パチンコ店に併設された、滞在者数うなぎのぼりのアーティスト・イン・レジデンスに潜入
千葉県の北西部にあり、江戸川を挟んで東京と隣接する松戸市は、江戸時代には水戸街道の宿場町「松戸宿」として、活況を見せたエリアだ。人が寄っては去って行く。そんな歴史を持つ街に、2013年に設立されたアーティスト・イン・レジデンス(略称:AIR)プログラムがある。一般社団法人「PAIR」と株式会社まちづクリエイティブが運営する「PARADISE AIR」だ。
PARADISE AIRが面白いのは、その建物がもとは平成元年に建てられたホテルだったことである。ホテルの廃業後、3階まではパチンコ店となったものの、上階は空室となっていた。その場所を、パチンコ店を運営する株式会社浜友商事が「地域のため」とほぼ無償で提供したことで、この珍しい滞在プログラムが生まれたのだ。
そもそもAIRとは、アーティストに一時的な滞在場所を提供し、その制作や発表をサポートする仕組みのこと。昨今の芸術祭ブームとも絡み合いながら、地域活性化の仕掛けのひとつとして盛り上がり、日本各地でその施設数を増やしている。とはいえ、数の増加は個性の埋没にもつながる。
そんな中、国内外からのPARADISE AIRの参加者は、2014年には8組、2015年には13組、2016年には43組とうなぎ上りだ。一体、その制作拠点としての魅力とは何なのか? 11月5日~6日にかけて行なわれた、同施設の活動を紹介するイベント『PARADISE HOUR』を訪れて、その取り組みを取材した。
「宿代を払う代わりに作品を作ってください」。「一宿一芸」のコンセプト
アーティスト募集の形態としては、年に1度、3か月間の滞在制作者を呼ぶ「ロングステイ・プログラム」と、つねに募集を行なう「ショートステイ・プログラム」の2種類がある。かつて松戸宿には、ほかの多くの宿場町と同じように、宿代の代わりに作品を残していった画家や書家があったという。そんな歴史からPARADISE AIRでは、「一宿一芸」というコンセプトを立て、地域に向けて何か創造的な活動を行なったアーティストには、なんと無償で宿泊場所を貸している。
この気軽な募集要件が、国内外で注目を集めた。たとえば今春には、ノルウェーのバンド「OPEN STRING DEPARTMENT」が、松戸をツアー拠点にするかわりに、江戸川を舞台に自身のミュージックビデオを撮影。
フランス人ダンサーのエミリア・ジュディチェリは、多くの人が行き交う駅前の西口公園で、8時間にも及ぶ即興的なダンス公演を実施した。
エミリア・ジュディチェリ『TEST』(動画を見る)
地域活性化の目的から設置されたAIRでは、とかくその「成果」が求められがちだ。一方のPARADISE AIRでは、あくまでも気軽に滞在できる場の提供に主軸が置かれ、街への還元は長期的に現れるとの姿勢が取られている。この方針を可能にしている理由のひとつには、運営するPAIR自体が、自治体関係者やマネジメントのプロではなく、音楽や建築、映像を本職とするアーティストによる組織であるということがある。同じ作り手としての「創造性が発揮できなければ意味がない」との思いが、運営方針にも反映されている。
PARADISE AIRの運営メンバー
またもうひとつ、2フロアの全16部屋のうち、レジデンスに使われない部屋を一般のクリエイターに格安で貸し出し、家賃収入を得ているという経済的な事情もある。現在はまだ、一部を自治体や国の助成金により賄っているが、将来的にはさらに2フロアを追加予定。家賃収入によって運営資金を捻出することで、助成金のみに頼らない仕組みを構築したいと言う。
現在も、音楽やアパレル、建築など、さまざまな領域のクリエイターが入居。取材日に話を聞いた黒木晃さんは、普段は都内の有名書店「ユトレヒト」のスタッフとして働きながら、多様な表現者の出入りや部屋の内装に惹かれ、個人の編集事務所としてこの秋に入居した。
1部屋あたり40平米を超え、家賃は3万5000円~4万円。国内外からの一時滞在者と入居者、さらにはPAIRのスタッフによる協働制作も、日々行なわれている。
市民とも積極的にコミットするロングステイ・プログラム
一方、レジデンス機能のもう1本の柱である「ロングステイ・プログラム」では、松戸の地域性により深くコミットしながらの制作活動も行なえる。2015年には、ポルトガル出身のアーティスト、ヴァスコ・ムラオが滞在制作を行なった。元建築家の彼は、松戸の人々に「街で一番好きな場所は?」と質問。現場を回ってスケッチを描き、大量の建築群を1枚の絵にまとめた。
PARADISE AIR LONG Stay Program 2015(動画を見る)
地元の人が見ると場所が特定できるというこの絵は、松戸市民の頭にある街のイメージを記録した、一種の地図としても見られるだろう。長い時間を経て見れば、現在時の市民が抱く「松戸像」を知る、面白い資料になるかもしれない。完成後には、絵を印刷したのぼりが制作され、街の通りを彩った。さらにそののぼりは、プレゼントとしてムラオの作品制作に協力した人々へ渡され、彼らの手元に残っているという。
今年10月からは、タイ出身でアメリカ育ちのアーティスト、プリン・パニチュパンが長期滞在中。アーティストになる前は、世界的なデザインファーム「IDEO」で働くデザイナーだった彼は、製品のようでありつつも、デザインとアートの境界を使い手に問いかける作品を発表してきた。そんな彼が松戸で取り組むテーマは、「地球温暖化」である。
PARADISE AIRという場で起きていることを、広く松戸市民と共有するために開催されたオープンスタジオ『PARADISE HOUR』では、施設の内部を開放するとともに、このパニチュパンの進行形の取り組みが、ワークショップや作品展示、プレゼンテーションと、さまざまなかたちで紹介されていた。
ワークショップでは、温暖化を身近に感じるためのアイデアを、約10名の参加者とブレインストーミング。展示では、270種類の絵文字を配したキーボードを設置し、そのうち3種類を使って温暖化を表すことを促す、参加型の作品が披露されていた。
デザインとアートにまたがる自身の思考を紹介したプレゼンテーションでは、絵文字に着目する理由を、「言語の壁を超える有効なツールだから」と説明。温暖化という世界的な問題を共有する上での、絵文字の情報伝達力の可能性を、日本のデザインに日々触れながら探っていると言う。この作品も含まれる今回の制作の結果は、12月16日~18日に行なわれる滞在制作展で発表される予定だ。
短期的な見返りではなく、長期的な視野でアーティストを支える
こうして見ても、PARADISE AIRの参加者の活動はじつにバラバラだ。しかも、そこには松戸とのつながりが、にわかにはわからないものも多い。さらにはパニチュパンが行なう成果発表の展示も、長期滞在者の義務というわけではないと言う。PAIRのメンバーで普段は建築家として活動する森純平は、そうした方針の理由をこう話す。
森:必ずしも予定された期間に創造性が生まれ、制作が終わるわけではないと思うんです。それより重要なのは、アーティストとしての一時期を松戸で過ごし、そこから有機的な経験を得てもらうこと。それがあれば、いつか活動が世界に認められたとき、自身を変えた場所として、PARADISE AIRや松戸の名前が挙がるかもしれない。そんなアーティストが世界中に増えれば、この場所の価値も結果的に上がるはず。より長い視野を持つなら、アーティストの自発性に委ねてみることも大事なのだと思います。
PARADISE AIRは、松戸という街のためだけの場所ではない。そうではなく、あるのはいわばひとつの広場であり、その瞬間の滞在者のふるまいによって、それが生み出す景色はさまざまに変化し続けている。経済的なインパクトや、感動的なエピソードなど、分かりやすい成果が求められがちな昨今のアートと地域の関係。そんな中、アーティストの主体性に重きを置いたこのような施設が存在することが、取材を通しての何よりの驚きだった。
もちろん、その試みが本当の意味での価値を持つかは、継続中の取り組みにかかっている。しかし少なくとも、アーティストに新しい環境を与え、そこから生み出される「何か」に賭けてみるというAIRの本来の姿が、この場所にはあると感じた。
- イベント情報
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- 『滞在制作展|Too Slow To See』
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2016年12月16日(金)~12月18日(日)10:00~18:00
会場:千葉県 松戸市文化ホール ギャラリー3
料金:無料
※期間中は毎日15:00からアーティストによる解説ツアーを開催『報告会|Artist Talk』
2016年12月17日(土)18:30~(18:00開場)
会場:千葉県 松戸 PARADISE AIR
料金:無料その他、滞在制作展会場にてポートレート展「MAD ANNUAL 2016」、キッズプログラム「しろくま図工室」も同時開催。
- プロフィール
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- PARADISE AIR (ぱらだいす えあ)
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千葉県松戸市に入れ替わり立ち代わり国内外からアーティストが訪れ滞在し、作品制作や発表を行なうアーティスト・イン・レジデンス。ビルオーナーであるパチンコスロット店「楽園」の協力を得て運営し、プログラム名はその店名に由来しています。かつて宿場町として栄えた千葉県・松戸駅前は、江戸と水戸をつなぐ拠点として多くの滞在者が行き交いました。地元住民の邸宅には、過去に訪れた文人画人が宿泊料代わりに残した作品が今も残るといいます。PARADISE AIRはこうした松戸宿の歴史伝統を踏まえた「一宿一芸」をコンセプトとする、アーティストの国際的な滞在制作拠点です。多くの人が松戸に集い、アーティストと日本の芸術文化にとって新しいトランジットポイントとなることを目指します。Instagramのハッシュタグ「#p_air」で、PARADISE AIRの日々の活動を発信中。
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