ヒップホップは「当たり前」の外で思考するための場所。高山明(Port B)、荏開津広らの取り組み

<川崎区で有名になりたきゃ、人殺すかラッパーになるかだ>(”Kawasaki Drift”)

いきなり引用させてもらったこの一節は、BAD HOPのT-Pablowによるものだ。「社会のセーフティネット」としてのヒップホップカルチャーを語る際に、これほど雄弁な日本語のリリックはないだろう。

この例はあまりに極端ではあるけれど、「普通」や「当たり前」、「常識」といった言葉でもって社会が要求する枠組みや価値観から取りこぼされてしまった人たちに、また別の生きる道を示すことができるという点は、ヒップホップという文化の素晴らしいところのひとつといって間違いない。

この社会に存在する規範や枠組みは、ときに私たちの見えないところで誰かを排除し、格差と対立、そして分断を煽る。その複雑な社会のあり方に対してヒップホップはどのような力を持っているのだろうか。

「ヒップホップの学校@金沢」を金沢21世紀美術館で行なっている高山明(Port B)、その音楽監督を務める荏開津広、プログラムの参加者である0081(オオヤチ)、CARREC(キャレック)に話を聞いて、『ワーグナー・プロジェクト』の全貌から金沢のローカルなヒップホップヒストリー、そして現代社会におけるヒップホップの有効性まで掘り下げた。

公立の美術館で開催中のヒップホップのプログラム。現場ではなにが起こっている?

ダンスバトルの現場は熱気に包まれていた。各チームが円形のステージをはさんで向き合い、一人ずつ中央に飛び出してダンスを披露していく。DJが選曲したビートに合わせ、身体を躍動させるダンサーたち。男性のクルーもあれば女性のクルーもあり、年齢も子どもから大人まで様々だ。

1月22日に開催された『DANCE BATTLE』の模様。会期は2月6日まで(サイトを見る

マスク姿の観客たちは声こそあげないものの、プレーへのプロップスを身ぶり手ぶりで示す。メンバー全員が踊り終え、審査員によって勝敗のジャッジが下されると、お互い笑顔で礼を交わして次のチームへ。その合間にキャリアのある地元のスタッフたちが、サッとステージにアルコール消毒を施していく。

そうした一連の流れがまるでレコードみたいにループしていく。丸いステージ、それを囲むダンサーたち、さらにそれを取り巻く観衆。そして、それらを包み込む美術館もまた奇しくも円形で、幾重にも連なった輪っかがぐるぐると回っているかのようだ。

その回転が生み出すグルーヴは多幸感に溢れていた。後方では、snipe1によってスプレーで描かれたワーグナーの肖像が、そこで生起するすべてを見つめている──────。

ここは、市民に開放されたヒップホップ×学びの場

これは金沢21世紀美術館で開催されている『ワーグナー・プロジェクト』のひとコマだ。「ヒップホップの学校@金沢」と名づけられたこのプログラムは、昼間は展示、夜間はスクールとして「開講」している。

昼の部では、2017年より横浜、フランクフルト、大分と開催されてきたプロジェクトのアーカイブ映像が展示され、夜の部では、レクチャーやワークショップ、MCバトルなどのイベントが日々行われる。どちらも市民に開放されたオープンスクールだ。

その名のとおり、19世紀ドイツの音楽家・ワーグナーに着想を得たこの公演だが、その重厚さや荘厳さ、あるいは全体主義的なイメージとは似ても似つかない。

それもそのはず、ワーグナーのオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で描かれた町人たちによる路上の「歌合戦」を、現代的に読み替え、ヒップホップカルチャーへと接続するものだからだ。しかも、それが美術館のなかで演劇人によって「学校」というスタイルで展開されるという、まさに領域横断的なプロジェクト。

ひとつ確かなのは、ここがきわめて懐の深い「自治区」であるということだけだ。

オペラとヒップホップ、劇作家とDJの出会いによってプロジェクトははじまる

「ワーグナーとヒップホップは一見すると全然違うものですが、違っていればいるほど、結びついたときの化学反応は大きくなると思うんです」と主催の高山明は語る。

もともと1990年代に、スチャダラパーやBUDDHA BRANDを聴く人並みのヒップホップリスナーだったという高山は、5年間ドイツへ渡る。

その間、ラップミュージックとは距離ができるが、帰国後に横浜の劇場「KAAT(神奈川芸術劇場)」で上演を行うことが決まった際、ワーグナーの提唱した「総合芸術」を最もアクチュアルなかたちで継承しているのはヒップホップではないかと思い至った。

そこからヒップホップカルチャーの成り立ちや、その四大要素(DJ、ブレイクダンス、グラフィティ、ラップ)などについて、まずは高山自身が学んでいくことになる。

その講師役を務めたのが、初期から『ワーグナー・プロジェクト』の音楽監督を担うライター / DJの荏開津広だ。ワーグナーとヒップホップを結びつけるというアイデアを初めて聞いたとき、「演劇のことはまったく詳しくなかったけど、すごくワクワクしました」と荏開津は言う。

講義では、ヒップホップの歴史からいま流行りの楽曲まで広くレクチャーしたそうだ。また、2017年当時は『フリースタイルダンジョン』ブームの真っ只中。サイファーやMCバトルの解説はもちろん、現地のプレイヤーたちの存在も紹介し、実際に公演では横浜のラッパー・サイプレス上野らを招いた。

このように劇作家とDJが、それぞれお互いのジャンルをよく知らないまま出会って、教えあい、学びあいながら手探りではじまったのが『ワーグナー・プロジェクト』だ。このはじまりこそが、現在まで続く「ヒップホップの学校」の原型だと言えるかもしれない。

目指したのは、オリンピック的な祝祭性とは異なる「お祭り」のかたち

KAATを皮切りに、ワーグナーの本場であるドイツ・フランクフルトの劇場、建築家・磯崎新がプロデュースして建設された大分の「祝祭の広場」、そして今回の金沢21世紀美術館と、『ワーグナー・プロジェクト』は「上演」を重ねてきた。とはいえ、脚本もなければ俳優もいない、一般に考えられる「演劇」とは根本的に異なる作品だ。

それに関して高山は、「僕は『場』をつくってるだけなんです。ヒップホップカルチャーに携わる方々を招いて『その場で自由にコトを起こしてください』という形式」と答える。

現にプロジェクトを鑑賞すると、高山がセットした「場」に多種多様なプレーヤーやオーディエンスが集まり、好きずきに学んだり、遊んだりしているような印象を受ける。建築家・小林恵吾が設計を担ってきたというその自治空間は、『東京オリンピック2020』に対する意識が大きかったと高山は述懐する。

高山:『東京オリンピック』前にはじまったプロジェクトだったので、どうやって五輪とは違う祝祭空間のモデルをつくるかを考えてきました。

ワーグナーは、それこそナチスの党大会や『ベルリンオリンピック』に影響を与えてしまった。だからぼくらは、それと地続きにある東京五輪の祝祭性とは違う、もうちょっと散漫で楽しい、ブロックパーティみたいなお祭りがいいんじゃないかと言いたかったんです。

「どこの土地でもどんな街でもヒップホップの『本場』になりえる」(荏開津)

そうして各都市を移動してきたこのプロジェクトだが、ヒップホップの重要なテーゼのひとつに、フッド(地元)をレペゼン(代表)するというイズムがある。

もちろん、それぞれの都市で地域の人たちを招き入れてきたのは明らかだが、そのうえで、『ワーグナー・プロジェクト』はどのようなスタンスを持って土地と関わってきたのだろうか。

その距離感について、今回、会期中に金沢から程近い海岸沿いの町・金石に滞在している荏開津はこう述べる。

荏開津:いまヒップホップは世界中に広まっていますよね。その理由はいろいろあるでしょうが、ぼくが大きいと思っているのは「どこの土地でもどんな街でも『本場』になりえる」というところなんです。

たとえば、金沢でヒップホップをやっている人たちにとって金沢は「本場」だし、他の土地に持っていける独自の要素がいっぱいある。だから今回も「僕が金沢をレペゼンします」ということじゃなくて、「金沢という『本場』に僕が関わっていく」という考え方ですね。

日本海と曇天によって、金沢のヒッポップシーンはアンダーグラウンドな雰囲気に

では、そんな「本場」金沢のヒップホップシーンとは一体どのようなものなのだろうか?

「ヒップホップの学校@金沢」の現地コーディネートを全面的に担当している0081とCARRECは、ともに金沢に生まれ育ち、1990年代末〜2000年代初頭から活動してきたラッパーとDJだ。金沢のヒップホップについて、0081は「いわゆるアンダーグラウンドな雰囲気が主流」と解説する。

0081:フードをかぶって頭を振るような、どちらかと言えば内向的で思索的な曲が多いですね。逆に「お前ら手を上げろ!」「セイホー!」みたいな盛り上げにいく系の曲はあまりない。それは金沢の人たちの人柄とも直結していると思います。

こうした潮流の一因を示唆するおもしろい説が、『インディラップ・アーカイヴ』(DU BOOKS)の著者・Genaktionをゲストに招き開催されたスクールイベントのなかで語られたそうだ。

その理由とは「気候」である。実は、金沢の1年間の日照時間は全国的に見てかなり少ない(*1)。要するにくもりの日が多いから、マインドもダウナーになり、アングラ的なラップが流行ることになる、というわけだ。

CARRECが「ウェストコースト(アメリカ西海岸)のラップは、太陽の照りつける海岸を車で走るのに適した開放的で明るい音楽ですよね。そう思うと、金沢の天候は僕らの音楽に影響を与えているのかもしれません」とうなずくと、0081も「冬の日本海に行っても陽気な曲はできないからね」と返す。

ちなみに筆者も10年近く前、初めて金沢を旅行したときに知ったMASというラッパーの“野町広小路”という曲は、まさにこうしたシーンのムードを伝えていると感じた。

クラブではなく美術館だからこそ、世代などの垣根を越えてヒップホップでつながることができる

また別のスクールイベントでは、ラッパーのダースレイダーを招いて金沢ローカルにおけるヒップホップヒストリーの変遷を辿った。

これらのイベントには老若男女問わず金沢市民が集っている。黎明期から金沢のヒップホップシーンを見つめてきた0081は、「こうして自分たちのやってきたことを捉え直すことができるのも、『ワーグナープロジェクト』のおかげ」と率直に語る。

0081:特に、昔の金沢のシーンを知らない若い子たちが来てくれていることは嬉しいですね。僕はヒップホップって常にフレッシュであるべきだと思うんです。だからこそ、世代をまたいでナレッジを伝えていくのは大事なこと。

しかも、これらが美術館というパブリックな場で行われていることも大きいと感じています。どこかのクラブでやっていたら出会えないような人たちとも、たくさん出会えますからね。

ヒップホップを通じてつながった人々がその土地にいるということ。その意味、その価値、その強さ

このように、多様なプログラムやスクールを通じて立体的になっていくヒップホップのあり方。それらを踏まえて、現代の分断や格差・対立に満ちた世の中を生きる私たちにとって、ヒップホップはどういった力を持つのだろう?

たとえば、この社会に存在する規範や常識は、一方でそこからこぼれ落ちる誰かを排除しかねない。それに対してヒップホップは、そんな「当たり前」の外で思考するためのセーフティネットのような場を提供してくれているのではないか。それに関して荏開津は「ヒップホップは自分たちでつくったセーフティネット」だと語る。

荏開津:本来、セーフティネットって、社会制度として他の人たちがつくって置いておいてくれるものですよね。でもヒップホップは、それをやっている人たちが自分たちで一生懸命つくったセーフティネットなわけです。

そもそもヒップホップカルチャー自体、なにもないところからつくり上げたもの。取りこぼされた人たちがつくった文化であり、それがすごいところですね。

セーフティネットという言葉は、ヒップホップカルチャーのベースとなる共同体=コミュニティと言いかえることもできるだろう。

自ら学び、当たり前を問う。ヒップホップという生き方で、息が詰まるような社会を生き抜けるように

また、改めて注目すべきは『ワーグナー・プロジェクト』が「学校のオルタナティブ」を目指している点だ。「ストリートワイズ」という言葉があるように、正規の学校教育とは違うルートでも学びはいつだって可能だ。高山は「学びの基本は『自習』にある」と言う。

高山:クラシック音楽などは、先生につかず独学でやるには限界があります。実はワーグナーもあまりお金持ちの生まれではなかったので、教育面で苦労しました。

でも、ヒップホップは「自習」を通じて自分のスタイルを獲得できる可能性に開かれている。学校で先生に習わなくても、仲間や先輩の真似をしながら自己流をつくっていく姿勢があればいい。そこが素晴らしいし、だからこれだけ広がるんだなと実感していますよ。

なにより、0081やCARRECらキャリアのある先達が冒頭に書いたダンスバトルで見せていた動きこそ、自習環境を整えるという意味で、まさに教育的だったように思える。彼らは後進のためのフィールドをセッティングし、運営することで支えていたからだ。

そんな彼らにヒップホップから教わったことはなにかと聞くと、0081はこう答えた。

0081:ヒップホップは自分のなかにアイデンティティとして染み込んでいるものだから、それを言語化するのはなかなか難しいですね……でもあえて言葉にすれば、ぼくにとってヒップホップは「問い」です。

「こうあるべき」とされているものに「本当にそうか?」と問いかけ、違う道のりや近道があるんだっていうことを忘れさせないでいてくれるもの。ヒップホップには、歴史も人種も宗教も、貧しさも豊さも、普段はよく見えないものがすべて詰まっていますから。

最後に、ヒップホップから学べることは尽きないと言う高山に、「じゃあこの『ヒップホップの学校』っていうのは、高山さんが一番前の席で授業を受けられる学校を自分でつくったようなものですね」と振ると、「そのとおりです」と笑顔で返ってきた。

これからも『ワーグナー・プロジェクト』は各地を転々としながら、「当たり前」に問いを投げかける学びの場として続いていくはずだ。ヒップホップは人間が本来的に持つポテンシャルを引き出す。そしてそれが多くの人たちにとって救いになり、息が詰まるような社会に対して新鮮な風を吹き込むに違いない。

*1:石川県は日照率の低い日本海側の気候で、特に、12月〜2月の期間の金沢は、東京の平均日照時間の3分の1程度となる(金沢地方気象台『石川県の地勢と気象特性』参照)

イベント情報
高山明 / Port B
『ワーグナー・プロジェクト@金沢21世紀美術館』

2022年1月8日(土)〜2月6日(日)
会場:石川県 金沢21世紀美術館

昼の部:10:00〜18:00 展示
夜の部:18:00〜21:50 スクール
プロフィール
高山明 (たかやま あきら)

1969年生まれ。2002年、演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)を結成。実際の都市を使ったインスタレーション、ツアーパフォーマンス、社会実験プロジェクトなど、現実の都市や社会に介入する活動を世界各地で展開している。近年では、美術、観光、文学、建築、教育といった異分野とのコラボレーションに活動の領域を拡げ、演劇的発想・思考によって様々なジャンルでの可能性の開拓に取り組んでいる。

荏開津広 (えがいつ ひろし)

執筆 / DJ / 京都精華大学、立教大学非常勤講師。90年代初頭より東京の黎明期のクラブ、P.PICASSO、ZOO、MIX、YELLOW、INKSTICKなどでレジデントDJを、以後主にストリートカルチャーの領域において国内外で活動。共訳書に『サウンド・アート』(フィルムアート社、2010年)。主なキュレーションに『サイドコア 身体/媒体/グラフィティ』(2013年)、プログラム・ディレクションに『ポンピドゥー・センター公式映像祭 オールピスト東京』(2014年)など。

0081 (オオヤチ)

金沢を中心に活動するラップデュオ「YOCO ORGAN」ラッパー、プロデューサー。自身のミュージックビデオの企画、撮影編集や企業自治体等の映像コンテンツ制作も手がける。また金沢科学技術大学校 映像音響学科では後進の育成にも携わっている。

CARREC (キャレック)

石川県出身、金沢市在住のDJ・音楽プロデューサー・ビートメイカー 。韻踏合組合“前人未踏(CARREC REMIX)”をはじめとした斬新すぎるサンプリングセンスでこれまでにHIDADDY、MEGA-G、DARTHREIDER、EL DA SENSEI(Artifacts)、N.E.N、崇勲、Zoomgalsなど、様々なヒップホップアーティストのビートを調理する通称「和の鉄人」。



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