岡田拓郎へのインタビューの後半は、アルバム『Bestu No Jikan』の話からはじまる(前半はこちらより)。
海外を経由した日本の音楽の再発見、1970年代や2010年代のある特定の時期に現れた音楽からの影響、レコーディング作品として完成されたポップスからの逸脱、水のような流動的な音楽への関心等々、それらはアルバム以降も続いている。
固有名詞の羅列は知的な好奇心を掻き立てるが、このインタビューではあまり固有名詞に頼らず、話を伺いたいと思った。もちろん、固有名詞がなければはじまらない話はあり、ここでもトピックとして重要な名前はそれなりに要所要所に登場する。その名前がきっかけとなって、焦点をあてようとしていたことは、よりはっきり見えてもくる。
ただ、岡田拓郎が聴く、はっぴいえんどと富樫雅彦のあいだには、たくさんの音楽が存在していて、それは聴く人が好きに埋めていい余白=別の時間だと、岡田拓郎の音楽が何よりも示唆しているのではないだろうか。これは、そんな余白も残したインタビューである。
メインカット:Photo by Hayato Watanabe
岡田拓郎の海外に対する意識。サム・ゲンデルら参加の『Bestu No Jikan』にはどんな反応が?
—『Bestu No Jikan』に海外のアーティストが多数参加している背景には、「自分がつくった音楽が海外でどういうふうに聴かれるのか?」ということへの興味、関心からくるものも大きかったのでしょうか?
岡田:昔から海外で聴かれれば嬉しいなって意識はもちろんあったんですけど、今回の場合はもっと邪念がないというか。4年前ぐらいに『The Beach EP』(2018年)ってEPをつくって、そのときは、海外で拾ってもらえないかなと意識的に考えていました。
もしかしたらヴェイパーウェイヴの文脈的に引っかかるかな、みたいな考えで、スティーヴ・ハイエットっていうバレアリックで再評価されたミュージシャン/写真家の写真をアートワークにして、1曲目はあからさまなシティポップ。後半は電子音のシーケンスの環境音楽的な楽曲と、あと12弦ギターと水のアンビエントっぽいものを入れています。
どうすれば日本人がつくったポップスが海外に拾われるか、ってことを考えてシティポップとバレアリック感みたいなところで制作していました。
—やり方としてはストレートで王道な感じですね(笑)。
岡田:王道にいってみようって(笑)。でも実際に海外からメールくれる人がいたり、反響があってありがたかったです。
岡田拓郎『The Beach EP』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く) / 関連記事:シティポップの世界的ブームの背景 かれらの日本という国への目線(記事を開く)
岡田:じつは、パンデミック前にパニック障害がひどい時期があって、慣れないセッションワークとかいっぱいやりすぎてヘトヘトになっていたんです。図らずともパンデミックでお休み期間になって、『Bestu No Jikan』はその療養期間で何をやろうか、というところでつくりはじめました。
—『Bestu No Jikan』のリリースで、海外からのフィードバックはありましたか?
岡田:ちょいちょいメディアに載ったりしたんですけど、ジャイルス・ピーターソン(※)がBBCのラジオで“A Love Supreme”かけてくれたみたいで、それは「スピリチュアル・ジャズ認定」ということで嬉しかったです(笑)。
海外のレコードオタクみたいな人からメールがきたりとかのもあるし。やっぱり違う文化圏のレコードオタクが聴いてくれるのは一番嬉しいっすね。
※1964年、フランス生まれロンドン出身の放送作家/DJ/レコードコレクター。80年代よりダンスジャズ~アシッドジャズ~クラブジャズシーンのキーパーソンとして活躍。BBC Radio 6 Musicで毎週土曜日の午後のゴールデンタイムに放送されている音楽番組のホストを務め、イギリス内外の先進的でアンダーグラウンドな音楽を支える重要な役割を担う。1987年にレーベル「Acid Jazz」を設立、1990年に独立して「Talkin' Loud」を設立し、Roni Size / Reprazent『New Forms』(1997年)や4Hero『Two Pages』(1998年)といったUKクラブミュージックの重要作品をリリース。ジャズ、ヒップホップ、エレクトロニックミュージックの新境地を開拓してきたことで知られる
サム・ゲンデル(A.Sax)、石若駿(Dr,Perc)が参加した『Betsu No Jikan』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
—参加したアーティストからは何かリアクションはありましたか?
岡田:みんなデモの段階から「めちゃくちゃいいね」って言って参加してくれて、ネルス・クライン(※1)やサム・ゲンデル、カルロス・ニーニョ(※2)もすごく気に入ってくれてましたね。
ネルスさんは一度Zoomでこんにちはしたんですけど、そのときも「聴いたことない音楽でこれは面白いですし、ぜひ弾いてみたい」と話してくれて、「ありがてぇ」って感じでしたね。
※1:1956年、アメリカ・ロサンゼルス生まれのギタリスト/コンポーザー。ジャズ、パンク、オルタナティブロック、アヴァンギャルド、ノイズなど幅広い音楽性と活動に加えて、Wilcoのギタリストとしても知られる(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
※2:1977年、アメリカ・ロサンゼルス生まれのプロデューサー/作曲家/編曲家/パーカッショニスト/DJ。スピリチャルジャズバンド「Build An Ark」、J Dillaの追悼プロジェクト『Suite for Ma Dukes』をはじめとする数々のプロジェクトでも知られ、ネットラジオのパイオニア「dublab」の設立にも携わる。Daedelus、ミゲル・アトウッド・ファーガソンら新しいアーティストの才能を発掘に加えて、ファラオ・サンダース、DJ Shadow、Madlib、Flying Lotus、カマシ・ワシントンらを筆頭に、ジャンルも世代も横断してさまざまなアーティストと交流を持ち、コラボプロジェクト「Carlos Niño & Friends」でもさまざまな作品をリリース。原雅明の主宰するレーベル「rings」から国内リリースされたCarlos Nino & Friends『Extra Presence』(2022年)に岡田拓郎はライナーノーツを寄稿しており、その縁もあって岡田はカルロスにインタビューもしている(外部サイトを開く)
ネルス・クライン(Gt)、サム・ゲンデル(A.Sax)、hikaru yamada(A.Sax)、大久保淳也(A.Sax)、ジム・オルーク(DB,Syn)、マーティ・ホロベック(DB)、ダニエル・クオン(Vn)、香田悠真(Vc)、石若駿(Dr,Perc)、カルロス・ニーニョ(Per)、増村和彦(Per)が参加した『Betsu No Jikan』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
シティポップや環境音楽の国外からの評価を通じて理解を深めた「日本的なもの」
—『The Beach EP』のシティポップもそうですし、環境音楽もそうですが、70〜80年代の日本の音楽が海外から再評価されている流れがずっとありますよね。それが、岡田さん自身に与えた影響はありましたか?
岡田:結構あると思います。ぼくは全然J-POP的な、ドメスティックな日本のポップスは聴いてこなかったので、音楽をつくるにあたって「日本人としての自分」をどう認識すればいいのかが難しいというか。たぶん平成生まれの世代のほとんどがそうだと思うんです。畳のある家に住んだことがないまま30年以上日本に暮らしている人もいっぱいいるだろうし。
もともと自分が日本的な何かを持っているかと考えたら、ちぐはぐな部分がある世代だと思う。そういう意味で、ある種フェティシズム的ですけど、マーティン・デニー(※1)の音楽みたいな、ある種デフォルメされた「海外から見た日本的なもの」にハッとさせられることも少なくありません。
—エキゾチカ的な?
岡田:そうです。ファラオ・サンダース(※2)の“Japan”(1967年)みたいなああいう感じ(笑)。そういう視点で振り返る日本のことはレコードリスナー的にはすごく興味あるところで、はっぴいえんどへの関心もある種そういう部分がある。
※1:1911年、アメリカ・ニューヨーク生まれのピアニスト/作曲家。東洋やアフリカ、ラテン・アメリカなどの風土を連想させるサウンドである「エキゾチカ」の代表的作家。Yellow Magic Orchestraがカバーした“Firecracker”、SAKEROCKのバンド名の由来となった“Sake Rock”など知られる。2005年、ハワイにて94歳で逝去
※2:1940年、アメリカ生まれのサックス奏者。スピリチュアル・ジャズの第一人者のひとりで、岡田拓郎『Bestu No Jikan』でもカバーされた『A Love Supreme』(1965年)をリリースしたばかりのジョン・コルトレーンのグループに参加したことでも知られ、近年ではFloating Pointsとの共作アルバム『Promises』(2021年)でも話題に。2022年9月24日、岡田拓郎のWWW公演の3日前、カリフォルニア州ロサンゼルスにて81歳で逝去
ファラオ・サンダース『Tauhid』収録曲
岡田:お気楽な「海外から見た日本すごいジャーナル」みたいなのは関係ない話で、「リアルな日本」ってところでいう日本的な感覚が何なのかはよくわからないんですよね。道を歩いていれば、お地蔵さんも寺も神社もあるしって環境で生きてはいるんですけどね。
ぼくにとって「日本的なもの」って「はっぴいえんどってこういう立ち位置で、こういうふうな感覚で見えているんだ」「マライアはこういうふうに聴こえているんだ」、みたいな海外からの俯瞰した視点を通過してようやく見えてくるものもあるといいますか。はっぴいえんど自体、「日本的なもの」に対して俯瞰的な立場かと思いますけど、そこからさらにフラットな視点というのは面白い。
そうやってたとえば「Pitchfork」に掲載された『風街ろまん』(1971年)のレビュー(※)を読んで感じたことは、10代のまだそれほど音楽を知らなかったときに、はっぴいえんどを聴いてシンパシーを覚えたことと感覚的には近いとも思うんですけどね。
※:2022年3月に「Pitchfork」に掲載された『風街ろまん』評のこと。当記事には「1971年に松本隆が『はっぴいえんど』という名前について書いたように、日本の若者は、覇権主義的な西洋に全面的にコミットすることも、それをなだめることもできない、不安定なアイデンティティーを抱えて生きていた。唯一の解決策は、『自分たちの日本を探す』ことだった」という文章がある(外部サイトを開く)
サックス奏者の清水靖晃を中心に結成されたバンド、マライア『うたかたの日々』(1983年)収録曲。同作は2015年に再発され、「Pitchfork」で「ベスト・ニュー・リイシュー」に選ばれた(外部サイトを開く)
—なるほど。ぼくは80年代にリアルタイムで、たとえば環境音楽とか清水靖晃さんの音楽を聴いて、もちろん当時も斬新に感じたんですけど、そのあといろんな音楽を聴き進めていくなかで忘れてしまっている部分もあるんですね。海外から再評価されることで、自分もあらためて気づくことがある。海外の視点が入ることでの再発見はそういうところにもあると思いますね。
岡田:過去の音楽があるとき急にまた新しく聴こえる、もう一度注目を集める瞬間はおもしろいですよね。ぼくの音楽体験自体、ずっとその繰り返しで蓄えられてきたものでもあって、そういう意味で自分の音楽はリイシューカルチャーと密接だと思います。
—サム・ゲンデルが自分の音楽を説明するときに、「未来の人が発見した音楽」みたいな言い方をしていましたが、それに近いような感覚もありますか?
岡田:ぼくはもうちょっとオールドスクールな感じかもしれません(笑)。でも言わんとしていることは、彼の音楽を耳にすれば誰しもわかる感覚ではありますよね。空間や時間軸のねじれのようなものをいつも感じますし、そしてユーモアも感じさせる。ドラえもんのタイムマシンのシーンの背景の絵がいつも浮かびます(笑)
サム・ゲンデル『Satin Doll』(2020年)収録曲。同作にはデューク・エリントン、チャールス・ミンガス、マイルス・デイヴィスらによるジャズのスタンダードのカバーが収録されている
—岡田さんの音楽もおそらくそうで、このあいだのライブでも思ったことで、70年代的なテクスチャーと現代のテクスチャーが合わさった演奏に感じたんですね。過去のものとの混じり具合みたいなところは、どの程度、意識的なんでしょうか?
岡田:あるときまではめちゃくちゃ意識的でした。それはたぶん、ディガーミュージシャンのいいところであり、悪いところでもあると思うんです。
過去の音楽のある要素を現代的なテクスチャーのなかで参照していく、みたいな感覚は、昔は意識的にやっていたんですけど、『Betsu No Jikan』ではそこから自由になれたんですよね。本当にこの音楽がよくなるために考えうる限りの方法は、すべてトライしてみようって考え方ができた。
石若駿(Dr,Per)が参加した『Betsu No Jikan』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
岡田:これとあれをかけあわせて、って考えにとらわれすぎず、すべての選択が自由であっていいし、ライブに関しても、この瞬間がよくなる方法があるんだったらどんな文脈を引っ張ってきてもいいし、瞬間的に思いついたものもパッとトライしてみようって。そういうふうに意識的に柔軟になったことすら考えなくていい、みたいな感じにはなってきていると感じますね。
なぜいま、70年代的なサウンドに惹かれるのか?
岡田:原さんがおっしゃった70年代的なテクスチャーということでいうと、ぼくはリスナーとして70年代のジャズとロックをずっと聴いてきたところがあって。「音楽はもう出尽くした」って言われていたなかで、ジャズはフュージョンになり、ロックがAORになっていく、このあいだの時期ってずっと関心があるんですよね。なかでも74〜6年ぐらいが好きな音楽が多いかもしれないです。
—ちょうど、マイルス・デイヴィスが活動を中止して、ブライアン・イーノのアンビエントが登場しはじめた時期とか、そのあたりとも重なりますね(※)。パンク前夜の、未分化な状態で、まだどっちにいくかわかんないような感じ。
岡田:そうですね。The Flying Lizardsとかすごく好きです。あと初期衝動的な1968〜72年あたりとか、そのあたりもおもしろいですね。「前衛ジャズ」とか「前衛ロック」みたいな言葉は昔から好きだったんですが、前衛的な何かを探っている時期の音楽にすごく魅力を感じてきたし、それをある種ロマンチックな思考で聴いていたかなと思いますね。
※:マイルス・デイヴィスが音楽活動を休止していたのは1975年〜1981年。ブライアン・イーノが「アンビエントミュージック」をはじめて打ち出したのは『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)だが、ロバート・フリップ(King Crimson)との共作『No Pussyfooting』(1973年)やイーノ自身の主宰する「Obscure Records」からリリースされた『Discreet Music』(1975年)にもその萌芽を見出すことができる
ブライアン・イーノ『Discreet Music』収録曲
The Flying Lizards『The Flying Lizards』(1979年)収録曲。デヴィッド・カニンガムが1976年に結成したイギリスの実験的なニューウェイブバンドで、デヴィッド・トゥープをはじめとした前衛的かつ即興的なミュージシャンが在籍したことでも知られる
岡田:ぼくはポストロック以降に音楽をつくりはじめているんですけど、15〜6歳のときにクリスチャン・フェネスとかアルヴァ・ノトをはじめ聴いたとき、これ以上新しい音楽を想像できなかったんですよね。
だからか、2000年代後半から2010年代前半は「新しいオルタナティブな音楽をつくる」というよりは、過去のサウンドの文脈の編集、音響感や質感といった、レコードとしてのおもしろさにつくり手たちがフォーカスしていた感覚があって、ぼくがシンパシーを覚えたのはそういう音楽だったんですよね。
—ただ、その音響感や質感をレコード作品に落とし込む完成度の高さ、ポップスとして精巧さを追求することから抜け出して、別のところにいきたいという意識が出てきたわけですよね。
岡田:そうですね。消極的なことを言うと、あんまり歌いたくないので。というか、本当に歌いたくない……というのは半分冗談として(笑)、パンデミックのタイミングで歌のアルバムも別につくっていたんですよ。『Betsu No Jikan』はそれとは別に、もっと自由な、自己治療的な音楽としてつくっていた感じだったんです。
でも制作していくうちに自分のレコード棚を見てみると、『Betsu No Jikan』的な音楽は自分にとってすごく自然なかたちだなと思えてきて。途中から自分のレコード棚の感じと歌のアルバムという、ふたつの方向性のいいところをまとめていく作業になってきましたね。
谷口雄(Pf)、石若駿(Dr,Perc)、細野晴臣(Log Drum)が参加した『Betsu No Jikan』唯一のボーカル曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
パンデミック以降、取り憑かれるように追求していた「水のような状態の音楽」
—『Betsu No Jikan』では、水の音が制作のきっかけにもなっていましたが、フィールドレコーディングの自然音、環境音を単にスパイス的に取り入れるような使い方とはまったく違いますよね?
岡田:今回は水の音や環境音からとっかかりを見つけて制作したりしていますからね。これまでのようにテクスチャーとして曲に入れる、というようなこととは違うと思います。
—そういった制作は何を意識してだったのでしょうか?
岡田:パンデミックになってからずっと『Betsu No Jikan』の習作をBandcampにあげていたんですけど、「水のような状態の音楽」に取り憑かれていた時期で。
ある曲では水のサンプル音、以前に録音した川の流れる音を変調させた音に音楽を見出す、みたいなことをやっているんですね。それは今後もライフワーク的にやりたいと思っているんですけど。
—つまり、水の音のような楽音から外れるサウンドそのものを積極的に使うというのではなく、サウンドの変化や動きがきっかけとなって生まれるものに関心があるということですね。
岡田:水の音はそれ自体もちろん神秘的な音色で魅力的なんですけど、「音楽が水の状態にあること」に関心があります。流動的でつねに動いていたり、滴る水音の間隔のような、規則的ではないけれど、あるときには周期的なリズムを見出すこともできるかもしれない、みたいなことだったり。
あとは水という物質は形のないとらえどころがないものですが、冷やして氷になったり、熱して蒸気になったりという両極端の状態を踏まえることで水についてのことを少しとらえやすくなるというような側面も興味深いです。
音楽をそういう水的な状態に落とし込みたいってことは『Betsu No Jikan』では考えていましたし、そこからまだまだつくれそうだなって予感はあります。
—そういう視点が根底にあるからでしょうか、即興的な部分と編集されてつくられている部分のあいだにある、流れや振幅が心地いいと感じました。録音もそうでしたが、ライブでも感じましたね。
岡田:たとえば、パソコンを使ってビートミュージック的なつくり方をしてるけど、グリッドに合わせていくような作業はしていない、みたいな感覚はライブ演奏するにあたってみんなで共有していた部分だったと思います。
大久保淳也(A.Sax)、マーティ・ホロベック(WB)、石若駿(Dr)が参加した『Betsu No Jikan』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
—なるほど。たとえば、ジェフ・パーカー(※1)の『The New Breed』(2016年)のような作品は、ギタリストの彼自身がビートも組んでますが、演奏の揺らぎと折り合いがとれているというか、単にビートの上で演奏しているのとは異なるタイム感を生んでいますよね。いまの話で、そのギターとビートの関係性を思い出しました。
岡田:ジェフ・パーカーは本当におもしろいですよね。ソロギターのアルバム(2021年発表の『Forfolks』)も超よかった。あの人は本当に特殊ギタリストですね。
ジャズプレイヤーとしては高柳昌行(※2)みたいにゴツゴツした感じでありながら、流動的なサンプリング使いもおもしろいし、自身のライブ演奏自体がリアルタイム自分サンプリングみたいなプレイもしてたり。
※1:1967年、アメリカ生まれのロサンゼルスを拠点とするジャズギタリスト。90年代には「AACM」というシカゴの黒人ジャズミュージシャンによる自主組織に属す傍ら、Isotope 217°およびTortoiseのメンバーとして活動し、ポストロックのシーンを牽引した(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く) / 原雅明によるジェフ・パーカーへのインタビューはこちら(外部サイトを開く)
※2:1932年生まれのフリージャズギタリスト。自らリーダーを務めるNEW DIRECTIONでの作品や、サックス奏者の阿部薫、ドラマー/打楽器奏者の富樫雅彦、Naked Cityなどでも知られるサックス奏者ジョン・ゾーンらとの共演、共同名義作品を発表する。著書に『汎音楽論集』(2006年、月曜社)。なお、大友良英は高柳のギターレッスンに生徒として在籍していたことでも知られ、大友によるwebちくまでの連載「ぼくはこんな音楽を聴いて育った・東京編 第9話 ひび割れた鏡と行進曲」からは、強烈な人柄とともに高柳の音楽に対する姿勢や考えを垣間見ることができる(外部サイトを開く)
ジェフ・パーカーによる即興演奏の映像
岡田:ジェフ・パーカーのプレイは地味といえば地味なので昔はあまり意識して聴いていなかったので、Tortoiseのなかでこんなにイケてる音楽家になるとは思わなかった(笑)。
—時代を経るごとによくなっているような感じですね。
岡田:そうですよね。また彼が新しい音楽をつくればつくるほど、過去の作品が魅力的に聞こえてくる。
Chicago Underground Duo(※)の曲にちょっと入ってるアンビエント的なギター、トラックも当時は全然聴き逃していたなと思います。「何もしない」みたいなことをするのも得意だし、すごく好きなギタリストですね。
※:1997年にシカゴで結成されたアバンギャルドで即興的なジャズの演奏者集団「Chicago Underground」を母体とするグループ。ジャズコルネット奏者のロブ・マズレク、ドラマー/打楽器奏者のチャド・テイラーによるChicago Underground Duo以外にも、Chicago Underground Trio、Chicago Underground Quartet、Chicago Underground Orchestraなどが存在する
ジェフ・パーカーの参加したChicago Underground Trio『Possible Cube』(1999年)収録曲
西洋的と日本的のあいだで。戦後のプロダクトデザインやジャズに見出す「日本らしさ」とは?
—最初に日本の音楽の話をしましたが、TOKIONのインタビューで、パンデミックのあいだに積極的に聴いていた音楽として土取利行(※1)、富樫雅彦(※2)、山本邦山(※3)の音楽を挙げられていましたね。そこには、海外からの再発見、再評価とは別に、岡田さんの日本の音楽への関心があると思うんですが、それについて伺わせてもらえますか?
岡田:さっきのはっぴいえんどの話のように、ぼくは西洋文化の文化が定着する前の「純然な日本人像」を知らないので、江戸時代以前のような日本らしさみたいなものは関心もありますし、好きではありますが、自身の制作とはどうしても距離があります。一方でシンパシーを感じるのは、戦後のプロダクトデザインや電子音楽の人たちで。
※1:1950年生まれのドラマー/打楽器奏者。フリージャズ、演劇音楽、古代音楽、民族・民俗音楽など、複数のジャンルに取り組み、ミルフォード・グレイブス、デレク・ベイリー、近藤等則、坂本龍一らと共演歴を持つ
※2:1940年生まれのジャズドラマー/打楽器奏者、作曲家。1965年にフリージャズグループ「富樫雅彦カルテット」、1969年に実験的音響空間集団「ESSG」(=Experimental Sound Space Group)を結成。1970年に下半身不随となり、以降、両手のみで演奏する打楽器奏者として活動する。高柳昌行も参加した『ウィ・ナウ・クリエイト』(1969年)や、『スピリチュアル・ネイチャー』(1975年)など発表。2007年、67歳で逝去
※3:1937年生まれの尺八演奏家、作曲家。元東京藝術大学教授で人間国宝。尺八の演奏をジャズに用いた先駆的存在で、ピアニストの菊地雅章、ベーシストのゲイリー・ピーコックらと制作した『銀界』(1970年)や、富樫雅彦と共演・制作した『エターナル・エコー』(1979年)や『無限の譜』(1980年)で知られる。2014年に76歳で逝去(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
土取利行『銅鐸』(1983年)を聴く(Apple Musicはこちら) / TOKIONの記事はこちら(外部サイトを開く)
岡田:海外の最先端と言われていたものを取り入れながら、そこに日本的なものを落とし込むことーーたとえば、イームズがやっていたようなことに対して、剣持勇が木製合板をねじ曲げて兜のデザインで椅子をつくった、みたいな感覚のほうが自分には密接に感じるんですね。自分の世代にとっての日本的なものの感覚って、そういうイメージなんじゃないかなとも思う。
はっぴいえんどもそうですし、富樫さんの音楽もジャズのなかに落とし込まれているムードに日本的なものを感じますね。西洋の文化が入ってからの日本っぽさって、どっちとも決められない中間地点なところに居心地のよさを感じることなんじゃないかとも思ったりします。いまの時代って、どっちつかずな人が責められがちですけど。
西洋的でもあるし日本的でもある、ロックでもあるしジャズでもある、っていう感覚がどこか居心地がいい。そういうところに、ぼくは日本的なものを感じたりします。このあたりは戦前のものですが芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』(※)という谷崎潤一郎との芸術論論争のなかで書かれた短い文章で「ブタカツ」をたとえに面白い視点で書かれています。
※:初版は1927年、1931年に岩波書店より刊行(青空文庫で読む)
大久保淳也(A.Sax)、鹿野洋平(Lap Steel)、香田悠真(Vc)、マーティ・ホロベック(DB)、石若駿(Dr,Perc)、カルロス・ニーニョ(Per)、増村和彦(Per)が参加した『Betsu No Jikan』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
はっぴいえんど『風街ろまん』のころ、細野晴臣らは海外の音楽をそのままやるのではなく、自分たちのルーツを取り入れることがオリジナリティーにつながると考えたが、1970年代当時もいわゆる「邦楽」とは断絶があったため、大正時代の詩人たちの言葉を歌詞に取り入れることでオリジナリティーを模索したと語っている
—昔、晩年の富樫さんにインタビューしたことあります。『スピリチュアル・ネイチャー』などがCDで再発されたタイミングで、ご自宅まで伺って取材しました。当時ぼくはまだ多少は若く(笑)、ジャズ評論家でもないというので選ばれたのだと思いますけど、とにかくマックス・ローチ(※)が好きで、その演奏しか頭になかったということと、事故に遭われてローチのドラムからも離れて、どう活動を続けていったのか、丁寧に振り返って語られたのが、いまも強く印象に残っています。
※:1924年、アメリカ生まれのジャズドラマー。1940年代から活動を開始し、チャーリー・パーカー・クインテットで演奏(1947~1949年)や、ソニー・ロリンズによる1956年の傑作『Saxophone Colossus』などへの参加で知られる。モダンジャズのドラミングスタイルを確立したパニオニア的存在で、時代の変化とともにそのドラミングを進化させていったジャズドラムの大御所。2007年、83歳で死去
富樫雅彦カルテット『ウィ・ナウ・クリエイト』を聴く(Apple Musicはこちら)
―富樫さんは戦後の日本のジャズを切り拓いたひとりですが、その先にあったアメリカのジャズとのつながりが突然途切れて、自分の音楽をはじめざるを得ない地点に立たされた。でも、その状況が結果的にいままた海外で再評価もされている富樫さんの音楽をつくったわけですね。
岡田:富樫さんの演奏は一度観たかったな。岡崎のホールに、富樫さんのドラムキットだけありますよね。
ー愛知県・岡崎市にある内田修ジャズコレクションですね。実際に行きました。ドラムセットが飾ってあって、その存在感が圧倒的でした。
岡田:ぼくも一度見に行きました。すごいですよね。テリー・ボジオ(※)だったらああなんないだろうなって(笑)。
ー(笑)。富樫さん世代の戦後のジャズミュージシャンにも、ある意味、中間地点にいる独自性やおもしろさがありますよね。アメリカのジャズのほうを向いているけど、反発や誤解、誤読も込みでのジャズ表現が育まれた。
※:1950年、アメリカ生まれのドラマー。フランク・ザッパのバンドに在籍したことで知られる。非常に多くのタム、バスドラム、シンバルを備えた巨大ドラムセットでプレイする
菊地雅章+富樫雅彦『ポエジー』(1971年)を聴く(Apple Musicはこちら)
ーよく、アメリカのジャズの教育システムが整っているのに対して、日本のジャズが否定的に言われることもありますが、ぼくはそこにはまだ、それこそ「リズム外れ」(関連記事を参照)の人が出てくる余地がありそうに感じてもいます。もちろん、アメリカのきっちり基準が定まっていることがあるがゆえに「外れ」もあり得るんですけど。ちょっと余計な話でしたね。
岡田:いやいや。高柳さんも海外で聴かれていますし、ニュー・ディレクション以降の音楽はジャズの歴史観から見ると突然変異的ではありますしね。そして彼はそうした点にも意識的だったからこそ音楽塾を開いていたと思います。そしてそこで学んだ飯島晃(※)さんや大友さんのようなほかに例のない音楽家が生まれて。
富樫さんが若いとき、マックス・ローチしか考えられなかった時期があるって、それはそれで励みになる話ですよね。富樫さんのマックス・ローチは、若い頃のぼくにとってはジム(・オルーク)さんでした。やっぱり一番好きなんです、タイプは全然違うかもしれませんが。
※:1954年生まれ、高柳昌行に師事したギタリスト。1990年に『コンボ・ラキアスの音楽帖』を発表し、1997年に43歳で逝去。大友良英によるwebちくまでの連載「第10話 世界は知らない音楽で満ち溢れている」では大友との交流と人柄ともに、その音楽的関心についても触れられており、岡田拓郎の連載「RADICAL GUITARIST -異彩を放つ個性派たち-」ではそのギタリストとして魅力が綴られている(webちくまを開く / ギター・マガジンWEBを開く)
岡田拓郎『Betsu No Jikan』を聴く(Apple Musicはこちら)
- リリース情報
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岡田拓郎
『Betsu No Jikan』(CD)
2022年8月31日(水)リリース
価格:2,800円(税別)
PECF-1193
1. A Love Supreme
2. Moons
3. Sand
4. If Sea Could Sing
5. Reflections / Entering #3
6. Deep River岡田拓郎
『Betsu No Jikan』(LP)
2022年11月30日(水)リリース
価格:3,300円(税別)
PEJF-91043
[SIDE-A]
1. A Love Supreme
2. Moons
3. Sand
4. If Sea Could Sing
[SIDE-B]
1. Reflections / Entering #3
2. Deep River
- プロフィール
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- 岡田拓郎 (おかだ たくろう)
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1991年生まれ、東京都福生市育ち。ソングライター/ギタリスト/プロデューサー。2012年にバンド「森は生きている」を結成。2枚のアルバムを発表し、2015年に解散。2017年10月、ソロデビューアルバム『ノスタルジア』をリリース。ギタリストとしては、ROTH BART BARON、優河、柴田聡子などさまざまなミュージシャンのライブ/レコーディングに参加。プロデューサー/ミキシング・エンジニアとしては、South Penguin『y』(2019年)、優河「June」(2019年)などを手がけている。2022年8月、3枚目のソロアルバム『Betsu No Jikan』を発表した。
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