坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第7回の書き手は、『CDジャーナル』誌の元副編集長で、編集者・ライターの原典子。「坂本龍一とピアノ」をテーマに『1996』(1996年)をとりあげ、2018年まで編集で携わった坂本龍一監修の音楽全集『commmons: schola』での仕事を振り返りながら、執筆してもらった。
ピアノやクラシック音楽という原点への回帰を予兆した転換作『1996』
初めて坂本龍一という音楽家を意識したのは1992年のバルセロナオリンピックだったから、私は散開以前のYellow Magic Orchestra(YMO)をリアルタイムではほとんど知らない。ピアノを習っていたものの、ハノンやツェルニーといった練習曲にうんざりしていた15歳の私にとって、坂本は「外の世界」へと窓を開いてくれる存在だった。
本稿の執筆を依頼されたとき、「永遠の一枚」と聞いていちばんに思い浮かんだのは『1996』だった。“1919”以外の全曲がセルフカバーで、“The Last Emperor”“Merry Christmas Mr. Lawrence”“The Sheltering Sky”をはじめ代表曲満載のベスト盤的内容ゆえ、坂本のコアファンにはあまり選ばれないアルバムかもしれない。
けれど、ピアノ、バイオリン、チェロというアコースティックなトリオ編成で自作をアレンジし直し、録音された『1996』は、坂本の歴史においてひとつの大きな転換点であったと思う。
ポスト・クラシカルを先取りしたようなアプローチの先で、音楽全集の監修に着手した2000年代
というのも、シンセサイザーやサンプラーといった電子音を使わず、ほぼ「生音」だけで収録したオリジナルアルバムは、坂本のソロワークにおいて初めてだったからである。“美貌の青空”で交錯するドビュッシーのような和声、“Acceptance (End Credit) -Little Buddha-”のラヴェルを彷彿させる旋律、“1919”や“M.A.Y. in The Backyard”のミニマル的でソリッドなリズム……必要最低限のピアノトリオ(※)という編成で聴くことで、その曲本来の姿が浮かび上がってくる。
※編注:ピアノ、バイオリン、チェロのトリオ編成について、坂本は『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日)のメールインタビューで以下のように答えている。「自分の音楽をシンセや打ち込みなどを使わずに表したいと思った時に、自分ができるのはピアノを弾くことだった。ただ、ピアノは音がどんどん減衰してしまうので、それでは足りないものがあるわけです。そこで、音が減衰しない弦楽器、もともと弦楽器が好きということもありますから、使おうと考えました。チェロとバイオリンがあればほとんどの必要な音域をカバーすることができる。ですから、もっともミニマムな編成を考えたらこのピアノトリオになったんです」――mu-mo「『関ジャム 完全燃SHOW』坂本龍一特集のために回答したアンケートを公開!」より引用(外部サイトを開く)
坂本龍一“美貌の青空”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
坂本龍一“Acceptance (End Credit) -Little Buddha-”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
ブラジル音楽の名手であるジャケス・モレレンバウムのチェロ、クラブミュージックなどでも活動するエヴァートン・ネルソンのバイオリン(※1)、そして坂本のピアノ。クラシックのバックグラウンドの上に多彩な音楽遍歴を重ねてきた3人が織りなす音世界は、ピアノトリオでありながら、ワールドミュージック、ミニマル、テクノ、音響系など、あらゆる要素を内包したものであった。
このアルバムがリリースされたのは、タイトルと同じく1996年。いまから遡って考えると、それは2000年前後からシーンを形成していったポスト・クラシカル(※2)にも通じる概念だったのではないだろうか。
『1996』以降の坂本は2000年にかけて、オーケストラ曲を書き下ろしたり、ピアノソロアルバム『BTTB』(1998年)をリリースしたり、オペラ『LIFE』(1999年)に取り組んだりと、自身の原点であるピアノやクラシック音楽へのアプローチを深めていく。
※編注1:“Rain”“The Sheltering Sky”はデヴィッド・ナディアンが、“Parolibre”“Before Long”、海外リマスター盤収録の“Self Portrait”はバリー・フィンクレアがそれぞれバイオリンを演奏している。なおジャケス・モレレンバウムと坂本龍一は、坂本と同じくドビュッシーに影響を受けたブラジルの音楽家、アントニオ・カルロス・ジョビンのトリビュートアルバム『CASA』(2001年)、『1996』の姉妹作的なトリオ編成のセルフカバー作『THREE』(2012年)でも共演し作品を残している
※編注2:クラシックの楽器によるアコースティックなサウンドとエレクトロニカの手法を融合してつくられた音楽で、特徴としてミニマル・ミュージックの影響、脱ジャンル的なアプローチを定着させたポスト・ロック的な世界観を引き継いでいる点などが挙げられる。本稿の筆者、原典子が執筆したONTOMO「ポスト・ロックから入るポスト・クラシカル入門——アイスランドで交差するビョークやヨハン・ヨハンソンたち」参照(外部サイトを開く)
「Back To The Basic」の頭文字をとった坂本龍一のアルバム『BTTB』を聴く(Apple Musicはこちら)
さらに21世紀に入ってからは、社会的な発言も含め、より広く世界と音楽を見つめるようになるわけだが、その集大成といえる仕事が、自身で監修を務める音楽全集『commmons: schola』である。その頃、音楽雑誌の編集部にいた私は、この『commmons: schola』のインタビューで初めて坂本に会う機会を得た。「普通だったら一緒にまとめられてしまうラヴェルとドビュッシー(※1)を1巻ずつに分けたのですね」と話を向けると、坂本は「そうなんだよ!」と目を輝かせて語りだした。
たしかにクラシック16巻+非クラシック14巻の全30巻で構成される全集において、ラヴェルとドビュッシーを分けるのはバランスが悪い(※2)。けれど、そこに坂本のこだわりがあった。それから間もなく声がかかり、この全集の編集スタッフのひとりとして4年ほど仕事をご一緒させていただいた経験は、私の人生における宝になっている。
※編注1:語りおろしの自伝『音楽は自由にする』(2009年、新潮社)で坂本は、ドビュッシーと出会った中学2年生の頃を振り返り、「あまりに夢中になってドビュッシーに共感して、自我が溶け合ってくるというか、もうずっと昔に死んでしまっているドビュッシーのことが自分のように思えてきた。自分はドビュッシーの生まれ変わりのような気がしたんです」と明かしている。従来の西洋音楽にあったキーとメロディーの緊密な関係を解体し、ジャズのハーモニーや映画音楽、アントニオ・カルロス・ジョビンに至るまで、時代と空間を超えてその後の音楽に影響を与え、「20世紀音楽の父」とも評されるドビュッシーに対して坂本は、バッハと並び、人生で一番影響を受けた音楽家と『commmons: schola』の講義動画で語っている
※編注2:全30巻の全集で、同じ「印象主義音楽」で括られがちなラヴェルとドビュッシーをあえて分けたのは坂本の「独断と偏見」で、以下の講義動画でも「(全30巻に対して)随分な比重を占めてしまっています」と言及している。両者に対する深い思い入れとも関係があるのか、坂本とドビュッシーの出会いとなったブダペスト弦楽四重奏団のレコードのもう一面はラヴェルの『弦楽四重奏曲』であった。なお、坂本龍一が自身の葬儀で流すために編集していた全33曲のプレイリスト「funeral」では、ドビュッシーが6曲、ラヴェルが2曲それぞれ選曲されている(Spotifyを開く)
本動画では、『弦楽四重奏曲 ト短調 作品10 第1楽章「活気を持って、きわめて決然として」』を再生し、The BeatlesやThe Rolling Stonesのようなポップスとも、ピアノの稽古で弾いていたモーツァルト、ベートーヴェン、バッハとも違ったとその衝撃を語っている(後編はこちら)
本動画ではラヴェルについて、ドビュッシーと対比させながら解説している。坂本の言葉を借りると「弟分」のラヴェルは、ひと回り年上のドビュッシーを相当意識していたそうで、両者の比較からラヴェルの作家性や人間性を浮かび上がらせるように語られる(後編はこちら)
ブダペスト弦楽四重奏団によるドビュッシー“弦楽四重奏曲 ト短調 作品10 I.Anime et tres decide”を聴く(Apple Musicはこちら)
ブダペスト弦楽四重奏団によるラヴェル“弦楽四重奏曲 ヘ長調 I.Allegro moderato”を聴く(Apple Musicはこちら)
坂本龍一にとって「ピアノ」とはどのような楽器であったか?
『commmons: schola』では浅田彰や小沼純一との鼎談などを通して、坂本の音楽観が語られる。歴史や民俗学、文学、哲学などあらゆる引き出しを開けながら、その音楽の成り立ちや構造を好奇心いっぱいに探っていく姿を見て、「真の知識人」とはこういうものだと思った。残念ながら30巻に到達することなく坂本は世を去ってしまったが、第1巻の『J.S.バッハ』からはじまった「音楽の旅」が、第18巻の『ピアノへの旅』で終わったのは、偶然かもしれないが非常に象徴的だと思う。
「木の板を無理やりねじ曲げ、金属のフレームをはめて、張力が20トンにもおよぶ弦を張る。持ち歩くこともできないし、自分で調律さえできない工業製品」。
ピアノという楽器について、坂本はよくこんなふうに語っていた。世界各地の民族音楽にも深い関心を寄せていた坂本にとって、ピアノは画一化された西洋の規格を押しつける黒い箱のように見えていたのだろう(※1)。しかし同時に、ピアノは坂本の人生でもっとも長い時間をともに過ごした伴侶でもある。『ピアノへの旅』では、そんなピアノに対する愛憎こもごもが語られている。バッハで音楽に目覚めた少年は、ピアノを通して古今東西の音楽に触れ、やがてピアノへと還っていったのだろうか(※2)。
※編注1:『async』(2017年)に関するインタビューで、坂本はピアノという楽器について以下のように語っている。「ピアノというのは近代的に整備された楽器の極致なんですね。近代音楽の考え方の完成形であり、しかも産業革命以降の技術が必要な楽器だったんです(中略)ピアノも、もとをただせば木や鉄鉱石といった自然の〈もの〉でできていて、それらを無理やり人工的に変形している。ピアノの内部を触ったり引っ掻いたりしていると、「こいつらも昔はちゃんと自然の『もの』だったんだな」と強く感じるようになってきたんです」ーー『SWITCH』2017年5月号より(外部サイトを開く)
※編注2:自伝『音楽は自由にする』によると、幼稚園時代にピアノに初めて触れた坂本龍一は小学校入学後、創作楽器の演奏や高校の校歌の作曲や童謡の編曲などを手がけたことで知られる音楽家の徳山寿子のもとでピアノを習いはじめる。坂本はそのレッスンを通じてバッハの魅力に気づかされたと明かしている。また小学5年性のときに「別の先生のところで、作曲をやりなさい」という徳山の勧めから、東京藝術大学名誉教授を務めた作曲家である松本民之助のもとで坂本は作曲を学ぶようになる。練習嫌いで、自身を「ピアニストだと思ったことはない」とさまざまな場所で公言している坂本だが、中学3年まで続けたレッスン、および徳山寿子との出会いがその後の音楽家人生に影響を及ぼしたであろうことが自伝からも窺い知ることができる
『commmons: schola vol.18 ピアノへの旅』のプレイリストを聴く(Apple Musicはこちら)
『1996』のワールドツアーで見た坂本は、ピアノを弾く腕の筋肉が鍛えられ、大きく盛り上がっていた。それに比べ、針のように痩せてしまった晩年、深い皺が刻まれた手を鍵盤に置き、音を鳴らすことが病床の坂本に力を与えていたという。
鍵盤が戻るときにカタッとたてる音、響きが減衰して消える最後の一瞬……坂本が愛したのは、ピアノが奏でる「音楽」ではなく、ノイズも含めた「音」そのものだった。それもまた、ポスト・クラシカルと共通する部分だといえる。坂本の音楽を「ポスト・クラシカル」と呼ぶことはあまりないが、オーラヴル・アルナルズ、ヨハン・ヨハンソン、原摩利彦といったポスト・クラシカルのアーティストの多くから坂本がリスペクトされているのは頷ける。
坂本龍一『12』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)
15歳での出会いから30年あまりにわたり、私にとっての「音楽の先生」だった坂本に心からの感謝を捧げたい。そして坂本によって窓を開いてもらった音楽家たちが、これから先どのような音を奏でていくのか、誰よりも坂本が楽しみにしていることだろう。
坂本龍一『1996』を聴く(Apple Musicはこちら)
- リリース情報
-
坂本龍一
『1996』(CD)
2007年4月4日(水)リリース
価格:2,619円(税込)
1. ゴリラがバナナをくれる日
2. Rain
3. 美貌の青空
4. The Last Emperor
5. 1919
6. Merry Christmas Mr. Lawrence
7. M.A.Y. in The Backyard
8. The Sheltering Sky
9. A Tribute to N.J.P.
10. High Heels (Main Theme)
11. 青猫のトルソ
12. The Wuthering Heights
13. Parolibre
14. Acceptance (End Credit) -Little Buddha-
15. Before Long
16. Bring them home
- プロフィール
-
- 坂本龍一 (さかもと りゅういち)
-
1952年東京生まれ。1978年、『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督作品)で『英国アカデミー賞』を、映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトリッチ監督作品)の音楽では『アカデミーオリジナル音楽作曲賞』、『グラミー賞』ほかを受賞。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。
- フィードバック 98
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-