SusHi Tech Squareーデジタルから東京の「未来」を考える

街中の美味しそうな香り、じつは誰かが演出してる。香りのエキスパート浜田剛知と歌人・伊藤紺が語り合う

私たちは「香り」が持つ力について、どれくらい理解しているだろうか?

東京・有楽町のSusHi Tech Square 1F Spaceで、2024年10月から12月25日まで開催されている『エモーション・クロッシング展』。「テクノロジーと心躍る感情が交わる“未来の交差点”」をコンセプトに、来場者のなかに眠る「未知の感情」を呼び起こすような作品を展開している。

会期中の11月24日、本展で「香り」と顔を覆う「マスク」によって多様な感情を呼び起こす作品『Strange Deep Sea』を制作した浜田剛知氏(Japan Global Association)と、歌人の伊藤紺氏によるクリエイタートークが行なわれた。

街中にあふれる美味しそうな香りなど、さまざまな「におい」のプロデュースを手がける浜田氏と、複雑に揺れ動く心の内を31文字の短歌にこめる伊藤紺氏。知られざる香りの奥深さや、忙しい日々のなかで短歌や香りを楽しむことの意味について語り合った。

※2024年11月24日に開催されたクリエイタートーク「香りと感覚の関係性について」の内容を一部抜粋、編集しています。

1週間で感じる香りはおよそ5,000? 人は無意識に「香り」に動かされている

―浜田さんが代表を務めるJapan Global Associationでは、香りを活用したブランディング「セントマーケティング」に取り組まれています。これは、どういったものなのでしょうか?

浜田剛知(以下、浜田)

脳科学では、人間の心のなかには潜在意識と顕在意識の2種類があり、行動の9割は潜在意識によるものだと言われています。そして、そのうちの大部分は「嗅覚」に依存していることがわかっています。これを利用しているのがセントマーケティング。香りを使って顧客の五感に訴えるマーケティングの手法です。

―私たちは無意識のうちに、「香り」に動かされているところがあると。

浜田

はい。普段あまり意識することはないかもしれませんが、じつはみなさんは毎日、知らず知らずのうちにいろんな香りに触れています。人にもよりますが、その数は1週間でおよそ5,000とも言われているんです。

ちなみに、都市部における香りの多くは、Japan Global Associationが手がけた香りだと思います。多くの人が日常的に、私たちがつくった香りに触れていると思います。

伊藤紺(以下、伊藤)

そうなんですか? びっくり!

浜田

じつはそうなんですよ。わかりやすいところでは、「おいしそうな香り」ですね。街中で感じるタレや小麦、クリームのにおいの多くは、私たちが飲食店のマーケティングの一環として手がけたものです。

それから、四つ星以上のホテルは建物に入った瞬間にふわっと心地よい香りがしますよね。あれも、好印象を抱かせるためのブランディングや、滞在の時間を長くするといった狙いを持って香りの調合を行なっています。

―ブランディング以外の目的で香りを演出することもありますか?

浜田

逆に「においを打ち消す」ための施策を行なうこともあります。たとえば、空港などの多くの人が行き交う場所。あれだけの人がいると普通はさまざまなにおいが充満するものですが、それを化学反応によって打ち消す香りを出しています。水族館などもそうですね。あれだけの動物がいると、かなり強烈なにおいを発します。それでもあまり臭いと感じないのは、私たちのような会社が無臭化する演出を行なっているからなんです。

―そうした、さまざまな香りの課題を解決するのがセントマーケティングであると。

浜田

そうですね。また、私たちはビジネス寄りのセントマーケティングとは別に、アーティストとともに「香り」と「アートワーク」のコラボレーションも行なっています。香りって言語化や可視化することが難しいものなのですが、そこにアーティストの作品が加わることで、「どうしてこの香りが必要なのか」を可視化させることができるんです。

それこそ、今回の『エモーション・クロッシング展』に展示している『Strange Deep Sea』も、特殊メイクアーティストの快歩さんと私たちJapan Global Associationが協力して制作したもの。ぜひ会場に足を運んで体感してもらいたいです。

中毒性のある成分は使わない。香りに携わる者として、絶対に超えない一線

―香りによってはリラックス効果を高めたり、興奮作用があったりする場合もありますよね。

浜田

たとえば、ラベンダーに含まれるリナロールや酢酸リナリルという香り成分は、鼻から脳に働きかけることでリラックスの効果があります。これはわかりやすい例ですが、ほかにもさまざまな香りの成分を組み合わせることで、より複雑で多岐にわたる効果を生み出すことができるんです。私たちのラボでは日々、そうした研究開発を行なっています。

伊藤

それって調香師のような専門的な知識を持った方が開発されているんですか?

浜田

じつは、日本には臭気判定士やアロマテラピー検定といった資格はあるのですが、いわゆる「調香師」という資格はありません。そこで、弊社の開発メンバーたちにはフランスの調香師の専門学校で学位を取得してもらっていて、だからこそ複雑で繊細な香りを開発することができるんです。

―ちなみに、伊藤さんは歌をつくるときに「集中できる香り」ってありますか?

伊藤

集中できるのは「外のにおい」ですね。窓を開けて、自然のにおいが漂っているときのほうが書きやすい感覚はあります。逆に、ダメなのは美味しそうなにおい。欲望が刺激される香りで集中が妨げられるからなのか、飲食店だとあまり書けない気がします。浜田さんにお聞きしたいのですが、室内より外の自然の香りのほうがより高い集中力を発揮できる理由って何かありますか?

浜田

やはり自然由来の香りにはリラックス効果を高めるものが多いですし、一部の草木には集中力を高める香り成分も含まれています。最も好ましいのはブルーグラス、つまり天然芝の匂いです。海外の大学の研究では、芝生の香りにはストレスを下げる効果があるという結果も出ていますので、家の近くに公園がある場合は窓を開けて仕事をすると効率が上がるのではないかと思います。

―香りは感覚や感情に大きな影響を与えることがよくわかりました。ただ、それだけに少し怖い気もします。特に、セントマーケティングなどはそれが行きすぎると「香りで人をコントロールする」というようなことにもつながりかねないのではないかと。

浜田

おっしゃる通りです。セントマーケティングって、ある種「洗脳」にも使えてしまうところがあって。だからこそ、我々のように仕掛ける側が自らを律しなければならない部分があると考えています。

たとえば、私たちが香りを調合する場合、中毒性があるような成分は絶対に使いません。IFRA(国際香粧品香料協会)が定める基準を遵守し、2〜3か月に1度の改定によって基準が変わった場合は、過去に処方したものも含めてすべてをチェックし直しています。そこで使えなくなった成分があれば、あらためてつくり直す。かなり大変な作業ですが、それが香りの事業に携わる者の責任だと思っているので。

香りと短歌。2人のインスピレーションの源泉は?

―ここまでは浜田さんに香りと感情の関係について語っていただきましたが、伊藤さんも香りに関連する短歌を手がけられています。一つ、伊藤さんご自身から紹介いただけますか?

伊藤

明確な香りが元になっているのは、「その匂いで吹き飛ばされる記憶 薔薇はあなたをずっと待ってる」という歌です。Diptyque(ディプティック)の「Eau Rose(オーローズ)」のにおいに感動した経験から生まれた歌です。

その匂いで吹き飛ばされる記憶 薔薇はあなたをずっと待ってる
- 歌集『気がする朝』

伊藤

それまでは薔薇の香りって、あまり得意ではなかったんです。重くて、どこか沈むようなイメージがあって。でも、Eau Roseはそうした重さがなく、鼻からふわっと抜けていくような香りでした。花びらだけでなく茎や棘の香りも入っているらしいのですが、当時はそういうこともまったく知らず、はじめて好きと感じられた薔薇の香りにただただ感動してつくった歌ですね。

浜田

薔薇って香りの専門家からすると、すごく難しい花なんですよ。おしべやめしべが混ざると雑味が出てしまうので、本当に花びらだけを取り出さないといけなかったりします。

また、茎や棘は単体で嗅ぐと青臭いので、基本的に香料として抽出せず捨てられていたんです。Eau Roseはそれを丁寧に調香して、素晴らしい香りにまとめあげている。茎や棘のえぐいにおいを消しつつ爽やかさを表現して、伊藤さんも苦手とおっしゃっていた薔薇の独特な重い香りを軽減していますよね。素晴らしい技術力だと思います。

伊藤

そうなんですよ。みなさんにもぜひ嗅いでみてほしいです。

―せっかくの機会なので、浜田さん、伊藤さんからお互いに聞いてみたいことはありますか?

浜田

すごく興味があるのは、伊藤さんが普段どのように言葉のインプットをされているのか。伊藤さんの短歌のように、素敵な、それでいて端的でわかりやすい言葉選びって、もちろん天性の感覚もあると思うのですが、それだけではない日頃のインプットも重要なのかなと。何か、意識的に実践されていることがあればお聞きしたいです。

伊藤

日頃していることはよくわからないんですけど、根底にあるものとして一つ挙げるなら音楽ですかね。私は親が心配するくらい本を読まない子供だったんですけど、音楽はずっと好きで。小学生の頃はモーニング娘。をずっと歌っていたし、中学生の頃はチャットモンチーとか好きだったバンドの歌詞を見ながら聞いていました。当時の私にとって言葉は読むものというより、耳から入ってくるものだったと思います。自分のなかに育った音と言葉のつながりが、短歌を作るうえでの自分の言葉選びには反映されていると思います。

伊藤

浜田さんや調香師の方は、香りの研究開発をするうえで、新しい表現のインスピレーションってどのように生まれることが多いのでしょうか?

浜田

クライアントからの「無茶ぶり」がきっかけになることが多いですね。お客さんってわりと無理難題をおっしゃるんですよ(笑)。

たとえば、立地の関係で信じられないくらい下水のにおいが充満している飲食店や商業施設から、これを何とか消してほしいと。そうしたハードルの高い課題を超えるために、いかにインスピレーションを働かせ、クリエイティビティを発揮するか。それも僕らの大事な役目だと思っています。

ときには「わからないもの」に思いを寄せてほしい

―タイパや効率性を重視する向きもあるなかで、人生には少し立ち止まって香りを楽しんだり、じっくり短歌の世界に浸ったりする心の余裕も必要なのではないかと思います。忙しい日々を送ってそんな時間をとれない人も多いのではと思うのですが、最後にお二人からメッセージをいただけますか?

浜田

香りに携わる者としては、やはり多くの人に意識して「鼻」を使ってほしいと思います。日頃から鼻を使ってさまざまなにおいを嗅いでいると、脳の嗅覚を司る部分が刺激されていきます。そのぶん脳が活性化されて、喜びを感じられるようになるんです。

もちろん、美味しいものを食べるとか、温泉に入ったり、マッサージを受けたりして感じる幸せもありますが、鼻を使うのはいつでもどこでもできることじゃないですか。それに、嗅覚は訓練するほど研ぎ澄まされて、いろんなにおいの変化を敏感に感じ取れるようになります。そうした変化に気づけるようになると、世界の見え方がまったく変わってくるんです。そうすると、より人生が豊かで楽しいものになるんじゃないかと思います。

伊藤

私は「わからない」ことを、もっと楽しめるような人が増えるといいなって思います。短歌を読んで意味がよくわからなかったとしても、その一瞬で読み飛ばさずに、せめて「2秒」は思いをめぐらせてほしい。

その結果、「やっぱりわからない」となるかもしれないけれど、もしかしたら心にふわっと何かを感じることができるかもしれない。その短歌のことはすぐに忘れてしまったとしても、体験は無意識のうちに積み重なって、豊かな心を育ててくれるのではないかと思います。

浜田

本当にそのとおりですよね。普段から何かに追われて心の余裕をなくしてしまっている人にこそ、伊藤さんの歌を読んでほしいです。あまり自分で「忙しい、忙しい」と言っていると、脳が洗脳されてますます余裕がなくなっていきますが、短歌ってそこに違う角度から「間」を生んでくれるものなのかなと。

そうすると心が落ち着くだけでなく、思考がパッと切り替わって新しいアイデアが生まれたりもする。忙しい日々に少しの余白を与えてくれるのが、歌であり、香りなんじゃないかと思います。

イベント情報
『エモーション・クロッシング展』

会期:2024年10月12日(土)~ 12月25日(水)
休業日:月曜日
開館時間:平日 11:00~21:00(最終⼊場 20:30)、⼟休日 10:00~19:00(最終⼊場 18:30)
入場料金:無料
主催:東京都
プロフィール
Japan Global Association 株式会社

「才能を事業にする」事を掲げ「香り」の専門事業部を立ち上げ、空間の香り及び香りを使ったセントマーケティング事業を展開。多くの5つ星ホテルやハイブランド、飲食店の空間の香りを手掛る他、多くのインフルエンサーとも提携し、香りを使ったブランディングも行っている。

伊藤紺

歌人。1993年東京都生まれ。2016年作歌を始める。著書に歌集『気がする朝』(ナナロク社)、『肌に流れる透明な気持ち』、『満ちる腕』(ともに短歌研究社)。全歌集の装丁を手がけるデザイナー・脇田あすかとの展示作品「Relay」ほか、ファッションビルとのコラボなど活躍の場を広げる。



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