間中、サロンにはポストを設置し、彼にあてた手紙を来場者に書いてもらったそうです。集まったその数は1033通!
「手紙はすべて読みました。読んでいると自然とイメージが浮かんできて、描いていると返事になっているような、会話のような感じでした」
ハガキほどの大きさの紙に描かれたこれらのドローイングは、住所があれば実際に返送したようです。届け先がわからないものはサロンに展示中とのこと。
それが先ほど見た、楽しい絵はがきの真相。絵で対話するというアイデアは、まさに「絵が自分の表現言語」というコンセプトを地でいくもの。ピーターさんと絵の1対1の対話が、ここでは作家と観衆の対話へと発展しています。彼は現在もロンドンと金沢を行き来して、この場所での活動を続けているそうです。
自分たちならではの場をつくりだすことも、もうひとつのクリエイション
実際に参加したメンバーたちはどんな体験をしたのでしょう。学歴・経験不問のメンバー募集では、まず自ら描いた絵を何らかのかたちで見せてくれることが条件だったそうです。それは、絵を介したコミュニケーションを一緒に行う上で必要な最初の勇気。彼らがプロジェクトを通して自分の場所を見つけてくれることが、ピーターさんの創作と同じくらい重要だと北出さんたちは考えました。
「壁画制作はその下絵づくりなど、ピーターによる最小限のコントロールがなされています。そのためメンバーは彼の世界の中で、絵具の配合やライン取りなどクリエイティブな身体的な作業を通し、彼が何を大切にしているかを知ることができます。つまり、自分なりのクリエイティビティをみつけていけるんですね」(不動さん)
「ピーターを核に、メンバー全員のさまざまな自己表現がそこにありました。そして、そこに彼らならではの場をつくりだすことも、もうひとつのクリエイションだと言えます。簡単なことではありませんが、その魅力を体感できたからこそ、みんな最後まで参加してくれたのかなと思っています」(北出さん)
参加メンバーの金田さんと横山さんにもお話が聞けました。共にふだんからこの美術館によく来ていたものの、今回のことを通じて仲良くなった女性同士です。1年を通した制作やワークショップでどんな経験を得たのでしょう?
「『ほかのあたま』を付けたときの違和感が面白くて、周りがよく見えないぶん、他人を感じようとする気持ちが働いたり、すぐぶつかるので人に優しくなったりしました(笑)。それと、たまたま観にきた小さな子がすごく興味を示してくれて。この体験を子どもたちにも伝えたいなと思いました。それで今度は小学生を対象に、このワークショップをやれることになったんです(編注:取材後、2011年12月に実現)。今日のように手をつないだり、呼吸を確かめたり、私自身がよかったなと感じたことを取り入れたいですね」(金田さん)
大人から子どもまでがつながり、広がっていく動きはディスコの壁画だけではなく、実際にも生まれているようです。
「今日は最後の先生たちの競演が、すごくアグレッシブな動きですごかったです。私自身も、一緒に自分の『ほかのあたま』を付けて動いてみることで、いろんな不思議をもらいました」(横山さん)
撮影:CINRA.NET編集部
横山さん制作による、ピンクのおにぎり型(?)の「ほかのあたま」は、かなりアヴァンギャルドな出来でした。そんな彼らの手で壁画が完成した後も、多くの活動が展開されています。メンバーのひとりが、ピーターさんの絵画をもとに自ら手がけたショートムービーも館の一角で上映中。またディスコでは先ほどのワークショップはもちろん、子どもたちへの絵本読み聞かせから、Buffalo Daughterのライブ(!)が行なわれたり、北陸拠点DJ陣の週代わりプレイまで、さまざまな「訪問者」がこの場を共有しています。
「Home Disco」 DJ: 徳田和紀(Jazzpresso) / Sori (Closer)、2011年11月13日
提供:金沢21世紀美術館
ピーターの世界観が、さまざまな場所を「訪問」していく
さらに1年間の活動のなかでは、予定外の新作も生まれました。美術館の隣にある金沢能楽美術館には、ピーターさんが能の名作『高砂』にインスパイアされた巻物式の絵画『高砂スクロール』が特別展示されています。終盤に神様(住吉明神)が舞いを見せる名シーンは、ここでは宇宙空間を舞台にしたファンキー&ギャラクシーな展開に! 能楽師の高橋さんも「神様の解釈も含めて僕らにはない想像力で、こういう捉え方もあるのかとすごく刺激になります」とコメントしていました。
《高砂スクロール》2011年 提供:金沢21世紀美術館
最後に、このプロジェクトのタイトル『訪問者』について北出さんに聞いてみました。そこには、単にピーターさんがこの美術館・この街への訪問者ということ以上の意味が?
「Visitorという言葉にはStranger(よそ者)的な意味合いもありますが、だからこそお互いをつなげ合う想いが伝わればいいな、と選んだ言葉なんです。この場所では、ピーターも、彼の世界にふれる私たちやメンバーも、そして美術館のお客さんも訪問者と言えるでしょう。そして、そこで感じ、持ち帰ったものもまた各々の場所へ運ばれていく、つまり『訪問』していくことになると思います」
「開かれた美術館」として親しまれる金沢21世紀美術館が、美術と人の、そして人と人の媒介者としてさらに積極的に関わっていく姿勢が、そこにはありました。そう思うと、あのカラフルで大きな頭が重なり・つながり合う風景にも、また新しい意味が感じられます。あなたも次の「訪問者」になってみてはいかがでしょうか?
- イベント情報
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- 『ピーター・マクドナルド: 訪問者』
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2011年4月16日(土)〜2012年3月20日(火)
会場:石川県 金沢21世紀美術館
時間:10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)
休場日:月曜、1月10日(3月19日は開場)
料金:
サロン(長期インスタレーションルーム)入場無料
ディスコ(展示室13)当日の特別展またはコレクション展の観覧券で入場可
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