「絵」という、自分をも傷つける武器を携えた彼女たちは、やがて中学・高校時代という思春期を迎える。デザインを学ぶために自宅から離れた高校に通い、その頃からふたりで暮らしていた。両親の影響ももちろんあったものの、この頃からすでにアートへの道をひた走っていた彼女たち。そして、それぞれがモチーフを自覚的に選び取って、作品を描いていたという。
普通の女子となんら異なることなく、弓道やバスケ、陸上などのスポーツに打ち込み、恋愛に悩んだりもしていたが、中心にはいつも「絵」があった。「絵を描きつづけたい」。ただ、その思いが、周りの友達よりもずっとずっと強いものだとふたりが気がつくのは、もう少しあとのことだった。
「両親の勧めがあり、美大へ進みました」。つねに「両親の生き方」を尊敬し、影響を受けてきたふたりは、当然のように美大進学を選び取る。そして、高校からデザインを学び、そのまま美大へと一直線に邁進した彼女たちは、アート好きな学生に囲まれ、ますます制作に打ち込むようになる。
美大は、基本的に「アート」に興味を持つ学生が多く集まる場所である。それゆえ、もちろん周囲から刺激を受けることはあっても、似たような学生たちが集まるぶん、自分を客観視できる機会はあまりなかったと思われる。ただ、そのことに不安を覚えることはほとんどなかったのではないだろうか。彼女たちはある意味「守られてきた」存在であり、それまで生きてきた世界とは、自分たちのやりたいことが世の中のすべてであるような世界だったのだ。「絵を描く」以外のことに、自分の存在が揺るがされるほど強い興味を抱くことはなかったし、あまり意識が及ばなかったのが実際のところかもしれない。
本当の意味で人生初の岐路となったのは、就職したことだった。
美大を卒業した彼女たちは、就職の道を選ぶ。生活していくための仕事として、あすかはアパレル会社に販売員として就職。あづちは、コックになって家族で店を持つという将来像を描き飲食関係に職を得た。
ふたりは当初、「就職しても仕事と両立して絵は描いていける」と思っていた。しかし、現実はそうたやすくない。制作をする時間はほとんどなくなってしまい、悶々とした日々が続くようになる。
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あすか 制作を全くしない時期が続くと、今まで本当に絵が好きで、一生かけて制作していきたいと強く願っていた時期が、まるでウソのように感じられました。そんなキモチになっている自分がすごく嫌で、悲しかった…。
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あづち 社会に出て初めて、自分が本当にしたいことは絵なんだと心を決めることができました。料理の道を諦めるのも、両親の期待に背くような気がして迷ったんですが、結局は「描きたい」というキモチがどんどん強くなっていき、辞めてしまったんです。それからはアルバイトをしながら絵を描く日々が始まりました。
思うようにいかない日々は、逆説的に自分たちの絵に対する強い思いを浮かび上がらせることになった。誰でも社会人になったとき、ふたりと同じような悲しさ・悔しさを経験しているだろう。彼女たちは、こうしてはじめて「外界」に出たのだ。そして苦難にぶち当たり、迷ったすえに自分たちの力で、自分たちらしい生き方をもぎ取ろうとした。
「社会のなかで自分ができることや、お金を稼ぐためにはどうしたらいいのか、そして仕事に対しての責任や人との関わり合い方などを知る」。そのために就職をしたことじたいは、おそらく彼女たちの人生にとって必要なことだっただろう。そして、一旦は決めたその道から外れる決心をしたことも、必然的な帰結だった。彼女たちは一度迷ったぶん、ようやく表現者として大切なもののひとつである、人間的な広がりを得ることができたのだ。
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