知っておきたい。現代演劇を変えた天才ピーター・ブルックの偉業

映画にあまり詳しくない筆者のような人間は、映画監督のクリント・イーストウッドの85歳という年齢にひどく驚かされる。近年も『ヒア アフター』『J・エドガー』『ジャージー・ボーイズ』などの作品を発表しており、最新作となる『アメリカン・スナイパー』では、世界中で3億9000万ドルの興行収入を記録。しかも、イラク戦争を舞台にしながら、戦争が蝕む個人の精神というアクチュアルな問題を作品で扱っているのだ。

そして、演劇界にもまたイーストウッドのような「元気な老人」が存在する。1930年生まれのイーストウッドよりも5歳年上、1925年生まれの演出家、ピーター・ブルックは御年90歳だ。

彼が、2015年9月に発表した最新作が『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』。パリでの世界初演後、11月の新国立劇場での来日公演を皮切りに、ロンドン、イタリア、シンガポール、香港など世界ツアーが予定されている同作品で、こちらの「元気な老人」が描くテーマもまた「戦争」だった。

『BATTLEFIELD』の下敷きとなっているのが、30年前にフランス『アヴィニヨン演劇祭』をはじめ、世界中で上演され、20世紀演劇の金字塔の1つと言われる彼の代表作『マハーバーラタ』。インドの古代神話をもとに誕生したこの作品とはまた別のかたちで、新たにシーンを構築して作られたのが今回の作品なのだ。30年の時を経て、90歳となった巨匠は『マハーバーラタ』のリクリエイションから何を世界に投げかけるのだろうか? そこには、30年の時を経て変遷した「戦争」への視座が見え隠れしているようだ。

18歳でデビュー。シェイクスピアだけでなく、前衛劇まで幅広く手掛けた「恐るべき子ども」

ピーター・ブルックは、若かりしころから「天才」の名をほしいままにしていた。

名門オックスフォード大学在学中に18歳で演出家としてデビューし、21歳でイギリスきっての名門「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」に最年少演出家として入団。「アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」として脚光を浴びた彼は、順調にキャリアを積み重ねていく。若くして『リア王』『夏の夜の夢』といったシェイクスピアの古典を手がけるだけでなく、アルフレッド・ジャリの『ユビュ王』などの前衛劇でも成功を収め、世界中を驚かせる。さらに、世界中の演出家や演劇学校の生徒たちが教科書とし、論文や稽古場で引用され続ける演劇論集『なにもない空間』(晶文社)を執筆し、舞台美術や照明といった劇場機構を使用しなければならないという固定観念から演劇を開放した。彼が存在していなかったら、20世紀後半から現代に至るまで、世界中の演劇史は大きく様変わりしていたことだろう。


60歳になった天才のターニングポイント『マハーバーラタ』は、9時間の超大作

そんなピーター・ブルックのバイオグラフィーにおいて転換点となったのが、60歳のときに発表した『マハーバーラタ』(1985年)だった。世界最高峰の演劇祭である『アヴィニヨン演劇祭』で世界初演を迎えたこの舞台は、なんと9時間におよぶ超大作。当時廃墟となっていたブルボン採石場跡地の崖を3年がかりで削って作られた特設劇場を使用し、燃えさかる炎や水、土など、自然物を使った演出を舞台上で大々的に展開し、1回の公演にかかる費用は35万ポンド(当時の金額でおよそ1億円)と、その規模だけでも充分に演劇の常識を覆すものだった。

そして1988年、この桁外れのスケールを持つ作品は、東京・セゾン劇場にも上陸する。世界ツアーのために、せりふはフランス語から英語へと差し替えられ、屋内での上演を想定した演出に変更されたものの、当時の劇評にあたると、「火」「土」「水」を使った常識はずれの本作を、セゾン劇場は「万全の消火体勢」をもって迎え入れたという。

演劇誌『テアトロ』(1988年8月号、カモミール社)では、英文学者の大場建治による劇評を掲載。このなかで大場は、セゾン劇場という劇場環境に対しての不満を述べつつも、作品の内容に関しては「『マハーバーラタ』はピーター・ブルック演出の総決算と言っていい舞台だった」「彼の演出家としての軌跡は、現代における演劇のもっとも尖端的な、もっとも根源的な問題を常に先取りして展開してきたことがわかる。しかも、せっかくの達成を暴力的に破壊し、たえず永久運動的実験をみずからに課しながら。『マハーバーラタ』の舞台には、そういう彼の半世紀にわたる緊張が−−−残酷劇も叙事演劇も、詩的言語も身体力学も、祭儀性も、メタシアターも、全て含まれている」と賛辞を惜しまない。

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

『賭け』『追放』『戦争』の3部によって構成される『マハーバーラタ』は、スペクタクルやアクロバットに満ち、水と土と火が舞い踊り、演劇的な見立てによる簡素な表現さえも含まれていた。最もゴージャスで最もスリリングで最もシンプルな、演劇のすべてが詰め込まれたような作品だったのだ。

3千年前の物語にも関わらず「100億人」の人間が死ぬ戦争が描かれている

では、この『マハーバーラタ』とは、どのような作品なのだろうか?

古代インドの叙事詩であり、成立は今からおよそ3千年前と言われている『マハーバーラタ』。古代ギリシャでホメロスによって作られたとされる『イーリアス』『オデュッセイア』にならび、世界3大叙事詩の1つとされており、全18巻、聖書のおよそ4倍という長さを持つ叙事詩だ。世界のはじまりから幕を開けるこの神話は、パーンダヴァ族とカウラヴァ族の争いという主旋律に導かれて進行し、やがて一族同士の激しい闘いに発展。3千年前に紡がれた物語でありながら、物語には100億人もの死が描かれている。ブルックは『BATTLEFIELD』初演後のインタビューで、「私たちの現代の戦争でさえ、そこまでの死傷者はないが、それほどの人間を殺す大量破壊兵器という発想がすでにあったんだ。今日の私たちには、それを現実的に感じることができる」と物語に対する惚れ込みを語っている。事実、この上演のあとにもブルックは映画版『マハーバーラタ』(1989年)を監督するなど、さまざまなかたちでこの神話との付き合いを続けてきた。

名作には必ずついてまわる賛否両論の嵐

もちろん、絶賛だけで終わる演劇作品に優れた作品はない。古来から、名作と言われる上演に対しては、賛否両論に別れた激しい議論が繰り返されてきた。ブルックの『マハーバーラタ』もその例外ではない。

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

インドの演劇研究者であるルストム・バルーチャは、ブルックの『マハーバーラタ』を、「インドの文化を最も不当に(そして完全に)横領したものの一つである」「非西洋素材を、明らかに国際市場のために盗用し、オリエンタリズムの思考と行動の枠組みの中に再構成した」と舌鋒鋭く批判している(「ピーター・ブルックの『マハーバーラタ』ーーーインドの視点」日本演劇学会紀要36所収 1998年)。慣れ親しまないインドの物語ではなく、ヨーロッパの文化的故郷とされるギリシャの叙事詩に活路を見出すほうが、イギリス人であるブルックにとって優しく、また無用な批判を受ける危険性も薄いはず。それにも関わらず、ブルックはなぜ『マハーバーラタ』を手がけたのだろうか?

創作の発端は「ベトナム戦争」と「なぜ私たちは戦っているんだ?」という問い

ブルック自身の回想によれば、『マハーバーラタ』への補助線をなすのは、『US』(1966年)という作品だった。当時、ベトナム戦争が激化するなか、シェイクスピアの上演を続けるだけでなく、現代的な問題であるベトナム戦争をイギリス人である自らに引き付ける、そのための作品を上演する。それがブルックをはじめとするロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの劇団員たちの思いだった。そうして作られた『US』は、台本のない、即興的に演じられる討論劇となり、ロンドンで5か月にわたる上演を成功させた。ここで言う「成功」とは、動員数だけのことではない。ベトナム戦争をアメリカ(US)の戦争から、私たち(US)の戦争へと、観客たちのイメージを変容させたことを意味している。

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

このクリエイションを行なっている最中、あるインド人の青年がピーター・ブルックの元を訪れて自筆のスクリプトを手渡した。わずか5ページあまりのその劇は、『マハーバーラタ』の一説からとられたもので、登場人物がクリシュナ神に対して「なぜ私は戦わなくてはいけないのですか?」と問いかけるものだったという。ベトナム戦争とは直接関係しないその物語は、しかしブルックに鮮烈な印象をあたえる。「(ベトナム戦争の指揮官である)ウェストモーランド将軍が、大殺戮への責任を感じて、『なぜ我々は戦っているんだ?』と自らに問うたらどうなるだろうと思った」。ここから、ブルックと『マハーバーラタ』との、およそ半世紀にわたる関係がはじまった。

西洋の「シスマティック」な演劇を極めたブルックが求めた、イスラムやアジアのカルチャー

そもそも、ピーター・ブルックにとって、非ヨーロッパ地域は特別な魅力に満ちた土地だった。「呪術」や「祭儀」に対して演劇の1つの本質を見出すブルックは、世界中のあちこちを旅してその尻尾を捕まえようとする。あるときは、イスラム教の聖史劇を観るためにイランの田舎まで車を飛ばし、インドでは宗教儀式に感銘を受け、日本では能に対して日本人以上の思い入れを抱く。


実際に演劇に携わる者は、世界のどこにいるにせよ、偉大な伝統的形式に---とりわけ東洋の伝統的形式に---当然の謙虚さと経緯をこめながら、ぜひとも近づかなければなりません。これによって、自分の能力を遥かに超えたところまで行けるようになるからです---二十世紀の芸術家は自分が理解と想像のためには実は不十分な能力しか持っていないことを正直に認めなければなりません。 (ピーター・ブルック『秘密は何もない』早川書房)

と、その(やや理想化されすぎたきらいもある)理想を東洋の伝統的形式に置くブルック。彼にとって、イギリスやフランスで行われている演劇のほとんどは、経済至上主義やレパートリーシステムによって繰り返し上演され、「神秘」や「呪術」を失った「退廃演劇」に見えた。だからこそ、彼は西洋近代演劇の外側へと足を伸ばさなければならなかったのである。

「戦争」を描くことへの希求と「ヨーロッパ」に対する違和感、ブルックの持つそんな問題意識が交差し、結実したのが『マハーバーラタ』という作品だったのだ。

イベント情報
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』

2015年11月25日(水)~11月29日(日)
会場:東京都 初台 新国立劇場 中劇場
脚本:ピーター・ブルック、ジャン=クロード・カリエール、マリ―=エレ―ヌ・エティエンヌ
演出:ピーター・ブルック、マリ―=エレ―ヌ・エティエンヌ
音楽:土取利行
出演:
キャロル・カルメーラ
ジャレッド・マクニ―ル
エリ・ザラムンバ
ショーン・オカラハン
※英語上演、日本語字幕付き
料金:一般7,000円 U-25チケット3,500円

プロフィール
ピーター・ブルック

1925年ロンドン生まれ。オックスフォード大学在学中、『フォースタス博士』で初演出。1946年、シェイクスピア記念劇場(現RSC)において史上最年少の演出家となり『恋の骨折り損』を演出。その後も『リア王』『真夏の夜の夢』『アントニーとクレオパトラ』などを演出。1971年、ミシェリーヌ・ロザンと共に国際演劇研究センターをパリに設立。1974年には、20年以上廃墟となっていたブッフ・デュ・ノール劇場を開場し、『鳥の会議』『桜の園』『テンペスト』『マハーバーラタ』など話題作を次々と発表。映画監督としても活躍し、『蝿の王』『雨のしのび逢い』『注目すべき人々との出会い』など。主な著書に、15か国以上に翻訳された『なにもない空間』『秘密は何もない』、自伝『ピーター・ブルック回想録』など。



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