ドラマ『ノーマル・ピープル』の「親密さ」。生々しい欲望や不安定な心、移ろう人間関係を繊細に描く

日本を含む世界40言語以上で翻訳されているサリー・ルーニーの同名ベストセラー小説を原作としたドラマ『ノーマル・ピープル』が、6月からAmazon Prime Video チャンネル「スターチャンネルEX」で配信されている。

アイルランドを舞台に、若い男女の4年間におよぶ複雑な関係を描く本作は、BBCとHulu、アイルランドのElement Pictures が共同制作。2020年に世界で配信がスタートすると話題を呼び、『エミー賞』や『英国アカデミー賞』(BAFTA)で複数部門にノミネートされたほか、多くの海外メディアで同年の年間ベストドラマの1本に選ばれた。

いまや若手スター俳優となったデイジー・エドガー=ジョーンズとポール・メスカルの名を世界に知らしめた作品でもあり、本作の出演以降、ジョーンズは『ザリガニの鳴くところ』『フレッシュ』(2022年)への出演のほか、キャロル・キングの伝記映画『Beautiful(原題)』への主演も控える。『aftersun/アフターサン』(2022年)で『アカデミー賞』主演男優賞にノミネートされたメスカルは、リドリー・スコット監督『グラディエーター2』に主演することが決定している。

奇しくもコロナ禍に視聴者の心を掴んだドラマ『ノーマル・ピープル』の繊細な魅力を、アンバランスに変化する二人の力関係や、親密なセックスシーン、メンタルヘルスの問題の描写などに焦点を当てながらライター・木津毅が紐解く。

デイジー・エドガー=ジョーンズとポール・メスカルのブレイク作。ひと組の男女の4年におよぶ複雑な関係を見つめる

2020年、1本のアイルランドのドラマが大きな話題となった。批評家から絶賛されただけでなく、実際に作品を観た視聴者から圧倒的な支持を得たのである。有名俳優が出演しているわけでもなく、派手な出来事が起こるわけでもない小さな人間ドラマが多くのひとの心を掴んだのは、何よりもその親密さに理由があった。

『ノーマル・ピープル』はサリー・ルーニーの2018年に発表された同名小説を原作とするミニシリーズドラマで、ひと組の男女の複雑な関係を見つめる作品だ。主演はデイジー・エドガー=ジョーンズとポール・メスカル。それぞれその後『ザリガニの鳴くところ』(2022年)と『aftersun/アフターサン』(2022年)といった話題作に主演することになるが、当時はまだほとんど知られていない新人俳優だった。サリー・ルーニー自らが脚本と制作で参加し、監督は『ルーム』(2015年)のレニー・アブラハムソンと多くのテレビ作品を手がけてきたヘティ・マクドナルドが務めている。30分前後という短い時間のエピソードを丁寧に重ねていくことで、二人の4年間に及ぶ関係の移ろいを見事に描き出した。

物語はアイルランドの郊外の町から始まる。裕福だが問題を抱えた家庭に育ったマリアン(デイジー・エドガー=ジョーンズ)は、高校で優秀ではあるものの周囲に溶けこまず壁をつくっていた。一方のコネル(ポール・メスカル)はゲーリックフットボール(※)部に所属する人気者。校内では接点のない二人だが、コネルの母親がマリアンの家で家事手伝いとして働いていたことからしばしば放課後に顔を合わせていた。次第に惹かれ合った二人は身体を重ねるようになるが、コネルは周囲の目を気にしてマリアンとの関係を秘密にすることにする……。

※ゲーリックフットボール:アイルランド式フットボール

『ノーマル・ピープル』予告編

二人の精神的なつながりも伝える、リアルで親密なセックスシーン

『ノーマル・ピープル』において大きな注目を集めたのはまず、大胆なセックスシーンだ。惹かれ合ったマリアンとコネルは肉体的な関係を結ぶことになるが、初めて二人が身体を重ねる場面では具体的なやり取りが6分にわたって映される。男女どちらのヌードもあり、その後のエピソードでもセックスシーンは物語のなかの二人の関係を示すものとしてたびたび登場する。

特筆すべきは、そのセックスシーンがきわめてリアルであることだ。服が簡単に脱げることはないし、裸のままコンドームを取りに行く過程も描かれる。コネルがマリアンに「もし君がやめたくなったら、すぐやめるから」と明確な合意を得る様子が台詞に入っているのも、綺麗事ではなくむしろ現実的な手順を示すものと言えるだろう。

しかし、だからこそ『ノーマル・ピープル』のセックスシーンは官能的で温かみに満ちている。二人の小さな息遣いの一つひとつや、性的な快楽が次第に高揚していく様をダイレクトに捉えるような撮影。性的な欲求だけでなく、精神的なつながりを表現した主演二人の勇敢さと繊細さを併せ持った演技。ときに言葉以上に二人の関係を密接なものにするセックスは本作で、いたずらに扇情的なものではなく、とても人間的な営みとして自然かつオープンなものとして映されるのである。

『セックス・エデュケーション』などにも参加したインティマシーコーディネーターの存在

『ノーマル・ピープル』はインティマシーコーディネーターの存在を世に知らしめた作品でもある。日本でもその重要性が少しずつ認識されるようになっているインティマシーコーディネーターは、映画やドラマの撮影現場でセックスシーンやヌードシーンをはじめ親密な場面の監修を手がける役職だ。

彼らは演じる俳優の心理面や身体面での安全を守り、監督はじめ演出側の要望やビジョンを実現する。アクションシーンにおけるアクション監督は長らく制作の現場にいた一方で、インティマシーシーンの専門性はこれまであまり重要視されていなかった。だが現場で俳優たちがセックスシーンやヌードシーンで心理的負担を受けた経験が広く知られるようになると、インティマシーコーディネーターの必要性が意識されるようになった。

『ノーマル・ピープル』でインティマシーコーディネーターを務めたイータ・オブライエンは、『セックス・エデュケーション』などの人気作でも同職を担当した人物として知られている。オブライエンは監督やスタッフ、そして何より実際にセックスシーンを演じる俳優と丁寧な対話を繰り返し、また入念なリハーサルによってリアルかつ参加者すべてが安心できるセックスシーンをつくり上げていったという。本作における性描写の豊かさ、美しさ、そして親密さは彼女の貢献によるところが大きいのである。

アンバランスに移りゆく関係性のリアリティと、二人が抱えるメンタルヘルスの問題

本作の魅力はそうした丁寧な身体的表現だけでなく、移りゆくリレーションシップの複雑さを巧みに描いていることにもある。

高校時代、人気者のコネルと孤立しているマリアンの関係にはアンバランスなところがあり、結果的に彼女は深く傷つくことになってしまう。だが大学に入ると経済的に豊かなマリアンが今度は人気者になり、コネルは都会の大学生活に馴染めない。二人の関係性も変化する。家族や友人といった周囲の関係が恋愛にどういった影響を与えるのかを、ある意味で生々しく正直に映し出しているのである。

マリアンとコネルは「永遠の恋人」というわけでもなく、環境の変化とともに近づいたり離れたりを繰り返す。そのなかでそれぞれ別の恋人を持つこともあり、お互いを強く想い合っているはずの二人の関係が安定することはない。そうした点もリレーションシップのリアリティを浮かび上がらせているところのひとつだが、本作はさらに踏みこんで、一対一の関係において心が通じ合うとはどういうことかを探ろうとする。

そこで主題となるのはメンタルヘルスの問題である。物語のなかでマリアンとコネルはそれぞれ内側に自分一人では抱えきれない重荷を背負うことになり、それを互いに理解し分かち合うことでこそ、二人は強く結びつくことになるのである。

マリアンは裕福な家庭で育っているが、母親の彼女に対する態度は冷たく、何より兄からは虐待的な仕打ちを受けている。彼女はそのことで自分をいたわることができず、思いやりのあるコネルにこそ自分を見る目が変わるのではないかと恐れて打ち明けることができない。

そして、マリアンはコネルと別れたのちに自分に対して横暴に振る舞う恋人や、被虐的なセックスに身を任せるようになってしまう。それらはある種の自傷行為だと彼女自身もおそらく気づいているのだが、深いところで自己肯定ができていないため、そうしたトキシックな関係から簡単に抜け出せなくなってしまうのである。

一方のコネルはスポーツ神経のいい人気者だが、実際はシャイで繊細なところのある青年だ。はじめマリアンとの関係を秘密にし続けるのは自分勝手な振る舞いのようだが、裏を返せば周囲の目を過剰に気にしているということでもある。とりわけ高校のときの彼の男友だちは女子を容貌でからかうような連中が多く、そうした(いわゆる)ホモソーシャル的な空間で内心肩身の狭い思いをしていたのかもしれない。大学に入ってからコネルはより控えめになっていき、派手な交友関係を持つマリアンと微妙な距離が生まれることになる。

男性の傷つきやさや繊細さへの丁寧なアプローチ

ドラマの後半、ある事件がきっかけでコネルがうつ状態に陥るエピソードがある。ここが『ノーマル・ピープル』というドラマの核である。コネルはカウンセリングに通い、自分自身を見つめようとするがなかなか症状が回復せず、周囲との関係も悪化させてしまう。そんなときにリモートでの会話で支えになるのがマリアンなのである。そのときの二人は恋人同士ではないのだが、お互いにとって必要な存在としてそこにいる。

男性の傷つきやすさや繊細さは近年ようやく映画やドラマで描かれるようになってきたが、『ノーマル・ピープル』ほど丁寧なアプローチをしたものは、いまだあまり存在しないのではないだろうか。一見、男性社会に溶けこんでいるように見える男性的な外見のコネルのような人物ならなおさらだ。ポール・メスカルは『aftersun/アフターサン』でも内側に精神的な不安定さやもろさを抱えた男性を演じており、いま、そうしたデリケートな男性像をもっとも体現できる俳優の一人だ。

マリアンは自身の傷痕を誰よりも心優しいコネルに見せたことで、彼が弱ったときには支える姿勢を徹底する。つねに危うさを抱え続けた彼女がもっとも芯の強さを示す場面でもあり、メスカルに対するデイジー・エドガー=ジョーンズの凛とした美しさが際立つ。お互いに対するとめどない欲望から始まった二人の関係が、よく深く、分かちがたいものになっていくのだ。

そのシーンでの二人のやり取りがリモートであることも、このドラマが視聴者の胸を打った要因のひとつだったかもしれない。ドラマがはじめに放送されたのはパンデミック初期のことで、家族や恋人や友人に会えない状況にいた人も多かった頃だ。距離としては離れていてもたしかに精神的に支え合っている二人の姿は、見る人の共感を得たにちがいない。マリアンとコネルは長い時間をかけて、セックスに限らない二人だけの親密さを見つけることになるのだ。

たとえ別れても、離れていても、たった一人の大切なひとがいる――というストーリーは、ある意味、古典的なラブストーリーに通じるところだ。ほとんど共通点のなかった二人がどうしようもなく惹かれ合う、という始まり方も王道のロマンスだと言えるだろう。

けれども、『ノーマル・ピープル』はそれをわかりやすくただ綺麗なものとして差し出さない。ここにはリアルなセックス……つまり生々しい欲望があり、破綻した家庭に生まれることの苦しみがあり、微妙な緊張を生む人間関係の困難があり、生活を蝕む精神的な病がある。そうした重くなりうるモチーフを避けず、むしろ細やかに描き出すことで、現代的な作品となった。

マリアンとコネルは人生の苦難を分かち合うことで、お互いにかけがえのない存在になっていく。二人の関係は簡単に定義できないもので、だからこそリレーションシップの不思議さと尊さを呼び起こしている。あらゆる人間関係が希薄になっている現代にこそ、『ノーマル・ピープル』はただ美しい親密さを追い求めたのだ。

作品情報
『ノーマル・ピープル』(全12話)

Amazon Prime Video チャンネル 「スターチャンネルEX」で全話配信


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