地域のライブが面白い。又吉直樹が出会った、全国各地の舞台芸術の担い手たち

新型コロナウイルスの地球規模の流行によって、「不要不急」の名のもと、上演中止や施設の一時閉鎖などの対応が迫られた舞台芸術。ここ数年はその存在意義が問われた期間でもあった。

そんな多くのダメージを被った舞台芸術を応援しようと、文化庁の支援を受け、2020年から「JAPAN LIVE YELL project」が始まった。今年は、同プロジェクトの3年目の事業として、芸人で小説家の又吉直樹さんが全国各地の劇場などライブが生み出される場所を訪ね歩き、そこで働く人々との対話を集めたフォトブック『地域のライブがおもしろい』を制作した。

日本の舞台芸術の多様性が詰め込まれたこの本を通じて、その担い手たちはどのような想いを伝えようとしているのか。ライターの島貫泰介が考える。

不思議、だが正しいアプローチの「旅」の本

素敵な本が届いた。ぱらぱらとめくってみる……と思わず書き走ってしまったものの、実際にはデジタルのフォトブックだったのでノートPCのトラックパッドを中指と薬指ですっさすっさとスワイプしてるにすぎないのだが、それでも素敵であることに変わりはない。

旅の本である。又吉直樹さんが、北海道の赤いレンガづくりの建物や、岩手の瀟洒な洋館や、高知のお座敷のある芝居小屋を訪ねる様子が、人肌の温さのあるフォトジェニックな写真とともに綴られている。だが、旅の本としてはいささか不思議だ。

又吉直樹さんが訪ねる「地域のライブがおもしろい」WEBムービー(ティザー)

旅情を誘うような、いかにも観光ガイド然とした写真はそれほど多くなく、又吉さんが訪ね歩く理由も、場所よりも人に重点が置かれている。また、彼が出会う人々も、各地の劇場などで働く舞台芸術の担い手たちで、多くは裏方だ。

けれども、目的地であるどこかに訪ねることで経験や発見といった広い意味での出会いを得る「旅」を扱う本として、同書のアプローチはある意味で正しいし、無理がない。旅をするとは、人がつくった物事を訪ねることでもあるからだ。そして、人間の営み(あるいは、営みを重ねる人間たち)が交流し、蓄積する場所の最たるものが劇場だからだ。

また、この本を読み進めていくと、劇場というものが豪華な舞台と機構を備え、訓練された俳優たちが歌い踊る巨大な建築物に限らないのだということもわかってくる。

相互的な関係が生じる「劇場」を高知で垣間見る

例えば高知では、江戸期から昭和初期に建てられた歴史的建造物が残る香南市赤岡町の「赤れんが商家」を訪ねている。この町は、幕末に活躍した絵師である絵金が描いた23枚の芝居絵屏風が有名で、夏祭りの夜には町家の軒下に飾る風習がいまも続く。インタビューされているのは、高知県立美術館でパフォーミングアーツのプロデューサーを務める松本千鶴さんと、この町家の改修・活用プロジェクトに関わる北山めぐみさん。

又吉「東京と高知で違いはありますか?」
松本「個人的にはお客さんとの距離です。例えば東京で1,000人集めようとすると相手の顔が見えてきづらい。それに違和感を覚えて、地域で仕事してみたいなと思ったんです。伝える相手を思い描ける距離で舞台芸術に携わりたいと。で、高知に来て2年目にここで美術館主催のダンス公演を担当したときに、お客さんが各回20人とかで距離が近い。顔が見える。『あ、私が大切にしたいのはコレだ』と思いました」
北山「数か月前の舞台のことを『あのシーン良かったよね』と町で声をかけられたりして。町に余韻がずっと残っているんですよ」
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本には三方の壁面が金色の装飾で覆われた空間で踊るキツネ面のダンサーの写真が併載されていて、ここも北山さんが改修を手がけた同じ古民家の一部屋。北山さんは9年前に兵庫から高知へ移住し、地域の人から赤れんが商家を紹介してもらったのをきっかけに「ワークショップでみんなでこつこつ直しながら、人の集まる『場』として舞台やカフェなどのイベントを開催」してきたと語り、それに又吉さんは「この建物はねえ、残したくなりますよね」としみじみ答える。

同じく、高知の吾川郡いの町で活動する浜田あゆみさん。生家である和紙の製紙会社で働きながら、日本三大和紙として名高い土佐和紙を使ったパフォーミングアーツのプロジェクトを続けている。

浜田「私はこの鹿敷製紙が実家なんです。カナダで舞台芸術を学んで東京で俳優を目指していたんですが、祖父が亡くなった際、久しぶりに戻って来たら和紙の業界がひどい状態で。私の学んできた舞台芸術と組み合わせたら、何かできるんじゃないかとはじめたのがきっかけです。アーティストを招聘し、和紙について学んでもらって、感じたことを作品にしていくという感じです」
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浜田さんの活動がユニークなのは、単純にアーティストを招聘するだけでなく、滞在するかれらが和紙の製造現場を実際に体験したうえで作品をつくる仕組みを編んでいることだ。土佐和紙の制作工程では、刈り取った楮(こうぞ。強靱な繊維は、障子、表具、美術紙など、幅広い用途の原料に適している)を蒸して加工しやすくする「楮蒸し」と、その皮を剥ぎ取る「へぐり」という作業があるが、こういった人手のかかる労働をアーティストも担う。そういった体験が、のちの作品制作につながっていく。

ダンスや演劇とは異なる体系にある技術が、アーティストのなかで転換・転用されて作品となること。それは、前述した古民家を自在に劇場的な空間にもつくり換える北山さんたちの思想にも通じるだろうし、芸術の成立条件を、演じる人(演者)/観る人(観客)という風な役割の単純な二分化に求めないことの大切さを示唆する。

プロセニアムアーチと呼ばれる額縁のような舞台を備えた大きな劇場には、観客が演劇やダンスを集中して観るうえでの「精度」を実現する利点がある。

いっぽう、松本さんが述べたような「お客さんが各回20人とかで距離が近い。顔が見える」小さな空間では、演者も観客が互いに影響を与えたり受け取ったりするインタラクティブな性質が強まる。後者の性質は、例えば「楮蒸し」や「へぐり」を熟練者である地元の人たちと、かれらの技術を見よう見まねで学ぼうとするアーティストたちが関係しあう作業風景にも重なるだろう。そういった相互的な関係が生じるあらゆる場所は、きっと「劇場」と呼ぶにふさわしい。

コミュニティーに向き合うことの意味を考える

又吉「東京でしばらく活動されてて、それで岩手に戻られたんですよね。違いってありますか?」坂田「本質的には一緒なんだという気はしてるんですが、東京の方ほうがミスができない現場とか、渡せないことっていっぱいあると思うんですよ」
又吉「コンビニでバイトしたことあるんですけど、研修中は朝のいちばん人が来る時間はレジ立たせてもらえないみたいな」
坂田「そうですね(笑)。アーティストにとっても僕らのようなマネジメントにとっても、地域には余白があって。自分と向き合う時間であったりとか、空気とか、都市と切り離したところで持つっていうことが、人間性にとっても重要なんじゃないかなと思うんです」
又吉「余白っていうのが、ひとつポイントですね。都市部では、そういうエンターテインメントとかアートとかがわりと体系化されてますもんね」
坂田「地域に行けば、その枠すらないから、そこでもう1回なにかを捉え直すっていう作業ができるんじゃないかなと」
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場所は変わって、岩手。ここで又吉さんと語り合っている、岩手県文化芸術コーディネーターや三陸国際芸術祭のディレクターなどを務める坂田雄平さんは、地域における余白の意義に言及している。「(岩手では)利用がないときは劇場スタッフの帰りが5時半ということも(笑)。そのあと芸術活動とか、自分の好きなことやるとか、ちょっとあるのかなと思って、そこもすごく、好きなんですよね」と、坂田さんは言葉を継ぐ。個々の人たちの「好きなこと」は必ずしも芸術活動に限らないにしても、本業とは別の次元を持ちやすいのは地方の特質かもしれない。

島根編に登場する、フリーの舞台監督として働く和田守肇さんも「はじめは東京で仕事していて、舞台の仕事で島根に来たときに、いまも一緒に仕事している音響さんと照明さんが休憩時間に自分の畑の大根の育成具合の話とかするんですよ。東京なら現場のグチとかなのに、『すごいなこの人たち。人として本物だ。こっちで生活しなきゃ』って移住しました」と熱く語っているのが面白い。

しかしここまで読み進めてきて、気づいた読者がいるかもしれない。この本に登場する人々の多くが、東京などの大都市での就労経験を経て、それよりも規模の小さな地域に移り住んだIターンやUターン組であることに。

じつを言うと筆者も約6年前に東京から京都に移り住み、現在は大分県別府市でも暮らしている変則的なIターン移動者なのだが、「隣の芝は青い」的な感覚を地域に対して抱いているのではないか、という自分への不信が少なからずある。東京・京都・大分を行き来する生活のなかで得られた、それぞれの土地を相対的に見る視点はライター/編集者としては大きな意味があるが、それはつねに自分を「外」に置き、「内」とは一定の距離を置くことでもある。そんな自分が、端的に搾取的に思える。

そこでハッとさせられたのが、北海道編で登場するアイヌの伝統歌を歌う「マレウレウ」のメンバーであるマユンキキさんの言葉だ。

マユンキキ「自分がずっと住んでいた場所に向き合うって大変だと思うんです。外に出て、外で変えていくことの方がラク。でも、育った場所、コミュニティーに向き合い続けることに意味も意義もあると思う。本当にもうイヤなことのほうが多くて、こんな狭い世界大嫌いとかいつも思うんですけど、そこから簡単に逃げてしまうと、いろいろなことが丁寧にやれないんじゃないかと思って(中略)よく『アイヌの文化はすばらしい』って言われるんですけど、150年ぐらい前の話をしていて、いや150年前ならあなたの地元にもすばらしいものがあったはずって思います。方言、歌、踊り、郷土芸能ってどこにでもあるので。それぞれの地域がそういうものを探ったら、日本全体としてもうちょっと豊かになるんじゃないかなと思います」
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150年というのは大変に長い時間だ。それは誰もが簡単に遡れるものではないし、遡るために必要な知恵や知識やセンスは、とくに今日の日本では誰もが得られるものではなくなりつつある、というのは前提だと思う(だから単純な日本礼賛の言葉がSNSやメディアに溢れているのだろう)。しかしここでマユンキキさんが言っている「簡単に逃げてしまうと、いろいろなことが丁寧にやれないんじゃないか」という言葉のリアリティーは重い。

本を読むことは迷うことである。だから大きく確かな答えをこの本から得る必要もない。高知から読み取った、多様な「劇場」のかたち。岩手での「余白」。人として本物だと感じさせる、島根における生活者の多層性。北海道で示された、コミュニティーに向き合うことの意味。

この本から、そういったアイデアの断片を切れ切れに受け止めて、心のどこかにつなぎ留めておくことは、旅のなかで経験することに近いのではないか。

又吉直樹さんが訪ねる「地域のライブがおもしろい」WEBムービー(北海道編)

又吉直樹さんが訪ねる「地域のライブがおもしろい」WEBムービー(岩手編)

又吉直樹さんが訪ねる「地域のライブがおもしろい」WEBムービー(高知編)

書籍情報
『地域のライブがおもしろい』

仕様:A5判 オールカラー136ページ
発行:公益社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)
 「JAPAN LIVE YELL project 」事務局

Web公開日:2023年1月31日(火)
https://jlyp.jp/
出力版のフォトブックも配布予定


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