新国立競技場問題で注目の建築家『ザハ・ハディド』展を見る

2020年『東京オリンピック・パラリンピック』のメイン会場予定地。現在、取り壊しを待つ国立競技場の跡地に新しく建設される予定であるのが、建築界のノーベル賞『プリツカー賞』を受賞した世界的な建築家、ザハ・ハディドによる斬新なデザインの新国立競技場です。

おそらく、ザハ・ハディドのことを知らなかった人でも、一度目にしたら忘れられない新国立競技場の独創的なデザイン案や、その設計、施工にまつわるゴタゴタがちょっとした騒動になっていることは、目や耳にしたことがあるでしょう。しかし、そうした騒動はネガティブな印象をもたらすばかりで、美しい流線型の建築をデザインする手腕を持った、一人の建築家としてのザハ・ハディドについて、私たちは真正面から向き合うことができていないのかもしれません。

新国立競技場建設予定地からは3キロほどの距離に立地する、初台の東京オペラシティ アートギャラリーでは現在、『ザハ・ハディド』展が行われています。彼女の初期から新国立競技場も含めた現在までの仕事を俯瞰することができる、貴重な機会をタイムリーに提供してくれるこの展覧会。ここでの鑑賞体験を通じて、一般的な建築のイメージを大きく超える、優美な曲線を持ったザハ建築の創作の源を探るべく、自身もザハと同じようにドローイングを多く手掛け、国際的な視点を持つ建築家の光嶋裕介さんをお招きしました。建築家の人は、ザハの才能をどう理解しているのでしょうか? 東京に暮らす一個人として、新国立競技場問題をより多角的に理解できればと、今回の取材に挑みました。

図面では描けない、建築が持っている本来の豊かさを表現するための絵画が、ザハ・ハディドのルーツ

ザハ・ハディドはイラク生まれ。ベイルートの大学で数学を学んだ後、1972年に渡英。幼いころからの夢だった建築家を目指して英国建築家協会付属建築学校(AAスクール)に入学します。

会場入り口横で、まず私たちを迎えてくれたのは、そんなザハの学生時代とも関係の深い絵画作品『ザ・ワールド(89°)』です。アクリル絵具で描かれたこの絵画は、建築家のスケッチというより、名画家の大作と言えるほど精巧で巨大な作品です。描かれているモチーフは地球でしょうか。大きな球体が大地で、その上に都市があるようですが、どうも画面の中で空間が歪んでいるようにも見てとれます。

光嶋裕介と『ザ・ワールド(89°)』
光嶋裕介と『ザ・ワールド(89°)』

光嶋:これはザハが学生時代に設計した7つの建築を、1つの絵画上にコラージュした作品です。一般的に建築を表現するためには、機能性を表す「平面図」、美しさを表現する「立面図」、高さの関係性を示す「断面図」という3つの図面が必要になります。音楽でいう譜面ですね。でもこの絵画では、その基本的なルールから自由になっている。ザハは、私たちがふだん3次元空間において感じ取っている感覚を2次元空間に再現して描き出そうと、一般的な建築図面という方法では表現できない、建築の持つ本来の豊かさを表そうとしているのだと思います。

かつては「建てられない建築家=アンビルトの女王」と呼ばれたザハの、膨大な習作の数々

建築家・ザハの軌跡を振り返る、最初の大きな展示室の壁にもずらっとペインティングやドローイングなどの作品が並びます。AAスクール卒業後は、理論派の建築家レム・コールハースの建築事務所「Office for Metropolitan Architecture(OMA)」に参加。3年後の1980年には、早々と自身の建築事務所を設立します。しかし、彼女の独創的すぎる建築は、コンペに勝って注目を浴びることはあってもなかなかその建築を実現することがなく、この時期の彼女に付いた呼び名は、「建てられない」建築家を表す「アンビルトの女王」でした。

展示風景
展示風景

光嶋:昔から、理論やコンセプトだけを提示する「建てない建築家」と言われる人たちもたくさんいます。建築は美術と違って、クライアントと技術が揃わないと実現できません。実際にザハも長い間、実作には恵まれない建築家でしたが、けっして夢物語を描いていたわけではありませんでした。ここに展示されているものは、すべて絵画という表現手段を通じて、建築空間が示し得る新しい可能性を探ろうとしている作品ばかりです。『麻布十番ビル』のドローイングには、抽象画家のピエト・モンドリアンや、(単純な造形を用いてメッセージを伝えようとする)ロシア構成主義の影響が見てとれます。こういったところから、彼女の多様な美学に基づいたルーツや受けてきた教育が垣間見えます。

展示風景

狭い敷地に建物を建てようとした『麻布十番ビル』のドローイングは、敷地と思われる小さな枠から、建物が手前に飛び出しているように描かれています。限られた敷地内で、ザハが実現したいと願った様々なことが溢れるかのように。つまり一連のドローイングは、その建築から受ける3次元的な身体感覚だけでなく、ザハの建築に対する思想も内包した、建築空間のスケッチと言えるのでしょう。そう聞くと、じつは一般的な建築図面よりもずっとわかりやすく感じられそうです。なるほど、何度も見ていると、ドローイングの中に込められた設計者の思いを体感できるようになってきます。

長い下積み時代の後に現れた、記念すべきクライアント第一号は、なんと日本人

光嶋:ザハの名を世界的に有名にしたのは、香港のレジャー施設『ザ・ピーク』の国際コンペティション(1982~83年、審査員長は建築家の磯崎新)で1等を取ったときでした。そのアイデアが斬新すぎるので「これは実際に建てることができるのか?」という挑発を受けて、コンペに勝ったんですが、結局はコンペを主催した側に問題があって着工できなかったんです。僕がザハを知ったのも、学生時代に雑誌で見た『ザ・ピーク』のドローイングがきっかけでした。

『ザ・ピーク』香港 1982-83年 © Zaha Hadid Architects
『ザ・ピーク』香港 1982-83年 © Zaha Hadid Architects

コンペで勝ったのにうまく話が進まない……というのは、皮肉にも新国立競技場の騒動を彷彿とさせますが、既存の枠を超えて、新しい建築を創造しようとする建築家としての強い信念とブレない姿勢は、この頃からずっとあったのでしょう。そして、『ザ・ピーク』のコンペから約10年後、ザハにとって「初めて実現した作品」が今展では重要な作品として紹介されています。そのクライアントはなんと日本人。札幌の「ムーンスーン・レストラン」の内装デザインの仕事でした。このときザハは39歳。長い下積み時代だったとも言えます。

光嶋:こういった内装デザインの仕事をキャリアに入れない建築家も多いのですが、今回ザハが日本で個展をするにあたって、このソファーを再制作してまで展示したというのは、彼女にとってもかなり思い入れのある作品だったのでしょう。ついに自分のアイデアを実現してくれるクライアントが現れて、その喜びが爆発するようなテンション、妥協しないディテールへのこだわりや執着が感じられる作品です。ついに、彼女のデザインをリアライズする技術と出逢ったわけです。僕も写真でしか見たことがなかったので、こうやって実物を体験することができて嬉しいです。

『ムーンスーン・レストラン(内装)』札幌 2014年
『ムーンスーン・レストラン(内装)』札幌 2014年

空間設計という意味では、建築物もインテリアデザインも同じこと。それにしてもザハの記念すべき作品第1号が、まさか日本にあったとは。このレストランはもう閉店してしまい、内装も失われてしまったのですが、今この時期に日本で行なわれる展覧会の冒頭に、彼女自身のルーツともいえる同作品の展示を選んだという事実には、少し感慨深い気持ちにさせられます。

光嶋:ザハの建築デビュー作は、その数年後、1993年の『ヴィトラ社消防所』になりますが、以降、彼女は凄まじいペースで、これまで見たことのないような、数多くの建築物を世界中に作り続けていきました。でも、それが実現できたのは、ここまで見てきたアンビルト時代の下積みがあったから。自分の中に実現したい建築のあり方を幾重にも重ねてストックし、もっと何か新しいことができるはずと常に考え続けた。繰り返しになりますが、美術作品と違って建築は、斬新なアイデアだけでは実現できない。高度な技術とクライアントが揃っても、さらに法律や予算、時間などの制約を乗り越えなければ建築は実現できません。現在のザハは、それらが見事に揃ったからこそ、どんどん新しい魅力的なプロジェクトを手がけることができているのでしょう。

『ヴィトラ社消防所』ヴァイル・アム・ライン 1991-93年 竣工 photo:Christian Richters © Zaha Hadid Architects
『ヴィトラ社消防所』ヴァイル・アム・ライン 1991-93年 竣工 photo:Christian Richters © Zaha Hadid Architects

合理性や経済性を重視する世界様式・モダニズム建築に挑む

1990年代から、凄まじい勢いで世界各地に数多くの建築を設計してきたザハ。彼女の手がける建築は、床や壁といった水平垂直であるはずの直線ラインが自由に変化して有機的な曲線となったものが多く、今までの建築とは違う印象を残します。その独創的な美しさは素晴らしいものですが、一方でこうしたゆがみを持った建築は、内部に無駄な空間を生み出してしまったり、弊害があったりはしないのでしょうか。

『ヘイダル・アリエフ・センター』バクー 2007~2012 竣工 photo: Iwan Baan ©Zaha Hadid Architects
『ヘイダル・アリエフ・センター』バクー 2007~2012 竣工 photo: Iwan Baan ©Zaha Hadid Architects

光嶋:現在、世界的に普及している建築様式は、バウハウスに起源をもつモダニズムの考え方が1つの基準になっています。機能的な四角い箱を何層にも積み重ねていく、そうして出来上がったのがニューヨークの摩天楼。経済的にも合理性があって、世界中どこでも同じ建物を建てることができる、いわば国際様式です。しかしこうした建築物は、本来の「その土地らしさ」や周辺環境との調和などを考慮に入れていません。そういった画一化されたモダニズム建築の考え方に真っ向から挑んでいるのが、ザハなんです。

なるほど、私たちが日常から慣れ親しんでいる建築、そして空間のあり方は、そういった合理性の中で担保されてきたものだとも言えそうです。しかし、合理性を優先することで失われるものがあることも事実でしょう。

ザハ・ハディドの建築を仮想体験できるシステムも展示

ザハ・ハディドの建築を仮想体験できるシステムも展示
ザハ・ハディドの建築を仮想体験できるシステムも展示

光嶋:身近な例で言うと、現代デザインの巨匠、ロン・アラッドによる湾曲した本棚は合理的ではないけど、ああいう本棚のある空間に身をおくと、つい読書したくなる気持ちに変化があるかもしれないし、空間自体が変わるかもしれませんよね。必ずしも限られた空間に最大限収納できる合理的な本棚が良いというわけではない。たとえばザハは、人の動き、周辺の土地、太陽の動きなどの自然、あらゆるものとの関係性を、どう建築として結晶化させるかを考えているんです。BMWのオフォス兼工場『BMW中央ビル』では、車の製造ラインの動きとオフィス内を移動する人の動きを組み合わせている。普通だったら分けられてしまう工場とオフィスが、この建物では入れ子状に混ざり合っているんですね。そして、BMWの顧客が製造の様子を見学できるようにもなっています。いい建築だと思いますよ。難しい条件の敷地に、人と車の製造ラインの「動き」が、複雑に絡み合っている。

その土地の文脈や人々とも有機的に繋がっていくザハの建築

外観の奇抜さとは裏腹に、ザハの建てる建築は、その建物で働いたり、訪問する人にとっていかに快適で、より良いコミュニケーションのきっかけになるかを緻密に考え抜かれているそうです。では、たとえば『MAXXI 国立21世紀美術館』(2010年に開館したローマにあるイタリア初の国立現代美術館)の模型を上から見たときに、いくつかの太い線が交差しているように見える形にはどんな意味が?

展示風景

光嶋:東京の坂には「富士見坂」という名前が多いですよね。それは昔、その場所から富士山が見えたから。この先に何かが見えるということを、英語で「vista=ビスタ」というのですが、建築を設計するときの大きな手がかりとして、その建築が建つ場所とそこから見えるものを結びつける軸線が大切になってくるんですよ。建築の持つラインが、じつはローマのパンテオンとつながっていたりとか、その土地の文脈が建築の形状の由来になっていたりします。

土地が持つ文脈やエネルギーの流れまでも想定し、その場所にふさわしい建築を考える。建物を利用する人々の動きだけでなく、複雑な要素を1つに束ねていく過程で、ザハは必然的に「この場所」に「この用途」で建てる建築は「こういう形であるべきだ」という姿を見出していくのでしょう。その上で、あのダイナミックで、動きに満ちた、まるで生命体であるかのような建築を生み出していくのです。

アントニ・ガウディをオマージュした展示模型でも繰り広げられる、新たな空間表現の模索

次の展示室では、建築だけでなく、家具や照明器具、食器から指輪、ブレスレットといったプロダクトの仕事、さらには都市計画のような大規模プロジェクトをあわせて紹介しています。ここで感じられるのは、スケールの大小に関係なく貫かれたザハの世界観。そのデザインに一貫して見られるのは、「動き」に対する独特の視点と感覚です。一見すると奇抜に思える彼女の設計ですが、その作品は周囲のエネルギーを自然に取り込み、新しい流れを作り出すといった流動性に焦点を当てて作られていることがわかります。

展示風景

先に進んでいくと、いきなり目に入ってくるのが、天井から吊り下げられた白いシェル状の屋根の建築模型。天井を見上げると一面が鏡張りになっており、吊り下げられた模型の全体を俯瞰して見られるようになっています。さらに屈んで模型を下から覗き込むと、建築内空間を体感できる工夫も。建築模型がこのように展示されるのは非常に珍しい気がします。

光嶋:これはアントニ・ガウディが、重力のあり方を表そうとした「逆さ吊り実験」を思い起こさせますね。建築に詳しい人は元ネタを思わず想像してしまうと思います(笑)。シェル型の屋根の構造を「逆さ吊り実験」のイメージと重ね合わせているんです。建築図面だけでは表しきれない空間表現をドローイングで試みていたように、これも従来の建築模型では表現しきれなかった建築の表し方を試みようとしている。ザハの進化を感じますね。

展示風景

巨大生物の骨が並んでいるように見えるこのシェル型の建築模型。実際に設計中の建築のためのスタディー(習作)なのですが、まるで現代アートのインスタレーションのようにも感じます。

光嶋:同じ部屋の壁面に展示されている模型でも、様々な空間内の動きをどう結晶化できるかを試みていましたね。ザハはこうした模型の制作を通じて、新たな空間体験を見つけようとしている。彼女の建築を見る際には、そこを理解してほしいですね。私たちはそれぞれ、自分独自の建築感を持っていると思うんです。今回の展覧会でザハが生み出す空間を体験し、彼女の視点をそれぞれに感じることによって、新しい建築感覚みたいなものを少しでもイメージできたらいいですよね。

都市設計からプロダクトデザインまで、スケールの大小を自在にとらえる「動き」の感覚

今展覧会は、展示構成も空間デザインもすべてザハ・ハディドが担当しています。ちなみに展示デザイン案がザハ事務所から提出されたとき、参考資料として一緒に送られてきたのは、1980年代にザハが考えていた、マドリッドの都市計画案だったそうです。

展示風景

光嶋:建築というのは空間の関係性だから、スケールは違えども、室内空間と都市計画は同じ考え方にのっとって行います。この展覧会の会場デザインを彼女自身が手がけた意味は大きいと思いますよ。たとえば最初の展示室にある『ムーンスーン・レストラン』の椅子と、2つ目の展示室のジグザグの構造体が関連していますよね。空間を移動しながらも一貫性を失わない。1つの建築デザインも、展覧会の会場構成も、同じ熱量でデザインするところが彼女の強さだと思います。

展示風景

展示空間自体がザハの作品となっている今展覧会。壁面から伸びるジグザグした構造体が床を這い、展示室内を仕切りながら、ある場所では映像を見るための椅子としても機能し、さらに先では展示台に変化していきます。この展示台に並んでいるプロダクトにも、それまでの建築を通じて考え抜かれてきた「動き」に対する意識が宿っています。

光嶋:世にプロダクトデザイナーはたくさんいるのに、ザハがデザインを手がけると、これまでに見たことのない、まったく新しいプロダクトが生まれるんです。それは、彼女の建築とも一貫してつながっています。座るための『オルキス・スツール』も、「ローマに建てようとしている美術館の模型」と言われれば納得してしまいそう。このアクリルのテーブル『リキッド・グレイシャル・テーブル』も、明らかにザハらしい作品ですよね。ザハが建築でやろうとしている「動きのあるいきいきした空間」とは、水の流れのような空間でもあるわけですから。

『リキッド・グレイシャル・テーブル』 David Gill Galleries 2012年 photo: Jacopo Spilimbergo © Zaha Hadid Architects
『リキッド・グレイシャル・テーブル』 David Gill Galleries 2012年 photo: Jacopo Spilimbergo © Zaha Hadid Architects

展覧会を通じてザハの思想と感性を知っていくと、会場に展示されたブラジルのシューズブランド「メリッサ」とのコラボレーションシューズやジュエリーなども、ドローイングや実際の建築の造形と同じ「動き」に対する鋭敏な意識のもとで、結晶化しているように見えてきました。小さなファッションアイテムにも、ザハの類い稀なセンスとアンビルト時代から重ね続けている挑戦の軌跡が込められているのです。

ザハ・ハディド建築を日本に迎え入れるために、私たちに求められていること

『ザハ・ハディド』展の締めくくりとなる展示は、新国立競技場の設計案です。これまでに幾度もメディアで見てきた新国立競技場の設計案でしたが、今回の展示を通じて、知性と感性がほとばしるようなザハのクリエイションを感じた後では、これまでの大胆さを失っているかのようにも感じます。それには何か理由があるのでしょうか。

『新国立競技場』東京 2012- © Zaha Hadid Architects
『新国立競技場』東京 2012- © Zaha Hadid Architects

光嶋:僕も正直、もっと新しいザハを新国立競技場の設計案でも見たかったと思っています。ここにある模型や断面図などは、想定内の創造力しか喚起しない。何となくこじんまりとしていて「少し前の見慣れた近未来」という印象です。一番最初に提出されていた案のほうが余程、自由でザハらしいクリエイションがあったと思います。創造力の余白がこの修正案の模型にはないんですね。そこにザハのトーンダウンを感じてしまいます。

この新国立競技場設計案は、コンペ提出時にも、コンペを通過した後も、スケールを縮小したり、建物の向きを変更したり、やむなき事情で修正を繰り返しています。その理由を光嶋さんに尋ねると、本来は設計者を選ぶのが建築コンペであるのに、新国立競技場に関してはデザイン監修者のみのコンペティションであり、実施設計は別の人が手がけ、コンペを通過したザハは、あくまでアドバイザー的な立場になってしまうなど、責任の所在が曖昧だったり、新国立競技場計画にまつわる問題は複雑なようです。

『新国立競技場』模型
『新国立競技場』模型

光嶋:これまで日本の建築界が溜め込んできた問題の数々が、今回の件で一気に噴出しているように思います。個人的には、税金を投入しながらの大幅予算オーバーが気になります。本当に様々な問題、思惑、欲望が重なっていて、簡単に言えるようなものではないのですが、1つ言っておきたいのは、コンペに選ばれたザハが建築を通じて描こうとしている未来について、私たちは敬意を持って受け入れなくてはいけないということです。今回のゴタゴタは、ザハ・ハディドという世界的な一流建築家を受け入れるだけの器が、われわれにはなかったということかもしれません。意識的な熟成社会や、企画・運営能力が足りなかった。彼女がより良いクリエイションをするために、もっと日本サイドが準備をして場を整えなくてはなりませんでした。今後、2020年の『東京オリンピック・パラリンピック』に向けて、さらに施設が建設されていくと思いますが、新国立競技場の問題のようなことが再び起こらないために、若手にもチャンスを与える開かれた透明性のあるコンペや、『東京オリンピック』後の使い方も充分に考えられた建物を、現実的な予算内で企画して欲しいと願っています。

光嶋さんが指摘しているように、今後も日本で同じ問題が続くようであれば、ザハの新国立競技場設計案が建築のクリエイションとしてどうかという単一の問題ではなく、われわれの社会のシステム自体を問い直す必要があるのかもしれません。それぞれの好みはあるにせよ、せっかくこの独創的な建築家の建築を東京の中心に作ることを決めたのであれば、「彼女が目指す崇高な未来がそのまま体現されたスタジアムを見たかった」と、私個人はそう感じましたが、皆さんはいかがでしょうか。決まりきった手法や思考回路に陥ることなく、新しい建築表現を模索し続けているザハの仕事の数々は、「建築」とは、私たちの日常空間の可能性を開拓し、人間の感性にダイレクトに影響していく仕事なのだと感じさせてくれるでしょう。

イベント情報
『ザハ・ハディド』展

2014年10月18日(土)~12月23日(火・祝)
会場:東京都 初台 東京オペラシティ アートギャラリー
時間:11:00~19:00(金、土曜は20:00まで、共に入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜、12月22日は開館)
料金:一般1,200円 大・高生1,000円
※中学生以下無料
※障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料

プロフィール
光嶋裕介 (こうしま ゆうすけ)

1979年、米ニュージャージー州に生まれ、トロント、マンチェスターで少年期を過ごす。早稲田大学理工学部建築科で石山修武に師事。大学院修了後、独ベルリンの建築事務所ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツに4年間勤務。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。桑沢デザイン研究所非常勤講師、2012年より首都大学東京助教。凱風館の設計により『SD REVIEW 2011』に入選。ドローイング集『幻想都市風景』(羽鳥書店)を2012年に上梓。



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