2022年に歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)を発売した歌人の上坂あゆ美さん。家族や学校生活のなかで「自分は異物だ」と感じる日常を、ときには淡々と、ときにはどきりとするような鋭い言葉で切り取り、大きな反響を集めた。
人気Podcast番組『私より先に丁寧に暮らすな』での軽妙なトークや、劇作家・三浦直之が主宰する劇団ロロとのコラボレーションなど、多岐にわたって活動を続けるが、11月26日には初のエッセイ集となる『地球と書いて〈ほし〉って読むな』を刊行する。
「家族についての恨みとかを短歌にしていくうちに、だんだんどうでも良くなってきた自分がいた」とも話す上坂さんに、歌人としての歩みや、表現活動を通して変化したことなど、たっぷり話をうかがった。
短歌づくりは、完全に我流。歌人・上坂あゆ美さんの歩み
―上坂さんは、エッセイの執筆、Podcast、舞台でのお芝居など幅広く活動されていますが、表現活動の出発点は短歌です。短歌に出会ったきっかけや短歌を詠むようになった理由を教えてください。
上坂あゆ美(以下、上坂):昔コンテンポラリーダンスやバレエを習っていて、舞台に立つのがすごく楽しかったんですけど、両親の離婚をきっかけに経済的な余裕がなくなり、舞台の道を諦めました。
そのあと手に職をつけるために美大に通ったんですが、そこでつくるものが全部楽しくないというか、自分に向いていなくて。何をやっても楽しめなくて絶望していたんですが、でもやっぱり何かつくりたい、表現したいという気持ちがずっとありました。
それで、就職して社会人2〜3年目に、「働きながらでもできそう」という理由で短歌をつくってみようかなと……そういうノリではじめました。
―『老人ホームで死ぬほどモテたい』のあとがきに、自分のなかに合理性を重視する人格があり、それを「ひろゆき」と名付けられていて、合理性を求めることでどんな制作にも没頭できず、行き着いた先が短歌だったと書かれています。短歌はご自身の表現としてピッタリだったんでしょうか?
上坂:短歌って美しい表現だなと思います。ただ、美術とかデザイン、映像だって美しいわけなので、結局のところ、はじめてすぐに褒められたから続けられているのかもしれないです。
短歌をつくってから新聞の歌壇コーナーにたくさん送ってみたんですけど、最初につくった短歌が掲載されたんです。
―それはすごいですね。
上坂:それで、もしかしたらイケるのかもと。なんというか、人間ってそんなもんじゃないですか。短歌というより私の問題な気がします(笑)。大人になって振り返ってみると、美大ではそんなに褒められたことがなかったので、それでどんどん向いてないのかもってやる気を失くしてしまったのかなって思います。
―短歌も我流で学ばれたとか。
上坂:短歌の世界には結社というものがあって、そこに所属して信頼する歌人の方に師事したり、結社内の仲間で教えあったり文化があるんですが、誰にも教わったことがなく、完全に我流でした。新聞にずっと送り続けて、載ったものと載らないものを比較して、良い歌の法則を学んでいくようなことをしていました。
―新聞の投稿欄からフィードバックを受けて学んでいったんですね。すごいです……。
「自分が美しい、面白いと思っているものが如実に歌に出る」
『老人ホームで死ぬほどモテたい』は、18歳まで過ごした静岡県沼津市での家族との暮らしや学校生活、そして東京に上京してからの人生をユーモラスに歌い上げた短歌集だ。
そのなかでも、不倫やギャンブルをやりたい放題の父、豪快で腕っぷしの強い母、ギャルでヤンキーな姉について綴られた歌は、特に強烈な印象を残す。
―上坂さんの歌のなかでも、家族について詠んだ短歌がすごく印象的でした。家族のことを歌にするようになったのはどんな経緯からでしょうか。
上坂:当時、新聞の歌壇コーナーで穂村弘さんや東直子さんが選歌をされていたんですが、そこで褒められた歌の多くが家族の歌でした。
何かを歌にするときって、やっぱり自分が美しいと思っているものや面白いと思っているものが如実に出てしまうんです。三十一音でどんな些細なことでも無限につくることができるんですけど、人に褒められたり評価されたりするような良い歌は、やっぱり自分の思いがグッとのっかっているもので。そこを考えていくうちに、家族とか学校とか生きづらさ的なモチーフのものが自然と多くなっていき、歌集にするときもそこを中心に構成していきました。結果的にたどり着いたという感覚です。
―お母さんのことを詠んでいる、「下半身から血が出る日にもおにぎりを握り続ける母という人」という歌がすごく好きでした。
上坂:いま朗読していただいて、客観的に聞くと、何言ってんだ自分って思いますね(笑)。これは、わかりやすくて、そのまんまの歌ですけれど……。母という生き物にも当然女性だから生理は毎月訪れるし、うちは夫婦喧嘩が多い家だったんですが、父との諍いとかいろんなことがありつつも、どんな日でも母はおにぎりを握ってくれていたなっていう歌です。
下半身から血が出る日にもおにぎりを握り続ける母という人-
―短い言葉のなかに、ズシンとした重みがあると思いました。上坂さんの短歌を読んでいると感じるのは、生きづらさというテーマもですが、ご自身が本当に思っていること、本心の言葉が書かれているということです。嘘ばかりの時代に本当のことを言う人だから、そこに惹かれる人も多いんじゃないかと……。
上坂:なんでしょうね。最近、「事実」と「真実」ってちょっと違うと思うなかで、私は真実を追い求める性質の者なんですよね。
今日の朝何を食べたとか、何時に起きたとかそう言ったことは事実だと思うんですが、そうではなく、人が何に欲望するのかとか、この人の人格形成に1番影響を成しているものは何かみたいな、重要なファクターみたいなものこそ真実味が高いと私は思っていて、そういうことを考えたり知ったりすることがめちゃくちゃ好きなんです。
自分が面白いと思うことが必然的に真実味が高いものになっていて、そのまま歌をつくったらそうなった、ということなんだと思います。
昨夜未明急に倒れてそのまま 愛する妻の粥を食べながら-
やりたいことやってただけでそんなに悪い人ではなかったと姉-
やりたいことやった結果として生まれているわたしのやりたいことは-
葬式は少人数で催されフィリピンの地で父は眠った- P42-47 「海物語」の章では、母との離婚後にフィリピンに移住し、フィリピンで亡くなった父への鎮魂歌が収録されている。
歌集の発売からエッセイの執筆へ。『地球と書いて〈ほし〉って読むな』
11月26日に新たに刊行されるエッセイ『地球と書いて〈ほし〉って読むな』(文藝春秋)は、幼少期の記憶や学校での生活、家族のこと、そして東京に上京してからのエピソードなど、上坂さんの半生を綴った自伝的な本だ。
『老人ホームで死ぬほどモテたい』に収録された歌が多数引用されており、生きているだけでハードモードなこの世界を、探究心とユーモアをもって切り開いていく上坂さんの姿がありありと映し出されている。
―エッセイ『地球と書いて〈ほし〉って読むな』を書きはじめたのは、何がきっかけだったのでしょうか。
上坂:私は物書きのくせに小説をあまり読まなくて、昔からやたらとエッセイが好きでした。短歌の本を出したあと、エッセイのご依頼をいくつかいただいて、いろんなところで書いた文章と書き下ろしの文章をまとめたのがこの本です。
短歌だと載せることができないエピソードも多かったので、『老モテ』のエッセイ版みたいなことを目指してつくった本でもあります。短歌にはしづらいギャグっぽい話を入れたりもしました。
―先ほど、自分自身のことを「真実を追い求める性質」とおっしゃってましたが、エッセイを読むと、幼少期からそういったお子さんだったということが伝わってきました。
上坂:とにかく、ありとあらゆる集団のなかでずっと浮いていましたね。
子供にとって集団の最小単位って家族だと思うんですが、私はその家族がわりかしヤンチャというか、姉は若干ヤンキーっぽかったり、ギャルで、父親はギャンブルに依存していたりとか。そんな家族のなかで自分はすごく異物だなという感じはずっとありました。
でも、昔はそうやって集団のなかで浮いていることをまったく気にしてなくて、ひたすら真実だけを求めて生きるような子供だったと思います。良くも悪くも人の顔色を気にしていないところもあったと思います。
家族の「逆張り」で生きていた自分を卒業できたのは「余裕が生まれたから」
―ご家族のことがエッセイでもたっぷり綴られていますが、特に注目したのはお姉さんの存在で……。コミカルに書かれてはいますが、乱暴だったり強引だったり、子供時代は本当に壮絶だったのではと思いました。エッセイを読むと、お姉さんの存在も、上坂さんのパーソナリティの形成に影響を与えたのではと思ったのですが……。
上坂:姉のことがすごく苦手だったので、昔は姉と真逆に生きることがアイデンティティになっていた時期がありました。姉は小学生くらいから彼氏みたいな子がいたので、そのせいで恋愛をずっと拒否したり、ヤンキーという文化そのものを否定したりとか……。
―ただエッセイでは、東京に出て就職をして、表現者として活動されるなかで、「家族の中にいる自分」から飛び出て自分の個性と出会い直していく過程が綴られています。家族の「逆張り」で生きる自分をある意味卒業して、どうやって自分らしさと向き合っていったのでしょうか。
上坂:そうですね。家族についての恨みとかを短歌にしていくうちに、だんだんどうでも良くなってきた自分がいたんですよね。同時に、社会人になってからは結構闇雲に働いていたので、25〜26歳くらいのとき、生まれて初めて経済的、時間的余裕ができてきました。
はじめて「余裕」というものを手にしたとき、やることがないと思ったんです。いままでは、家族や地元や世界に対して中指を立てることが忙しかったんですけど、それがなくなったとき、時間もお金も多少あるけど、やることがない。そうすると、「より良い人間になる」こと以外に人生でやることってないんじゃないかと思ったんです。
じゃあ自分はどうやったらより良い人間になれるのか? と考えたとき、「いや、さすがに家族を憎みすぎだな」と思って。
たとえば、家族が全員陽キャのパリピみたいなノリだったので、逆張りをした末に、一匹狼でいることが正しいと思いすぎていました。全然友達がいなかったんですけど、いなかったというか、私が拒絶してたというほうが近くて。自分自身を変にラベリングしていました。
多くの十代にとっては、家庭と学校が世界のすべてだ。家庭でも孤独で、学校で皆と馴染むことができなかったため、私は世界のどこにも自分の居場所がないように感じていた。マジョリティに迎合できなかった人間は、マジョリティを憎み反対の立場を取ることで、なんとか自分の居場所を得ようとすることがある。だから「家族と真逆に生きる」ことがいつしか私の生存戦略となり、同時にアイデンティティでもあった。- 『地球と書いて〈ほし〉って読むな』P116
上坂:10代の頃はそうしないと生ききれなかったんですけど、呪いを解こう、必要以上に忌避してカテゴライズして勝手に嫌うのをやめよう、出会い直そう、みたいになりました。
だから、いま経済的や時間的余裕がない人に対して、同じことをするべきだとはまったく思わないです。私がたまたまそのタイミングで自分や家族と向き合う余裕を得ただけの話だと思います。
人間って、結局余裕がないと人に優しくできないんじゃないかという持論があるので、「いい人」になるのは余裕ができてからでいいと思います。
―短歌やエッセイの執筆を通して、ご家族を見る目線にも変化はありましたか?
上坂:そうですね。短歌や文章を書いていなかったら、ここまでちゃんと向き合うことはなかったかもしれません。新刊のエッセイを書いた後に姉から連絡があって、3時間半くらいたっぷり喋ったんですけど、これも最悪ネタとして書けるなと思ったし、喋ったほうがより真実に近づくだろうとも思いました。
結論としては、やっぱりあんまり好きじゃないかなということがより鮮明になったんですけど……(笑)。でも、同時に、私は姉のことを無敵で恐れがなくて自己肯定感抜群な人だと思っていた節があり、作品のなかでもそう書いているんですが、姉も姉で悩みがあり、生きづらさがあるのかもしれないという新しい解釈を得ました。
―尊敬できる上司との出会いなど、社会人になって新しい人や価値観に出会うことで、上坂さん自身も変わっていく様子が素直な言葉で綴られています。それがすごく素敵だと思いながらエッセイを読んでいました。最後に、上坂さんの声を待っている人に対して、ぜひ一言いただけたら嬉しいです。
上坂:いつも最後に何か伝えたいことをと言われるたびに、毎回「できるだけ死なないでください」って言っています。結局私がここでどんな綺麗事を言っても、明日を頑張って生きなきゃいけないのは皆さん一人ひとりだから、何もできないよというのが前提にはあります。
結局今回の本も過去の自分が知りたかったことばかり書いています。あのときわかっていたらもっと生きやすかったのにという話を集めただけで、やっぱり私はどこまでいっても自分のために書いている。
皆さんが救われたり、いいと思ってくださったりするのはその結果論でしかなく、それが真実だと思います。ただ自分のPodcastを聞いてもらったり、本を読んでもらったりすることによって、その人の人生が少しでも良くなったらいいなと思っています。
- 書籍情報
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『地球と書いて〈ほし〉って読むな』(文藝春秋)
第一歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』が異例のヒット!
唯一無二の短歌を紡ぐ新世代歌人のパンチライン炸裂エッセイ集。
不倫にギャンブルにやりたい放題の末、家族を捨ててフィリピンに飛んだ“クズ”の父、女海賊のように豪快で腕っぷしの強い母、ギャルでヤンキーでトラブルメーカーな姉、そして真実を執拗に追求するあまり人間関係において大事故を起こしてきた私……
数々の失敗を繰り返しながらようやく最近“人間”になってきた著者のこれまでを赤裸々かつユーモラスに物語る。
- プロフィール
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- 上坂あゆ美
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上坂あゆ美:1991年、静岡県生まれ。2022年に第一歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)でデビュー。Podcast番組『私より先に丁寧に暮らすな』パーソナリティ。短歌のみならずエッセイ、ラジオ、演劇など幅広く活動。
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