八木良太の生み出す作品は、ときにロマンチックであり、ときに宇宙の真理を突くようであり、そして大抵において、意外なくらいシンプルなアイデアから生まれる。氷で出来たレコード盤から流れるメロディーと、その溝が溶けた後にもどこかで鳴っている記憶の音。名作文学のテキストからある部分だけを残したときに現れる、文章と同じくらい雄弁な景色。だが、彼がこうした表現を始めるまでにはいくつかの経緯もあったという。この夏注目のアートイベント『ヨコハマトリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR-世界はどこまで知ることができるか?-』への参加が決まった注目アーティストに、これまでの道程から作品づくりの姿勢、またトリエンナーレ出展作品の最新情報までを聞いた。
八木良太
1980年愛媛県出身。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科卒業。現在は京都市を拠点に活動する。氷で作ったレコードをプレイヤー上で奏でる作品『Vinyl』など、「そこに存在しながら意識されないもの/識別不可能なもの」をテーマにする。作品の多くは身近な素材を使い、その慣用的な機能を読み替え、再編集してもうひとつの意味を浮かび上がらせるもの。主な個展に2008年「エマージェンシーズ8『回転』」(NTTコミュニケーションセンター[ICC])、「事象そのものへ」(無人島プロダクション)など。参加グループ展に2009年「ウィンター・ガーデン:日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」(原美術館)などがある。
Lyt.jp
例えば音声を「斜め読み」できたら面白いんじゃないかとか思いながら
―八木さんの作品には、音や時間をきっかけにこの世界をとらえ直すような表現が多い印象があります。氷でできたレコードを演奏する『Vinyl』、回転するレコードを「ろくろ」にして陶芸を行う『Portamento』など。どれも音とビジュアルが結び付いた表現なのも特徴ですね。こうした試みに進んだきっかけは何だったのでしょう。
八木:あえて整理したことはないのですが、いま現在考えていることをお話しますね。たぶんそれと、これまでやってきたことは無意識的につながっているとも思うんです。いまお話のあった作品や、早送りやスロー再生を用いた『Lento-Presto』のほか、逆再生・巻き戻しなど時間の流れに対して手を加える僕の制作は、新しいゲシュタルト(状態)というか、つまり意味のまとまりをつくりたいのかなと。いまパッと思いついたんですけど(笑)。
―新しい意味のまとまり=新しい感じ方ということ?
八木:かつて批評家のマーシャル・マクルーハンは、メディアが進化すれば人間は視覚以外にも全身でいろいろ受け取れるはず…といった意味のことを言いました。でも、いまだにこの世界は視覚中心な気がします。情報を得る手段としても、本やインターネットなどが主役ですよね。いっぽうで僕は本を読むのが苦手で、長い間読むと目のピントがブレてきたりするんです(苦笑)。逆にこうして人と話していると、どんどん発想が生まれたり、何かを吸収できる実感が強くて。だから、例えば音声を「斜め読み」できたら面白いんじゃないかとか思いながら、音を解体したり、くっつけたりしているんじゃないかな…。
Lyota Yagi 「VINYL」 2005 ©2005 Lyota Yagi Courtesy of Mujin-to Production, Tokyo
―作品『MOMO』では、奪われた時間を取り戻す冒険譚『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)の朗読が、レコードから順方向と逆方向再生で混在しながら聴こえてきますね。
八木:例えばああいう風に再構成された音でも、生まれたばかりの赤ちゃんに聞かせたら、意外と理解できるようにもなるかもな、とか。普通の音とそういう音と、両方感じられるようになればもっと世界が広がるんじゃないかと思えるんです。
―そうした発想は、音を使ったもの以外にも多くの八木作品にも通じる気がしますね。小説『星の王子さま』(サン=テグジュペリ作)の欧文テキストを広げて、その中のピリオドや「i, j」などの点だけを浮かび上がらせることで星空のようになる『Le petit prince』など。続けて、もう少しさかのぼった少年時代・学生時代のことなども伺えたらと思います。
Lyota Yagi「Le petit prince」2005©2005 Lyota Yagi Courtesy of Mujin-to Production, Tokyo
「わざわざこんなにややこしくする必要あるんですか?」と言われて
―音の作品ばかりではないのは承知の上で(笑)、もう少しその話をさせて下さい。「音」と「音楽」は重なりながらも少し違うとも思いますが、音楽には小さなころから親しんでいたのですか?
八木:それが、小学校のときは音楽が全然できない子どもで。それもあってピアノを習いにいくことになりました。楽譜ってコツがあって、理解できるようになればすごくわかりやすいものなんです。2、3年習って、その間にブラスバンドも始めました。高校では3年間みっちり吹奏楽部にいて、トロンボーンを担当していましたね。
―作品タイトルにも楽譜で使う言葉がよく出てきますね。「Portamento」(滑らかに徐々に音程を移す)とか、「Lento-Presto」(それぞれ「遅く」「速く」)とか。そうした活動とは別のジャンルも聴いたりしました?
八木:クラブミュージックも聴いていました。最初に衝撃を受けたのはTOWA TEIの音楽だったと思います。ただ、僕のいた愛媛の街は田舎なので、近所にそういうのを置いてくれるレコード屋がない。だから通販で買っていましたね。
八木良太
―大学ではどんなことを学びましたか?
八木:音大か美大か考えたこともありましたが、最終的には京都造形芸術大学に行き、空間演出デザイン学科というところで学びました。当時新設されたばかりのコースで、僕らが1期目。だから先生たちも「さあどうしよう」というところはあったんじゃないかと。僕はてっきりインテリアデザインやディスプレイの勉強ができるのかなと思いましたが、いきなり陶芸でタコ壷をつくってタコを穫りにいったり(笑)、ピンホールカメラをつくったり。「空間デザイン」には関係なさそうな授業もあったけど、さまざまな表現を広く浅く学ばせてもらいました。そのうちみんな詩を書いたり、デザインしたり、それぞれのやりたいことに進んでいって。
―そんな中で八木さんは…。
八木:僕は当時、かなりメディアアートっぽいことをしていましたね。あと、Max/Msp(音楽とマルチメディア向けのビジュアルプログラミング言語)のマニュアルをコピーして勉強した時期なんかもありました。でもある時を境に、コンピューターの中で表現することに飽きてしまったんです。ブラックボックスだから、入力と出力の間で何が起こっているのかがよく見えないですよね。対して、例えば氷が溶けるといった「そのものの現象」には、目の当たりにしたときにシンプルな「魅せる力」がある。情報量としても、実はそっちのほうが複雑なんですよね。
―何か、そうした方向転換のきっかけがあったのでしょうか?
八木:はい。大学の卒業制作作品をアーティストの藤本由起夫さんが見てくれたときに、「わざわざこんなにややこしくする必要あるんですか?」と言われて。僕は別コースで先生をしていた藤本さんの表現を、実を言うとそれまで詳しく知らなくて、調べてみたのがきっかけでした。
美術館で音を出してもいいじゃないか、とも思います
―藤本由起夫さんは、オルゴールなどを使った、シンプルだけどハッとさせられる作品が印象的なベテラン作家さんですね。もともと電子音楽の研究者だったのが、あるとき日常の中の音のほうが面白いことに気付いていまのような作風に…というエピソードを聞いたことがあります。
八木:そう、藤本さんの作品を見てみたら、どれもすごいシンプルで、それでいて作品としてのエネルギーのロスが少ない。それがショックだったんです。それで卒業後も、藤本さんのアトリエに遊びにいったり、モグリで授業を聴きに行ったりしましたね。
―八木さんと藤本さんは、日常にすでにあるもの/あり得るものを介して新鮮な気付きをくれるのが共通するように思えます。例えば八木さんの『Sound sphere』は、音楽の録音された磁気テープをびっしり巻き付けた大小のボールから好きなものを再生台に置くことで、不思議な音体験ができる作品ですね。カセットテープが、終わりも始まりもない音の球体となり、しかもあちこちに点在する世界。聴こえてくるのはもともと何の音だったんですか?
八木:いろいろですね。80年代のユーミンやTRFみたいなものから、最近のものまで。ネットオークションで落としたり、去年NYで研修滞在したときにもらったり。つまり(世界の)断片としての音なんです。
―音を使ったアートをつくる際には、どんな可能性や苦労を感じますか?
八木:やはりグループ展だとやっかいな存在だと思われがちですよね、他の作品との兼ね合いで(苦笑)。でも僕は、美術館で音を出してもいいじゃないか、とも思います。聴覚って固定されないもので、同じ場所に絵画を2枚置いたら一方を隠してしまうけれど、同じ場所で2つの音が鳴るとき、それらは重なり合う。これをもっとポジティブにとらえることができたら、と。無人島プロダクション(八木さんが契約し、個展も行っているアートスペース)の場所が高円寺だったころはすぐ側を電車が通っていて、その音をBGMにした作品をつくってもいいな、と考えたこともあります。
―蓮沼執太さんのミュージックビデオを手がけたり、彼とライブパフォーマンスをしたりもしていますね。
八木:蓮沼君には、誘ってもらえるからという感じで(笑)。でも「展覧会期中にサウンドパフォーマンスやって下さい!」なんて言われて、ひとりでは無理なとき、逆に蓮沼君に助けてもらったりもしています。彼の『wannapunch』のミュージックビデオは、それ以前から考えていたアイデア=「街のさまざまな光の明滅タイミングを曲のリズムに合わせてみる」というのをそのままやってみたものです。音を基準に、相対的に環境のスピードが変化する点では『Lento-Presto』に通じるところもある映像です。
観賞者が各作品の持つ「間(ま)」を埋めてくれる、そんな存在
―今回のヨコハマトリエンナーレで発表するのはどんな作品ですか?
八木:いま、ちょうど確認作業中なのですが、『Sound sphere』の映像版をつくって、それを出せたらと考えています。
―あれをビデオテープでやるイメージ?
八木:そうです。VHSビデオの場合、ヘッド自体が回転するし、映像の再生信号をうまく取れるかなど、これから確認・クリアすべき部分が多いのですが。ボールも大きくなって、直径90cmのものがいま自宅に待機してます(笑)。
―「回転」も八木さんの作品のキーワードのひとつですね。ビジュアル的には「GANTZ玉」みたいになりそうな気が(笑)。どんな映像を観ることができるのか楽しみにしています。
八木:ほかにも数作品を出展予定です。前述の『Portamento』や、サイアノタイプ(青写真)の手法でレコード盤を撮影した写真作品『Light of Music』になりそうです。
Lyota Yagi「Light of music」2006©2006 Lyota Yagi Courtesy of Mujin-to Production, Tokyo
―会場となる横浜美術館の空間への設置イメージも構想済み?
八木:今回アーティスティック・ティレクターを務める三木あき子さんの考えでは、「空間ごとにテーマを設ける」という感じらしいです。横浜美術館の収蔵作品であるイサム・ノグチさんの彫刻も展示されるようで。部屋全体としては「円環」をイメージしているのかも。
―八木さんの作品には『Sound sphere』のようにもともとある何かをシンプルかつ鮮やかに別の形へ変えてみせるタイプと、形は変えずにもとあった場所から異なる環境に持ってくるタイプと、2方向あるようにも感じます。後者は例えば、柄だけの雨傘を掲げると雨音が聴こえる『Rainy day Music』など。
八木:系統立ててはいませんが、そうかもしれません。「見立て」みたいなことも好きだし、アイデア先行型なので思いついたらやってみるんですね。やっぱり毎日、どこか頭の片隅に作品のことがあって考えています。コーヒーを淹れて、ノートを前に必死で考えることも。考えるフリっていうんですかね(笑)。
Lyota Yagi「Rainyday music」2005©2005 Lyota Yagi Courtesy of Mujin-to Production, Tokyo
―アイデアはそういうときに浮かんでくる?
八木:いえ、たいがいそういうときに良いアイデアは出ないですね。だけど、材料みたいなものは出てくる。そういう材料同士がその後、乗り物での移動中などに「あっ!」とくっついてアイデアになることが多いです。人と話しているときなどにも起こります。それと、僕の作品は良くも悪くも、完成度が高くてスキのない感じではありません。むしろ観賞者が各作品の持つ「間(ま)」を埋めてくれる、そんな存在。これは意図的ではあるけれど、同時に感覚的なものでもあります。例えば先ほど話に出た『Rainy day Music』で、雨の日の傘を表現するときに、あえて柄だけにする。
―完璧な傘だと、その「間」がないわけですね。
八木:はい。氷のレコードの作品『Vinyl』にしても、プレイヤーにあの赤白の安いポータブル機を使うのには、ここでアンティークに走っても違うし、という選択があります。ちょうど良い塩梅(あんばい)というか、そこに自分の趣味や色づけがなされているとも言えます。
―最後に、ヨコハマトリエンナーレを含め、今後どんな活動を展開していきたいですか?
八木:ヨコハマトリエンナーレは大きな催しなので緊張しますけど、プレッシャーはありません。会期中、10月中頃からは無人島プロダクションでも個展をやります。大型イベントも実験的なものも、それぞれ挑戦しがいがありますね。無人島プロダクションで展覧会をやるときは、よく前夜に会場に泊まらせてもらうんです。そういう時間に、作品が展示された様子を見て過ごすのが好きですね。作家冥利につきるというか。ただ今後、ものづくりの方向性がもっと純粋になるかもしれないという予感があります。今は他の人々が自分の作品を観る、ということを多少なりとも意識していますが、いったんそれを取り除いたとき、新局面が見えてくるのではないかなって。
『ヨコハマトリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR―世界はどこまで知ることができるか?―』
2011年8月6日(土)〜11月6日(日)
会場:神奈川県 横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域
時間:11:00〜18:00(最終入場は17:30まで)
休場日:8月、9月は毎週木曜日、10月13日(木)、10月27日(木)
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