ふたりで描く、ひとつの絵〜三尾あすか・あづち姉妹がひとりの「アーティスト」になるとき〜
第4話:「用意されていた人生から、もう一度人生を選び取るまで」
われわれは、大きく言ってふた通りの人生を歩んでいる。環境に恵まれ、自分のやりたいことを早くから見つけて、それに向かって邁進できている人。あるいは、そうでない人。前者の方々は、もちろん自分の力でそれを見つけたのだろうが、家庭環境によるところも大きいだろう。両親が取り組んでいたことが楽しそうに見えたからこそ、自分もやってみようと思い、それが結局自分のやりたいことだったと。ちなみに、思いっきり後者の人生を送ってきた僕からすると、今回お話をしようと思う三尾あすか・あづちの姉妹が送ってきた前者の人生は、眩しくて仕方のないものに映っていた。
と、ここでひとつの疑問が湧いてくる。前回の連載で僕が衝撃を受けた、彼女たちの絵に突如出現した「黒い獣」。その、彼女たちの内面に巣食う苦悩を塗り固めたような黒は、「本当は理解されていない彼女たちのキモチ」というものが暴力的なまでに噴出したもののように見えた。はたから見ると、恵まれた境遇のように見える彼女たちが、なぜそんな思いを抱えるようになってしまったのだろうか?
その理由を直接伺っても、彼女たちは明確に語ってはくれなかった。そこで、今回は彼女たちがこれまでどんなふうに生きてきたのか、人生の軌跡を振り返ることで、その秘められた感情の一端でも良いので明らかにしてみたいと思う。それはきっと、「ふた通りの人生」で言うところの前者、あるいは後者のどちらかを生きてきた読者の皆さんにとっても、他人事ではない話のはずである。
両親は、ものづくりの仕事をしていたこともあり、一時期、仕事の傍ら絵画教室を営んでいたという。父親は、自然の風景や草花、女性の顔、文様のような柄や文字を好んで描き、母親はウサギや草花、ピエロ、そしてあすかとあづちのような子どもを描いていたという。そして、両親は彼女たちを連れてよく美術館へ足を運んだため、アートはとても身近にあり、彼女たちが絵を好きになり後年画家の道へ入るようになることは、ごく自然な流れだった。その意味で、ふたりは良い意味で「素直」に育つことができ、羨ましい境遇にあったと言えるだろう。
そんなふたりは、性格的にはどんな子どもだったのだろうか。姉のあすかは、長女にしばしばありがちだが、おとなしく、よく泣く子どもだったという。妹のあづちは、正反対に元気でおてんば。ふたりは子どもなら誰でもするように、家の壁や塀などに所かまわずラクガキのような絵を描いてまわったりしていた。
性格こそ違えど、共通していたのは「話すことよりも、絵を描くことが好き」だったこと。こうしてふたりは、自分たちの「キモチ」をいちばん素直に表現できるものとして、のちに仕事にすることになる「絵」という武器を、早くも手に入れた。
…と同時に、そこから彼女たちの苦悩もスタートすることになると、僕には思えてしまう。自分たちの中にある表現衝動をカタチにする手段を得ると、どうしてもこんな悩みが噴出してしまうようになるからだ。
「今描いている絵や文章は、本当に自分の思っていることそのものなの?」
「私たちのなかにあるキモチは、外に出してみればこれだけのものなの?」
ある出来事に強く感情を動かされると、それをできるだけ新鮮な形でカタチにしようと試みる。しかし技術がついていかずに、「なぜだろう」と悩む。アーティストとは、そんな苦悩を感じ続けている存在なのだろうと思う。そうした心の動きを繰り返すうち、あるとき爆発的に表現上の成長を遂げることがある。それが、彼女たち自身も絵を目の前にして驚いてしまうような迫力を備えた「黒い獣」だったのだろう。
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