1時間ほどインタビューをしたあと、ふたりが制作をしているアトリエを見せてもらった。最近では昼過ぎから夜の8時頃までここにこもり、合作を進めると同時にそれぞれ個人の作品も作り続けている。部屋の奥には制作途中の2枚の合作が置かれていた。どちらも5月上旬にスタートし、完成まであと3割くらい、という段階にあるそうだ。3週間足らずの制作期間にしては、かなりぎっしりと描き込まれている。
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あづち その日に感じたことを素直に描くというスタイルは、昔から変わってないんです。だから「絵日記みたい」ってよく言われます。
そう聞いてから絵を見ると、厚く何層にも塗り重ねられたモチーフの数々は、ふたりが制作していた日々の感情であることに気がつく。彼女たちの作品を見ることは、制作過程で彼女たちの身に起きたできごとを追体験することに近い。だからこそ、さまざまなイメージを想起させる面白さがあるのだろう。
しかし作品を間近にしても、なぜ「ふたりで1枚を描くことが可能なのか?」という疑問はまだ解決できなかった。冒頭で言ったように、作家にとって作品は、渾身の想いで描きあげる自身の分身。そこに他者の介入が許されるのはなぜなのか?
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あすか そうですね…あまり気にしたことがないですね。
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あづち ふたりとも、「楽しいから描く」ことが大前提にあるから、なのかな。
最近では、あづちの描いたモチーフが気に入らなかったあすかが、あづちが寝ている間にこっそりと絵の具で塗りつぶしたことがあったそう。普通ならケンカになりそうなものだが、絵を見たあづちは「そのほうがよくなったね」と言ったとのこと。
その感覚はやはりふたりだけのもので、「なにが良くてなにが悪いのかは、言葉では説明できないです」とあづち。どんなに仲がいい友達とでも、同じ描き方はできないだろうとも自覚している。
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あづち やっぱり気を使ったり、遠慮したりするだろうから。あすかとだから安心してできるんだと思います。
取材中、ふたりはよく「楽しいから描いている」と言った。今後も多くの個展が決まっており、ファンも増え続けている。そろそろ求められて描く難しさや、壁を感じてもおかしくない時期を迎えるだろう。アーティストとして認知され、「楽しいから」だけでは済まされない現実は彼女たちにも見えているはずだ。
取材翌日、neutron代表の石橋氏に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「並のアーティストなら、もうプレッシャーや壁を感じている頃。でもふたりは、どちらかが悩んでも、その間にどちらかが描いている。とにかく手が止まらないんです」
あすかが悩んでも、あづちが描く。
あづちが止まっても、あすかが進む。
そうしているうちに、本人たちも気付かない間に、ふたりは作家性との対峙や求められる重圧という壁を超えてきたのかもしれない。だから彼女たちは、「画家」や「アーティスト」といった大それた自覚に苛まれることなく、強度を持ちつつ、26歳の女子が率直に紡いだポップさをも作品に宿すことができている。
彼女たちが日々楽しみながら産み落とした絵には、いわゆる「芸術」や「絵画」というジャンルでは今まで届けられなかった人々に、垣根を飛び越えてアートの面白さを伝えられる魅力がある。そしてふたりがいつか美術家としての自分に目覚めた時、「関西で話題の双子」から「日本のアートシーンを支える双子作家」へと、さらに大きく成長するのかもしれない。
「自分たちでも、なぜふたりで自然に作品が描けるのかは分からないし、その理由が知りたいんです」。取材中、あづちがそう言った。その理由を見つけるために、そして彼女たちに訪れるかもしれない大きな変化を見届けるために、これからふたりを追いかけることにした。
三尾あすか&三尾あづち 双子の姉妹展2011
『TRANSFOMATION』
2011年6月8日(水)〜26日(日)
neutron Tokyo gallery
http://www.neutron-tokyo.com/gallery/schedule/1106/ASUAZU/
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