人生のなかで起きたある出来事が成功か失敗かは、その後の行動次第でいかようにも変わるものなのだ——日野健太の言葉を聞いていると、心からそう思わされる。
オーディション番組『timelesz project -AUDITION-』に、候補生として参加していた日野。20代前半はジャズシンガーとして活動しており、一時は海外ツアーやアルバムリリースも決まったものの、25歳のときに見舞われたコロナ禍をきっかけに白紙に。その後はユニットやバンドのボーカル、ソロシンガーとして活動し、自分の道を見つけたかと思いはじめた頃、30歳を迎えるタイミングで「timelesz project」と出会った。
惜しくもメンバー入りは果たせなかったものの、約19,000人の応募者のなかから一般公募15名にまで残り、その経験から得た思いを詰め込んだ新曲“Rise”を3月19日にリリースしたばかり。MVではオーディション時点では初挑戦だったダンスも披露し、以前とは違う新たな姿を見せている。
「オーディションに出て知名度が上がったからいいや、って、元通りの道に戻るのは違う」。この経験を経たからこそ出会える新しい自分に出会うべく、さらなる挑戦を続ける日野に、これまでの音楽経験にはじまり、これから成し遂げたいこと、そして自らの人生を切り拓こうと模索する同世代へのエールまで、たっぷりと話を聞いた。
「ジャズとかR&Bシンガーをやってた僕がアイドルになるって、逆に唯一無二で面白いかなと」
―畑違いだったはずのアイドルオーディション「timelesz project」に参加したのは、どういったきっかけがあったのですか?
日野:きっかけ自体は本当に些細で、知人からすすめられたことでした。ただ、書類審査通過の連絡が来て、次は面接審査というタイミングで、このまま進むべきかどうか相当悩みましたね。

日野健太
日野:でもSexy Zone、timeleszというグループのことを深く知るにつけ、現メンバーのお三方も人生をかけてオーディションに挑んでいるんだと強く思いました(※)。そして、年齢制限を30歳までと比較的高めに設定していたのは、まっさらな状態の若い人だけではなくて、いろいろ経験してきた人も受け入れてくれようとしているんだと。
そう思ったら、僕がいままでいろいろと紆余曲折経験してきたことって、もしかしてtimeleszのメンバーになってグループに還元するためだったのかもしれない、とすら思えてきて。それに自分を俯瞰で見たら、ジャズとかR&Bシンガーをやってた僕がアイドルになるって意味わからなすぎるんですけど(笑)、逆にめちゃくちゃ唯一無二で面白いなとも思ったんです。
※「timelesz project」は、5人組としてデビューしたSexy Zoneが、メンバーの卒業を経て3人になったことをきっかけにグループ名を「timelesz」に変更すると同時に、新メンバー募集のため開始したオーディション。メンバーの菊池風磨、佐藤勝利、松島聡が発案者となり、審査員も務めた。
―音楽を始めたのは、いつからですか?
日野:本当の最初は中学生のときで、誕生日に親にギターを買ってもらいました。僕、小さい頃は本当に何もしたいことがなくて、母親に心配されるくらい、いつもぼーっと過ごしてたんですよ。部活もせず、外でも遊ばず、家でゲームばかりやっていました。だからギターも単に、家で一人で遊ぶときのゲーム以外の選択肢のひとつって感じで。
歌を歌うことになったのは、高校生のときにバンドを組もうと誘われて。誘ってくれた子は最初はぜんぜん友達じゃなかったんですけど、「放課後、隣の教室からすごくいい声が聞こえると思った」とか言って声をかけてくれたんです。
それで初めて人前で歌ったとき……お客さんと言っても友達ばっかりですけど、めちゃくちゃ盛り上がって、「これ、俺が歌ってこうなってるんだ」って、人生で初めて達成感みたいなものを感じられたんですよね。基本、飽き性でいろんなものに手を出しちゃうタイプなのですが、音楽は続けたいなと思って、10代の終わりは自分でDTMをやって録音したり、「歌ってみた」みたいな動画を上げたり、路上ライブをしたりしていました。

本気でジャズシンガーを目指したきっかけは「ハーレムのライブバーで受けた拍手喝采」
―そこからどうやって、本格的に「音楽を仕事にしたい」と考えるようになったのでしょうか?
日野:20歳になるときに、なんか突飛なことをしたいなと思って。
―突飛なこと?(笑)
日野:根はすごく怠惰で、「楽して楽しいことしたい」みたいなところがあるんですけど、15歳とか18歳とか20歳とか25歳とか、年齢的な節目や何かから卒業するときに、それをきっかけとして自分の環境を大きく変えるってことを意識的にやってきたんです。怠惰だからこそ、そういうタイミングで自分の人生を自分なりに見つめ直して、無理矢理にでも一歩踏み出すというか。
それで20歳のとき、もともとブラックミュージックが好きだったので、聖地のひとつともいえるニューヨークのハーレムに住んでみようと思いました。当時、長年ハーレム在住でツアーなどの企画をされていたトミー富田さんという方にご連絡したところ、いろいろ面倒を見ていただけることになり、住むところにはじまって歌の先生まで紹介いただきました。
初めて歌った小さなライブバーは、みんな好きに食事やお酒を楽しんだり、おしゃべりしたりしていて、ぜんぜん歌を集中して聴くような雰囲気じゃないくて。当然日本人は一人もいないし、めちゃくちゃ緊張していたんですけど……いざ自分の番がまわってきたとき「一発かましたろう」と思って、とてつもない声量でまず叫びました。

―すごい度胸ですね。
日野:緊張していてあまり覚えていないんですけど(笑)。それからベン・E・キングの“スタンド・バイ・ミー”を歌ったのですが、さすがはプロの演奏で本当に歌いやすくて、すぐに緊張が溶けて。信じられないくらい楽しくて、夢中で歌いました。
すると気づいたら、お客さんがコーラスや手拍子をしてくれて、会場全体を巻き込んですごいムードになって。最後は「フ〜!」みたいな歓声も上がって、拍手喝采をもらうことができたんです。
―お客さんの興味ゼロの状態から、よくそこまで巻き込みましたね。
日野:たまたま“スタンド・バイ・ミー”が好きなお客さんが集まってただけかもしれないですけどね(笑)。でもすごく自信がついて、それから本気で音楽をやりたいと思うようになりました。
でも、ニューヨークのバーとかで歌っているようないわゆる「クラブシンガー」といわれる人たちって、メジャーアーティストではないけど、生演奏でしっかり生計を立てていて、そしてものすごく歌が上手いんです。間近でその大迫力の歌を聴くにつけ、一度しっかり基礎から学ばないと到底かなわないと感じました。
そして日本でクラブシンガーとして生きていくとしたら、ジャズの世界しかないだろうと。そこで日本に戻り、ジャズクラブで働きながら歌を学びはじめました。

timeleszのメンバーとの会話で涙。あのとき何を思っていた?
―「timelesz project」に応募したとき、シンガーとしての仕事はどういう状況だったのでしょうか?
日野:自分の人生のなかでもけっこういろいろなことが動きはじめたタイミングで、このままいけば、多分この先ずっと音楽でごはんを食べていけるだろうとは思っていたのですが……でもさっき言ったみたいに、そのときちょうど29歳だったので(笑)。「本当に大丈夫か?」と考えてしまったり、「俺にはこれがあるから」とまだ言い切れない自分もいたりして。
―すでにシンガーとしての仕事があるなかで、「失敗したらどうしよう」という怖さはなかったのですか?
日野:いや……もちろんありました。でも僕、人から褒められたり、認めてもらったりしたことでうれしくなって調子に乗って、それが原動力になるタイプなんです。それで人生が大きく変わった経験もたくさんありました。
「ヒノケンなら絶対大丈夫」って信じてくれている人がいるんだったら、あとは最後、自分が自分を信じてあげるだけじゃないですか。だから、「失敗したら恥ずかしいな」じゃなくて、「受からなくても、そのあとどうかっこつけちゃおっかな」って考えるようにしていました(笑)。

―オーディション中には審査員であるtimeleszのメンバーから、長らく培ってきた自分なりの表現があるにもかかわらず、アイドルとしての表現にしっかりと合わせたことを評価する言葉があり、日野さんが涙するシーンもありました。あのときはどのようなことを感じていたのですか?
日野:あのときは、「本当に一人ひとりのことを見てくださっているんだな」とうれしくて感動しました。でも、じつは「自分の声」に対するこだわりはあまりなかったんです。もちろん、歌の表現や、いままでの経験で得られた現在の自分自身のことは誇りに思っていますけど。
それまでも、ユニットやシティポップバンドなどいろんな活動をしていたので、その都度自分を俯瞰的に見て、「今回はどんな表現が合うのか」を見極めてチューニングすることはしてきていました。僕が歌いたいのは「自分の歌」というより、いつでも「そこにいる人が聴きたいと思う歌」なんです。
あのときはSMAPさんの“SHAKE”が課題曲だったので、本家はもちろん、STARTO ENTERTAINMENTに所属するさまざまなアーティストさんのカバーからも自分がかっこいいと思う表現を取り入れたり、とにかく勉強してギリギリまで調整していました。そんな頑張りが伝わったんだな、と、気づいたら涙が出ていました。
ジャズシンガーとして叶うはずだったアルバム制作や海外公演。しかしコロナ禍ですべてキャンセルに
―これまでに、「もう音楽を続けられないかもしれない」と思ったことはありませんでしたか?
日野:ありました……コロナ禍のときですね。2019年、当時僕は25歳で、ジャズシンガーとしてプロデュースしてもらっていました。2020年の初めに、ジャズやフュージョン界のトップアーティストが出演するようなライブハウスでワンマンライブをやらせてもらい、それを皮切りにした海外公演とアルバムのリリースが決まっていたんです。
でも、それがコロナ禍と重なってしまって。台湾でのライブはギリギリ開催できたのですが、その後国内外すべての公演がキャンセルになり、予定されていたアルバムリリースも白紙になりました。シンガー活動と並行して続けていたジャズクラブでの仕事も、当時は店長になっていましたが、店を営業できなくなって。

日野:それまで好きな音楽を続けてきて、ようやく仕事らしくなってきていたというか……プロデュースしてもらうなかで新しい曲を覚えたり、レッスンで怒られたりするのは大変だったけど、そのなかにも楽しさや充実感を感じながら頑張っていた時期だったんです。
それが急に、全部ゼロになった。文字通り何もかも失いました。
―それは、相当な出来事ですね……。そこからどうやって立ち直ることができたのですか?
日野:しばらくはずっと家で寝るだけの生活で、ひたすら現実逃避していたんですけど、何人かが「いま何してるの?」って連絡をくれて。そのなかに、もともとはジャズクラブで出会ってたまに一緒にセッションをしたりしていた人がいたのですが、その人が「オリジナルソングつくってみない?」って誘ってくれたんです。それで渡してもらった曲が、ものすごく良くて。「このままじゃダメだ!」ってすぐに思いました。
そのときの気持ちを、初めて歌にしました。そして歌ができたら、これを披露しなきゃって思った。そこからは、止まっていたユニットの話がまた動き出したり、シティポップバンドから「ボーカルを探してるから入らない?」って声がかかったり、いろいろ状況が動きはじめて。「ジャズの道でやっていくぞと思っていたけど、初心にかえって、とりあえずなんでも自分の好きなことをやってみよう」と思ったんです。
本当、あのときは周りの人たちに助けられましたね。一人で這い上がることはできなかったです。

―でも、そうやって人が気にかけて連絡をくれたりするのも、日野さんの人徳な気がします。日頃からどんなふうに周りの人に接しているんですか?
日野:いやー、どうですかね。でも、自分からは本当に何もしない幼少期を過ごしたからこそ、自分の内側にあるものより、外側にあるもののほうが貴重だなという思いが強いのかもしれません。ゲームもそうだし、本とか漫画とか、人がつくったものから得てきたことがすごく大きくて。
そしてそのなかでも、やっぱり自分にとっていちばん面白いのは、誰かから直接話を聞くこと。自分の知らない経験をしてきた人の話を、たくさん聞いて、たくさん学びたいと思いながら、日々人と会話をしています。
「いままで自分が選んできた道を、ひとつ残らず正解にしたい」
―3月19日には、新曲“Rise”をリリースされました。どんな思いが込められた楽曲でしょうか?
日野健太“Rise”ミュージックビデオ
日野:「timelesz project」での経験というのは、やっぱり自分のなかですごく大きくて。30歳という節目からアイドルを目指すって、まったく別の職種に転職しようとするくらいの大きなチャレンジだったんです。周りに信じてもらって、自分を信じて、人生を賭けてそこに挑みました。
その結果、メンバーにはなれなかったわけですが……やっぱり身に染みて、人間いつからでもチャレンジできるんだなって思ったんです。
「いつからでも、どんな人間にでもなれます」って、キレイごとみたいに言う人はたくさんいるし、それに対して「いや無理でしょ」って言う人もいるけど、僕は身をもって知った。人はいつからでも挑戦できる。メンバーにはなれなかったけど、でも、挑戦したことは決して失敗なんかじゃなくて、むしろ僕は成功したなと思っています。
このチャレンジのなかでいろいろな経験をして、新しい自分にも出会えたからこそ、それをなかったことにしたくない。「知名度が上がったからいいか」とか言いながら元通りになるのではなくて、この経験を経たからこそなれる自分になりたい。いままで自分が選んできた道を、ひとつ残らず正解にしたい。そう思って、それらをすべてミックスした、いまだからできる表現を、完全自己プロデュースでつくろうと思いました。
曲名にした「Rise」という言葉は、「昇る」という意味です。一つの挑戦が終わったけど、僕はまだまだこれから新しい挑戦をしていきたいし、それを通じて、太陽のようにみんなの心を照らしていきたい。そんな思いを込めています。

「30代って、20代と比べると時間が貴重になってきて、いまさら周り道できないと思いはじめるタイミング」
―これから音楽活動を続けていった先に、どんなふうになりたいですか?
日野:僕は歌を10年やってきて、自分のいちばんの強みはテクニックではなく「心から心に届く歌を歌えること」だと思っているんです。だから、これから表現の方法が歌だけではなく表情やダンスを含めたパフォーマンスに変わっても、心に届けるという気持ちは変わらずに持っていたい。
そして、「明日も頑張ろうと思う」とか「何かを思い出して涙が出る」とか「とにかく楽しい!」とかなんでもいいので、誰かの何かの感情のきっかけになりたいです。そのきっかけをより多くの人に届けていければ幸せです。

―最後に、日野さんと同世代で、新しいチャレンジをすることが怖いと感じている人に、伝えたいことはありますか?
日野:30代って、20代と比べると時間が貴重になってきて、いまさら周り道できないと思いはじめるタイミングですよね。「まだまだ若いんだから」とかも、あまり言われなくなってくるし……。そこまでの人生で得てきたキャリアやポジションがそれぞれあって、時にはそれが枷になってしまうこともあると思うんです。
でもやっぱり、キャリアやポジションって表面的なことでしかなくて、それよりもそこに至るまでに得た経験こそが大切だと僕は思います。経験があるからこそ、想定されるリスクに対して先回りできたり、自分自身にどういうやり方がいちばん合うのかがすでにわかっていたりする。そして何より、「自分が努力してここまで来られたことを知っている」ことはとても大きいと思います。僕だって、20代前半で「timelesz project」に挑戦していたら、絶対にここまでの結果は残せていないです。
だからどうか自分を、自分のこれまでの経験を信じてほしい。「最後の一回だけ」と思うことが飛び込むきっかけになるならそれでもいい。「最後の一回」が、二回、三回と増えたって別にいい。20代の頃と比べると不安は増えていくと思うけど、とにかく一緒に楽しんで生きていこうぜって言いたいですね。
- 作品情報
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- プロフィール
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- 日野健太 (ひの けんた)
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愛媛県出身のアーティスト。ニューヨークのハーレムでクラシックソウルを中心としたブラックミュージックを学び、『グラミー賞』受賞シンガーのBrvon Neal氏に師事。2021年よりユニットEmmanonとして、またソロアーティストとしても活動を開始。ジャズ・R&Bを軸に、ピアニスト・ナンブユウキ、ドラマー / DJ・平尾一馬とともに独自の音楽スタイルを追求し、都内を中心にライブパフォーマンスを展開。2024年『timelesz project -AUDITION-』に参加し、約19,000人の応募者のなかから一般公募15名にまで残り、四次審査まで進出。2025年3月19日に新曲“Rise”をリリース。
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