瑞々しい青春映画であると同時に、トランスジェンダーの人々が生きる状況に対して理解が深まる作品がブラジルから届いた。
映画『私はヴァレンティナ』は、17歳のトランスジェンダー少女の生活を描く。近年、LGBTQの権利保証に前向きに動き、同性婚も認められているブラジルだが、一方でトランスジェンダーの中途退学率は8割を越え、平均寿命は35歳という若さ。「ブラジルのトランプ」とも言われるジャイル・ボルソナロ大統領の極右政権下で、いまだ根強く差別による事件の数々が起こっている。
そんな社会でどのようにトランスジェンダー女性が生きているのか。自身もLGBTQコミュニティーの一員である監督とプロデューサーが本作を企画し、主演をトランスジェンダー女性で、トランスジェンダーの権利を守る活動家としても本国で人気のYouTuberティエッサ・ウィンバックが務めた。彼女に、映画のことや自身の活動、ブラジルのLGBTQに対する現状について話を伺った。「個の尊厳が守られる社会であるよう、声をあげ続けたい」と願う、すべての人に学びになるインタビューとなった。
YouTubeでトランスジェンダー女性のコミュニティーに出会い、「一人じゃない」と思えた
─ティエッサさんのYouTubeチャンネル「Thiessita」は79万人が登録(2022年4月現在)、トランスジェンダーの権利を守る活動家として活躍されています。発信するようになったきっかけは?
ティエッサ:以前は別の仕事をしていましたが、上司にものすごくトランスフォビア(トランスジェンダーに対して不寛容な意見、否定的な態度をとる人のこと)な人がいて、とても辛い思いをして辞めました。
辞めたあと、これからどうしようかと考えていたときに出会ったのがYouTubeです。もともと、カメラの前に立つことが好きで、アーティスティックなことをしたいという思いがありました。YouTubeもよく見ていたので、これなら私もできるかもしれないと思って、始めたのがきっかけです。でも、最初は自分自身がトランスジェンダーであることや、その経験については話していませんでした。
─いまは、トランスジェンダーとしての日常や困りごとなど、ご自身の実体験を包み隠さず話されている印象です。トランスジェンダーにまつわる話をするようになったのは、きっかけがあったんですか?
ティエッサ:以前は、自分がトランス女性であるということを、私自身受け入れることができていなかったんです。だから、自分から「トランス女性です」と言うのが怖かったし不安で、言えませんでした。
だけど、ずっと隠し続けて、自分を偽っていることに、あるとき疲れてしまったんです。それで、トランスにまつわる動画をつくり始めました。一緒にビデオをつくっていた男友達に「もういいよ。トランスの話も普通にしよう」と話したら「まじ?」と心配されるくらい、私にとっては大きな変化でした。
制作過程は楽しくて、緊張しながら一本目をアップしました。そうしたら、他のトランス女性たちからリアクションをもらうようになったんですね。彼女たちと話をするようになって、困ったときは相談できるし、学べるし、助け合えるような存在になりました。「一人じゃない」と実感できたことは、私にとってとても大事なことでした。
─助け合いのコミュニティーができたんですね。
ティエッサ:そうですね。私たちは力強い、一つのコミュニティーだと思います。自分たちでつくっていくコミュニティーです。
─残念ながらポルトガル語がわからないため、ティエッサさんのYouTubeの内容が詳細にはわかりませんでした。具体的にはどのようなテーマについて発信されているのでしょうか?
ティエッサ:主に、トランスセクシュアリティーの話をしています。自分の周りで起きていること、いつも考えていること、悩みや周りで流行っていることなど、包み隠さずなんでも話します。日記のような感じですね。あと、みなさん恋バナが大好き。これは世界中、共通ですよね?(笑) だから、恋愛相談を受けることも多いです。
中退は「追放される」ということ。トランスジェンダーの子どもたちが、安心して学校に通えるようになるには
─ブラジルの、LGBTQに関する現況についても伺いたいです。日本でもほとんどのLGBTQ当事者がいじめや暴力を経験しているとデータが発表されていますが、『私はヴァレンティナ』も、「トランスジェンダーの子どもの8割が中途退学をしている」というデータから、映画の製作が始まったそうですね。学校が安心安全な場所になるために、必要な取り組み、周囲の意識の変化についてティエッサさんはどう考えますか?
ティエッサ:学校で、トランスの子どもが「いる」という事実を伝えていくことが必要だと思います。どういう子どもなのか、どんな悩みを抱えているのか。中退というのは、学校から脱落するというより「追放される」という意味合いの方が強いと思います。トランスの子どもたちはその場にいられない、いることが危ない、という環境にある。だからこそ、多くの人が情報をきちんと知ることはとても大事です。学び、知ることで視野が広がり、心が開き、相手をリスペクトできるようになると思うからです。
同時に、トランスの子どもたちが学校で「通称名」を使用できる権利を保証していくことも必要だと考えます。名前は、その人自身を表すものですよね。だから、教員や学校側がこの権利について議論し、通称名を使うことを保証していってほしいです。
─この10年で日本のジェンダーに対する価値観は少しずつ変わってきています。ブラジルでの変化は感じますか?
ティエッサ:ブラジルでも、LGBTQの権利について話題に上がることが増えてきました。ですが、議論は大都市だけだと感じます。大部分の地方都市はLGBTQについて議論をする準備ができていないし、全然情報が出回っていない。だから、偏見も続いています。
もっと、テレビなど大きなメディアが積極的に議論をするべきだと思います。そうすれば、情報をまったく知らない小さな街にも届きます。そうして彼らが、セクシャルマイノリティーに対するリスペクトを持ち、基本的人権について考えるようになってほしいです。ただ、時間はまだまだかかると思います。
LGBTQをめぐるブラジルの現状。「法律は変わっても、現実社会では守られていない」
─日本では同性婚も法制化されていない状況なのですが、ブラジルでは2013年に同性婚が認められ、2018年にはトランスジェンダーの子どもたちが通称名で登録するよう法改正されたりと、近年LGBTQの権利について前向きな動きもあります。それは当事者コミュニティーやその支持者の運動の成果だと作品資料に書いてあったのですが、実際にどんな運動がなされて、どういう風に世論や政治を動かしていったのでしょうか?
ティエッサ:名前がついた「運動」があるわけではありませんが、LGBTQのパレードは大きなきっかけになったと思います。その前後でたくさんの議論が行なわれましたし、メディアでも取り上げられました。
ただ、混乱している状況はあまり変わりません。「法律上」は、私たちセクシャルマイノリティーを守る法律がありますが、それは机上の空論で、現実社会では守られていない印象です。被害を受けた本人が大騒ぎをして、マスコミにも話して、問題を自ら大きくしてやっと、相手も否を認める。だけど、そう上手く事が運ばないこともあります。
─当事者が想像以上の傷を負うことになりそうですね。
ティエッサ:だから、法律は国としての体裁的なものになっていて、たとえば大統領もLGBTQに対するヘイトをまき散らしています。昔に比べれば良くなったけれど、私たちセクシャルマイノリティーが安心して暮らせるような環境がつくられるには、まだまだ長い道のりが必要だと感じます。
「私たちトランスはただの人間で、私たちは私たちとしていたいだけなんだ」
─そうした現状のなかでこの映画は物語として魅力的であると同時に、LGBTQの人々が置かれる状況に対して考えを巡らせるものでした。個の尊厳が守られる社会になるよう声をあげ、本作をきっかけに話題にする機会、学ぶ機会が増えてほしいと願います。
ティエッサ:とても嬉しい感想です! ありがとうございます。
─本作の企画は7年前。カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス監督やプロデューサーの「トランスジェンダーの人々が社会においてもっと認識されるべきだ」という望みから生まれたそうですね。映画では学校に通うこと、通称名で呼んでもらうための手続き、親友へのカミングアウトまでの過程など、トランスジェンダーの人々の日常が丁寧に描かれています。
ティエッサ:この映画は、トランスの人々が毎日をどのように生きているのか、その日常を描いています。また、些細なことも含めて、ものすごくデリケートな部分もきちんと見せてくれる内容。そういう意味で、この役が私のところに来たのは光栄だし、嬉しかったです。
─監督やプロデューサーをはじめ、LGBTQ当事者が多数関わられている映画ですが、現場ではどのような意見が交わされましたか?
ティエッサ:スタッフや他の出演者と、たくさん話をしました。そのなかで最も議論を交わし、私たちが大事にしていたのは、この映画で扱うトピックがトランス当事者以外にもきちんと理解できるように伝えること。ひとりよがりになってはいけない、と考えていました。
なので、映画のなかで主人公に理解を示し、サポートしてくれる母親や友人といった「身近な存在の大切さ」についても必ず伝えたいと思っていました。母親役のグタ・ストレッサーは、私にいろんなことを質問して、私自身を知ろうとしてくれました。ときには、私の実体験に怒ってくれたり共感してくれたり、本当の母と娘のような関係をつくることができました。
─上映時にはトランスジェンダーに対する不寛容なコメント、否定的な態度などトランスフォビックな意見もあったと伺いました。
ティエッサ:ヘイトはたくさんありましたが、それはブラジルに限らず世界中で起こってしまうことです。どちらかと言えば、ブラジルはトランスフォビアな国です。なので、上映前は「あまりいい反応は来ないだろう」と期待していませんでした。しかし、蓋を開けてみたら全然違った。「映画を観て考えが変わった」「こういうことが実際に起こっているなんて知らなくて恥ずかしい」など、前向きな意見をたくさんもらいました。
─素晴らしい反応ですね。
ティエッサ:想像していたよりも、ずっと良い反応でした。映画を通して伝えたかった、「私たちトランスはただの人間で、私たちは私たちとして居たいだけなんだ」ということがわかってもらえて嬉しかったです。
─主人公と同じティーンの子どもたちは、SNSなどでヘイトを受けやすく、心理的に危険な状態にさらされやすいと感じます。発信をされている立場として、ティエッサさんはご自身のメンタルをどのように守られていますか?
ティエッサ:私も発信を始めたころは、偏見に満ちた意見がたくさん届き、ものすごく傷つきました。ですが、発信を止めることはしたくない。なので、見方を変えるようになりました。
そのヘイトは私に向けられたものではない、と。相手は私自身を知りもせず、初めて出会ったセクシャルマイノリティーに偏見をぶつけているだけだと考えて、相手を突き放すようになりました。最近は、コメントを読まないようにしていますが、ふとした瞬間に視界に入ってきてしまうこともあります。そういうときは、「誰だかわからない相手に自分の時間を使って、ヘイトを言うなんて残念な人」と思うようになりました。
自分が前に出ることで、「将来の夢」の選択肢が増える人が一人でも増えたら嬉しい
─ティエッサさんの自然体な演技にも惹かれました。監督が「当事者に演じてもらうことを一番大事にした」と仰っていたように、実際のトランスジェンダーの方に主人公を演じてもらうために、SNSを通じてオーディションが開かれたと伺っています。これまで映画での演技経験のなかったティエッサさんが、出演を希望された理由は?
ティエッサ:私たちトランスの人間が、どういう日常を生きているのか伝えられればいいな、と考えてオーディションにエントリーしました。
─「トランスジェンダー役はトランスジェンダー当事者に」という考えが表現の世界で求められていますが、その意義についてティエッサさんはどう思われますか?
ティエッサ:私たちトランスの人間は、教育現場や就職時など、いろいろなところで差別をされて、選択肢にアクセスできない状態が続いています。なので、トランスにも「俳優」という職業が選択できることを提示することで、私たちの働く権利への考え方が広がると思います。
また、当事者以上に、トランスの人々がどんな経験をし、どういう日常を送っているのかを知っている人はいないわけです。それならば、トランス自身が演じた方がいいと私も思います。
─ティエッサさんを知って、自身の将来の夢の選択肢が広がる人も多いだろうと思います。
ティエッサ:そういう人が一人でもいてくれたら、とても嬉しいです。ブラジルで上映したあとに、たくさんのトランスの女の子たちがメッセージをくれたんです。「私はトランスだから俳優への道がないと思っていたけれど、あなたの演じる姿を見てやってみたいと思えた」と。私が前に出て、ありのままの姿を見せることは大事だと、改めて思いました。
- 作品情報
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『私はヴァレンティナ』
2022年4月1日(金)から新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督・脚本:カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス
出演:
ティエッサ・ウィンバック
グタ・ストレッサー
ロムロ・ブラガ
ロナルド・ボナフロ
マリア・デ・マリア
ペドロ・ディニス
配給:ハーク
- プロフィール
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- ティエッサ・ウィンバック
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ブラジル・カタラン生まれのトランスジェンダー女性。大学では生物学を専攻し、地元の劇団で3年間役者として演じた経験をもつ。79万人の登録者がいるYouTubeチャンネル「Thiessita」を運営、LGBTQティーンエージャーたちが自分を受け入れるための重要性を啓蒙するためのビデオを配信するなど、トランスたちの権利を守る活動家としても活躍。本作はティエッサの映画デビュー作となる。
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