メイン画像:© 2023 KGB Films JG Ltd
9月20日(金)に劇場公開を迎える『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』は、間違いなくほかのファッションドキュメンタリー映画とは一線を画す。
主役はイギリスのファッションデザイナーであるジョン・ガリアーノ。現在は「メゾン・マルジェラ」のクリエイティブディレクターを担い、印象的なコレクションを次々と発表。天才デザイナーの名をほしいままにしている。
「マルジェラ」に来る以前、ガリアーノは「ある事件」ですべてを失い失脚した。この映画は、その一部始終にスポットライトを当て、ガリアーノ本人に「過去の過ち」について切り込む。「ファッション映画の枠を超えた」ともいえる本作は、どんな意図と経緯のもとでつくられたのか。取材に応えた監督のケヴィン・マクドナルドに、ライター・南のえみが訊く。
『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』予告篇
「ポスト宗教社会」における「赦し」とは?監督が語る本作の出発点
有名人が社会規範に背いたとき、何が起こるのか。当人たちはその経験にどう対処し、社会からどう許しを請うのか。
2010年代後半から耳にするようになった「キャンセルカルチャー」という言葉。社会的に好ましくない言動をした個人・組織をSNSなどで糾弾し、不買運動を起こしたり、ボイコットしたりすることで、社会から排除しようとする動きを指す。
「罪を犯して刑務所に入ったとしても、刑を終えたら出所できます。誰かを殺しても、20年で出てくる人がいます。私たちはどうやって誰かを赦すのか。そんな問いがこの映画の出発点です」。そう話すのは、監督のケヴィン・マクドナルドだ。
過去に、ミュンヘンオリンピック事件を扱ったドキュメンタリー『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』(1999年)で、『アカデミー賞』長編ドキュメンタリー部門を受賞。『運命を分けたザイル』(2003年)では、アンデスで遭難した2人の登山家の体験を、本人たちの証言と再現映像で蘇らせて『英国アカデミー賞』を受賞した。
そんな実力派監督が注目したのが、ファッション界の「革命児」とも称されているジョン・ガリアーノである。ガリアーノは、1995年に「ジバンシィ」、1996年に「クリスチャン・ディオール」と、世界的ブランドのデザイナーに次々と抜擢され、ファッション界の至宝と称えられていた。しかし絶頂期だった2011年2月、反ユダヤ主義的暴言を吐く動画が拡散。その後有罪となり、「クリスチャン・ディオール」および自身のブランド「ジョン・ガリアーノ」を解雇され、文字どおり「すべて」を失った。事件から13年たったいま、『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』では、ガリアーノ本人がカメラの前に座り、過去を振り返る。
マクドナルド監督が最初にキャンセルカルチャーに関心を寄せたのは、パンデミックの最中だったという。自身が身を置く映画業界でたくさんの人が「キャンセルされていく」のを目の当たりにして、その現象に興味を持ったそうだ。
「映画業界の人が次々とキャンセルされていくのを見て、とくにポスト宗教社会において、どのように赦しを乞うのかという問いが浮かびました。それがこのドキュメンタリーのはじまりです」
マクドナルド監督は「キャンセルカルチャーは権力者が行動をあらためるきっかけになり、社会を良くした」と断言すると同時に、芸術・表現活動への影響に懸念を抱いていた。
「アートという文脈ではネガティブに影響することもあると思います。一定の自分のアイデアを表現することが怖くなってしまう場合があるからです。それはアートにとって良いこととはいえません。また、どの社会運動にもいえることですが、行きすぎたり、白黒がはっきりしすぎたりする危険性もあります」
「本作は『人間の混沌さ』を映し出す」。映画が解き明かしたガリアーノという人物
本ドキュメンタリーで追うのが、ファッション界に革命を起こし、いまだにファンが多いデザイナー、ジョン・ガリアーノだ。ガリアーノは、1985年に自身の名を冠したブランドでロンドンコレクションデビュー。以来、独創的で物語性のあるアヴァンギャルドなデザインで注目を浴びてきた。映画では、その眩しいほどのサクセスストーリーが丁寧に描かれる。
しかしキャリア絶頂期ともいえる2011年、ガリアーノはパリのカフェで近くに座っていたカップルに人種差別的な発言をしたため、警察に逮捕されたのだ。作中に登場する被害者の一人は、いまだに心の傷が癒えないと話す。また、被害当事者だけでなく、彼の人種差別的暴言の対象となったコミュニティをも傷つけたことはいうまでもない。
作中では、彼がメンタルヘルスの問題を抱えていたことや、不可能と思われるような仕事量を与えられ、休みなく働かせられていたことで正気を失っていく様子も描かれているとはいえ、被害者をはじめ多くの人を傷つけたという事実は変わらない。しかし、マクドナルド監督は、起こったことに対して、この映画で道徳的判断を下すことはしない。代わりに、ガリアーノという人物を解き明かしていく。
「ガリアーノが起こした出来事を単なる『キャンセルカルチャーの物語』だとすることは彼を一般化することであり、ドキュメンタリーという点では面白くありません。漠然とした概念よりも、とても個人的な特定のテーマを探るときにドキュメンタリーは輝くと思っています。
ジョンが興味深いのは、彼が感じたことをそのまま話すところです。キャンセルカルチャーが広がった今日の社会では、ジョンのような有名人には言うべきことを指示するPR担当者がいるはずですが、ジョンはそういった人をつけませんでした。現在デザイナーとして携わっているマルジェラも、この映画の撮影のことすら知りませんでした。そのほうがイメージを守れるにもかかわらず、なぜ彼は自分自身にとっても利益となる行動をとらないのか。それが『人間の混沌さ』ではないでしょうか。人は、機械のようにいつも正しく動くことはできないのです」
作中では、アルコールやドラッグ、メンタルヘルスなどの問題を抱えながらもアートを生み出すことに真摯に向き合い、身近な人に慕われているガリアーノも描かれる。事実、人種差別的な発言をしたにもかかわらず、本作には多くの著名人がガリアーノについて語るために登場する。それも、トップモデルのケイト・モスやナオミ・キャンベル、俳優のペネロペ・クルスやシャーリーズ・セロン、『VOGUE』アメリカ版の伝説的編集長アナ・ウィンターなど、名だたる面々だ。監督自身も、制作の過程で生まれたガリアーノへの好意を否定はしなかった。白黒で語らせない何かしらの力あるいは魅力をガリアーノが持っているのだろうかと考えさせられる。
ドキュメンタリーをつくるうえで、深く話を聞くためには、題材となる人物から信頼を得ることが必須だと想像できるが、今作のように加害性を持った人物を相手に複雑なテーマを描くとき、どのように公平性を保ちながら関係を築いていくのだろうか。
「ドキュメンタリー映画においての公平性はとても興味深い問いです。今回はとくに挑戦でした。私は自然とアンダードッグの肩を持ってしまう。誰かが攻撃されていたら、おそらく私はまずその人側につくと思います。ジョンに対してそういった感情を持っていた自分もいると思います。
でも、傷ついたユダヤ人コミュニティや近しい関係者、そして犠牲者であるフィリップ(実際に差別発言の被害に遭った男性。作中に登場する)と映画に出ることを望まなかった女性側も理解し、バランスをとることを心がけました。編集者とともに、編集の段階でも公平さを保つことを意識しました。ただ興味深いことにカメラの前でジョンを責める人を見つけることは難しかったのです。とくにユダヤ人コミュニティはそうでしたが、『赦さない人』として誰も認識されたくはないからかもしれないです」
ガリアーノを追う過程で暴かれたファッション界の矛盾。華やかさの陰にある「ファシズム的」志向
キャンセルカルチャーという出発点からはじまった本作だが、制作が進むにつれてテーマが変容していったとマクドナルド監督は強調する。この映画のテーマは「ファッション業界の闇やファッション業界に起こる『産業としてのファッション vs アートとしてのファッションの衝突』、そして誰かを責めるときの複雑さや曖昧さ、そして個人の複雑な心理」へと発展していった。
「ドキュメンタリー制作が好きな理由の一つが、知らない世界に飛び込めることです。今回、ファッション業界で働くほとんどの人が素晴らしい方々だということを知りました。そして、ファッションは人類学のようなものだとわかりました。その時代時代で、社会が何に価値を見出しているかをファッションから読み取ることができます。
しかし、問題もたくさん抱えていることは明らかです。環境への大きな負荷、エリート志向……。美の基準で誰に価値があり、ないかを決める思考などはファシズム的ともいえるかもしれません。
また、ファッションの『闇』といえる部分があるとしたら、それはファッションが『醜いものを否定すること』で成り立っているところでしょう。ファッションは『人生のすべてが美しくいられる、すべてがファンタジーでいられる』と私たちに感じさせますが、もちろん現実はそうではありません。人生には醜さも存在します。空だけを眺めながら歩くことはできません。足を踏み入れる泥も見つめなければいけません。たくさんの矛盾がファッション業界にはあります」
『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』は、華やかなファッション業界の裏側に潜む問題や人間の混沌さ・複雑さを探るドキュメンタリーだ。ジョン・ガリアーノという人間、そして彼が起こした事件にさまざまな角度から迫り、多面的な視点を与えてくれる。
ガリアーノが真に反省しているかが重要なのか。ガリアーノが置かれていた異常な環境を考慮するべきなのか。被害者が前に進めた瞬間に赦しが訪れるのか。あるいは13年という時間が赦しへと導いてくれるのか。答えは観客に委ねられている。
- 作品情報
-
『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』
2024年9月20日(金)から全国公開
監督・プロデューサー:ケヴィン・マクドナルド
出演:ジョン・ガリアーノ、ケイト・モス、シドニー・トレダノ、ナオミ・キャンベル、ペネロペ・クルス、シャーリーズ・セロン、アナ・ウィンター、エドワード・エニンフル、ベルナール・アルノー
原題:High & Low -John Galliano
字幕翻訳:チオキ真理/© 2023 KGB Films JG Ltd
提供:木下グループ
配給:キノフィルムズ
- プロフィール
-
- ジョン・ガリアーノ (John Galliano)
-
1960年、イギリスの植民地、ジブラルタル生まれ。セントマーチンズ美術学校で学び、1984年にモード科を首席で卒業。革新的な卒業制作「Les Incroyables “レ・アンクロワイヤーブル”」を発表し、一躍注目を集める。1985年、ロンドンコレクションでデビュー、高い評価を得た。その後はあまりにも革新的過ぎて「売れない服」という烙印を押され苦戦したが、1995年、「ジバンシィ」創業デザイナーのユベール・ド・ジバンシィが自身のブランドを引退。後任デザイナーとして、ガリアーノが大抜擢される。英国人デザイナーとしては初めてフランスのオートクチュールメゾンを率いることとなった。1996年10月にはジャンフランコ・フェレのあとを継いで、「クリスチャン・ディオール」のデザイナーに就任。ガリアーノの活躍もあり、「ディオール」のプレタポルテ部門の売上げは驚異的に伸びた。2011年2月、パリのカフェで隣に座ったカップルに対して反ユダヤ主義的発言をし、「クリスチャン・ディオール」および自身の名を冠したブランドを解雇される。現在は、2014年からメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターを務め、私生活では長年のパートナーであるアレクシス・ロッシュとパリで暮らしている。
- プロフィール
-
- ケヴィン・マクドナルド (Kevin Macdonald)
-
1967年イギリス・グラスゴー生まれ。1999年、ミュンヘンオリンピック事件を扱った『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を、2003年『運命を分けたザイル』では英国アカデミー賞最優秀英国映画賞を受賞。そのほかの作品に『ラスト・キング・オブ・スコットランド』(2006年)、『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』(2011年)、『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』(2012年)、『ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』(2018年)など。『モーリタニアン 黒塗りの記録』(2021年)は最優秀作品賞を含む英国アカデミー賞5部門にノミネートされるなど、数々の賞に輝くドキュメンタリー作品を手掛けてきた実績を持つ。
- フィードバック 6
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-