A24映画『インスペクション ここで生きる』、16歳で母に捨てられたブラッククィアの実話を監督自ら語る

A24制作の映画『インスペクション ここで生きる』。『ムーンライト』(2016年)や『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2023年)などで知られる気鋭の映画制作会社が新たに見出したのは、16歳から10年間ホームレス生活を経験し、海兵隊に入隊したのち映画監督となったエレガンス・ブラットンだった。

ブラットンの初長編作となった『インスペクション ここで生きる』は、ゲイであることを理由に母親から捨てられたブラックの青年を主人公とした自伝的作品でもある。そんな本作と監督自身について、当事者としてゲイ/クィアカルチャー中心に執筆する木津毅がインタビューした。

母に捨てられたブラッククィアが、軍内部での差別と暴力をくぐり抜けて見つけたもの

ゲイが軍隊に入ったとき、どのような経験をするのか。『インスペクション ここで生きる』は16歳でホームレスとなり、のちに海軍に入隊したエレガンス・ブラットン監督の体験を直接的に反映させた劇映画としての初長編作で、外側からは知ることのできない海兵隊の内幕が描かれたものだ。異性愛規範や「男らしさ」が規律として重視される軍隊で、ゲイが厳しい扱いを受けることは想像に難くない。

加えて、本作で描かれるのが2005年ということもポイントだ。ひとつは、9.11からイラク戦争へと向かうなかで、アメリカ軍内にそれまでと異なるレベルで緊張感が高まっていた時期だった点において。もうひとつは、「Don‘t Ask, Don’t Tell」(以下「DADT」)と呼ばれる政策が軍内で採用されている時代であった点においてである。

「DADT」はその名のとおりゲイやトランスジェンダーであることを軍内で「訊くな、言うな」とした規定のことで、規律を乱すとの軍の言い分によって性的マイノリティは当時軍隊のなかでカミングアウトすることは許されていなかった。1990年代に制定された同法は、差別であるとしてオバマ政権下の2011年に撤廃され、2016年にはトランスジェンダーの禁止もなくなった。

『インスペクション ここで生きる』の主人公であり、ブラットン監督の分身と言えるエリス・フレンチ(ジェレミー・ポープ)は「DADT」法のもとゲイであることを隠して海軍に入隊するが、あることをきっかけにしてセクシュアリティが周囲に知られてしまう。そして、それが原因になって周りの訓練生や教官から暴力的な扱いを受けるようになってしまう……。

ところが本作において興味深いのは、フレンチは過酷な経験をしながらも、同じように厳しい訓練を受けている仲間たちと絆を育くんでいくことだ。さらには、つらい目に遭っているフレンチを気にかけるロサレス教官(ラウル・カスティーヨ)と一対一の親密な関係を結んでいく。そして、ゲイであることで母親から否定されていた自分自身の価値を発見していくことになるのだ。

「DADT」はもちろん、かつてのゲイやトランスジェンダーに対する差別を象徴するものだったが、本作が語るのは、そのなかにあってなお精神的な成長を遂げたひとりのゲイの青年の個人的な体験だ。パーソナルな作品であるからこそ、現実社会の両面性や複雑さが叙情性とともに立ち上がっているのだ。

新人監督を多く発掘してきたA24のもとで初長編を完成させたエレガンス・ブラットン監督に、『インスペクション ここで生きる』の背景について話を訊いた。オープンな語り口のなかで、ひとりのゲイの個人的な物語がアイデンティティを超えて伝わっていくことの興奮を語る姿に胸を打たれたのだった。

「誰でもはみ出し者だったり、家族に拒否されたりした経験はあると思うんです」

―わたし自身ゲイとして多くのゲイ・テーマの映画を観てきましたが、「Don’t Ask, Don’t Tell」時代の軍隊の内側をこれだけリアルに描いたものははじめてでした。個人的な経験をここまで率直に描くのは勇気のいることだったのではないかと思うのですが、本作の反響の大きさをどのように受け止めていますか?

ブラットン:観客の反応については、わたし自身とても興奮していますし、嬉しく思っています。というのも、この映画をつくること自体がわたしにとって癒しのプロセスだったのです。

16歳のときからホームレスで、ゲイで、自分自身に価値がないと感じてきました。そのあと海兵隊に入って、教官に「あなた自身に価値がある」と言われたこと——右にいる人間も左にいる人間も、仲間だと思って守らなければならない義務があるから——に胸を打たれました。命を大切にしているとは言いがたい軍隊で命を大切にすることを学ぶというのは皮肉ですが、そのメッセージによってこれまで生きてこられたという想いがあります。

『インスペクション ここで生きる』トレイラー映像

ブラットン:母親がこの映画を撮る少し前に亡くなったのですが、ガブリエル・ユニオンは母が一番好きな俳優でした。家を出てからは母と話すことはなかったですし、ゲイであるわたしは彼女に拒否され続けたので、ガブリエル・ユニオンをキャスティングしたら母が喜んで電話をくれるだろうと考えたんですね。

だけど母は亡くなってしまって、本当にそのときは心が折れました。ただ、ガブリエルが母を再び蘇らせてくれて、母親との関係との決着をつけることができたという意味で、ガブリエルに感謝しています。

その結果として、わたしはいまこうして日本のメディアからインタビューを受けています。ゲイである自分は価値がないと感じていたのに、自分の真実を伝えることでこのようなことになったというのは……やってみるものだな、と感じます。

ブラットン:わたしに勇気があってこの映画をつくれたのかはわからないのですが、ただ、真実を伝えたかった。そして、拒否されたり無視され続けたりした経験がある人たちにこの映画を観てもらって、あなたたちには価値があるということを伝えたかったのです。その意味では、この映画の目的を遂げることができたと感じています。

―これまでも監督はドキュメンタリー『Pier Kids』(2019年)などでクィアのキッズや人びとの現実を映してきたそうですが、アーティストとしてクィアの人びとの実情をテーマにしたいという気持ちはもともと強かったのでしょうか?

ブラットン:ええ。つねにその気持ちは強かったと思います。ただ、『インスペクション』が世界中で公開されたことにより、クィアでなくても、ブラックでなくても、多くの人びとの共感を得たことを嬉しく感じています。

『Pier Kids』トレイラー映像

ブラットン:アメリカで公開されて1週間後くらいにある人がInstagramを通じてコンタクトしてくれたのですが、彼は海軍にいる白人のストレート男性でした。出生証明書を母のところに取りに行くシーンを観て、彼自身が父親に出生証明書を取りに行ったときのことを思い出したそうです。というのも、父親がすごく厳格な人物で、彼のことを認めてくれていなかったとのことでした。

そんなふうに、自分とアイデンティティの異なる人びとの共感を得たことには感激しました。アーティストとしては、人種やセクシュアリティに関係なく経験を率直に伝えることをわたしは目的としています。誰でもはみ出し者だったり、家族に拒否されたりした経験はあると思うんです。ですので、わたし自身がブラックのクィアであることは一種のスーパーパワーだと信じて、それをもとにして自分のメッセージを伝えることが任務だと感じています。

ありのままのゲイの姿を、ゲイの役者と描く。背景には監督のある願いが

―あなた自身の経験を劇映画にするにあたって主役の存在はとくに重要だったと思うのですが、ジェレミー・ポープがフレンチ役になった決め手はどこにありましたか?

ブラットン:最初は政治的な理由もあったんです。というのも、これまでブラックのゲイが映画のなかでヒーローとして描かれてきたことはあまりないと思います。描かれていたとしても、ゲイではない役者が演じていた。だから、この映画ではそこを打破したいと考えていました。

メインストリームで露出しているゲイのイメージというのはすごく断片的で、ありのままの姿で描かれていることはあまりないと思うんですよ。わたし自身、ビヨンセの振付やカール・ラガーフェルド(※1)、ジェームズ・ボールドウィン(※2)の言葉のなかから自分自身のアイデンティティを見つけ出してきました。

だからわたしは、過去には戻りたくなかった。日々ゲイとして生きていて、そのことを誇りに思っている役者を探していたし、観客にも自分自身がどのように生きていけるかを見出せる像として見てもらいたかったのです。だからジェレミー・ポープをこの役に選びました。

※1:ドイツ出身のファッションデザイナー、写真家。シャネルやフェンディのクリエイティブ・ディレクターを務めるなどモード界を牽引し続けた。2019年逝去

※アメリカ黒人文学の代表的作家で、キング牧師、マルコムXらとともに公民権運動の中心的人物として知られる。2016年に公開されたドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』は、ボールドウィンの未完成原稿をもとにしている(YouTubeを開く

ブラットン:彼自身、役者の経験は素晴らしく、『トニー賞』には2度ノミネートされていますし、『エミー賞』にも『ゴールデングローブ賞』にもノミネートされていますよね。だからまずは役者としての技術という点で、彼に早くからお願いしたいと思っていました。

ただ、1年かけていろいろな役者のオーディションはしてきました。多くのブラックのクィアの役者がすごく興味を持ってアプローチしてくれたのは光栄なことでした。それでも最終的にジェレミーに決めたのは、彼自身が役をすごく理解してくれていたからです。

自らエリス・フレンチという人物の器となってくれたし、そこにわたし自身の経験だけでなくジェレミー自身も反映してくれました。だからフレンチはふたりでつくりあげたキャラクターだと感じています。そのことが可能な俳優だったので、ジェレミーを選びました。

この映画ではフレンチが経験するトラウマと成功の両方を描いていると思うのですが、その両面を引き受けてくれたことにとても感謝しています。それに何より、彼の目ですね。その力に魅了されたので、彼とはぜひまた組みたいと思っています。

「自分自身はただの性的な対象ではない」——軍内部での多様な人間関係から学んだ「自分自身の価値」

―わたしがこの映画で印象的だったのは、フレンチとロサレス教官との関係など、軍隊のなかでも親密さやある種の官能性があるように感じられたことです。これは意識的なものだったのでしょうか? それとも、あなた自身の経験から自然に出てきたものなのでしょうか?

ブラットン:両方ですね。意図的でもあり、自然なことでもありました。海兵隊に入ってわたしが学んだのは、周りは自分とは違う存在ではあるけれど、ともに時間を過ごすことによって多くの共通点が見えてくるということでした。

海兵隊に入ってわたしは自分のことを言い出せずに再びクローゼットに入ってしまったんですけれども、周りを見ていると、ストレートの男性同士でもゲイっぽいところが見えてくるんですよ。シャワーやジムで、お互いの身体について自慢したり褒めあったり……「よお!」なんて言って触れあったりね。「自分よりもゲイっぽいじゃん!」って思いますよ(笑)。

ロサレスがゲイかどうかは映画では描いていないのですが、ひとつ彼について言えるのは、癒しや助けを求めている人に惹かれていくタイプだということです。そのことで、フレンチは自分がいかに癒しを求めていたかに気づいていきます。そのことでロサレスにとってもフレンチと予期せぬ関係になっていくのです。

フレンチにとっては、これまで自分に手を差し伸べてくれた人は身体目的であることがほとんどだったので、セックス目当てでないと誰も自分に近づいてこないと認識していたんですね。だからロサレスがただフレンチを癒すために親密になってくれたことに驚き、彼に惹かれていくことになります。そのことで自分自身がただの性的な対象ではないということを学んでいくわけです。

ブラットン:わたし自身、海兵隊に入ったことによってそれまで知らなったことを周りに教えてもらうことが多かったんですよ。そこにはお互いのリスペクトがあったし、おっしゃるとおり官能性もありました。その境界は非常に曖昧なものだと思うのですが、いずれにしても、自分自身に何かしらの価値があるということを、わたしはそうした経験を通して学んだのです。人生における大きな学びだったので、そこを作品でも描いています。

なぜAnimal Collectiveが音楽を? 劇伴と主題歌に通じる「母からの愛情」というテーマ

―音楽はAnimal Collectiveが担当していますね。少し意外な組みわせのようにも感じましたが、監督にとってはこの映画の音楽はどのような意味がありますか?

ブラットン:まずAnimal Collectiveが手がけてくれたサウンドトラックについてですが、この映画で音楽に求めたのは、フレンチがこの映画で描かれる旅路を通して何か新しい宗教やカルトを探しているイメージを表してくれるものでした。

彼自身、生き延びるために新しい何かを信仰することを求めているからです。何を求めているのかといえば、やはり母親の愛情ですよね。と同時に、自分自身を愛することも求めています。

Animal Collective『The Inspection (Original Motion Picture Soundtrack)』を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

―なるほど。加えて、エンドクレジットでserpentwithfeetの“The Hands”が流れますよね。わたしは彼、つまりジョサイア・ワイズに一度インタビューしたことがあり、そのとき「クィアでいることは自分にとってとても居心地がいいことだ」と話してくれたのが印象的でした。そのため、serpentwithfeetの曲がラストに流れることに、わたしは前向きなフィーリングを感じました。

ブラットン:“The Hands”については、ホモフォビックな母親と息子の複雑な関係をこの曲の歌詞が語っています。「わたしのために闘ってくれた手」、「わたしのことを洗ってくれた手」というふうに。だからわたしはこの歌を、わたし自身の母親との関係と重ねてしまいます。

わたしの母親も、わたしをはじめて愛してくれた人間であると同時に、わたしを完全に拒否した人間でもある。まさにこの歌が語っているとおりです。

serpentwithfeet“The Hands”を聴く

ブラットン:人生というのは複雑で、完全なハッピーエンドはないと思うんですよ。最終的にたどり着くのは、これまで得てきた経験をもとにした勝利だとわたしは考えています。ですから、簡単に幸せは手に入るものではありません。この曲はそういったことも表現しているので、映画の終わりに選びました。

それからこの曲はゴスペル調の曲でもあります。ゴスペルはいろんな音楽の影響を受けているし、わたし自身ゴスペルを聴いて育ったなかで、たくさんの勇気やインスピレーションを得てきました。わたしにとって安心できる場所なんです。

ゴスペルはたくさんの人の声が混ざることで壮大な楽曲ができるもので、それは海兵隊のなかの状況と共通しているようにも思います。いろいろな人が集まって、いろいろな声が上がって、それで結束して軍隊となるという。そうしたことも考えて、この曲を選びましたね。

作品情報
『インスペクション ここで生きる』 2023年8月4日(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開 監督・脚本:エレガンス・ブラットン 出演: ジェレミー・ポープ ガブリエル・ユニオン ラウル・カスティーヨ マコール・ロンバルディ アーロン・ドミンゲス ボキーム・ウッドバイン 配給:ハピネットファントム・スタジオ
プロフィール
エレガンス・ブラットン
エレガンス・ブラットン

1979年生まれ。16歳でホームレス生活となり、そのまま10年過ごした後、米海兵隊に入隊。海兵隊在籍中に映像記録係として映画の制作を開始し、コロンビア大学の理学士(2014年)とニューヨーク大学ティッシュ校大学院映画学科の修士(2019年)の学位を取得。ヴァイスランド・テレビのシリーズ『My House』の企画、および製作総指揮としてテレビ・デビューを果たし、2019年『GLAADメディア賞』最優秀ドキュメンタリー部門にノミネートされた。2021年『フィルム・インディペンデント』トゥルー・ザン・フィクション・スピリット・アワードを受賞。自身の半生を描いた『インスペクション ここで生きる』で長編映画デビューを果たし、「トロント国際映画祭」でプレミア上映され、世界各国の映画祭で絶賛された。



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