『銭湯図解』の塩谷歩波が語る「こわい」との適切な距離感。公開インタビューをレポート

『ビッグデ絵タ展』のイベントとして、塩谷歩波の公開インタビューが8月10日に開催された。

同展は、人それぞれが感じる「こわい」ことを絵で表現し、世の中に伝えるアートプロジェクト「ビッグデ絵タ」の参加作品を展示するもの。

塩谷はイラストシリーズ『銭湯図解』などで知られる画家で、設計事務所を休職中に銭湯に出会い、銭湯の番頭兼イラストレーターを経て独立したというキャリアの持ち主だ。

公開インタビューでは、感情を表に出すことの意味や休職を経て感じたこと、メンタルの不調との向き合いかた、今後チャレンジしたいことについて話を聞いた。

ネガティブな感情は悪い?塩谷が考える、感情を出す意味

─ビッグデ絵タプロジェクトは「こわい」を共有する優しいプロジェクトである反面、自分の弱い部分を表に出すこわさもあると感じています。プロジェクトにご参画いただいた理由を教えてください。

塩谷:”絵を観る人にどんな気持ちを与えるか"を考えたご依頼はとても珍しく、すごく優しくて素敵だなというふうに思い、すぐに引き受けました。

「ネガティブな感情は悪い」と考える人は多いと思いますが、私は出し方次第だと思っています。映画や小説だって、主人公の暗い気持ちが消化されるところに心打たれるし、消化されない名作もいっぱいあります。

だから、悪い感情がすべて悪になっちゃうと、悪い感情を外にも出すことができなくてますますこわがりが生まれる時代になるんじゃないかなと思うんです。

─過去には「弱い部分も含めて感情を表に出した方がいい結果になる」というようなお話もされていましたが、感情を出すことについて塩谷さんはどう考えていますか?

塩谷:感情もいろんな種類があるんだと思います。出していい感情と出しちゃいけない感情があって、その基準は見る人にとって負担になるかどうかだと思います。

─「見る人にとって負担になる」というのはどのような状況でしょうか?

塩谷:例えば最近、めちゃくちゃ腹が立ったことを、Instagramの親しい友達向けに書いたんです。その後友達が話をゆっくり聞いてくれたんですが、私の怒りがすごすぎて、冷静になってから考えると重いなと思って。もし自分が受け取る人だったらと想像して、それが重く感じるなら「負担になる」ということだと思っています。

SNSって匿名だとなんでも書けるし、私も経験があるので見境なくなんでも書いてしまう気持ちはよくわかります。でもあるとき、友達に「それは排泄だ」って言われてグサっと刺さりました。聞いてる人と自分を置き換えてみて、「重っ」って思わないかは一つのラインかもしれません。

「こわい」との適切な付き合いかた

─ビッグデ絵タプロジェクトで「こわい」に向き合ったことで、新しい発見はありましたか?

塩谷:今回書いた「映画館がこわい」は自分の「こわい」を解消するためではなく、映画館がこわいって思ってる人の視野を変えたいという気持ちで描きました。ただ、自分のなかのこわさとの付き合い方は、より一層理解が深まったと思います。

塩谷:こわさは俯瞰的に見るっていうのも大事ですが、そもそもこわいものと向き合わなくてもいいと思います。こわいものに対して狭くなった視野を一旦取り外して、意外と小さいんだと感じたあとに、距離を取るのが大事なんです。

こわいものを見るのではなく、「はいはいこわい」って思うくらいが適切な距離感なんです。今回の絵でも私はこわいものの大きさを変えるお手伝いをしただけで、その後は、向き合わなくていいと思うんですね。

─今は社会では、こわいものとも向き合えという風潮も強く感じます。

塩谷:弱さに向き合う準備がある人は向き合えばいいと思いますが、8割がたの人はその準備がないと思うんです。みんな忙しかったり孤独だったり、そんな場合じゃない環境の人もいると思うんですよ。

みんながみんなそれをやる必要はなくて、逃げたって全然いいと思う。とりあえずその環境から脱して、その視野が広まって、大丈夫かなって思えるようになってからやればいい話だと思います。もちろんやらなくてもいいし。

『銭湯図解』を描いたことで得たもの

─エッセイ本『湯あがりみたいに、ホッとして』では塩谷さんの休職時のエピソードなども赤裸々に書かれていました。自分の感情を絵ではなくテキストで表現することは、塩谷さんにとってはどういった意味がありましたか?

塩谷:休職にまつわる自分の感情をどうにかしたいというより、休職している人や休職した人、自分の職歴に自信が持てず、この先どうしたらいいかわからない人が安心してくれたらいいなと思って書きました。

私が休職しているときには、休職したあとのキャリアを積み上げていく人がいなかったんです。休職したらその後は全部駄目になってしまうと思っていたので、当時の自分に対してのメッセージとして、この本があると思っています。

─サウナコラムでは多くの方が「ととのい」など感覚的なことについて書かれる印象ですが、塩谷さんの『銭湯図解』はアイソメトリックという俯瞰的な建築図法が使われています。銭湯のどのような良さを伝えるために、この図法を使ったのでしょうか?

塩谷:そもそも銭湯の絵を描こうと思ったきっかけは、同じ建築学科で休職していた友達に、銭湯という場所について伝えるためでした。なので、最初に建築ありきだったんです。

アイソメトリックという描き方は図法に則って機械的に書くので描き方としてはシンプルなんです。建物をリアルに俯瞰的に見えるようになったのは最近ですね。

─銭湯の絵を書いていったことで、新しいものの見方が増えたのでしょうか?

塩谷:絵によって視点が変わったことよりも、メディアに出るようになったことや絵の仕事に就いたことの方が自分への影響は大きかったです。

自分はクリエイターになれるとは思ってなくて、もっとつまらない人生だと思ってたんです。今回のプロジェクトにもつながるのですが、ものすごくこわがりなんです。周りに絵が上手い人がいるなら自分も頑張ればいいのに、頑張る勇気がない。

努力しても報われないんじゃないかって気づいたらめちゃくちゃ嫌じゃないですか。才能がないってことわかってしまうんで。それすらもこわくて、努力の仕方がわからないっていう時期が結構長かったんです。

「こわさを感じなくして」転職を決断

─大学で建築学科に進まれたのは、クリエイターになるための道としてではなかったのでしょうか?

塩谷:建築ってちょっと違うんですよね。完全な芸術の分野じゃなくて理系でもあるし、文系でもあるし、いろいろな要素が絡み合ってできている学問なんです。

デザインの才能やセンスがなかったとしても、ほかのことでカバーできるので、努力でなれるクリエイターなんじゃないかなと思います。大前提として”建築が好き”という気持ちが根底にありますが、食いっぱぐれないようにという打算的な目線もあって建築学科に入りました。

─絵の世界で食べていこうと思ったきっかけはなんなのでしょうか?

塩谷:決断したのは転職の時だと思います。大学院修了後、設計事務所に入り建築家になろうと思っていたのですが、体調を崩して休職しているときに絵がバズり、その時期に小杉湯の人と出会って転職したんです。

休職期間を終える前に、設計事務所に復職してこの先も建築の分野でやっていくか、番頭兼イラストレーターというふわふわした肩書きになるかの二択でクリエイターの道を選んだのですが、そのときはめちゃくちゃこわかったです。だから、そのときはこわさを感じなくして決断しました。

─自分のこわがりな感性をオフにしてアクセルを踏む感じですね。そこでしっかりとアクセルを踏めたのがすごいと思います。

塩谷:その決断があったからこそいまここにいるわけなので、結果的には良かったと思う反面、かなりダメージもあります。当時うつの気があるなかでアクセルをベタ踏みしたので反動でハイな状態になってしまいました。

当時新聞やラジオ、テレビでたくさん取材していただいたんですが、ハイな状態で自分のことを話していく内に、オフの自分との差がすごく開いてしまって本当の自分らしさがわからなくなった時がありました。それは感情をオフにした結果、自分の気持ちに蓋をした結果だと思うんです。

対話を通して気づく「自分の感情」

─その状態からはどのように脱したのでしょうか?

塩谷:ずっと話を聞いてくれる友達がいて、自分が本当に感じていた気持ちに気づき、これまで自分が感情を感じないまま走っていたことがだんだんわかってきました。

─対話を通して自分を見つめ直したんですね。

塩谷:人をつくるのは人でしかないんだと思います。自分ひとりで、自分を見つめ直すのは難しいですね。

─感情の波が少ない状態を維持するために意識していることはありますか?

塩谷:対話することですね。自分自身と、もちろん友達と。自分自身は、お風呂上がりに”今日何があった?””どんな気持ちだった?”と気持ちを振り返る時間を作っています。あと規則正しい健康な生活も大事だと思います。

─女性の場合、生理前の心身の不調でメンタルの舵取りに悩む方も多いですが、塩谷さんはどう対処されていますか?

塩谷:体の不調によるものは抗いようがないので、その期間中は仕事はこれをやるとか、この友達とは会うとか、ここには行かないとかいうルールを決めています。

気持ちのバランスが取れるようになったのも自分でルールをつくるようになったからかもしれません。16時以降はカフェインを摂らない、お金の使い方を振り返る、酒を飲みすぎないなど、細かく決めています。

塩谷歩波という名前が1人歩きするこわさ

─急激に銭湯図解が世間に広がったときはどんな気持ちでしたか?また、自分のクリエイターキャリアのなかでどのような意味があると思いますか?

塩谷:当時は常に興奮してる感覚でした。毎日新鮮で楽しい気分だったけど同時にずっと追いかけられてるような気持ちが強くて、嬉しい反面少しこわかったです。

あの急激さはキャリアを作るうえではとても大切だし、それでいまも食べてはいけているので良かったなと思うんですけれども、気持ちが追いついてない部分もありました。

もともと自分がクリエイターとしてやっていけると思ってなかったのに、どんどん塩谷歩波という名前が1人歩きしているような感じはこわかったです。

─銭湯図解が広がったあと、自分のキャリアの歩み方についてはどう考えられましたか?

塩谷:ちょうど考えなければいけないタイミングが来ていると思っています。いまもいろいろなお仕事のお話をいただいていますが、少し落ち着いているので、この先どうするのかをリアルに考えてます。

いまは本づくりのお話が何件か来ていて、2〜3年のうちに3、4冊出ると思いますが、書きたいものがたくさんあって、まだ足りないと感じていています。画家はオリジナルで自分の絵を描いて売るのが基本だと思うんですが、私の場合は本を出して販売することが創作活動なんじゃないかなと。

絵を描くだけでなく、文章や写真を撮ることも好きなので、今後は本づくりをいっぱいやれたらいいなと思っています。

─塩谷さんにとって、アウトプットの形式は本が一番なのでしょうか?

塩谷:絵を描いて販売しても所有できる人は1人しかいませんが、本にすると何万人もの人に届きます。自分の「好きなものを届けたい」という気持ちから考えると、今は本という形がぴったりかなと思っています。

塩谷が考える「自分の絵がもつ役割」

─最後に、今後チャレンジしたいことを教えてください。

塩谷:本づくりは楽しいのでもちろんやりたいですし、絵自体にもすごく愛着があるので、より面倒くさくて大きい建物を描きたいです。面倒くさい建物を嫌だなと思いながら描いているときが一番楽しいですね。結局は描いてる時間が一番好きなので、それが長ければ長いほどいいですね。

あと、『銭湯図解』を始めたのは純粋に銭湯の良さを広めたいという気持ちからでしたが、最近はこれからなくなってしまう建物を描き残してほしいっていうご依頼もいただくようになりました。

写真や文章でも建物を記録することはできますが、その場所の記憶やそこでの人の振る舞いを記録できるのは自分の絵の強みだと感じています。東京には銭湯や純喫茶以外にも絵に残したい建物がいろいろあるので、それらを残す活動もやっていきたいです。



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