1994年のデビュー以来「漂流するアメリカ」の姿を描き続け、現代アメリカ映画の最重要作家と評されるケリー・ライカート。2020年の映画祭でお披露目された長編7作目であり、1820年代のアメリカを舞台に、ふたりの男の友情を描いた『ファースト・カウ』がこのたび日本初公開を迎える。同時期には最新作となる『ショーイング・アップ』も限定公開される。
ライカート作品2作を劇場で見ることのできる貴重なタイミングに際し、監督にインタビューを敢行。映画づくりのプロセスを愛する監督の姿勢が垣間見えた会話の模様をお届けする。(CINRA編集部)
不確かで小さな声の震えをすくい上げる、ケリー・ライカートのまなざし
たとえば「この人と話がしたい」「本当はもっとこうしたかった」といった心の底から沸き上がってくるような、しかし打ち明けるには勇気がいるような感情があり、それを相手に伝える瞬間が来るとして、そのときの私の声はどれほど震えているだろう。その声の行く末がどのような結果になったとしても、いつものようにやってくる次の朝には、昨日までと同じ退屈と、しかし自分の中でだけは確かに起こっているほんの少しの変化があるだろう。
ケリー・ライカート監督の映画には、その不確かで微かな声の震えと、小さくとも確かな変化が刻まれている。ときには従来のジャンル映画──犯罪映画や西部劇を鮮やかに解体してみせ、ときにはただ、山間の温泉を目指す旧友ふたりの「なにも起きない」ロードトリップの様子を映す。いずれの作品でも焦点が当てられるのは、大きなドラマではなく、周囲や社会からあぶれた者たちが、なにかを期待し動いてみせたときに起こる小さな心の機微である。
1994年に『リバー・オブ・グラス』で長編デビューを飾り、高い評価を受けながらも、資金や機会に恵まれず次の長編『オールド・ジョイ』(2006年)を完成させるまで12年かかったライカート。日本で本格的な紹介がなされたのも2021年の特集上映『ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ』であり、そのキャリアから考えると、日本でも世界でも正当な評価を受けるまでに時間がかかった作家と言える。
しかし公私ともに親しいトッド・ヘインズをはじめ、ポン・ジュノ、ジム・ジャームッシュらが称賛、日本でも濱口竜介監督が「2021年に観た映画」のベストリストに『ファースト・カウ』を含むライカートの3作品を選出し、三宅唱監督もファンであることを公言するなど、その評価は年々高まる一方だ。
『ファースト・カウ』(2021年)は、1820年代、西部開拓時代のアメリカ・オレゴンを舞台に、ボストンからはるばるやってきた料理人クッキー(ジョン・マガロ)と、未開の地での成功を求めてたどり着いた中国人移民キング・ルー(オリオン・リー)の友情の物語だ。周囲の開拓者たちからあぶれたふたりは、なんとか生き残るため、そして成功を掴むため、その地に初めてやってきた一頭しかいない牛からミルクを盗み、ドーナツをつくって富を得ようとする。
「二人」という小さな単位の会話を丁寧に描くとてもパーソナルな物語でありながら、当時の富の象徴である牛のミルクや甘く美味しい食べ物というモチーフから、資本主義の大きな無情さまでもを、美しい風景と対比させながら描く。
なぜライカートの作品が、いま私たちの心をこれほどまでに揺さぶるのか? それは、登場人物の状況が私たち自身の人生とは似ても似つかぬものでありながらも、いまこの画面には私が映されていると認めざるを得ないから。1820年代のアメリカでドーナツをつくる男たちの人生は私のものとは明らかに異なるが、光のない夜に抱える不安も、そんな夜をともに過ごしてくれる友人のかけがえのなさも、私たちにはたしかに覚えがあるはずだ。
そんな『ファースト・カウ』と、同じくA24が北米配給に付いた最新作『ショーイング・アップ』(2022年)も同時期に日本で上映されるこのタイミングで、短い時間ではあるが監督に話を聞くことができた。「大好きだ」という周囲の人々との関係性について、そして映画製作への向き合い方について。
インタビュー中、Zoomに映る私の部屋には、ライカートの住むポートランドにあるスーパーのエコバッグがかけられていた。それを目にした彼女は、そのスーパーの店舗の壁に描かれた絵は『ショーイング・アップ』でも美術作品を提供したアーティストのものであることを語り、ここでこうしてつながれる世界の小ささを嬉しそうに笑った。そうやって小さくとも確かで感情的なつながりを探すライカートの語りは、彼女の映画に横たわる親密さと不可分であるように思える。小さな声の震えをすくい上げるライカートのまなざしは、いま、間違いなく世界に必要とされている。
信頼する長年のコラボレーターたちとともに映画をつくり続ける。その喜びと困難さ
─「この作品のテーマのひとつは友情である」とライカート監督が語る通り、『ファースト・カウ』は、ふたりの人間が出会い、うまくことが進むかわからないことへの怯えを持ちながら、それでも関係性を築いていこうとするさまが感動的でした。そして監督のほかの映画でも、それを感じることがあります。
ライカート:キング・ルーとクッキーは、最初はお互いの利益のために関係を築きます。互いを必要としていたのです。彼らはどちらも周囲からあぶれた者であり、生きるための資源を共有し合えば、より安全でいられると思ったからです。キング・ルーにはクッキーを「利用しよう」という考えもあったかもしれません。しかしだんだんと、真の友情が彼らを結びつけていきます。
この映画の脚本はジョナサン・レイモンドの小説『The Half-Life』を翻案したものです。『The Half-Life』は40年にもわたる物語なのですが、キング・ルーは小説に出てくるふたりの人物を融合させたものであり、さらに演じたオリオン・リーとも話し合ってできたキャラクターです。なので、この作品の物語は私の映画の特徴というよりは、ジョナサン・レイモンドやオリオン・リーとの協働によって生まれたものと言えるでしょう。
─監督は多くのコラボレーターと継続的に複数の作品を撮っていますね。そうした製作面での協働や「継続的な関係性の構築」を重要視されていることが、作品にも現れている気がします。
ライカート:たしかに撮影監督のクリストファー・ブローヴェルト(※)とはこれまで5本の映画を撮りましたし、プロデューサーやアシスタントディレクターも、長年協働するチームです。
たとえば『オールド・ジョイ』からずっと一緒に映画をつくっているプロデューサーのニール・コップと仕事をし始めたとき、彼はまだ27歳でした。それがいまや彼は2児の父。彼・彼女らとはいつも会話をしているから、積み上げてきたものが作品ごとにリセットされないというのはありがたいことです。誰がどのように仕事に取り組むかを知っていて、互いのリズムが染み付いているんです。
※クリストファー・ブローヴェルト:『ミークス・カットオフ』(2010年)以降すべてのライカート作品の撮影を担当。その他の代表作に『mid90s ミッドナインティーズ』(2018年)、『May December(原題)』(2023年)
『ファースト・カウ』予告編
「私たちのチームは互いのことが大好きで、いつもともに時間を過ごします」
─『ショーイング・アップ』ではそうしたクリエイターやアーティストたちの協働の様子、そしてコミュニティのあり方の難しさと、その先にある喜びが描かれていました。
ライカート:もちろん、同じチームで製作を続けるのは、ときに簡単でないこともあります。『ファースト・カウ』の原作者であるジョナサン・レイモンドはとても親しい友人で、ご近所さんでもありますが、だからといっていつも物事が簡単に進むわけではない。映画製作はストレスフルな状況になることもありますし、人と人との関係性はつねに変化するものだから。
長年協働してきた人々のなかには、子どもが産まれたり、このような小さな規模の映画で仕事をするのが難しくなったり、もしくは亡くなってしまったり、さまざまな理由で道を分かった人がいます。それでも、そうしたときにまた新たな人々との出会いがやってきて、新鮮なエネルギーをもたらしてくれます。それももちろん、一緒に仕事をしてみないとわからないものですが。
『ショーイング・アップ』はケリー・ライカート監督の最新作。12月22日から劇場で限定公開、2024年1月26日からU-NEXTで独占配信される。本作でも撮影はクリストファー・ブローヴェルトが担当
ライカート:私たちのチームは互いのことが大好きで、いつもともに時間を過ごしています。特に私にとって、撮影監督のクリストファー・ブローヴェルトと出会えたことは幸運でした。最も重要なパートナーであり、とても仕事がしやすい人です。だから私は、「彼はそんなに良くないよ」なんて周りに言いふらして、彼がほかの仕事で忙しくなりすぎないようにしているんです(笑)。
男ふたりの友情と「牛」をめぐる物語。『ファースト・カウ』が小説から映画になるまで
─『ファースト・カウ』では、そういったコラボレーターたちと、どのような撮影準備を行なったのでしょうか。
ライカート:まず、ヨーロッパで別の映画を撮る計画がありました。特に物語の時代設定を決めていたわけではないのですが、1800年代前半にしたいと思っていて、そのためにスロバキアの小さな村を訪れたりしていました。しかし、その計画は流れ、どういうわけかこの『ファースト・カウ』の話が急に具体化したのです。
『ファースト・カウ』については原作者のジョナサンと何年もずっと話していました。小説は何十年にもわたる話で、さらに現代と1800年代を行き来するような構成の、大きな物語です。どうやって映画化すればいいのだろう? と。そこでまず原作のなかの、1820年代のパートに絞って案を練り始めました。ジョナサンが小説にはない「牛」のアイデアを持ち出してくれて、それが大きな助けになりました。
ライカート:そうやって妙に、そしていきなり『ファースト・カウ』の話が具体化してきたのですが、前述のヨーロッパで撮影するつもりだった1800年代の映画のためのリサーチを何年も行なっていたので、いくつかの画家の絵画だったり、たくさんのリファレンスがすでに頭のなかにありました。それらを『ファースト・カウ』に持ち込んだのです。色使いやトーン、映画のルックなど、活かせる要素がたくさんあると考えました。
もちろん新たに本作のために行なわなければならないリサーチもたくさんあって、プロダクションデザイナーや衣装デザイナーたちと車に乗りこみ、さまざまな場所に行きました。みんな近くに住んでいるので、一緒に食事を囲んでリサーチの成果を共有し合ったり。
現実の不確かな要素を、映画に持ち込みたい。森の「ゆうれい小屋」で吹いた風
─監督の作品はいつも撮影が素晴らしく、その場所や風景が持つ力が画面にしっかりと刻まれているように思います。本作はピーター・ハットン(※)に捧げられていますが、監督の作品も彼の映画と同じように、「風景が語りかけてくる」と感じることが多々あります。映画を撮るにあたってどのようにその場所や風景と向き合うのか、教えてください。
※ピーター・ハットン:映画監督。各地の風景をサイレント形式で映す実験映画などで知られる。2016年に逝去
ライカート:作品にもよりますが、たとえば『ショーイング・アップ』では、美術大学という具体的な舞台が先にあり、そのロケーションに沿ってストーリーを書きました。一方で『ファースト・カウ』ではロケーション決定の前にまず、撮影のクリスや、ロケーション選定を担ったジャネット・ワイス(※)に対して、ビジュアル面で参考になるような本を共有するところから始めました。
※ジャネット・ワイス:バンドQuasi、元Sleater-Kinneyのドラマーで、監督と同じくポートランドを拠点に活動
物語上で特定のロケーションが定められていない場合には、流れに任せるように撮影場所を決めてゆきます。出会った場所に対して、私たちのほうからアジャストしていくように。ときにはロケーション決定に同行してくれるアシスタントディレクターのクリス・キャロルや、撮影のクリス・ブローヴェルトを登場人物に見立て、その場所で彼らの写真を撮ってイメージを膨らませます。その場所でただ時間を過ごし、撮影リストを決めていきます。
ライカート:しかし実際に撮影が始まると、事前に用意した写真やリストを見返すことはしません。実際に演じてくれる俳優たちの動きや、その日の様子を見たいからです。事前に考えていたことを記憶にとどめつつ、本番では雨が降っていたり、俳優たちの演技がなにかをもたらしてくれたり、あるいは動物がいる場合には予測できない動きをしたり……その場にあるさまざまな要素をミックスすることになります。
たとえば『ファースト・カウ』の後半、クッキーが現地民の小屋──撮影中、私たちはあそこを「ゆうれい小屋」と呼んでいたのですが──に匿われるシーン、俳優が「空気に漂うエネルギーを動かす」ような演技をしたんです。そしてその途端、とても大きな風が吹いた、ということがありました。あっけにとられた瞬間でした。
事前に用意したプランのことは念頭に置きつつ、しかし『ファースト・カウ』の舞台になったような森にいると、そこには生き物たちがいて、風が吹く。現実の不確かな要素を、映画に持ち込みたいと思うのです。かといって時間も限られているので即興で撮るわけではないですし、もちろん現場での突発的な要素すべてを受け入れたいと思っているわけではないですが。劇中のキング・ルーならそうした即興的な要素を好むかもしれないけど(笑)。
「リサーチや準備をひとりで永遠にやっていられます。本当にただそのプロセスが好きなのです」
─たとえば『ウェンディ&ルーシー』(2008年)ではひとつのロケーションを決めるのに6か月間全米中を車で回ったとのことですが、監督は映画を撮るにあたり、準備やリサーチに途方もない時間をかけられますね。しかしいまのお話を聞くと、その事前準備に縛られすぎてもいない。時間をかけ思案し、どちらかというとその「プロセス」を重要視することが監督の映画からは感じられます。
ライカート:『ファースト・カウ』ではそのリサーチを本当に完成直前まで重ねました。私はそういったプロセスが本当に好きです。映画製作においてもっともお金のかからない工程でもありますし、その事前の準備が豊かであるほど、本番の撮影が迅速に行なえます。ほかの人々が資金集めなどに奔走してくれて、映画完成まで時間がかかるときも、そのあいだにリサーチや準備をひとりで永遠にやっていられます。なぜだろう……本当にただそのプロセスが好きなのです。
人物がどう身体を動かすか。日常の雑務に対する向き合い方が、その人自身を雄弁に語る
─クッキーがホウキで家を掃除するシークエンスの美しさに驚愕しました。いまのリサーチや準備のプロセスの話にもつながるかもしれませんが、ほかの作品でも、監督は周りにある日常の労働や雑務を描くことをおろそかにしません。日常のそうしたあれこれが人生の枷になりうることも、逆に創造的な美しさに繋がりうることも、両方描いています。
ライカート:映画の登場人物を知ることとは、その人がどのように身体を動かすか、物事にどのようなアプローチをとるのかを考えることです。そのキャラクターが何を感じているのかを、言葉にせずとも観客に伝わるようにすることを考えます。
1800年代に暮らす人々にはやるべきことがとにかく多かったはずで、心休まらぬ毎日だったと思います。夜は真っ暗ですから、限られた日中の時間でやりくりしなければならない。そんな状況にいた人々がどのように身体を動かすかを掴みたくて、あのシーンの撮影では俳優たちが動作を重ねる様子を見つめ、ただカメラを回し続けたのです。それを監督として見ているのは心躍ることで、観客にもその良さが伝わっているといいな、と思います。日常の雑務に対する向き合い方というのは、その人自身をとても雄弁に語るものですから。
- 作品情報
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『ファースト・カウ』
2023年12月22日(金)からヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開
監督:ケリー・ライカート
脚本:ケリー・ライカート、ジョナサン・レイモンド
出演:
ジョン・マガロ、オリオン・リー
トビー・ジョーンズ
配給:東京テアトル、ロングライド
- プロフィール
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- ケリー・ライカート
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1964年、アメリカ・フロリダ州生まれ。幼い頃から写真に興味を持ち、捜査官である父が犯罪現場を撮影するために使用していたカメラを使い始める。その後、マサチューセッツ州ボストンにあるSchool of the Museum of Fine Arts に入学し、博士号を取得。ニューヨークに移り、映画の美術を担当する。ハル・ハートリー監督『アンビリーバブル・トゥルース』(1989)、トッド・ヘインズ監督『ポイズン』(1991)では美術のほか一部、出演もしている。1994年『リバー・オブ・グラス』で長編監督デビュー。デビュー作ながらサンダンス映画祭で絶賛され、『インディペンデント・スピリット賞』では監督賞はじめ4つの賞にノミネートされた。その後に発表した長編映画『オールド・ジョイ』(2006)、『ウェンディ&ルーシー』(2008)、『ミークス・カットオフ』(2010)、『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(2013)、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016)は、いずれも世界中の映画祭や批評家の間で高い評価を受けており、最新作『ショーイング・アップ』(2022)は、『第75回カンヌ国際映画祭』のコンペティション部門に正式出品された。
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