御年88歳となるイギリス人演出家・ピーター・ブルックが、世界の演劇界で有数の巨匠であることは、多くの人の同意するところだろう。いったいどれくらいすごい人物なのか、演劇を知らない人に説明するならば「演劇界のポール・マッカートニー」とでも形容すれば伝わるだろうか。
21歳で最年少招待演出家として名門・ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに招かれると、世界の演劇シーンにその名を轟かせたピーター・ブルック。彼自身が最上の演劇と語るシェイクスピア戯曲を中心に、オペラや映画監督としてもその演出の才能を発揮し、日々新たな作品を生み出し続けている。また、1968年、彼が執筆した演劇の理論書『なにもない空間』(晶文社)は、母国イギリスのみならず15か国以上で翻訳され、刊行から45年の月日を経た現在でも、演劇人のバイブルと言っても過言ではない煌めきを放っている。
後世に与えた影響の絶大さもさることながら、イギリス的価値観を代表する芸術家であること、年齢を重ねても精力的に作品を発表し続け、シーンをリードしていく姿勢。さらにシェイクスピアを基礎にオペラから前衛まで、あらゆるジャンルを手がける幅の広さなど、まさしくポール・マッカートニーに勝るとも劣らない偉大な業績を築き上げてきたピーター・ブルック。彼による新作『ザ・スーツ』が、11月よりパルコ劇場で上演される。これを機会に、改めて巨匠が辿ってきたデビューから70年間(!)の足跡を振り返ってみよう。
年、それまでとは一線を画す、新たな演劇が生み出される「どこでもいい、なにもない空間―それを指して私は裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る。もう一人の人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」
何やら、ひどく当たり前なことを言っているような気がするし、何を言ってるんだかさっぱりわからないような気もする……。大学などで、現代演劇概論といった講義を受講しようものなら、学生たちは必ず、ピーター・ブルックによるこの『なにもない空間』の一節にぶち当たる。そして、その意味を理解して興奮を覚える学生もいれば、意味を理解できずに、授業に顔を見せなくなる学生もしばしばだ。
70年間にわたって、数多くの演劇人に大きな影響を与えてきたピーター・ブルック。少し大げさかもしれないが、もしも『なにもない空間』のこの一文がなかったら、現代演劇は全く別の方向に舵を切っていたとしても不思議ではない。ポール・マッカートニーとの比較を続けるならば、「もしもビートルズが『Revolver』を作っていなかったら……」という仮定と同じかそれ以上に、同時代や後の世代にまで大きな影響を与えている著作なのだ。
では、どうしてこの一節が特別な意味を持っているのだろうか?
演劇は、しばしば「文学」の一ジャンルとして捉えられることがある。たとえば、芸術学科のない大学で演劇を学ぼうと思った場合、文学部がその受け皿となることが多い。しかし、これは、よくよく考えてみると変な話だ。劇場で行われる「公演」こそが演劇であるはずであり、演劇は文学とは全く別のものである。にも関わらず、「演劇=文学」とみなされてきたその根拠となっているのが演劇の台本「戯曲」の存在。「演劇とは何か?」と問われた場合、そこで語られる言葉が書かれた「戯曲」こそがその本質としてみなされてきた。演出家の役割は、演劇の本質である戯曲を「正しく」解釈し、俳優の仕事は戯曲に書かれたセリフを「正しく」届けること。ヘンリック・イプセン(ノルウェーの劇作家。近代演劇の父と称される)の『人形の家』に始まるとされる近代劇の歴史は、そのまま「戯曲の歴史」だったと言い直しても問題がないだろう。
確かに、戯曲はとても大切なものであるが、演劇においてそれが全てではない。多くの観客にとって、それは演劇の1つの要素にすぎないのだ。戯曲に書かれた言葉と同じかそれ以上に、戯曲に書かれていない俳優の存在感や、役の気持ちの流れ、舞台に流れる空気感などは、演劇のとても大切な要素となる。いくら、楽譜通りに弾いたところでビートルズの持つグルーヴが生み出されないように、戯曲だけでは演劇の真の喜びは生み出し得ない。演出家には、戯曲には書かれていないニュアンスをつかみとり、それを観客に届ける義務があるのだ。
『なにもない空間』に書かれたピーター・ブルックの言葉は、まさに戯曲の牢獄から演劇を開放するための言葉だった。演劇を演劇たらしめるのは、劇作家の書いた文字ではなく、なにもない空間に置かれた俳優の存在である。折しも、『なにもない空間』が発表されたのは世界中で同時多発的にさまざまなサブカルチャーが生み出された1968年。日本でも、天井桟敷の寺山修司、状況劇場の唐十郎などによって「アングラ演劇」という新たなムーブメントが勃発した時代だ。ピーター・ブルックの言葉に呼応するように、世界中の国々でそれまでの演劇とは一線を画す、新たな演劇が生み出されていった。
イギリスを代表する劇団・ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに、最年少招待演出家として招かれた早熟の天才
では、そんなピーター・ブルックとは、いったいどのような遍歴をたどってきた人物なのだろうか?
19世紀に設立されたロイヤル・シェイクスピア・カンパニーは、チャールズ皇太子が理事長を務めるイギリスを代表する劇団。17歳から演出活動を行っていたピーター・ブルックは、オックスフォード大学在学中からその才能を高く評価され、1946年、弱冠21歳にして、この劇団の最年少招待演出家として招かれる。以降、シェイクスピアの『冬物語』『尺には尺を』をはじめ、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』、さらには『フィガロの結婚』や『サロメ』といったオペラの上演などを次々に成功させ、その早熟な才能を開花させていった。
数々の作品の中でも、ピーター・ブルックの名を全世界的に知らしめたのが、1955年に上演したシェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』だ。当時、この作品は、シェイクスピア初期における習作的な作品としての評価しかなされていなかった。だが、彼は、この作品を血みどろの生々しい劇へと大胆な変貌を遂げさせ、そのセンセーショナルな舞台は高い評価を獲得した。また、1962年に上演された『リア王』も彼を語る上で忘れてはならない傑作だ。伝統と格式あるシェイクスピアの代表作を、彼は『ゴドーを待ちながら』を書いたサミュエル・ベケット風の不条理劇に仕立てあげてしまった。このチャレンジングな演出が成功を収めたことで、彼は、その地位を不動のものとすることに成功したのである。
以降、『なにもない空間』の執筆や、パリのテアトロ・デ・ブッフ・デュ・ノールへ活動拠点の移転、さらには日本をはじめとする東洋文化への高い感心へと、ピーター・ブルックは常に演劇シーンの最先端で格闘を続けている。昨年も、モーツァルトのオペラ『魔笛』をさいたま芸術劇場で上演し大勢の観客を魅了したばかり。今回パルコ劇場で上演される『ザ・スーツ』も、『魔笛』と同じく、長年コンビを組むマリー=エレーヌ・エティエンヌや作曲家・フランク・クラウクチェックというパートナーたちとともに生み出された。
アパルトヘイトにより発禁書に指定され、評価の場を失った南アフリカの反体制派作家、キャン・センバによる短編小説を舞台化
『ザ・スーツ』の舞台となるのは1950年代の南アフリカ・ヨハネスブルグ。アパルトヘイトのまっただ中という社会背景を舞台に、妻マチルダと夫フィロメンの間に起こる不倫問題が描かれた作品だ。妻とその愛人のベッドシーンを夫が目撃してしまうという、最近ワイドショーで聞いたことがあるような描写から物語は始まる。不貞を働いた妻を罰するために、夫はある企てを実行していく……。
今作の原作となったのは、ブルックが「時代や場所が違えばチェーホフになり得た」と称賛する南アフリカの反体制派作家、キャン・センバによる同名の短編小説。彼もまた、アパルトヘイトがなければ、もっとその独創性が評価されてしかるべきはずの作家だったが、南アフリカではその著書が発売禁止図書に指定されてしまう。母国を終われ、スワジランドに亡命した作家は、アルコール中毒によって失意の内にその短い人生に幕を閉じている。
では、ピーター・ブルックは、この作品にどのような演出を散りばめたのだろうか? かつてはサーカスのような演出を取り入れたり、壮大な城を使用したこともあったピーター・ブルック。代表作の1つであるインド叙事詩『マハーバーラタ』の上演時間は9時間にも及ぶ壮大なものだった。だが、今作では物語の要所要所に、シューベルト歌曲から南アフリカのグラミー賞歌手、ミリアム・マケバによるヒット曲”マライカ”など、多彩な楽曲が使用されているものの、そこには舞台ならではの派手な演出はない。3人の俳優とともに舞台上に現れる3人のミュージシャンが、生演奏でこの歌を支えているのだ。舞台に置かれるのは、数脚の椅子とテーブル、そして衣裳ハンガーというシンプルなもの。舞台の背景もない「なにもない空間」において劇は進行されていく。
ピーター・ブルック:演劇でこれまで使われてきた中で、最も豊かな道具は「人間」だということに徐々に気づくようになったのです。それに集中し始めると、シンプルであることは理論的な理由からばかりではなく、徐々に、人間だけで形作れることの多さに目が開かれました。(『ガーディアン紙』インタビュー)
『なにもない空間』というマニフェストに自ら接近するように、近年の彼の舞台は必要な物だけを残し、どんどんシンプルに研ぎ澄まされていく。その結果、『ザ・スーツ』の上演時間はわずか75分という短い時間にまとめられた。しかし、ここまでそぎ落としていくためには、1942年の活動開始から実に70年の歳月を費やさなければならなかったのだ。
「アパルトヘイトだけでなく、世界中に冷酷で非情な独裁体制が存在し、人々が苦しんでいる。それを描くことができると思いました」(ピーター・ブルック)
昨年、ロンドンでこの作品を目撃した劇団「グリング」の演出家・青木豪は、「役者の技量と演出の妙技で見せる作品。『ザ・スーツ』は、演劇の純粋な喜びに出会える作品なのではないか」と賛辞を惜しまない。また、「ブルックのプロダクションはミニマリストのマスタークラスであり、洗練されきった演技には耐え難いほどの感動を覚える」(『メイル・オン・サンデー紙』)、「ピーター・ブルックのこれ以上ないほど豊かな経験を感じさせる。これこそが理想の演劇だ」(『デイリー・テレグラフ紙』)、「上演時間こそたった75分ではあるが、その時間以上に、これを見る幸運に恵まれたものの記憶に長く残るであろう」(『デイリー・メイル紙』)と、イギリスの各新聞にも好意的な劇評が並んでいる。
実は、彼がこの作品を手がけたのは2回目となる。初演は1999年で『ル・コスチューム』というタイトルを付けられた本作はフランス語で上演されたもの。ピーター・ブルックは、13年の歳月を経て、この作品を新たな形にして蘇らせたのだ。いったい、何が彼をこの作品に駆り立てたのだろうか?
ピーター・ブルック:その当時(筆者注:『ル・コスチューム』初演時)は、全ての劇場が、政治的意識の高い芝居を上演し、怒りにあふれていた。しかし、アパルトヘイトという背景をわざわざ強調する必要はないと思ったのです。それはすでにわかっていましたから、中心となる人間ドラマに専念したのです。しかし、再演してみると、今はアパルトヘイトばかりでなく、世界中に冷酷で非情な独裁体制が存在し、そこではわれわれがこうやって話している今このときにも、人々が苦しんでいる、それを描くことができると思いました。(『ガーディアン紙』インタビュー)
21世紀に入り、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊し、リーマンショックによって金融資本主義に対する信頼が失われた。「アラブの春」によって中東地域に民主化の波が押し寄せたものの、革命の余波はシリアなどの周辺国に飛び火し、収拾のつかない状況が広がっている。おそらくピーター・ブルックは今作品で、20年前、ネルソン・マンデラの大統領就任によって終わりを告げたアパルトヘイトを1つの題材として、現代の世界を見つめようとしているのだろう。
過剰に情報が渦巻き、シンプルさとは対局にある渋谷の街に「なにもない空間」が生まれる
しかし、彼は単に政治的な意図だけで作品を創作するような演出家ではない。政治を描くことによって、演劇の立場から現代社会との関係を構築しようとする作家だ。かつて、その政治に対するスタンスとして、ピーター・ブルックはこう語っていた。
ピーター・ブルック:だからといって演劇という一行為が政治の世界に影響をあたえることはできません。『US』というヴェトナム戦争についての作品を1966年に作ったときすでに、「社会情勢に影響を与えられると信じているのか?」と尋ねられたものでした。答えは「いいえ」です。演劇は日常の恐怖を超えるものに対して、私たちを一瞬開いてくれるものなのです。演劇は私たちの内にある肯定的なものを強めてくれるのです。(『舞台芸術8』所収、ピーター・ブルックインタビュー)
「私たちの内にある肯定的なものを強め」るために彼は演劇を上演する。それは、もしかしたら「なにもない空間」の延長線上に存在するものなのではないだろうか。「私たちの内にある肯定的なもの」は、別の呼び名を選ぶなら「想像力」と言い換えられるかもしれない。1991年に稲盛財団から京都賞を贈呈されたピーター・ブルックは、その記念となる講演で、日本の聴衆を前に、このように語った。
ピーター・ブルック:なにもない空間は、何の物語も語りませんから、個々の観客の想像と注意と思考過程は、自由で縛られていません。(中略)演劇における空虚は、想像力が空隙を埋めることを認めます。逆説的なことですが、与えられるものが少ないほど、想像力は満足するのです。(『秘密はなにもない』早川書房)
『ザ・スーツ』が上演されるパルコ劇場は、渋谷の公園通りに存在する。過剰に情報が渦巻き、シンプルさとは対局にある渋谷の街で観客はピーター・ブルックが生み出した「なにもない空間」に向かい合うことになるだろう。そのとき、彼一流の演出に、私たちはどのような想像力を働かせることができるのだろうか? その70年間のキャリアの中で鍛え上げられ、洗練されたシンプルを、劇場で身を浸しながら体感したい。
- イベント情報
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- パルコ劇場40周年記念公演
『ザ・スーツ』 -
2013年11月6日 (水) 〜11月17日 (日) 全15公演
会場:東京都 渋谷 パルコ劇場
原作:
キャン・センバ
モトビ・マトローツ
バーニー・サイモン
演出・翻案・音楽:
ピーター・ブルック
マリー=エレーヌ・エティエンヌ
フランク・クラウクチェック
料金:8,400円 U-25チケット4,500円アフタートークショー
2013年11月7日(木)19:00公演終了後
2013年11月11日(月)19:00公演終了後
出演:マリー=エレーヌ・エティエンヌ
- パルコ劇場40周年記念公演
- プロフィール
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- ピーター・ブルック
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1925年ロンドン生まれ。オックスフォード大学在学中、『フォースタス博士』で初演出。46年、シェイクスピア記念劇場(現RSC)において史上最年少の演出家となり『恋の骨折り損』を演出。その後も『リア王』、『真夏の夜の夢』、『アントニーとクレオパトラ』などを演出。71年、ミシェリーヌ・ロザンと共に国際演劇研究センターをパリに設立。74年には、20年以上廃墟となっていたブッフ・デュ・ノール劇場を開場し、『鳥の会議』『桜の園』『テンペスト』『マハーバーラタ』など話題作を次々と発表。映画監督としても活躍し、『蝿の王』『雨のしのび逢い』『注目すべき人々との出会い』など。主な著書に、15カ国以上に翻訳された『なにもない空間』『秘密は何もない』、自伝『ピーター・ブルック回想録』など。
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