メタ・サピエンス

リアルとメタバースの二重生活が定着したとき、人類に革命が起こる。武邑光裕×バーチャル美少女ねむ

デジタルとリアルが解けた世界で、私たちにはどんな進化が待っているのか? そんな問いをベースに展開する「メタ・サピエンス」プロジェクト。今回は、メタバースの原住民である「バーチャル美少女ねむ」をゲストに迎え、武邑光裕と対談。

メタバースでは、これまで自分を縛りつけていた容姿や声、名前といった自分の属性から解放され、新しい自分に生まれ変わることができるという。「バーチャル美少女ねむ」として生きる「彼女」との対話を通して、「メタ・サピエンス」のアイデンティティーや、これからの生き方を探る。

メタバースで待ち合わせた、メディア美学者とメタバース原住民

バーチャル美少女ねむとの待ち合わせはNeos VRの初心者向けの広場「JP Tutorial World」だ。見渡すとすでにたくさんの人がログインしており、武邑は白髪男性のアバターでねむを待つ。

広場で待っていると、多くの人が「何か困ったことはありますか?」と気軽に話しかけてきてくれる。「誰かと待ち合わせ?」と話しかけられたので「ねむさんです」と答えると「あ〜! ねむさんか!」「ねむさんね!」「取材かな」とひとしきり盛り上がる。多くの人がねむを認知していることがわかる。

待ち合わせ時間になると、ねむがふわっと光に包まれて現れる。彼女に案内されるがまま、新しいフィールドについていくと、美しい自然のなかにあるねむのご自宅に到着。まずはぷかぷか浮いたり、メタバース空間を浮遊してしばらく散歩をしたり、普段の生活空間を見せていただいたところで、対談がスタートした。

冗談のつもりではじめたという「バーチャル美少女」。その実態とは?

ねむ:メタバース体験はどうでしたか?

武邑:以前に比べたら、格段にスムーズでよくなっていました。

ねむ:そうですね。一般人でも、もうこれくらいのレベルで生活できるところまで、もうきています。

武邑:ねむさんは、一日何時間くらいメタバースで過ごされているんですか?

ねむ:昼間は普通にお仕事しているので、仕事を終えてご飯を食べてから毎日2、3時間はここで過ごしています。先日、音楽ライブイベントを主催したので、そのときは7、8時間くらいメタバースで過ごしました。そのあとのスタッフとの打ち上げも、もちろんメタバースのなかです。

武邑:その間は、ずっとゴーグルをかぶったままですか?

ねむ:そうですね。私が使っている機材は口や目の動き、まばたきもセンシングできるので、リアルの自分とほとんど同じ表情ができます。お腹と足にもセンサーをつけているので、全身を動かすことでさらにアバターとの一体感が高まるんです。私が調査をしたところ、いまVRを日常的に使っている人の半数くらいは、私と同じように全身を動かすことのできるフルトラッキングの機材を使っています。

ー「バーチャル美少女ねむ」として活動をはじめたきっかけから教えてください。

ねむ:きっかけは、キズナアイちゃんでした。キズナアイちゃんは企業が運営しているので、プロの声優が入り、モデリングも台本もプロの人が関わっています。それを個人でやったらすごいことになるぞ、と思って始めてみたという感じです。おそらく個人でVTuberを始めたのは、私が世界最古です。

ーどうして美少女キャラクターを選んだのでしょう?

ねむ:初めは冗談のつもりだったんですよね。どうせ違うキャラクターになるなら現実の自分と全然違うほうが面白いと思ったので、ボイスチェンジャーとアバターで美少女キャラクターになって夜中に配信してみたんです。そうしたら「かわいい、かわいい」と言われて(笑)。現実でそんなことを言われることなんか、ないじゃないですか。それがすごく楽しくて。「これはやばい!」となって、いまに至るという感じです。

性格も人間関係も異なる「バーチャル美少女」と「中の人」の二重生活

ーVRを使ったエンターテイメントは、年々盛り上がっています。

ねむ:3、4年前からVRが流行り始めましたが、アイドルや配信者じゃない一般人も、仮想空間なら「なりたい自分になれる」と感じてきているみたいですね。日本にはVTuberという存在もあったので、キャラクターが人間と同じように活動するという意味では、世界に比べると考え方が数年先行しているように思います。

例えば、今回の取材も「バーチャル美少女ねむさま」と取材依頼のメールをいただきましたが、これは5年前なら絶対にありえなかったことで。以前なら「VTuber運営ご担当者さま」みたいな書き出しだったはずなんですよね。ここ数年でメタバースが一般化し、一般の人もバーチャルキャラクターとして生きていることが当たり前になり、ようやく社会的にバーチャルの存在が受け入れられるようになったのだと思います。

武邑:「中の人」が現実の「実在」になってきたなという感じはしますね。

ねむ:それで言うと、どちらが「中の人」か、という話かもしれません。私は昼間、仕事をしているときは「バーチャル美少女ねむ」ということを一切隠してサラリーマンとして働いています。現実世界の知人にバレていたら、美少女キャラクターとかできないわけです(笑)。ぶっちゃけ、きつい。だから私は完全に隠しています。

ただ、もちろん記憶喪失になるわけではないので人格は同じですが、性格とか人間関係は別レイヤーとして切り離しています。私にとっては、それがライフスタイルとして当たり前になりつつあります。

武邑:これまで自分自身のなかに虚構の世界を完全につくりあげるのは、なかなか難しかったと思います。多重人格や、現実世界のなかで別の人格を生きるのは不可能に近いですよね。こういうメタバースやVRの空間が成熟してくると、ねむさんのような生き方が可能になります。単なるアバターや分身というものよりも、もっと深いレベルでそういう「生き方」が可能になってきたのだなと感じます。

ねむ:そうだと思います。私はもともと美少女になりたかったわけではないのですが、やっているうちに、いつのまにか美少女キャラクターが板についてきました。

武邑:ここまで数分話しているだけでも、「バーチャル美少女ねむ」という存在がとてもフィットしているように感じます。おそらく本当のご自分があるのだろうと思いますが、こうして話しているとそういうものを完全に意識しなくなります。

ねむさんの『メタバース進化論』を読んだときは、研究者的なアプローチで「単なる一般の人ではないな」と思っていましたが、こうやってVRのキャラクターと接していると、背後にいるはずの「中の人」を考えなくなります。このように一般の人たちが自分自身のアバターを簡単に構築できて、多くの人がこの世界と関わり始められるのなら、革命が起きると思います。

ねむ:私もそうなると思っています。

武邑:Web3やNFTが投機的にバブルとなっていますが、それも下火になりつつあり、わずか数か月のあいだにトレンドが過ぎ去っています。メタバースの技術的な問題課題やこれからの可能性を考えると、Web3やNFTは「本当に単なるツールなんだな」と強く思います。メタバースを成熟させるためには、よりさまざまな成熟したツールが必要ですが、本質的には、そこに「住み」、そこと「どう関わるか」ということだと思います。ですから、ねむさんと話していると人間としての可能性が見える気がします。

複数の人格を操るライフスタイルが定着したとき、アイデンティティーに起こる変化

ーメタバースのなかでアイデンティティーを切り替えていくと、人間の心はどう変化していくでしょうか。

ねむ:多くの人は、私がしていることを「変なこと」だと思っているかもしれません。でも普通の人も家でパジャマを着ているときとスーツを着ているときでは、喋り方が変わりますよね。Twitterの捨てアカで喋っているときと、公共の場で喋っているときは、違う自分になっていると思います。いまの私は、それの延長線上だと思います。

自分の属性を脱ぎ捨てることで、自然体でいられてリラックスできる。そういう状態だから新しい自分がたくさん見つけられるのだと思っています。切り替えることが、これからの新しい時代のライフスタイルとして当たり前のものになっていくのかなと思います。

武邑:ぼくがいま、ねむさんの息遣いや、ねむさんから感じている全体こそが、「リアル」ですよね。ねむさんはアバターを何人お持ちなのでしょうか。自分から独立したキャラクターが存在すると、「バーチャル美少女ねむ」に飽きたら新しい存在をつくるのでしょうか? あるいはこの存在をずっと貫いていきたいのでしょうか。

ねむ:私も何人の分人が適切なのか、答えは出ていません。ただ、こういう二重生活を続けて気づいたのは、人間には24時間しかないという当たり前のことです。中の人にも人間関係の交流があるので、中の人としての時間も必要なわけですよね。

私の場合はバーチャルキャラクターを2つ持っています。「バーチャル美少女ねむ」はこの世界では有名になってしまったので、ねむであることを脱ぎ捨てたくなるときがあります。そういうときは「名なしの権平」みたいなアバターを使うこともあります。時間の比率としては、中の人「4」、バーチャル美少女ねむ「5」、名無しの権平「1」ですね。これ以上キャラクターを増やすと、マネージできなくなる気がします。

いつか、メタバース原住民は絶滅する? 原住民がつくる、今後の私たちのスタンダード

武邑:歴史的に見ると、ネイティブアメリカンやアボリジニのように「原住民」は新しい人間たちが入り込み抑圧されてきました。ねむさんはメタバースの原住民であるがゆえにわかっていること、経験されていることがあると思います。原住民から見たら新しい侵略者はみんないい人たちだけではないでしょう。そういうことをこれから考える時代が来ているんだなと実感しますね。

ねむ:いまメタバースに新しく入ってくる人は、どちらかというとまだ原住民側という気がします。大きなゴーグルをかぶってこの空間に来られる時点で、ある種の覚悟を持った人なんですよね。

武邑先生のお話を受けていえるのは、いままでの歴史と同じようにメタバース原住民は絶滅する運命にあると思っています。それが50年後か、100年後かは人によって見解が違うと思いますが、いつの日かこういうライフスタイルは確実に当たり前のものになります。一度こっちに慣れてしまったら、もう元には戻れないと思うんですよね。

ねむ:こちら側での生活が当たり前になったら、いまのメタバース原住民の文化が示している独自性は半分くらい消えてしまうと思います。ただ、残り半分は新しい時代の当たり前になる。インターネットの黎明期に生まれたカルチャーも、はじめは異質な変なものとして扱われていましたが、いまは小学生でも使う当たり前のものになりました。

あるものは消えてしまうカルチャーだろうし、あるものは次世代のスタンダードになる。ここでは毎日いろいろなところでいろいろなものが生まれているので飽きないんですよね。発展途上を楽しめるということが、私がこの世界にいる理由です。

この世界がもっと一般化されたら消えるものが少なからずある。普通の人が当たり前のように来るようになったら、きっといまとは違うメタバースになっていると思います。

武邑:いずれメタバースネイティブが絶滅するかもしれないという予想はすごくリアルですね。いまメタバースという言葉自体がポジティブな部分とネガティブの部分があり、ネガティブの部分は現実を尊重するあまりにこういうVRの空間自体にそれほど大きな価値を見出さない人たちがいるということです。

ニール・スティーブンスンの『スノークラッシュ』はシリコンバレーの政治的バイブルになっています。作中に登場する「民営化されている国家」や、「暗号通貨によって税金を徴収されない世界を構築する」などは、1990年代のリバタリアンやサイバーパンクに関係していて、民主主義国家を信用しないアメリカを中心とした億万長者たちと完全に合致するんです。

この『スノークラッシュ』で指摘される危険性は、メタバースによって多くの大衆を操作し、メタバースのなかで大衆を飼い殺すという点でした。そう考えていくと、ねむさんのようなメタバースネイティブが絶滅するかもしれないということと重なってくるんですよね。

メタバースネイティブの文化や、継承すべきことは何か。検証を次世代に残してほしいです。そういうものがないとメタバースは一気にネガティブな支配、コントロールの手のなかに落ちてしまう可能性が非常に高いと思います。

武邑:ぼくらが1995年ごろからインターネット使い始めて当たり前になるまであっという間でした。当たり前になってからでは遅いですよね。Web2も取り締まる法律がなかったせいで、企業にプライバシーを抽出されてしまった。

つまり「リアルが追いついていかない」のです。メタバースのなかに逆にリアルが生まれ、リアルと同等の世界をつくっているけれど、ぼくらが感じてきたいままでのリアルがメタバースに追いついていかない。そういう法律、規制も追いつかない環境がこれからどんどん出てくると思います。

メタバースのなかでは自由な経済活動が設定はできるけれど、規制や法律が邪魔をしたり、ちぐはぐな対称関係がこれからも出てくると思います。それをどう解決していくのか。リアルとメタバースの非対称性をどう是正していくのかを考える必要があります。

メタバースでなら、自分の気づかなかった才能を引き出すこともできる

―『メタバース進化論』なかで、「なりたい自分」として本当の意味で生きていくためには、姿や声の仮想化だけでは不十分で、経済活動に参加することが重要だと指摘されていますね。現状、経済活動はどんなふうに行なわれているのでしょうか?

ねむ:実際のところ、経済活動はまだあまり機能していません。ただ、将来的にはとても可能性があると思っていて、私がとくに注目しているのはクリエイティブ分野です。例えば、こちらの世界にすごく可愛い動きをするアイドルの女の子がいるんですけど、たぶん中の人はおじさんです。そういう才能って、現実だとあまり活かせないと思うんですよね。

私自身もそうで、ライブイベントで収益を上げたり、CDデビューもしているんですけど、現実社会だと自分にそんなことができるなんて、考えたこともなかったわけです。だけどメタバースでなら、自分のなかにあるクリエイティブな要素を簡単に取り出して活動することがしやすくなるんですよね。

―みなさん、クリエイティブな活動をするためにメタバースにいくのでしょうか?

ねむ:自分の才能を引き出したいからメタバースにきたのではなく、こちらにきて初めてその才能に気づいたという人が多いです。肉体という殻を脱ぎ捨てるとクリエイティブなことがしやすくなる、というのは大きな発見だと思います。

ねむ“メタバースデイ”ミュージックビデオ

歌舞伎やコスプレ文化など、日本人は「違う自分になる」ことに寛容である

ー海外のユーザーと日本のユーザーは使い方の違いはありますか?

ねむ:性別を超えたアバターの活用は、海外だと日本ほど多くないです。例えばボイスチャンジャーの利用率も海外だとそこまで高くない。アメリカはマッチョ文化ですから、男性が女の子のふりをするのがバレたら恥ずかしいことなんです。だから海外の人が美少女アバター使っても、少女らしく振る舞う人はそこまで多くないです。

私のように美少女として活動して、人生の半分の時間を美少女として過ごすというのは、従来の価値観で考えるとめちゃくちゃなことですよね。これは日本人特有の「いろんな自分を持っていい」みたいな価値観だと思っていて、日本はそういうことに特に寛容です。例えば歌舞伎も、男性が女性を演じるのが当たり前ですよね。

そういうふうに、日本は「違う自分になる」ということにすごく寛容だと思います。

武邑:江戸時代は自分のなかにどんな自分があるのかを追求する分身文化がありました。それを実現していたのが習い事です。俳句や踊り、お茶を習ったり、いろいろなことを習うことでお師匠さんがいて、それを極めることによって、その段階によって家元の名前をもらい名取りになる。つまり表現する個人がどんどん生まれてくる土壌が江戸時代にはあり、新しい自分になっていくのが日常的に文化として存在していました。

おひねりとか、お賽銭みたいなもの含めて、そういう分身文化の環境が連や座などのかたちで一般的に社会に存在していました。そういう文化的な遺伝子がいまの日本のポップカルチャーにも残っている。それが世界を席巻したコスプレ文化とかJ-POPと言われるような若い人たちの日本の文化の創造とつながっている気がします。

ねむ:名前を変えるのは象徴的ですよね。そのたびにどんどん自分の殻を脱ぎ捨てて、新しい自分になっていく。いまは普通の人でもテクノロジーの力を借りてトライできるようになりました。

武邑:現実世界では違う自分になるには、お披露目して襲名披露しないといけない。それがメタバースになると一気にそういったことが実現できる。一瞬にして名前を変えて別のキャラクターになっていくことが当たり前になっていくと、かつての歴史にはなかった大きな変化を生み出すようになると思います。

ー人類にとって大きな革命ですね。

武邑:昔から「ゴールドラッシュのときには道具を売れ」という格言があります。一攫千金を狙って金を堀り立てた人はそんなにいないけれど、ゴールドラッシュのときに経済活動が成功したのはシャベルとつるはしとリーバイスのジーンズでした。

いま、それと同じ現象が起きていて、デジタル経済のなかで動いているのは投機的な投資会社と技術的な一部の企業です。そして我々の2500年に及ぶ言語宇宙をはるかに超えるメタバースが創造されていく。これは技術的な道具の世界の話ではなくて、人間というものを根本的に進化させ、人間に大きな作用をもたらすものです。

人間の身体器官はもうこれ以上進化しないと言われているので、メタバースのなかで新しい人間が生まれるでしょう。物理的な身体とメタバースのなかの身体のパラレルワールドができていくのだろうと思います。

ねむ:いまの私たちが感じているものは、人類を変えることかもしれないと改めて実感しました。

武邑:ぼくはメタバースの住人がどういう人なのか疑心暗鬼でしたが、ねむさんと会い、話したことで、とてもいい経験になりました。今日は歴史的な日です。ネイティブの人たちにはこれからも頑張ってほしいと思います。

ねむ:私はこの文化を普通の人に向けて発信していけたらと思っています。絶滅はすれども、たしかにここに私達がいたという、原住民の足跡は残しておきたいところです。

プロフィール
バーチャル美少女ねむ (ばーちゃるびしょうじょ ねむ)

メタバース原住民にしてメタバース文化エバンジェリスト。「バーチャルでなりたい自分になる」をテーマに2017年から美少女アイドルとして活動している自称・世界最古の個人系VTuber(バーチャルYouTuber)。著書に自身の体験を元に新たな仮想人格の誕生を描いた小説『仮想美少女シンギュラリティ』、原住民目線でのメタバース解説書として発売3か月で六刷重版の大ヒットとなった『メタバース進化論』(技術評論社)がある。

武邑光裕 (たけむら みつひろ)

メディア美学者、「武邑塾」塾長。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。1980年代よりカウンターカルチャーやメディア論を講じ、VRからインターネットの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。著書『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。2017年、Center for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。著書に『さよならインターネット GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)、『ベルリン・都市・未来』(太田出版)、新著に『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』(黒鳥社)がある。2015年よりベルリンに移住、2021年帰国。



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