AIを活用した小説で、第9回日経『星新一賞』優秀賞を受賞した葦沢かもめ。
彼が小説執筆にAIを活用している理由は、自分の執筆手法をAIに模倣させ、最終的に死後も「自分の作品」を作り続けるためだという。
しかし、そうしてつくられた作品は本当に「自分の作品」なのだろうか。AIはただのツールなのか。創作とは一体何なのか――。著作権の問題なども含めて、AI作品の光と闇を赤裸々に語ってもらった。
葦沢かもめのAI活用法とその動機
─はじめに、普段どのようにAIを使って小説を書いているのか教えてください。
葦沢:いろんなケースがあります。アイデア出しやあらすじの作成、本文の執筆、文章の校正など、さまざまなフェーズで利用できるようにしていて、実験をしながら場合に応じてAIを取り入れています。
自分で考えたアイデアをもとにAIを使ってかたちにしていくこともあれば、AIで生成したアイデアから話を膨らませていくこともあります。もちろん、すべてをAIに任せてしまうこともできます。ただ、人間の創作的寄与がなければ著作権が発生しないため、「すべてAI任せ」というつくり方はしないようにしています。
─そもそも、葦沢さんはなぜ小説執筆にAIを活用しているのでしょうか?
葦沢:私は、自分の執筆能力が高くないと思っているんです。自分が満足できるような作品を生きているあいだに書くことは難しいかもしれない、と。しかし、自分の小説の書き方を模倣させたAIをつくることができれば、私の死後もAIが小説を書き続けることで、いつか理想とする作品を書けるようになるかもしれない。そのためにAIを活用しているんです。
─そうまでしてでも小説を書きたいのはなぜですか?
葦沢:根本的な創作の動機は「自分の心の穴を埋めたい」というものです。自分に足りない何かを、物語をつくることで補う感じです。
なので、厳密には小説執筆という手段にはあまり重点を置いていないんですよね。それよりも「何が残るか」ということにこそ意味があると思っています。
その作品は、「自分の作品」といえるのか
─AIを利用することに葛藤を覚えたことはありますか?
葦沢:そうですね……AIをどの程度利用すべきか、というのはつねに悩んでいます。たとえば、最初にテーマだけを与えて、残りのすべてをAIに任せるということも技術的にはできてしまいます。しかし、それはもう自分の作品ではないような気がして、最後にはやはり自分が手を入れたくなるんです。
─どの程度のAI利用であれば自分の作品だと思えるのか、というのは難しい問題ですね。
葦沢:自分がどういう作品をつくりたいのかというビジョンが明確でないと、AIからの提案に対してその採用可否を判断できず、結果的に「AIの作品」になってしまうのかもしれません。鍵となるのは、作品制作時における「制御できている感」なんじゃないかと思っています。それが薄れたとき、自分が創作活動を行なっているという感覚がなくなってしまう。その境界線をずっと探しています。
─意図しない作品を生みだせることがAIの魅力でもありますもんね。しかし、自分の制御下から離れていってしまうと自分の作品とはいえない……。
葦沢:難しいですよね。もしかすると未来には、自分がすべてを制御していなくても、自分の作品だと感じられる日がくるのかもしれません。今はまだAIとの付き合い方についてひたすら試行錯誤しています。
どうすればAI作品は読者に受け入れられるか
─読み手側からしても、どこまでAIの力を借りるかという「境界線」は重要な気がしています。
葦沢:そうですね。実際、「人間が書いたものじゃないと読みたくない」という人も残念ながらいらっしゃいますから。もちろんそのあたりは、読書という行為に何を求めるのかという個々の価値観の問題ですが。
野菜でも有機栽培のものを好む人がいるように、AIを使わずに書かれた小説を好む人がいるのは普通のことだと思っています。私個人としては、そういう人に無理やりAI作品を押し付けるつもりはまったくありません。
─読者への「提示の仕方」の問題かもしれませんね。葦沢さんは、AIを利用した作品はそれを明示すべきだと考えますか?
葦沢:現在の生成AIについては、著作権を侵害してしまう可能性が指摘されているため、どのようにAIを利用したのかを説明する責任があると思います。
ただ、そうした区別が差別を生む可能性もあると懸念しています。AIを利用しているというだけで「悪いもの」とみなされてしまうのは悲しいですからね。
─どのような対策が考えられるでしょうか。
葦沢:具体的に、既存著作物との「類似性」を指摘されるのであれば、それは調査をすべきだと思います。ただし、そのような調査をするのであれば、人間がつくった著作物に対しても同様に行なわれるべきだと思いますが。
感覚的な問題については、今後「生成AIを良いことに使おう」という試みが多くなされ、読み手を満足させるようなAI作品が増えていくことで、少しずつ認められていくのかなと思っています。
良くも悪くも、生成AIと小説は相性が非常に良いので、AIが使われた作品なのかどうかの判別が難しいというのが問題を複雑にしているかもしれませんね。
─なるほど。先入観のみの議論にしないためにも、もう少しAI作品が世に出てくるといいですね。
葦沢:そうですね。そういう意味では、AI作品の投稿を認めている作品投稿サイトの存在は、本当にありがたいです。また、『星新一賞』をはじめ小説のコンテストでもAIを活用した作品の応募を認めるところが増えてきました。そうした場所から新しい創作の芽がどんどん生まれてくるといいなと思います。私自身も、微力ながらAI利用作品を精力的に発表していくとともに、AIを利用するクリエイターが増える手助けをしていきたいです。
「AIと著作権」問題の鍵は、学習データ
─先ほど著作権の話が出ましたが、AI活用がどのように著作権問題とつながっているのか教えてください。
葦沢:問題になるのは、そのAIモデルが何を学習してつくられたものか、という点です。たとえば、ある作家Xさんの作品を集中的に学習したAIモデルがあった場合、そのAIを利用してつくられた作品はXさんっぽい作品になりますよね。画像生成AIの分野ではすでにこうした問題が顕在化してきています。
─葦沢さんとしては、どのような解決方法が良いと考えていますか?
葦沢:個人的には法制化せずとも、著作物データセットの学習ライセンス市場を確立することで解決できる問題だと考えています。開発者がそうしたライセンス市場を利用することで、学習許諾済みの学習データによる生成AIが増えますし、著作権者にも利益が還元されるようになると思います。
─先日、文化庁が「AIと著作権」のセミナーを開催していましたが、その内容についてはどう思いますか?
葦沢:現在の著作権法がわかりやすく説明されていたと思います。司法の判断が必要な部分についても説明されており、信頼できるものだと感じました。先ほどの「ライセンス市場」の話もセミナー内容をもとにしているので、ぜひ皆さんにも見ていただきたいですね。
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ChatGPTの凄さと、学習ツールとしての活用法
─生成AIというとChatGPTの印象が強いですが、その新しさや凄さはどのような点にあるのでしょうか。
葦沢:ChatGPTは私も使っていますが、「論理的に思考しているかのようにみえる」という点が特にすごいと感じます。前身である「GPT-2」では、1つの文だとそれっぽいんですが、それが積み重なったときに論理崩壊が起こります。それに対して最新の「GPT-4」では、ユーザーとの過去の会話の流れも把握しているかのように論理崩壊なく文章をつくり出します。
ゲームのNPCが人間らしく振る舞うように、会話におけるエージェント技術の発展を感じますね。この先どこから意識が生まれ、知性が生まれるのかは依然として謎ですが、AIが人間に近づいてきていると感じます。
─読者の方に、AIのおすすめの使い方をアドバイスするとしたらいかがでしょうか?
葦沢:ChatGPTは物語を書く意欲はあるけれど書けないという人が一歩踏み出すための助けになると思います。最初はAIに考えてもらって、それを参考に自分の文章にしていけばいいんです。ここでChatGPTがこんな風に書いていたから自分はこう書いてみよう、みたいに。
私自身もAIから多くのことを学びました。それこそ「GPT-2」を使っていた頃には、反面教師として「良くない文章とはどのようなものか」というのを体感的に理解できましたし(笑)。
AIは最大公約数的に平均的な文章を生み出します。それだけでももちろん面白いですが、そこからどうはみ出すかを考えるのはもっと面白い。皆さんにも、AIに文章を書かせるのではなく、AIを利用して文章を書いてもらいたいですね。
- プロフィール
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- 葦沢かもめ (あしざわ かもめ)
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東北大学にて生物学を学び、京都大学大学院へ進学。博士(医科学)。現在は民間企業にてデータサイエンティストとして勤務しながら、趣味でAIを使って小説を執筆している。「あなたはそこにいますか?」で第9回日経『星新一賞』優秀賞(図書カード賞)。本作は、AIを利用して執筆した小説として史上初めて入選。その他、かぐやSF第1回最終候補、第2回選外佳作など。SFアンソロジー『新月』に短編掲載予定。作家としての活動のすべてをプログラム化することで、人間の体がなくなったあとも作品を発表し続けることが目標。
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