日本で暮らしていたら、誰しもが多かれ少なかれ馴染みがあるであろう「仏教」。
6世紀頃に日本に伝わって以来、各宗派に分かれながら、実に約1500年間にもわたって伝承され続けてきた「仏教」の魅力とは、果たしてどんなところにあるのだろうか。
全3回の連載企画『駒澤大学と探す、「学び」のカタチ』では、仏教系大学である駒澤大学の教員とゲストの対話から、「仏教」を学ぶことが人生に与える良い影響や、生涯にわたって「学び続けること」について探求する。
第1回となる今回は、お笑い界屈指の「仏教通」として、仏教関連の著作も出版している笑い飯・哲夫氏と、駒澤大学仏教学部の教授であり、同大学に併設されている禅文化歴史博物館の館長も務めている村松哲文教授に、その「魅力」についてはもちろん、大人になってから「学ぶこと」の楽しさについて語り合ってもらった。
「まわりの大人にも言えなかった」哲夫氏が仏教に興味を持ったきっかけ
―お笑い界屈指の「仏教通」として知られる哲夫さんですが、いつ頃どんなふうにして、仏教に興味を持つようになったのでしょう?
哲夫:僕は地元が奈良なので、まわりに大きなお寺とか歴史的な遺跡が多くあって、子どもの頃から馴染みがあったというのはあるんですが、仏教に対する興味の入り口という意味では、僕の場合は「お経」でした。お経、カッコいいなっていう(笑)。
子どもの頃、毎月近所のお寺のお坊さんが家に来て、お経をあげてくれていたんですけど、その方の声がすごくきれいで、「お経ってカッコええなあ」と思って。もちろん、何を言っているのかわからなかったけど、「いまのフレーズ、なんかカッコ良かったよな?」みたいな。だから、洋楽に近い感じだったんじゃないですか(笑)。
―なるほど(笑)。
哲夫:ただ、お経が好きやっていう子どもはたぶんあんまりいてないし、気持ち悪がられるかなって思って、友だちはもちろん、まわりの大人にも言えなかったんです。
哲夫:だけど、高校のとき「現代社会」の教科書に、「般若心経」の現代語訳が載っていて。それを読んだときに、「なるほど、こんなことを言ってたんや!」って思ったんです。たしかに、これはご先祖さんに言わなアカンわっていう。そこから本格的に興味をもって、自分でいろいろ調べだしていった感じですね。
村松:高校生で「般若心経」の解説を読んで面白いと思ったのは、ちょっとすごいですよね。あれは「空(くう)」を説いているわけで……。
哲夫:すべてのものは、もともと実体なんてないんやから、生きているのも死んでいるのもないんやでっていう。それは、なかなか面白いことを言っているなって思って(笑)。
あと、僕の地元は、奈良県の桜井市っていうところなんですけど、桜井市には長谷寺っていう真言宗豊山派の総本山があって。子どもの頃、そのお寺のなかに初めて入ったら、そこにでっかい観音さんがいて……。
村松:長谷寺のご本尊、十一面観世音菩薩立像ですね。あの仏像は、全長10メートル以上あるんですよね。
哲夫:そうなんです。それを見たときに、子どもながら「うわー」って思ったというか。そのあたりから、何か特別なものを感じていたのかもしれないです。
―ちなみに村松先生は、どのようなところから、仏教に興味を持つようになったのですか?
村松:わたしの専門は仏教美術なのですが、そもそものきっかけという意味では、わたしも奈良とか京都に関係していて。わたし自身は東京出身なのですが、両親がお寺めぐりが好きで、子どもの頃から奈良とか京都とかに、しょっちゅう連れていかれたんですよね。
哲夫:ああ、いいですね。
村松:いま考えるとそうなんですけど、当時はそれが嫌で嫌でたまらなくて(笑)。
哲夫:えっ、そうなんですか?
村松:夏の暑いときに、散々歩かされてお寺に行くのは、子ども心に正直、ちょっとしんどいなって思っていて(笑)。だけど、嫌とも言えず、親と一緒にお寺をまわって、よくわからないまま仏像を見たりしていたんですけど、そのあと中学生、高校生になって、歴史の勉強をするようになったら、教科書に自分が子どもの頃に見たことのある仏像の写真が載っていて。それでようやく興味が湧いてきたんです。
哲夫:さっきの「般若心経」の話じゃないですけど、教科書って、意外と大きな存在ですよね。
村松:大きいですね。実際に自分の目で見たことのあるものが載っていると、やっぱり興味が湧くじゃないですか。そのあと、歴史の勉強自体に興味を持つようになって、最終的には美術史というか、文化史の勉強をするようになって、仏像にたどり着いたんですよね。
―仏像のどのあたりに魅力を感じたのでしょう?
村松:歴史の勉強というのは、過去の文献をひもといていくことが多いのですが、文献を読むだけではなく、実際の作品と言いますか、実際に仏像を見ることによって、その時代背景とか信仰の内容がわかってくるところがすごく面白くて。それで、どんどんハマっていきました。
哲夫:そうなんですよね。結局、知識がつけばつくほど、その面白味がわかってきて、より深みを増してくるんです。
だから、修学旅行で奈良や京都に行くのって、ちょっと早いんですよね。ほとんどの子らは、まったく知識を入れないまま行ってしまうので(笑)。知識を入れてから行ったら、めちゃめちゃ面白いのにっていう。
村松:たしかにそうですよね。哲夫さんも『ブッダも笑う仏教のはなし』というご著書でわかりやすく書かれていましたけど、仏像は大きく分けて「如来」「菩薩」「明王」「天」という4つのカテゴリーがあって。それがわかるだけでも、だいぶ面白いと思うんですよね。
仏教の考え方が「生きるためのヒント」に
―仏教の「教え」と言いますか、その「考え方」の魅力については、いかがでしょう?
哲夫:僕はやっぱり、「諸行無常」というものを大前提に置いているところが、すごく面白いと思います。要は、すべてのものは移ろいゆくんだっていう。まさに、その通りじゃないですか。それを知っていると、ホンマいろんなことが乗り越えやすくなるなと。
あと、いちばん最初に「おっ」って思ったのは、仏教イコール仏壇と言いますか、ちょっとお葬式とかのイメージがあるじゃないですか。誰かが亡くなったときにやって来るのがお坊さんであり仏教であるっていう。
でも、実はそうではなくて、「諸行無常」というのがまさにそうですけど、生きている人たちにとってのヒントと言いますか、生きている人のための「人生哲学」なんですよね。それを知ったときに、「ああ、これは面白いな」って思って。
村松:そう。現代人の多くは、仏教というとイコール亡くなった人のためのものというイメージがあると思うんですけど、そこがそもそも誤解されているようで、本来は生きている人たちに向かって説いた教えなんですよね。
哲夫:要は、生きているあいだに、煩悩を捨てて、仏になれってことなんでしょうけど、死んだら仏さんになるっていうのも、うまいことできてるなと思って。死んでしまったら、煩悩ないですから(笑)。いまの苦しみを乗り越えるための哲学であるという。
哲夫:あとね、僕はあれも好きなんですよ。お釈迦さんが亡くなるときに、「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」という言葉を残していて。それはつまり、弟子たちに「後世でつくり変えていいよ」というか、自分でいろいろ考えて、付け足していいよっていうことであって。そこが、仏教のおおらかさと言いますか、懐の深いところなんだと思うんですよね。
村松:そうなんですよね。お釈迦さまの教えに、その後の人たちがいろいろ付け足して、解釈のされ方によって、様々な宗派が生まれていきました。
哲夫:あと、それも「自灯明」やなって思うんですけど、仏像をはじめとする偶像崇拝にしたって、お釈迦さまはひとことも言うてないというか、むしろ禁止していたわけじゃないですか。ただ、それによって仏教は、美術的な面白さみたいなものが、相当付加されていったようなところがあって。
村松:哲夫さんの本にもちゃんと書かれていましたけど、仏教におけるいちばん最初の信仰の対象は、いわゆる「塔信仰」なんです。お釈迦様の遺骨を納めた塔がお寺の真ん中にあって、それをみんな拝んでいたわけです。
ただ、仏像がつくられるようになってから、仏像が本尊という形でお寺の中心に来るようになって、仏塔がだんだん端に追いやられていく。やっぱり、見えないものに手を合わせるより、見えるものに手を合わせたいじゃないですか。そういうこともあって、仏教の場合は、偶像が結構多いんですよね。
「隠す」というこだわりをあきらめた
―ちなみに、仏教を学ぶことによって、それが哲夫さんの本業である「お笑い」に影響を与えるみたいなことってあったのでしょうか?
哲夫:うーん、特にそれはないんですけれども、たとえば東大寺と言いますか、華厳宗の教えに「全と個を同一視する」というのがあって。要は、個人のことを全体として捉えて、全体のことを個人と捉えることができるようになったら「悟り」やっていう。で、僕もお客さんの前に出るときは、そんな感じで、ひとりでやっているようだけど、みんなでやっているって考えるようになったら、余裕でスベれるようになったという(笑)。
村松:ははは。
哲夫:たとえスベっても、ひとりでスベっているんじゃない。お客さんも含めて、みんなでスベってるってことやからって考えたら、平気でスベれるんですよ。
村松:それは、気持ちが楽になりますね(笑)。
哲夫:めっちゃ楽になりました(笑)。さっき言った「諸行無常」もそうですよね。噛んだりスベったときって、やっぱりグワーッて落ち込んだりするんですけど、その落ち込みは持続せえへんしって思ったら、特に何も気にならないっていう(笑)。
だから、中学生とかで、友だちづきあいに悩んでいたり、学校行きにくいとか思ってるような子らって、いまもたくさんいるんでしょうけど、まあ「諸行無常」なんでね。大人になったら、中学校の友だちなんか、もう誰も会わへんでっていう(笑)。
哲夫:嫌だったら別に逃げたらいいんやし、さっきの全体と個人の話で言えば、友だちづきあいで悩んでいるのって、君ひとりの悩みじゃなくて、これ、地球人全員の悩みやからっていう。そういうふうに考えたら、すごい生きやすくなるっていうのはあると思うんですよね。
―「諸行無常」は一種の「あきらめ」のように受け取られかねないですけど、本来はそういう意味ではないんですよね?
哲夫:そうです。仏教には「諦観(ていかん)」という言葉があるんですけど、それもちょっと誤解されがちであって。それは、すべてを「あきらめている」わけじゃないんですよね。もともと「諦」という言葉には「真理」という意味があって、それを知っておくことが「諦観」であって……。
そもそも「諦(あきら)める」というのは、「あきらかに見ていく」ということなんです。そこから「あきらめる」と「あきらかにする」の2つの意味に派生していったところがあるみたいなんですけど、本来は、自分のしょうもないこだわりとかをあきらめると真理があきらかになってくるっていう意味なんですよね。
―なるほど。
哲夫:だから僕も、最初に言ったように、仏教好きであることをずっと隠していたんですけど、会社のほうから言われたんですよ。「そんなに好きなら、仏教の本を書けばいいじゃない?」って。
それまでは、仏教マニアであることを公言してなかったというか、そんなことを言ったら、お笑いの活動に支障をきたすというか、真面目なやつっていうレッテルを貼られてしまって、ウケなくなるんじゃないかって思っていたんです。それで、公言してなかったんですけど、会社のほうからイジってきたというか、「仏教の本を出せ」って言うてきて(笑)。
そこで僕は「隠す」というこだわりをあきらめたんですよね。ただ、そうやってあきらめて、本を出してみたら、仏教関係の講演の仕事が入ってきたり、今回のような企画に呼ばれたりするようになって。そうやって、自分のやるべき仕事があきらかになってきたというか、ホンマ「あきらめる」は「あきらかにする」なんやなってことを、身をもって体験できたんです。
―「あきらめる」というと、ネガティブなイメージを持つ人がいるかもしれないですけど……。
哲夫:そう、「夢をあきらめる」みたいな感じでね。でも、違うんですよ。余計なこだわりみたいなものをあきらめればええっていうだけの話やと思うんです。それによって、あきらかになることがあるよっていう。
村松:いやあ、すごくわかりやすいです。
哲夫:いえいえ、専門家の先生の前で偉そうにしゃべって、ホンマすんません(笑)。
村松:いや、素晴らしいですよ、本当にその通りだと思います。やはり、「仏教」というと、なかなかハードルが高いようなイメージが一般的にはあると思うんですけど、だからこそ、哲夫さんのように、わかりやすい言葉で「仏教」を語ってくださる方がいらっしゃるのは、すごくいいことだなって思っています。
哲夫:あちこちで重宝してもらっています(笑)。というか、僕は仏教のプロではないんですよね。僕の本業は「芸人」なので。仏教に関しては、あくまでも「マニア」みたいな感じやらせてもらっているところがあって。要は、「鉄道マニア」みたいなもんで、鉄道のプロは、やっぱり鉄道会社の社員さんやと思うというか、鉄道マニアは、実際に電車の運転はしないじゃないですか。
―たしかに(笑)。
哲夫:プロの運転士さんの後ろにへばりついて写真を撮っているのがマニアというか、僕も結局、仏教に関してはそれなんですよ。あくまでもお坊さんがプロであって、僕はそこにへばりついていろいろ勉強させてもらっているというか、いろんなお坊さんから、ええ話をこれまでいっぱい教えてもらったんで、せっかくなら、それを他の人にも教えたいというか、やっぱりひけらかしたいじゃないですか。それでひけらかしているっていう(笑)。
哲夫:ただ、そういう「つなぎ役」みたいな人って、どの世界にも必要なんちゃうかなっていうのは思っているんですよね。僕自身、仏教を学ぶことを通じて、いろいろなつながりが生まれたので。まあ、そんなのも、仏教用語で言ったら、結局は「因縁」っていうものになるのかもしれないですけど(笑)。
村松:それで言ったら、わたしは普段、国や大学から研究費をもらって、仏教美術の研究をしているのですが、「それが、何のためになるんだろう?」って思った瞬間がありました。
そのときに思ったのは、研究の成果を一般の人たちに還元しなくてもよいのか、専門家の中で終わってしまったらもったいないと思うようになり、そこからなるべく、専門家だけではなく一般の方たちに向けて発信していくようになったんですよね。
―実際、村松先生は、2020年からNHKで和田彩花さんと『趣味どきっ!アイドルと旅する仏像の世界』(Eテレ)という番組をやられていて……。
村松:そうですね(笑)。あの番組も、最初はいろいろ言われて大変でした。何でアイドルと仏像めぐりをしているんだ、実はアイドル好きだったのかって言われたりして。
ただ、わたし自身は、仏像鑑賞の面白さを一般の人たちに広く伝えるためにやっていて……実際、あの番組をやって以降、和田さんのファンの人たちをはじめ、それまで仏教美術にあまり興味のなかった人たちが、仏像に興味を持つようになったと言ってくれますし、その裾野が広がったなっていう手応えはあったんですよね。
大人になってからも「学び続けること」の意味
―「学び」を通じて、人と人がつながっていくと言いますか。最後にあらためて、「学ぶこと」について――大人になってからも「学び続けること」の意味や意義について、おふたりの考えを聞かせていただけますか?
村松:わたしは今年57歳になるのですが、勉強すればするほど、分からないことが出てきて……いつも未知との遭遇なんです(笑)。それがまた面白いので。やっぱり学ぶことって、まだまだあるなって思っています。勉強するのは大学生までじゃなくて、20代はもちろん、30代、40代、それこそ50代になってもあるし、終生人はずっと学び続けるものだと思うんですよね。
なので駒澤大学としても、そういった機会を多くの方に提供したいと考えていて、学生のみならず、社会人を対象とした、さまざまな公開講座を開設しています。
先ほど哲夫さんがおっしゃられたように、仏教というのは、いまを生きる人たちのための哲学であり、苦しみを乗り越えることを教えてくれるものなので。駒澤大学では、仏教に関連したさまざまな講座はもちろん、坐禅体験もやっていますので、是非ご利用してみてください。
哲夫:僕も今日こういう機会をいただいて、「禅文化歴史博物館」をひと通り見学させてもらって、またいろいろと勉強になったと言いますか、禅宗のルーツである達磨さんがインドの人やっていうのは知っていたんですけど、インドの北部ではなく、わりと南のほうの人やったんだってことをあらためて知ったりとかして。
哲夫:あとは、経典に関する印刷技術の話とか、知らなかったことがいっぱいあって。これは、僕の持論なんですけど、知れば知るほど、知らないことが増えるっていうのがあって。
村松:ああ、まさにそうですよね。学ぶことは、未知との遭遇を楽しむことですからね(笑)。
哲夫:だから、中途半端にものを知っている人は、大体偉そうにするんですよ。本当にものを知っている人は、自分はまだまだ知らんことが多いってことがわかっているから、謙虚になる。それこそ、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」みたいな感じで……。
―たしかに、博学な人って、みなさん謙虚なイメージがあります。
哲夫:ホンマ、そうです。そういう人は、自分が知らないってことを知っていて。それは、ソクラテスの言う「無知の知」につながってくるところが、また面白いところなんですけど(笑)。自分が無知であることを知っていることが重要であるという。
ソクラテスって、お釈迦さんと同時期の方なんですよね。ギリシャとインドで、同時期に似たようなことを考えた人がいて、その教え方も一緒という。
ソクラテスも、自分ではいっさい記述せず、プラトンをはじめとする弟子たちの記述を通して、その考え方が後世に伝わっていって。
お釈迦さんも同じですよね。阿難(あなん)や迦葉(かしょう)といった弟子たちを通じて、後世に伝わっていったところがあって。そこも、よう似ている感じがして面白いというか、そういうのが「学ぶ」ことの楽しさなんじゃないでしょうか(笑)。
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