映画『ザ・バットマン』は新しかったのか? 原作に忠実だったのか? アメコミ研究家がレビュー

公開から1か月で世界興収950億円以上、日本でも11億円以上の興行収入を記録した映画『THE BATMAN-ザ・バットマン-』。

社会の裏側を次々に暴いていく主敵との対峙を通じて、現代に蔓延する「知らない」ということへの強迫的な不安も同時に描きとった本作は、数あるバットマン映画においてどのように位置づけられるのか。

「『不安の時代』のヒロイズム」をテーマにアメリカンコミックス研究家 / 翻訳家の小田切博に執筆してもらった。

映画『THE BATMAN』は新しかったのか? それとも原作に忠実だったのか?

スーパーヒーローコミックス映画の新しいシリーズが公開されると(失敗、成功の評価づけは異なるにしろ)非常に高い確率で話題にされるのが、その作品、ヒーロー像の「新しさ」という問題である。

2022年3月に公開されたマット・リーヴス監督による最新のバットマン・フランチャイズ映画『THE BATMAN-ザ・バットマン-』に対してもメディア、ネットにおいてかなりの確率で「新しさ」が語られている一方で、「これこそがバットマン」「コミックス世界の忠実な映画化」といった評価も見られる。

この一見すると矛盾した反応は、バットマンやスーパーマンのような長期間継続してコンテンツが供給されているキャラクター特有の「キャラクター像自体の多重性」とでもいうべき特徴的なコンテンツ消費、受容のあり方を背景にしたものだ(*1)。

ごく簡単にいえば、1930年代末に登場し80年以上のあいだ複数メディアで展開され続けてきたバットマンは、まずユーザーがどの時期にそのキャラクターコンテンツと接したかによってそのキャラクターに対して抱く印象、イメージが異なるし、同時代であっても該当ユーザーが消費したメディア、コンテンツの違いで彼らが抱く印象は微妙に異なる。

つまり、1989年のティム・バートン以降の映画によってのみバットマンというキャラクターを知っている層は、今回の『THE BATMAN-ザ・バットマン-』を観て「まったく新しいバットマン / ブルース・ウェイン像」と感じるかもしれないが、これまでコミックスやアニメーションで展開されてきたバットマン物語の熱心なファンであればあるほど、それらの先行コンテンツとの「リンク」を劇中に見出して快哉を叫ぶ。

ある意味で、前者と後者はメディア体験の違いによって同一コンテンツを異なった物語として解読(デコード)しているのだ。

「未熟なバットマン」という設定から「キャラクター像の多重性」を紐解く

たとえばリーヴス版バットマンの「新しさ」として指摘されることが多い(*2)「自警活動2年目の未熟なバットマン」という設定だが、これはコミックスにおいては無数に前例がある。

まず1980年代以降のバットマン像を確立したフランク・ミラー、デヴィット・マッツケーリのコンビによる『バットマン:イヤーワン』と、スタッフは異なるがその続編にあたる『バットマン:イヤーツー』(*3)がある。

マフィアの存在など今回の映画のプロット上の原案のひとつになったと思われるジェフ・ローブ、ティム・セイルによる『バットマン:ロング・ハロウィーン』(*4)、『バットマン:ダークビクトリー』(*5)二部作も同様の時期を舞台としている。

最近でもジェフ・ジョーンズ、ゲーリー・フランクが新たにバットマンの誕生譚を語りなおした『バットマン:アースワン』(*6)でバットマン / ブルース・ウェインによる自警活動初期の姿が克明に描かれている。

1枚目から:『バットマン:イヤーワン/イヤーツー』、『バットマン:ロング・ハロウィーン #2』、『バットマン:アースワン』

また、なぜかあまり語られていないが、今回のリーヴス版と同じ『ザ・バットマン』(*7)というタイトルのテレビアニメーションシリーズがある。このシリーズもやはりブルース・ウェインがバットマンとしての活動をはじめてから3年目というキャリア初期からシリーズがはじまっていた。

特にテレビアニメーション版『ザ・バットマン』1stシリーズと『バットマン:アースワン』ではバットマン / ブルース・ウェインがその未熟さから失敗するという今回の映画と共通する描写が存在する。当然、監督であるマット・リーヴスはこれらの先行作品を意識していただろうし、それらの作品を知っている(一部の)観客もまた先行する作品群を想起しつつ映画版『THE BATMAN-ザ・バットマン-』を観ることになる。

無数の先行作品にはない「新しさ」は、どこに宿るのか?

このようにあらゆるバットマンの物語は、ある意味で常に比較のなかで見られ、読まれているものである。

幼児期に両親を殺され、その体験への怒りから長じて「仮面の自警者」となるという定型的な設定を踏まえたうえで語られ続ける物語(群)は、まったくのゼロからではなく、これまで蓄積されてきた多様なキャラクターや作品を引用することで編まれていくものだ。必然的にその「新しさ」は、ニッチな「差異」のなかから見出される時代的な変奏によって生み出されるものになる。

その意味で、この2022年版バットマンで導入された新要素は、ジェネレーションX的な(劇中で象徴的にNirvanaの“Something in The Way”が流れる)虚無感を抱えたブルース・ウェインの性格設定だろう。

これまでのバットマン / ブルース・ウェインはたとえ未熟であったとしても、強迫的に自身の正義感に固執する鋼の意志を持った人物として描かれていた(*8)。対して今回のロバート・パティンソン演じるブルースはむしろ精神的に不安定な青年という印象が強い。

物語の終盤、連続殺人鬼リドラーによって亡くなった両親が抱えた暗い秘密が明かされ、バットマンとしての自らのアイデンティティーを見失い、儚げな少年のような姿を見せる今作のブルース・ウェインはたしかに新しいバットマン像を提出したといえるかもしれない。

物語の根幹には、現代社会に蔓延する「知らない」ということへの強迫的な不安が

こうした不安定なキャラクター造型に説得力を持たせているのは、じつは現在という時代であり、ポストトゥルースが叫ばれ、陰謀論とコロナに揺れるトランプ政権後のアメリカ社会の姿だろう。

今作の主敵であるリドラーはゴッサムシティを牛耳る権力者たちを殺害していきながら、自分が彼らの秘密を「知っている」というメッセージを繰り返し発信し続ける。本作の前半が暗い画面のなかをかき分けるように主人公と観客がその謎の答えを追い求めていく探偵映画の様式を踏襲していることそのものが、このリドラーのメッセージに導かれてのことだといってもいい。

その探索行の過程で青年バットマンと観客である私たちが出会う人物たちは誰もが何かを隠している素振りを見せ、同時に自分が何かを「知っている」ことはほのめかす。終盤に至るまでに本作の物語は登場人物たちが互いにいかに自分が深いレイヤーまで「知っている」かを競い合う、現代風に表現するなら知識によるマウンティング合戦のような様相を呈していくことになる。

その過程で、自分は街の裏側を知るものだと信じながらバットマンとしての活動を続けてきたブルースは、徐々に自分が「知っている」側ではなく、秘密を隠されてきた側なのだということを自覚せざるを得なくなっていく……。

この一連のプロットが、ある種の脆さすら感じさせるパティンソンのバットマン / ブルース・ウェインとしての演技と役柄に説得力を持たせ、また観客からの感情移入を可能にしている。そしてこのような作劇構造は現実にQアノンやアノニマスが跳梁する現代のネット社会が存在しなければあり得ないものだろう。

その意味で『THE BATMAN-ザ・バットマン-』という映画は「知らない」ことへの強迫的な不安を抱えて生きざるを得ない現代社会を寓話的に描いたものだといえる。だからこそ主人公がその不毛な「知ること」への執着から降りて、ただ目の前の人々に手を延ばそうとするラストの展開に私たちはある種の感動を覚えるのだ。

物語の開幕当初、暴力と恐怖によって犯罪や悪と戦おうとしていた青年は、おそらくそのとき初めてただ「ヒーロー」たろうとしたのである。

▼筆者注釈

*1:この点については「バットマンの数多の顔(Many faces of Batman)」(『ユリイカ』2012年8月号「特集:クリストファー・ノーラン」、青土社、2012年)という論考で詳しく論じている。興味がおありの方は参照されたい

*2:具体的には、アミット・カトワラによるWIRED「映画『THE BATMAN』で示された新たなバットマン像は、単なる“エモリバイバル”では終わらない」(2022年)など(外部サイトを開く

*3:翻訳はこの二作の合本として、フランク・ミラー脚本、デヴィット・マッツケーリ作画、秋友克也翻訳(『イヤーワン』)、マイク・W・バー脚本、アラン・デイビス、トッド・マクファーレン作画、石川祐人翻訳(『イヤーツー』)、『バットマン:イヤーワン/イヤーツー』(ヴィレッジ・ブックス、2009年)が出ている

*4:ジェフ・ローブ脚本、ティム・セイル作画、ヤスダシゲル翻訳『バットマン:ロング・ハロウィーン』Vol.1&Vol.2(ヴィレッジ・ブックス、2009年)

*5:ジェフ・ローブ脚本、ティム・セイル作画、ヤスダシゲル翻訳,『バットマン:ダークビクトリー』Vol.1&Vol.2(ヴィレッジ・ブックス、2010年)

*6:ジェフ・ジョーンズ脚本、ゲーリー・フランク作画、 高木亮翻訳『バットマン:アースワン』(小学館集英社プロダクション、2013年)

*7:アニメ版『ザ・バットマン』は6シーズン全65話で、カートゥーン ネットワークで2004年から2008年まで放映された

*8:例外がないわけではないが、コミックスにおいてはこの強靭な精神力は超能力を持たないバットマンの持つスーパーパワーとして語られることが多い

作品情報
『THE BATMAN-ザ・バットマン-』

2022年3月11日(金)公開

配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:マット・リーヴス
脚本:マット・リーヴス、ピーター・クレイグ

出演:
ロバート・パティンソン
コリン・ファレル
ポール・ダノ
ゾーイ・クラヴィッツ
ジョン・タトゥーロ
アンディ・サーキス
ジェフリー・ライト


記事一覧をみる
フィードバック 33

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Movie,Drama
  • 映画『ザ・バットマン』は新しかったのか? 原作に忠実だったのか? アメコミ研究家がレビュー

Special Feature

Crossing??

CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?

詳しくみる

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて