インドのシク教総本山にあたる「黄金寺院」とも呼ばれるハリマンディル・サーヒブでは、毎日10万食が巡礼者や旅行者のために、すべて無料で提供されている。自らも移動式キッチンのシェフとして腕をふるうベルギーのフィリップ・ウィチュスとヴァレリー・ベルト夫妻は、この途方もない規模の食事が誰の手によってどのようになされるのか、その準備から片付けまでの全貌をカメラに収め、ドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』を作り上げた。食事をとることと、その食事がどのように食卓に届けられているかが切り離されがちな現代社会において、この映画は厨房の圧巻の風景に焦点を絞ることで、見る者に「食」という人間の営みを改めて考えるきっかけを提供する。
上映に先がけ、9月18日にカレー付きの先行上映をプロデュースした、インド料理を研究する日印混合料理集団「東京スパイス番長」のメンバーのトークも交えながら、我々の日常とは異なる、1つの食の在り方に迫ってみたい。
500年以上続く、10万人分の食事提供の舞台裏
インドと聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう? ガンジス川での沐浴、世界中から集まるバックパッカー、急成長する経済発展、独特の訛りのインド英語、歌って踊るボリウッド(インド・ムンバイの映画産業)の娯楽映画……など、その印象は人によって様々かもしれない。しかし誰もが連想するイメージの1つが、カレーをはじめとしたスパイスをふんだんに使ったインド料理ではないだろうか?
多民族多宗教が混在し、20以上の公用語があるといわれるインドでは、その料理も地方によってさまざまなバリエーションがある。日本でも街を歩けばさまざまなインド料理のお店を見つけることができるし、書店の料理コーナーに行けばたくさんのレシピ本を手にすることができるだろう。とは言っても、その料理が現地でどのような場所で作られ、どのように食べられているのかは、実際にインドに行ってみなければ分からないし、同じ料理でも、街中の屋台と高級レストランの厨房と家庭の台所とではまた異なる。
映画『聖者たちの食卓』は、パキスタンと国境を接するパンジャーブ州の都市アムリトサルにあるシク教の聖地「黄金寺院」で、500年以上にわたって受け継がれているある食事提供の舞台裏を、初めて映像でとらえたドキュメンタリー作品だ。
「すべての人は平等である」という教義を形にした無料食堂
シク教とは、ヒンドゥー教が80%近くを占めるインドにおいて、主にパンジャーブ地方の人々を中心に全人口の約2%が属している。「ターバンを巻いている」というインド人男性に対するイメージは、実はこのシク教徒のものだ(ちなみにプロレスラーのタイガー・ジェット・シンもシク教徒)。16世紀に始まった比較的新しい宗教で、ヒンドゥー教とイスラム教の融和をはかったといわれ、儀式や偶像崇拝を禁じ、カーストや出家を否定している。そのシク教徒にとって、「黄金寺院」と呼ばれるハリマンディル・サーヒブはもっとも神聖な寺院であり、白い壁に取り囲まれた人工の四角い池に浮かぶ石造りの孤島で、文字通り金色の輝きを放っている。
徐々に観光スポットとしても知られつつある「黄金寺院」では、ここを訪れる人々に対して、毎日10万食もの食事が無料で振る舞われているという。グル・カ・ランガル(共同食堂)と呼ばれるこの習慣は、「宗教、カースト、肌の色、信条、年齢、性別、社会的地位に関係なく、すべての人々は平等である」というシク教の根幹をなす教義を守るために考案されたもので、シク教徒以外のインド人だけでなく、定められたルールを守れば世界各地から訪れた観光客も区別なく腹を満たすことができる。しかも、その調理の担い手はすべて無償で働くボランティア。ベルギーから訪れた映像作家のフィリップ・ウィチュスとヴァレリー・ベルト夫妻は、何世紀にもわたって続くこの「聖なるキッチン」のコンセプトに感銘を受け、映画の制作を決意した。
1度に5,000人がとる食事はどのように作られているのか? 自ら移動式キッチンのシェフとしても腕をふるうという監督は、完成した料理そのものではなく、それを成り立たせている舞台裏を1か月かけてくまなく撮影。あらゆる差別や偏見を超えて、同じ鍋のご飯を食べる巨大な団らんを、65分間の映像にまとめあげた。
言葉なしに伝わる、色彩豊かな映像のポリリズム
完成した映画『聖者たちの食卓』は、ナレーションや会話のシーンはなく、戒律や食事のルールを示す文言を写した場面以外、先述したような情報は見る者に一切与えられない。しかしスクリーンに映し出される色彩豊かな映像と音響は、一見、喧騒と混沌の渦中あるように見える群衆の中から、ある確かな秩序と美を浮かび上がらせ、さらに、人が相互に助け合いながら共に生きることの素晴らしさを伝えてくれる。
ひたすらニンニクの皮を剥き続けるおじさんの顔。規則正しく響く玉ねぎを刻む心地良い音。チャパティの生地をこねる無駄のない手の動き。大量の豆を煮込む大きな鍋の数々。整然と並んで食事をとる老若男女のカラフルな衣服。食後のプレートを一斉に洗う洗い場の女性たち。掃除のための水を聖なる池から運び出すバケツリレー……。
それぞれの持ち場から発する作業の音は、インド音楽にも似た重層的なポリリズムとなって、見ているこちらの身体に浸透してくる。料理人でもある監督が深い共感をもって切り取った美しい映像は、説明もなく淡々と積み重ねられることで、その豊かさが増幅して訴えかけてくる。そしてそのすべてが、輪廻のように何百年と繰り広げられてきた聖なる食卓の「日常」であることに気づくとき、見知らぬ大勢の人々の一挙手一投足がなんとも愛しいものとして感じられるのだ。
我々の日常生活での食のあり方を逆照射した、ミニマムな1時間
また、この映像は、今年公開され話題となったもう1つのドキュメンタリー映画、カトリックでもっとも厳格な戒律を持つというカルトジオ会のアルプス山中の男子修道院の生活をとらえた『大いなる沈黙へ』(フィリップ・グレーニング監督)を思い起こさせる。ドイツ人監督が修道院の中で修道僧とともに生活しながら撮影したこの映画の中でも、自給自足に近い質素な食事の風景は、「食」が人間らしく生きることの根幹をなしていることを強く印象づけていた。出家を禁じ世俗の職業に就きながら日々の務めを果たすことを旨とするシク教徒と、世俗と切り離された場所で神にすべてを捧げ、祈り中心の生活を送るカトリックの修道僧。全く違うようでありながら、両者の営為の根底にあるものはとても近いように思われる。
コンビニエンスストアや外食チェーン店の増加の一方で、地産地消の流れや生産者と消費者をダイレクトにつなぐファーマーズマーケットの広がりなど、食をめぐる生活者の意識は、近年ますます敏感になってきている。遠く離れた聖地での食事の様子を丹念に見せるドキュメンタリー映画『聖者たちの食卓』は、わずか1時間あまりのミニマムな映像を通して、我々の日常生活での食のあり方を逆照射し、人が自然の恵みを分け与えて食べて生きることの意味を改めて考えさせる。と同時に、映画館のスクリーンが旅と同様に見知らぬ世界に触れる確かな窓であり、そこに集まった様々な観客を結びつけて想いをシェアしあう、寺院のような機能を持つ場であることも再認識させてくれる作品である。
パンジャーブ地方を「東京スパイス番長」が訪問
一般公開に先立つ9月18日には、インド料理を研究する日印混合料理集団「東京スパイス番長」プロデュースによる、映画の舞台となったパンジャーブ地方のカレー付き先行上映イベントが渋谷アップリンクで開催された。
毎年テーマを決めてインドを調査しに行っているという東京スパイス番長の四人は、2011年にマトン料理をテーマにパンジャーブ地方を訪れ、黄金寺院にも立ち寄ったという。黄金寺院の共同食堂のことを知らず料理を食べそこねたというが(残念!)、上映前には訪問時の写真を見せながらパンジャーブ地方の風土や料理を伝えるトークを行った。
『聖者たちの食卓』カレー付き先行上映イベントproduced by スパイス番長の様子
「東京スパイス番長」のメンバーの1人である水野仁輔に実際に訪れた黄金寺院の印象を尋ねると、「同じインドでも、王様が妃の死を悲しんで建てたお墓であるタージ・マハルの荘厳さから受ける感動とは違って、黄金寺院には、聖地ならではの独特の空気感があり、違った感動がある」と言う。また、ヒンドゥー教徒ながら祖父がパンジャーブ州出身というシャンカール・ノグチは、「黄金寺院とそこに来ているシク教徒の人たちが作り出している空気感が素晴らしい。寺院の屋上に登った景色も気持ちが良くて、気がついたら2時間くらい経っていた」とコメント。
『聖者たちの食卓』の映画については、「監督がインド人ではない分、観客の目線と近いところからインドを見ていて、いい意味で外国人が見たインドの魅力が出ていると思う。シク教徒の人たちが見るものとは違う映像が撮れていて、僕らが現地で感じたのと同じような空気感が写っている」と水野。インド人の血を引くシャンカールも、「ヨーロッパ人の美的センスが出ている」と映像美の素晴らしさを語った。
質素な食事が美徳とされるカーストの世界
また、映画で映し出されるキッチンには、現地で実際に見たストリートフードや街場のレストランのキッチンとは違う、寺院ならではの特徴も感じたそうだ。
水野:インドで見る普通のキッチンって、あんなにきれいじゃないんですよ(笑)。だからこのキッチンはある意味インドっぽくないというか、洗練されている感じがします。監督の映像の切り取り方がそう見えるのかもしれないし、黄金寺院だからこその清潔感かもしれないですが、少なくともインドのいろんな街に行って見せてもらった厨房とは全然違う世界だと思いますね。
映画の中の映像が、ごく限られた場所のものである、という注釈をつけたが、食事の風景が地域や状況によって異なるのは、日本でも同じこと。日本の外から見たインド料理と、インド人にとっての食事には実際にはどういう違いがあるのだろうか?
水野:インド人にとって食事が特別だという感じは特にしないですね。実は、土着のインド料理って、質素な味つけなんです。美味しくないと言うと語弊があるかもしれないけど、もともとヒンドゥー教のカーストの世界だと、カーストが上の位にいくほど、食事を質素にすることが美徳とされる世界なので、インド料理は贅沢に美味しくするという方向にはいかなかったんですよ。
冒頭で、インドにおいてはヒンドゥー教が80%を占めると伝えたが、その長い歴史の中で、「食事を贅沢に楽しむ」という感覚は培われてこなかった。しかし今、日本人がインド料理のレストランで味わうインド料理には、こってりとした芳醇な味つけのものも多く見られ、満足度を満たしてくれる。その理由には、インドの歴史が関係しているのだと言う。
水野:本当の美味しさが何かというのはまた別の話ですが、インド料理の中で、誰が食べても美味しいと感じる分かりやすい味は、おそらくムスリムが外からやってきてインドを支配したときに、自分たちのテクニックを使って土着のインド料理をもっと美味しくしようとしたことにあると思います。それが、いわゆるムグライ料理(ムガール帝国の宮廷料理)と言われているインド料理。イスラム教では食べるということが重要視されているんですよね。これが日本にやってきたから、日本人はこってりしたインド料理を食べて「美味しいね」って言うんだけど、もし土着のインド料理を食べたら、驚くんじゃないかな。インド人が宗教上の理由で、菜食主義が多いのもその理由だと思いますけど。
「空腹を満たす」以外の食事の意味
実際のインドの食事情をそのように述べた上で、シク教の総本山で提供しているランガルの食事には、ただ空腹を満たすためだけではない別の意味があるはずだと指摘。
水野:家庭の料理と街の料理屋と高級レストランがあるとしたら、この黄金寺院での料理は、そのどれとも全く違う料理のはずです。シク教の総本山で出してるということは、シク教徒全体を家族として捉えているわけだから、大切な人に食べさせる料理としての意味があるんじゃないかと思いますね。
そこに集まった10万人分もの食事を作り上げるために、黄金寺院ではシステマチックにも見える調理の効率的な役割分担がなされているわけだが、水野いわく、「完全なる分業というのは、インド料理の特徴」なのだと言う。つまり、インド料理店の調理場では、玉ねぎをスライスする人はずっと玉ねぎの担当であり、食事を運ぶ人はずっと運ぶだけである。その言葉を受けて、シャンカールも「でも、分業でこれだけ大量に作っているからこそ、できあがった食事を最後にみんなで一緒に食べることに大きな意味があるんでしょうね」と語った。
先ほど、日本人がインド料理に抱いているイメージ以上に、インド料理には地域やシーンによって様々な料理が存在すると述べた。しかしその状況は、少し想像力を働かせれば、日本料理も同じこと。ランチで食べる定食の和食は、決められた予算内で、仕事の活力にするために選びとっているかもしれないし、家庭のおふくろの味には、家族に元気に過ごしてほしいという願いが込められているかもしれない。1食数万円もする高級割烹では、少し背伸びをして非日常の体験を味わいたいのかもしれない。同じ日本料理でも、一つひとつつぶさに見て比較すれば、味も存在意義もまるで異なる。
水野:僕らが毎年インドに行って思うのは、インドに対する固定概をもっと取っ払いたいということなんです。食べ物に関して言うと、よく「やっぱり本場は違いますか?」と言われるけど、和食だってまずい店はたくさんあるでしょ。インドも同じ。美味しいとか美味しくないという判断基準じゃなくて、その都度出会って食べるものを楽しめるようになることが、インドに行ってインド料理を堪能できる方法だと思います。
イベントの最後には、青菜をブレンドしたサグカレーとひよこ豆のカレーなど、東京スパイス番長オリジナルのパンジャーブ地方の料理が振る舞われ、皆で味わいながら黄金寺院へと思いを馳せる。「見る、聞く、食べる」と五感をフルに使って他人と一緒に食卓を囲む充実感を味わい、改めて黄金寺院の無料食堂が時代を超えてシェアしてきたものの存在に頭をめぐらす。それは美味しさという価値基準ではなく、心を満たす体験であり、だからこそ現代人の心を満たす映画になり得るのであろう。
- 作品情報
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- 『聖者たちの食卓』
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2014年9月27日(土)から渋谷アップリンクほか全国順次公開
監督:フィリップ・ウィチュス、ヴァレリー・ベルト
配給:アップリンク
- プロフィール
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- 東京スパイス番長 (とうきょうすぱいすばんちょう)
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インド料理を研究する日印混合料理集団。出張料理ユニット「東京カリ~番長。」の調理主任を務める水野仁輔、インドアメリカン貿易商会3代目のシャンカール・野口、アナンコーポレーション3代目のメタ・バラッツ、日本最初のインド料理専門店「ナイルレストラン」3代目のナイル喜己の四人組ユニット。スパイス界のサラブレッド集団として、インドを軸にしたスパイス料理の探究と普及に取り組んでいる。
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