今も昔も、イギリスは世界最大のポップミュージックの中心地のひとつだ。The Beatlesを筆頭に、Sex Pistols、Oasis、Radiohead、アデルなど、時代ごとに世代や国境を越えて影響力を持つアーティストを多数輩出していることはよく知られている。
そんな音楽と若者たちの姿、イギリス社会を取り巻く現状を切り取った映画作品も数多く存在しており、『トレインスポッティング』(1996年)、『さらば青春の光』(1979年)や『24アワー・パーティー・ピープル』(2002年)などが代表的なところだろう。
当然だが、ここで挙げた音楽や映画がイギリスのポップカルチャーのすべてを映し出しているというわけではない。
英国産ロックやクラブミュージックにレゲエやダブからの影響があるように、UKカルチャーにはカリブ系黒人移民の物語が息づいている。ここで紹介する『スモール・アックス』は、そんなアフロカリビアンの物語に光をあてた映画アンソロジー・シリーズだ。
監督、脚本、製作総指揮はその当事者でもあるスティーヴ・マックイーン。その第2話はオバマ元大統領が「2020年ベスト映画」に選出し、『ベイビー・ドライバー』(2017年)や『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)で知られるエドガー・ライト監督もお気に入りにあげた。
この5本の映画を通じて、過去の出来事や実在の人物に光をあてることで、私たちにどんなことを訴えようとしているのだろうか? 本稿ではアフロカリビアンの持つ歴史背景を紐解きながら、『スモール・アックス』の物語に向き合った。
このシリーズを目にすれば、あなたのイギリスの音楽や映画に対する見方はまた違ったものになるかもしれない。
(メイン画像:『スモール・アックス』第2話より BBC Studios/ Des Willie © McQueen Limited)
これは「多くの英国人にさえ知られていない現実」
If you are the big tree,- “Small Axe”のリリック(作詞、作曲:ボブ・マーリー)
We are the small axe
Sharpened to cut you down (well sharp)
Ready to cut you down, oh yeah
お前たちが大きな木だったら
私たちは小さな斧
お前たちを切るためによく研ぎ澄まされている
切り落とす準備はできているんだ
かつてボブ・マーリーによって歌われた曲のタイトルが使われた、イギリスの映画アンソロジー・シリーズ『スモール・アックス』。
1960年代から1980年代イギリスを舞台に、そこで生きる黒人たちの営みや、差別・偏見との闘いを描き、約10年もの歳月をかけて完成した5本の作品集だ。
1話1話、劇場で公開できる品質を持った作品なので、それほど長期にわたる製作期間を要したのも道理である。『第46回ロサンゼルス映画批評家協会賞』では、『ノマドランド』(2021年)を抑えて映画作品として最優秀作品賞を受賞している。
『スモール・アックス』予告編(サイトを開く)
本作『スモール・アックス』で、まず注目したいのは、イギリスの「アフロカリビアン」たちの境遇が描かれているところ。アフロカリビアンとは、アフリカから奴隷貿易で連れ去られ、カリブ海地域で売られた人々の子孫を指す。
1948年のイギリスでは、第二次世界大戦後の復興の助けとして、カリブ海地域イギリス領からの移民を受け入れることとなり、「エンパイア・ウィンドラッシュ号」という船で、移民たちが来航。定住した人々は「ウィンドラッシュ世代」と呼ばれてきた。
本作の監督、脚本、製作総指揮を務める、イギリス人監督スティーヴ・マックイーン(『アカデミー賞』作品賞などを受賞した2013年作『それでも夜は明ける』を手がける)もまた、そんな「ウィンドラッシュ世代」を親に持った人物である。
本作は、彼がイギリスで生きてきたさまざまな同胞の境遇について振り返り、多くの人々にその存在を伝える作品でもあるのだ。イギリス出身の音楽評論家ピーター・バラカンは、本作について「多くの英国人にさえ知られていない現実」と述べている。
第1話は、白人警官やレイシストと闘う黒人活動家たちの物語
第1話「マングローブ」で描かれるのは、1970年にロンドンのノッティングヒルで起こった実際の裁判をもとにした物語だ。
『スモール・アックス』1話「マングローブ」予告編
いまでは富裕層が多く住むことで知られるノッティングヒルだが、ウィンドラッシュ世代がここに多く移り住んだ時期は、低所得者の住む区域であり、環境が変化した現在もアフロカリビアンが多く残っている。
1966年より、夏にはアフロカリビアンによるストリートカーニバルが開かれ、街の風物詩として愛される一方、ノッティングヒルに新しく移り住んだ一部白人の人種差別主義者の眉をひそませる行事ともなっている。
通りに面し、カリブの風景を想起させる名前の料理店「マングローブ」は、1960年代にオープンした直後から、アフロカリビアンのあいだで親しまれる存在となる。だが、店は当初から人種差別主義者の警官に目をつけられ、オーナーのフランク(ショーン・パークス)が理由もなく逮捕される事態に陥ってしまう。
そこで立ち上がったのが、ノッティングヒル地域の人々や、イギリスの黒人活動団体「ブリティッシュ・ブラックパンサーズ」と、その代表的なメンバー、アルタイア・ジョーンズ=ルコインテ(レティーシャ・ライト)たちだった。
しかし、この理不尽を解消しようとするデモ行進においても警察が出動し、暴動の扇動だとして、さらに活動家たちが逮捕される事態となり、裁判が行なわれることになったのだ。
人種差別に抗議するべく連帯し、デモ行進を行なうアルシア(レティーシャ・ライト)ら / 『スモール・アックス』第1話より BBC Studios/ Des Willie © McQueen Limited
この裁判の行方を追っていく第1話では、白人警官の底知れない悪意から、でっち上げによるずさんな証拠と、権力の後ろ盾によって、黒人を弾圧する構図が明らかになっていく。無実を勝ち取るために闘う人々は、そのたくらみを突き崩し、警察組織に人種的憎悪が存在することを証明するために力を合わせるのである。
移民に対する憎悪はどこからくるのか? これは遠い昔の物語ではない
マックイーン監督が自身と同じルーツを持つ人々を描いていることから、白人を一方的に断罪し、黒人たちに同情的な描き方をしていると思う人もいるかもしれない。
しかし、1958年にノッティングヒルで起こった事実を知れば、その認識も変わることだろう。白人労働者階級の極右グループを中心とする黒人に敵意を持つ人々が暴力事件を起こし、それがやがて数百人規模の暴動に発展し、甚大な被害をもたらしたのだ(*1)。
その後、恒例化したアフロカリビアンによるストリートカーニバルは、このような人種的憎悪に対する抵抗の意志でもある。
『The Guardian』によるノッティングヒル・カーニバルのドキュメンタリー映像
一部市民や警察の憎悪がどこから生まれるのかは、保守派議員イノック・パウエルによる1968年の「血の川の演説」といわれるスピーチに、わかりやすく表れている。
パウエルが主張したのは、移民が増え続けることで治安が悪化し、市民たちがおそろしい暴力にさらされるというもので、差別を禁止する法律の制定に異を唱える内容であった(実際は、本作でも描かれるとおり、むしろ差別主義者による暴力によって移民の側が脅かされていたわけなのだが)。
このような差別意識は、過去のものとなったわけではない。
2016年に移民の規制を焦点とした、国民投票によるEU離脱(Brexit)の決断の背景には、「血の川の演説」と同じく、移民に対する嫌悪の表面化があると『The Guardian』は報じている(*2)。
また2018年には、ウィンドラッシュ号で来航時に親と一緒に入国した子どもたちが当時の書類の不備から、イギリスから誤って強制退去されるという「ウィンドラッシュ事件」が起き、内務大臣が謝罪する事態となった(*3)。
さらにはEU離脱直後から、各地でヘイトクライムが活性化した事実もある。下院議員がスピーチのなかで黒人を侮蔑する表現を用いたり(*4)、首相の顧問が「アフリカ系は白人よりも知能指数が低い」とネット上に書き込むなど(*5)、目や耳を疑ってしまうような人種差別、人種的憎悪が、現在でも存続しているのである。
人種差別的な組織に、内側から変革を試みる黒人警察官を描いた第3話
第3話「レッド、ホワイト&ブルー」では、逆に警察に勤めるアフロカリビアンの青年リロイ・ローガン(ジョン・ボイエガ)の物語が描かれる。彼はのちに黒人警察協会を創設する実在の人物だ。
警察官になったローガンは、同僚の白人警官から嫌がらせを受け、同胞のアフロカリビアンの住民からも「裏切り者」として見られるという、あまりに悲痛な状況に陥る。しかしローガンは、父親が白人警官たちにリンチされた過去から、人種差別的な警察組織を内側から変えようという、高い志を持って職務に臨んでいたのだ。
人種差別に端を発する、同じ人種同士の新たな分断。これはアメリカのアフリカ系の間でも歴史的に起こってきたことだ。
アメリカでは、奴隷制の廃止や教育機会の平等の認可、公民権法成立など、段階的にアフリカ系の市民が人権を認められていくなかで、さまざまな分野に進出して社会的に成功するアフリカ系市民が増えていった。その一方で、依然として白人によって支配されている社会に与している同胞に、複雑な思いを抱く人々も出てくる。
体制のなかで成功することで可能性を広げていく者、体制と闘うことで社会を変革しようとする者。自分たちの人種に貢献する意志があったとしても、努力の方向が逆のベクトルであるため、双方は互いに衝突する場合がある。
『スモール・アックス』第3話より BBC Studios/ Des Willie © McQueen Limited
リー・ダニエルズ監督の『大統領の執事の涙』(2013年)は、歴代アメリカ大統領の執事として働く父親と、ブラックパンサー党に入党した息子との確執を描くことで、この構図をわかりやすく表現していた。「レッド、ホワイト&ブルー」は、その種の葛藤がイギリスでも個々人を苦しめていた事実を伝えている。
抑圧から解放するレゲエのグルーヴ。第2話は、音楽と恋愛に彩られた若者たちのドラマ
第2話「ラヴァーズ・ロック」は、打って変わって、全編音楽に彩られた、感覚的な一作だ。
舞台は1980年のウエスト・ロンドンの、ある家のなか。レコードを回すDJの前で、狭い室内をダンスフロアにして、アフロカリビアンの若者たちがグルーヴに身を任せている。このようなハウスパーティーが開かれるのは、当時、ロンドンのクラブシーンが黒人を排除する傾向があったという事情のためだ。
『スモール・アックス』2話「ラヴァーズ・ロック」予告編
イギリスのシンガー、ジャネット・ケイの1979年のヒット曲“Silly Games”をはじめとした「ラヴァーズ・ロック」と呼ばれる新時代のレゲエ音楽などのダンスナンバーに乗せて、若者たちの踊りは、やがて熱狂的なうねりとなって家屋の一室を満たしていく。
第2話のダンスをとらえる即興的な映像や、第1話で裁判所を流麗なカメラワークで映し出す場面など、これまで特異な映像表現を映画作品のなかで行なってきた、マックイーン監督の前衛性、実験性が、各エピソードのなかで発揮されているのも、本作の見どころだ。
階級社会であるイギリスで、生まれながらに抑圧された労働者階級の白人の若者たちは、ポップカルチャーに救いを求めた。そして、より深刻な差別や命の危険にもさらされるアフロカリビアンの若者もまた同様に、普段の抑圧から一時的に解放され、大声で騒ぎ、音楽に陶酔し、恋愛をしていたのだ。しかし、それは街の片隅に隠れながら行なわれてきたものだった。
『スモール・アックス』第2話より BBC Studios/ Des Willie © McQueen Limited
BLMとの連帯も表明。人種差別に対抗する武器として手渡された物語
「私は、これらの映画を、ジョージ・フロイドと、アメリカ、イギリス、その他の地域で殺害された全ての黒人たちに捧げます。<お前たちが大きな木だったら、私たちは小さな斧>」(*6)-
スティーヴ・マックイーン監督は、本作の発表の際に、作品とBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動との連帯を表明している。
「黒人の命は重要」という言葉は、ごく当たり前の主張だが、黒人に対する苛烈な暴力、向けられてきた人種的憎悪という異常な歴史、環境のなかでは、カウンターとなり得るのである。裏を返せばそれは、そんな当然の理解が得られてこなかったという事実を指し示してもいる。
アフロカリビアンと白人の差別主義者たちの構図が示すように、少数は、たしかに多数に対して分が悪く、あらゆる局面で不利な状況となりやすい。しかし、だからこそ連帯し協力する必要がある。
『スモール・アックス』は、アフロカリビアンの歴史と状況を伝え、その存在をアピールする。そして、さまざまな地域、さまざまなルーツを持つ黒人たちの運動とも合流することで、黒人への人種的憎悪を切り裂き倒す「小さな斧」となるべく、研ぎ澄まされた作品なのだ。
*1:itzcaribbean.com「Notting Hill Riots 1958」参照(外部サイトを開く)
*2:The Guardian「Fifty years on, what is the legacy of Enoch Powell’s ‘rivers of blood’ speech?」参照(外部サイトを開く)
*3:BBC「英内相、カリブ海移民「ウィンドラッシュ世代」に謝罪 英国育ちでも強制退去の危険」参照(外部サイトを開く)
*4:BBC「英保守党議員、人種差別表現で役職解任」参照(外部サイトを開く)
*5:BBC「英首相の顧問が辞任 過去の差別発言めぐり」参照(外部サイトを開く)
*6:Deadline「‘12 Years A Slave’ Director Steve McQueen Dedicates New Movies To George Floyd And Black Lives Matter Movement」より引用(外部サイトを開く)
- 作品情報
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『スモール・アックス』
スターチャンネルEXにて独占配信中
監督、脚本、製作総指揮:スティーヴ・マックイーン
出演:
レティーシャ・ライト
ジョン・ボイエガ
ほか
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