『クリエイターのヒミツ基地』

『クリエイターのヒミツ基地』Volume30 我喜屋位瑳務(イラストレーター、アーティスト)

『クリエイターのヒミツ基地』 我喜屋位瑳務(イラストレーター、アーティスト)

ホラー映画から受けたトラウマをモチーフに、コラージュの手法を使ってイラストを制作する我喜屋位瑳務さん。沖縄で生まれ育ち、美容師を辞めた後、25歳で伝手もなく上京。肉体労働や名刺制作のアルバイトを続けながら10年以上の下積みを経験した後、頭角を現し始めた異色の経歴の持ち主です。そんな紆余曲折を経て行き着いた我喜屋さんの作風は、ある人生の「転機」となった出来事によって築かれたものだったと言います。妄想に耽るのが大好きだったという幼少時代から、今に至るまでの軌跡を振り返っていきましょう。

テキスト:宮崎智之
撮影:CINRA編集部

我喜屋位瑳務(がきや いさむ)
沖縄県生まれ。東京都在住。25歳で上京。子供の頃に観たアメリカのアクションやホラー映画のトラウマにインスピレーションを受けた作品を、ドローイングやコラージュで制作する。装画、雑誌、アパレル、広告、ウェブコンテンツなど幅広いジャンルで活動。『1_WALL』展で初代グランプリ。2013年に活動再開したGREAT3オフィシャルウェブサイトのアートディレクションを手掛けた。

我喜屋位瑳務(イラストレーター、アーティスト)

お客さんとコミュニケーションが取れずに美容師を辞める

沖縄県の本島出身。実家は海が望める高台の上にあり、周囲はウージ畑や墓地に囲まれた環境で育ったと言います。幼少の頃から絵に親しみ、ロボットアニメや『週刊少年ジャンプ』のキャラクターを模写するのが大好きな子どもだったそうです。

我喜屋:墓地を探検したり、墓石の上に乗って遊んでいたらバチがあたって蜂の大群に追いかけ回されたり(笑)と、外で遊ぶことも多かったのですが、一方で妄想ばかりしながら絵を描いていることもよくありました。いまだに覚えているのが小学生のとき、図工の授業で「利き手ではない方の手で靴を描いてみよう」という課題が出され、我ながら上手に描けたんです。でも、先生に「お前、右手で描いただろう!」と怒られてしまって。今思い返せば、ここらへんから自分の変わった性格やコミュニケーション下手が始まったのかもしれません(苦笑)。

そんな、我喜屋少年は、猫人間を題材にしたアメリカの怪奇映画『キャット・ピープル』(ジャック・ターナー監督)を偶然、テレビで観たことがきっかけでホラー映画にのめり込むようになりました。

我喜屋:当時は今よりテレビが寛容で、かなりグロい映画でも昼間から放送していたんです。猫の眼をした登場人物に睨まれ、滅茶苦茶怖くてトラウマになってしまったことを覚えています。でも、怖かったけど、なんだかもう一度観てみたいような感覚もあって。怖いもの見たさっていうのでしょうか。これがきっかけになって、どんどんホラー映画にハマっていきました。

ホラー映画で観たシーンを模写していくうちに想像力をさらに膨らませ、オリジナルの絵を描き始めたという我喜屋さん。幼い頃から絵を描くことに熱中していましたが、それを仕事にしようと思ったのはずっと後になってのことでした。

我喜屋:高校を卒業してもやりたいことが見つからず、ふらふらアルバイトをしていました。そうこうしているうち、当時通っていた美容室に憧れて専門学校に入り、美容師になろうと決意しました。でも、お客さんとコミュニケーションを上手くとることができず、辛くなってすぐに辞めてしまったんです。

その後は再びフリーター生活に戻ってしまいましたが、たまたま手に取った雑誌に掲載されていた、あるイラストを見たことがきっかけで人生が一変します。それは、イラストレーターや漫画家として活躍する寺田克也さんの作品でした。

我喜屋:言葉で表現するのは難しいです。今まで見たことがない絵で、衝撃を受けました。上手いだけじゃなくて、ファンタジーやホラーの要素が散りばめられていて、とにかくカッコいい。僕もこんな絵が描きたいと思い、絵を一生の仕事にしようと決めました。

我喜屋さんのスケッチブック

東京で苦悩する日々に光をさした、あるアドバイス

その後、すぐにイラストレーターとしての活動を開始。沖縄のセレクトショップで販売するTシャツデザインなどを手掛けましたが、沖縄では仕事が少ないことを痛感し、現在の奥さんと一緒に上京する決意を固めます。このとき、我喜屋さんは25歳。

我喜屋:伝手もなく、住む場所を探すのにも苦労する状態でした。はじめは建築現場で肉体労働をしながら生活費を稼いでいましたが、体を壊してしまって、雑貨屋で名刺を製作するアルバイトをすることに。出版社に作品を持ち込んでも断わられ、イラストだけで生活を支えることはできませんでした。

そんな生活が4、5年続きましたが、転機が訪れたのは、20代も終わりに近づいた頃のこと。アルバイト先の隣にある画材屋に訪れていたイラストレーターの湯村輝彦さんに友人が声を掛けて、イラストを見てもらうチャンスを得たのです。

我喜屋:普段はそう簡単に見てくれる方ではないと思うので、運が良かったと思います。後日、事務所にお邪魔して自分の作品を見せたところ、「デジタルだと暖かみがないから、コラージュで描いてみたら」とアドバイスを頂きました。

寺田さんに憧れてデジタルで絵を描いていたものの、創作に行き詰まりを感じ始めていたという我喜屋さんの胸に、湯村さんの助言は強く響いたと言います。

我喜屋:寺田さんになりたくて絵を始めたけど、寺田さんみたいにはなれないし、仮になれたとしてもすでに寺田さんがいる。そんな迷いを感じていた時期だったので、素直に受け止めることができました。今までの作風を変えるのは、かなり勇気がいりましたが……。でも、作風を変えた後に雑誌『イラストノート』の『第2回ノート展』で伊藤桂司賞をいただいたり、『MUSIC MAGAZINE』のフリッパーズギター特集でイラストが採用されたり、徐々に仕事が増えてきたんです。

さらに、作風だけではなく、作品に込める思いにも変化が生じ始めたそうです。

我喜屋:それまでは、視覚的にカッコ良くて上手な絵を描き、とにかくそれを鑑賞者にアピールしたいという気持ちが強かったように思います。でも、この頃から、ただ観てもらうだけではなく、絵を楽しんでほしいという欲求が自分の中に芽生え始めました。人とのコミュニケーションが苦手な自分でも、作品を通して観賞者とコミュニケーションができることに気がついたんです。

ただし、イラストだけで食べていけるようになったのは、さらに5年が経った頃のこと。上京してから約10年間はアルバイトを続けながらの活動でした。そんな異例とも言える長い下積み生活の中で、諦めようと思ったことはなかったのでしょうか?

我喜屋:もちろん、ありますよ。「沖縄に帰りたい」と思ったことも何度もありました。だから、苦労してデビューしたお笑い芸人さんを見ると、すごく共感してしまうんです(笑)。でも、人とのコミュニケーションが苦手だったので、諦めたとしても普通の仕事ではやっていけない、という覚悟があったんです。だから、結果論ですが、今ではこれで良かったと思っています。例えば、美大に行っていたら、その繋がりでもっと若い頃に仕事にありつけたかもしれませんが、それだと今の作風を確立することはできませんでした。ずいぶん遠回りをしてしまいましたが、僕にとってはそれだけの時間が必要だったのだと思っています。

狂気と滑稽。「いい絵がたくさん描けた」と思って死にたい

現在では、装画や雑誌、アパレル、広告、ウェブサイトなど幅広いジャンルで活躍している我喜屋さん。手描きした作品をパソコンに取り込んでコラージュする手法、一度見たら忘れられない独特の世界観で人気を博しています。

我喜屋:僕の作品のテーマは「狂気と滑稽」。ホラー映画以外でも、コーエン兄弟やポール・トーマス・アンダーソン監督などの作品をよく観るんですが、恐ろしい描写の中にもアホな部分がたくさん盛り込まれている作品に魅力を感じるんです。狂気って、ちょっと視点がずれると滑稽だったりしますよね。恐怖だけではなくて、そういった部分まで描き切ってこそ、本当の「狂気」だと思うんです。

また、作品の色合いには、幼い頃の環境が影響していると言います。

我喜屋:沖縄には、アメリカの文化が色濃く残っています。スーパーにはアメリカの商品が置いてありましたし、テレビの6チャンネルをつければアメリカのアニメをみることもできました。アメリカっぽい、はっきりした色を使うことが多いのは、そういった環境で育ったことが関係しているのだと思います。

最後に、今後の目標を聞くと、こんな風に話してくれました。

我喜屋:誰もが、死ぬ前に「今まで生きていて良かった」と思える人生であるために、今を必死に生きているんだと思うんです。そして、僕にとって「生きていて良かった」と思える基準は、やっぱり絵なんです。「いい絵をいっぱい描けたな」と思って最期を迎えたい。最近はいい絵が描けると、ぐっすり寝られます。だから、これからも絵を描き続けていこうと思っています。

朴訥とした語り口で、ゆっくりと言葉を選びながらインタビューに答えてくれた我喜屋さん。その姿勢から、人や作品に対する誠実さがにじみ出てくるようでした。暖かみがあり、それでいてどこかひねくれている。そんな作品を制作できるのは、苦労して現在にたどりついた我喜屋さんだからこそなのでしょう。

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