大谷能生の著作『〈ツイッター〉にとって美とはなにか SNS以後に「書く」ということ』が11月25日に刊行される。
同書はジャズミュージシャンで批評家の大谷能生が、旧Twitter(現X)をはじめとするSNSやその言語文化について論じた1冊。「なぜ声をそのまま文字にできないのか?」「なぜ炎上は起きてしまうのか?」「なぜSNSで熟議は生まれないのか?」といった問いの答えを探るため、同書では吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を議論の基礎に据える。
第1部では、吉本の主張に沿って、書くことは言葉の「自己表出」性と「指示表出」性とのあいだで自身を引き裂かれる「疎外された労働(カール・マルクス)」であることを確認。ほかにも、菅谷規矩雄、時枝誠記、G・W・F・ヘーゲル、ロラン・バルトらが言及され、論点が提示される。
第2部では、写真、映像文化の黎明期における西洋の言語活動を様々な「指示表出」と「自己表出」のアレンジメントの表れとして分析。ルイス・キャロル、コナン・ドイル、ギュスターヴ・クールベ、エドワール・マネ、フランツ・カフカ、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、ジャック・デリダ、J・L・オースティンを参照しつつ論じる。
第3部では、現代的な日本語が定礎された時代の日本の作家たちについて考察。夏目漱石、正岡子規、石川啄木に触れつつ、『古事記』を「天皇の声」の記録と捉えた本居宣長まで遡り、その『古事記伝』について論じた小林秀雄の「近代性」について、橋本治を参照しつつ考察する。
第4部では、前述された論点から、「『書く』ことと『話す』ことが軋みの音をあげながら交錯する」場としてのTwitterを分析。SNSと「熟議」の関係について論じるキャス・サンスティーンの議論や、トランプ現象、米議事堂襲撃事件などに言及し、吉本の述べる「大衆」を「『書く』ということに携わらない人々」として捉え、「SNSで投稿する人々」に適用することによって、その概念の現在性を明らかにする。
目次など詳細はフィルムアート社の公式サイトをチェックしよう。
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