沖縄返還50年とウチナージャズ

その開放感はどこから? 沖縄でジャズが独自に発展した背景にあるもの。本土返還以降の世代が語る

いまから50年前、1972年5月に沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された。

「返還50周年」「復帰50周年」とメディアによって報じられることもあるが、本土返還50年は、地元住民にとってはめでたいものでも、祝うようなことでもないのだという。第二次世界大戦の敗戦とアメリカ軍による占領によって生じた大きな負債は、いまなお沖縄に存在し続けている。

「復帰したあとに沖縄が強いられてきた状況はさらに見えにくくなっているし、問題は余計に深くなっている」

沖縄ジャズ第2世代を代表する音楽家のひとり、真栄里英樹(まえざと えいき)はこう語る。戦後の激動と混乱のなかで花開いた沖縄のジャズ文化も、本土返還で多大な影響を受けた。アメリカ軍の基地が縮小したことにより、基地内のジャズクラブも減少し、多くのプレイヤーが廃業を余儀なくされたのだ。しかしながら、ウチナージャズ(沖縄ジャズ)の灯は消えることはなかった。

ジャズは沖縄にどのように根づき、そして生き延びてきたのだろうか。文筆家の大石始と企画した「連載:#沖縄返還50年とウチナージャズ」の3本目となる本稿では、本土復帰以降の世代から見た「沖縄とジャズ」について取材した。

両親が手放したジャズで生きていく。沖縄ジャズ第2世代が先人たちから受け取ったもの

沖縄のジャズシーンは米軍基地の拡張や本土返還など沖縄社会の変容を反映しながら、その歴史を積み重ねてきた。先ごろリリースされたウチナー・ジャズ・オール・スターズのアルバム『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』には、1950年代から活動を続けるレジェンドと現代の若手プレイヤーが集っており、沖縄ジャズの歩みそのものが刻み込まれている。

この作品のプロデュースを手がけたのは、那覇市首里生まれのトロンボーン奏者 / 作編曲家、真栄里英樹だ。

1972年の本土返還の翌年に生まれた真栄里の両親はともに元ジャズミュージシャン。かつては米軍基地で演奏していたが、返還とともにミュージシャンとしての仕事を失ったという。真栄里は両親世代が手放さなくてはいけなかったウチナージャズをいまふたたび自分たちの手で奏でようとしている。そこに宿るウチナージャズのスピリットとは?

本土返還以降の世代が見たウチナージャズ

那覇市最大の繁華街であり、数軒のジャズクラブが点在する国際通り。その一角に佇むレンタルスペースで真栄里と会った。真栄里は沖縄の本土返還まで基地内で演奏活動を行なっていた両親について話しはじめる。

「父はギターで、母は歌を歌っていました。(沖縄が本土)復帰してから沖縄のジャズミュージシャンは激減したんですけど、うちの両親もぼくが物心ついた頃にはもう何もやってなくて。復帰前は羽振りもよかったんでしょうね。『よかったよ、あの時代は』という話をたくさん聞きました。

ただ、両親も時代の急激な変化で苦労したと思います。沖縄では音楽一本でなかなかご飯を食べられないこともあって、ぼくが音楽を仕事にすることにはわりと否定的でした」

真栄里自身の歩みも順風満帆というわけではなかった。高校で沖縄を離れ、東京の音楽学校に進学。東京でバンドを結成するものの、デビューにあたってのトラブルから帰郷。「正直なところ、当時はちょっと病んでたんですよ」と話す。

「音楽活動をやるために沖縄に戻ってきたわけじゃないんですけど、帰ってきたら知り合いのバンドからすぐに声がかかったんです。それがリゾートホテルのプールサイドで演奏するジャズのビッグバンド。そこでアラン・カヒーぺさんやテリー重田さんといったレジェンドとお会いするんです」

アラン・カヒーぺは1930年、フィリピンのマニラ生まれのサックス奏者。テリー重田は1940年、奄美群島の徳之島生まれのサックス奏者である。ふたりとも1950年代のウチナージャズ黄金時代を経験した世代であり、今回リリースされた『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』にも参加しているプレイヤーだ。

「アランさんやテリーさんはいまでもすごいですけど、20年以上前なんで、もう本当にすごかったんですよ。こんな人たちが沖縄にいるんだと思って、すごく衝撃を受けたんです」

沖縄のジャズは、日常の芸能として、コミュニティーミュージックとして発展してきた

東京の音楽業界で揉まれてきた真栄里は、東京とは異なる沖縄のジャズのあり方にある種の開放感と刺激を覚えたという。その音楽的特徴についてこう話す。

「沖縄のジャズはお客さんとの距離が近いんですよ。沖縄でもコンテンポラリーでアカデミックなジャズの表現もあるんですけど、楽しむ音楽のひとつとしてジャズがあるんですね。みなさんサービス精神旺盛ですし、『俺の音を聴け!』というプレイヤーは沖縄にはあまりいない。お客さんに寄っていく人のほうが多いんです。

沖縄のセッションって全国的に見ても独特だと思いますよ。東京だと、ある程度の技術を持っていないと参加できないじゃないですか。沖縄の場合、極端な話、ドとミしか演奏できない人でもOK(笑)。近い距離で音楽を楽しもうという風土があるんでしょうね」

内地の都市生活では芸能と暮らしが分離しつつあるが、沖縄はエイサーなどの芸能と触れる機会が比較的多い。ウチナージャズもそうした日常のなかで育まれてきた。自己表現としてのジャズではなく、日常の芸能としての、あるいはコミュニティーミュージックとしてのジャズ。

また、真栄里はウチナージャズに宿るユイマールの精神について語る。ユイ(結い、協働)+マール(順番)という言葉からなるユイマールは、沖縄的な相互扶助の仕組み・精神を指す。

「沖縄には助け合いを意味する『ユイマール』という言葉があるんですけど、バンドのなかでもそういったことはよくあるんですよ。

演奏中、迷子になっても東京ではみんなしのぎを削っているし、助けてもらったという経験はあんまりなくて。でも、沖縄の人はみんな助け舟を出すんです」

なぜ、そしていつから、沖縄のジャズは民謡をカバーするようになったのか?

真栄里は2008年にもウチナージャズの大ベテランたちが集ったアルバム『ウチナーJAZZ!』を取り仕切っている。それから14年。呼びかけ人だったピアニストの屋良文雄をはじめ、多くのメンバーが鬼籍に入ったいま、真栄里は彼らの録音を残すことに使命感を感じている。

「2008年はまだ先輩方も元気だったんで、そこまで危機感はなかったですけど、やっぱり大事にすべき人は大事にしなきゃいけないわけで。あれから14年経ってるんで自分自身も変わっただろうし、先輩方の偉大さもより感じるようになりました」

アルバムには真栄里が率いるビッグバンドに加え、アラン・カヒーぺ率いるカルテット「JIJI324」(※)、テリー重田カルテット、屋良文雄の長男である朝秋(ピアノ)率いる寓話カルテットら、複数の編成の録音が収められている。

※グループ名はメンバー4人の年齢の合計が324歳であることから

ここで強い印象を残すのが、テリー重田の“でんさ節”など民謡のカバーが収録されている点だ。

こうしたカバーはウチナージャズの特徴のひとつといえるが、本連載で取材した上原昌栄は「復帰前の沖縄で民謡のカバーが演奏されることはなかった」と証言している(※)。真栄里もその説に賛同したうえで、こう続ける。

「復帰前はアメリカ兵相手のショウバンドでしたからね。アメリカ人がバンマスを務めることもあったようですし、むしろ沖縄の民謡をやるのはご法度だったんじゃないですかね。

沖縄に関して言えば『アメリカのものは上等だよね』という風潮もあったんですよ。日本製よりアメリカ製のほうが優れているという。ぼくが子どものころまではそんな風潮があったんです。だから、やってる音楽もアメリカの音楽であるジャズ。クラブで演奏されてたバンドの譜面もアメリカの音楽ばかりでしたね」

※関連記事:戦争の爪痕残る激動の沖縄を、ジャズとともに生き抜く。86歳の現役ドラマーが語る、本土返還50年(記事を開く

では、民謡をレパートリーとするようになったのはいつごろだったのだろうか。真栄里はその経緯をこう推測する。

「基地外のライブハウスが増えてきてからだと思います。復帰を境にみんな音楽をやめていくなかで、音楽を続けようとした方はだいたい自分のお店を構えたんですね。

その小さな空間のなかでジャズをやろうとすると、当然お客さんからのリクエストにも応えなくちゃいけない。そのなかで沖縄の民謡も取り入れるようになったんじゃないかなと思います」

前回の記事で上原が語ったように、リゾートホテルにやってくる観光客向けに民謡のカバーをやったこともあるだろう。

だが、真栄里が推測するように、小さなライブハウスで地元住民のために民謡を演奏することもあったはずだ。沖縄のジャズマンたちは1972年を境に表現のベクトルを地元住民という「沖縄の内側」へと向けはじめ、そのことによって自身のアイデンティティーを再構築してきた側面があるのだ。

「ウチナーンチュよ、起きて、奮い立て!」と歌い込まれた、沖縄民謡のスタンダード曲のジャズアレンジバージョン。ウチナー・ジャズ・オール・スターズ『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』収録曲

真栄里がアルバムのために書き下ろした楽曲“ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン”は、そうしたウチナージャズの最新バージョンである。この曲には沖縄風のメロディーが散りばめられているが、そこに観光客向けのよそ行きの姿はない。「シンプルに楽しいジャズ」であり、沖縄に生きる人々の等身大のジャズが奏でられている。

「近くにいる人たちが喜んでくれる音楽であってほしい」――ジャズを通じて沖縄の内と外に発信する願い

ウチナー・ジャズ・オール・スターズのアルバム『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』は沖縄の本土復帰50年目の年、それも6月23日の「慰霊の日」の前日にリリースされた。そのことについて真栄里はこう語る。

「本土復帰50年といっても、めでたくはないですよね。復帰したあとに沖縄が強いられてきた状況はさらに見えにくくなっているし、問題は余計に深くなっていると思うんですね。

ぼくには3歳の息子がいるんですけど、この子たちが大きくなったとき、沖縄ましてや日本はどうなっているんだろうって本気で思っているんです。そのためには大人たちがいまの現状をどうにかしていかなきゃいけない。

ぼくができるのは音楽しかないんで、音楽を通して沖縄というものを知ってもらいたいですし、このアルバムがその入り口になってほしい。そういう思いはすごく強く持っています」

ジャズアレンジで演奏された、平和への祈りを込めた沖縄発の名曲“月桃”。ウチナー・ジャズ・オール・スターズ『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』収録曲

このアルバム自体、バトンのようなものといえるだろう。レジェンドから渡されたバトンを受け取った真栄里は、それを次の世代へとつなげようとしているのだ。

「音楽の世界もインターネットの普及でかなりグローバルになっていますけど、だからこそローカルな部分を大事にしないとみんな一緒になってしまう。

ジャズはアメリカで生まれた音楽ですけど、沖縄のことをつねに考えながら演奏していければと考えています。近くにいる人たちが喜んでくれる音楽であってほしいですよね」

リリース情報
ウチナー・ジャズ・オール・スターズ
『ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン』(CD)


2022年6月22日(水)発売
価格:3,300円(税込)
RES-339

1. ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン(オープニング・ヴァージョン)
2. ヒヤミカチ節
3. 月桃
4. かりゆし(ロング・ヴァージョン)
5. ウチナー、ワンダフル・トゥナイト
6. マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ
7. えんどうの花
8. でんさ節
9. 童神〜天の子守唄〜
10. ミッドナイト・イン・コザ
11. レキオス・ブルース
12. シング・シング・シング
13. かりゆし(ショート・ヴァージョン)
14. ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン(オープニング・ヴァージョン)
15. 酒とバラの日々(ボーナストラック)
プロフィール
真栄里英樹 (まえざと えいき)

沖縄県那覇市首里出身。東京コンセルヴァトアール尚美卒業。東京でのフリーランス活動後、帰沖。現在はトロンボーン奏者として「ディアマンテス」「津嘉山正明 & スパイス」などのバンドに在籍。また沖縄県内外のアーティストのサポートやレコー ディングに多数参加している。



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