いまもっとも注目されている若手美術家のひとり。そう言っても差し支えないほど、梅沢和木さんの作品は衝撃と波紋をもって広く知れ渡りました。インターネット上にあるキャラクターの画像をコピー&ペーストし、プリントアウトしたものにまた絵具を重ねるという独特の作風。サブカルチャー臭やオタク要素がごった煮の膨大な情報量となる彼の作品群は、東浩紀などの批評家や、世界的アーティスト村上隆などから支持を受け、言及されています。過去のどんなジャンルの「アート」とも似て非なる彼の作品は、どのような現場から生まれているのでしょうか。自宅兼アトリエに伺い、そのヒミツを探りました。
テキスト・田島太陽
撮影:CINRA編集部
- 梅沢 和木うめざわ かずき
- 1985年生まれ、埼玉県出身。高校は県内の美術科に入学し、その後武蔵野美術大学映像学科を卒業。pixivなどで活動しているイラストレーターや作家達を藤城嘘が独自の視点で集めている団体、「カオス*ラウンジ」 のコアメンバー。公式ウェブの名前であり本人のニックネームでもある「梅ラボ」は、「梅沢」+「laboratory(実験室/研究所/制作室)」が由来。「漢字とカタカナを混ぜれば印象的になるかなというのと、検索に分かりやすく引っかかりやすいかなというのと、当時は写真をやろうと思っていたのでラボという言葉はちょうどいいかなと思った」とのこと。3月3日〜27日には国分寺mograg garageにて『カオス*ラウンジvol.3』を開催予定。
絵をやるしかない、という決断
いまや若手美術家として注目を集める梅沢さんの少年時代は、意外にも(?)野球少年。しかし、定位置はベンチ。試合に出るクラスメイトや下級生を、ベンチから苦々しく見つめていました。
承認欲求が満たされない鬱々とした中学生活を送りながら、これから自分はどの道に進むべきなのかを考えていた梅沢少年。「このままではだめで、いまのうちに得意なことを伸ばさないと将来はない」。今後の人生に危機感を覚えた彼が選んだのが、美術でした。
両親が絵画教室を営んでいることもあり、幼い頃から絵は得意分野。真っ白な紙に精神を集中して絵を描き上げる根気強さも持っており、中学時代は漫画家を目指していたこともあったそう。「自分は絵をやるしかない」、そう思っての決断でした。
梅沢さんが現在のような作風になったのは大学の卒業制作からで、それまではモノクロのイラストを中心に制作していたそう。中高時代から好きだったアニメに対しては距離を取っており、上手に向き合うことができなかったのです。
「まだ開き直れていませんでした。オタクはカッコ悪いというイメージがあったし、自分で自分の嗜好を隠してる感じでしたね」と梅沢さん。しかしある時、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のオープニング映像に惹き付けられことをきっかけに、「試しに一度すべて観てみよう」と思い立ちます。すると改めて、アニメには自分の心を躍らせるものがあると実感。また当時は「ニコニコ動画」が盛り上がりを見せ始めた時期でもあり、放送直後にアニメ本編がアップされることも珍しくありませんでしたが、画面上を流れるコメントと共にアニメ作品を観ることの楽しさにも、深くハマっていくことになります。
美術と自分が好きなことの溝を埋めたい
そうした日々を送る中で、梅沢さんが創作の課題として考えていたのはこのようなことでした。「学校で実践している美術的な表現と、自分が好きなオタクカルチャーの間にある溝を埋められないだろうか?」。考えた末に思いついたのが、デジタル技術によるイラストや画像のコラージュだったのです。
実は梅沢さん、同じ手法でパソコンの壁紙をかなり以前から自作していたそう。好きなキャラクターをたくさん並べたり、違う作品の登場人物をひとつの画面上に集めて遊ぶということを、趣味として長い間続けていたのです。
一枚の絵に際限なくキャラクターを足しているうちに、最初は1,000ピクセル程度だった壁紙画像は、いつのまにか2万ピクセル、3万ピクセルと大きくなっていきました。3万ピクセルというと、解像度150dpiで紙に印刷するとおよそ幅5メートルになる大きさ。だったら、これをそのまま作品にしてもいいのかもしれない。卒業制作の締め切り直前にそう思った梅沢さんは、プリントした壁紙に絵具で直接ペイントを足す方法を考え、作品として提出することを決めます。これをやらないと卒業できないという崖っぷちに追い込まれたところから、いまの作品の原型は生まれたようです。
アートの世界にある狭さとぬるさ
梅沢さんの作品はかつて、大学やアートの世界で高い評価を受けていたわけではありませんでした。そして、そのことを自身もちゃんと理解していました。
「美術の世界はよくも悪くも狭くて閉じられた場所なので、自分の作品が評価されるような場を選択して発表していかないといけない、とはずっと思っていました。でも、どう自作をプレゼンテーションするか、自分の作家性をどう見せるかという行動を含めてアーティスト活動と呼ぶべきなのに、『良い作品を作ればいい』という意識で終わっているアーティストや美大生が多かったんです。自分の作品を見せるだけで終わるんじゃなくて、その作品で何を考えさせたいか、他人の作品をどう思うかを議論することが、もっと必要なんじゃないかと思いますね。
もちろん作品が良くないのに議論だけしてもダメだと思いますが、良い作品を作れば褒められて勝手に物事が進んでいくほど甘くないのに、無自覚に甘んじている人が多い」
学校や狭い世界で褒め合っていても意味がない。社会との繋がりがある場所、生産性のある意見や批評が受けられるステージに行かないと現実的な意味での先はない。そこで、自分の作品は批評家にならちゃんと受け止めてもらえるのでは、と考えます。
「僕の作品はとても語りやすいと思うんです。作品の背後にあるネットワークやキャラクターの存在が見えるから、言説が作れるし批評もしやすい。作品の見た目や物理的な完成度、強度のクオリティを上げるために毎回最大限身体を使って必死になるわけですが、見た目ではわからないような、思考のきっかけとなるフックのような要素も、絵筆で色をのせるような感覚で各所に散りばめています。見た人がたくさん語ってくれればいいと思って、自分でも意識的にやっているんです。作品にすることは自分にしかできませんが、作品について考えることは誰でもできるので」 世界的に活躍する村上隆が主催する「GEISAI」への応募などがきっかけで、著書を愛読していた東浩紀や伊藤剛などにも作品が知られることになり、徐々に注目を集めるようになります。
アートに興味がない人から、どんな反応があるか
野球部のベンチで苦汁をなめていた少年から美術家となったいま、かつて味わっていた「承認欲求の欠如」に変化はあったのでしょうか?
「最近は美術で自分の実力がどれだけ評価されるかを気にするのは、それほど関心の最大の要素ではないように思えてきました」
自分がどう評価されるかよりも、アートと関わりが薄い人が自分の作品に何を感じ、どんな反応をするのかを知ることに興味が移ったのだそう。この関心の変化は、作家としての意識や自覚がより強くなってきたということでもあるのかもしれません。
ちなみに、これからどんな作家になりたいか、目標としている人はいるのかを聞いてみたところ「あまりイメージはないですね」との返答が。唯一目指したい人といえば、東方projectというゲームを制作したZUNさんだそう。「彼はプログラムもストーリーも絵も全部ひとりで作っている、本当にすごい人なんです。一つの世界をまるまる作って、それが多くの人に深く影響するというのは素直にすごいなあと考えます。でも、別にゲームが作りたいわけではないんですけどね(笑)」
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