韓国の名匠ホン・サンスの監督作が4作連続で公開されている。
男女のままならない恋愛模様を独特の演出法と会話劇で描くホン・サンス作品。韓国国内だけでなく日本でも熱心なファンを多く生み出し、カンヌ、ベルリン、ヴェネチアの三大映画祭にたびたび招待されるなど、ヨーロッパでも高い評価を獲得している。
1996年のデビュー以来、22年で22作品を発表する多作ぶりで知られるホン・サンスだが、日本では加瀬亮が主演した2014年公開の『自由が丘で』以来、久しく作品が劇場公開されておらず、イベント上映などの限られた機会のみとなっていた。それだけにこのたびの4作品一挙上映に歓喜したファンも少なくないのでないだろうか。
上映されているのは、『正しい日 間違えた日』『それから』『夜の浜辺でひとり』、そして7月14日から公開される『クレアのカメラ』――いずれも妻子あるホン・サンスとの不倫関係を公にしているキム・ミニを主演に迎えた作品で、2人は今年の『ベルリン国際映画祭』フォーラム部門に出品された最新作『Grass(原題)』(日本未公開)でもタッグを組んでいる。
新作1作品を劇場公開するだけでなく、なぜ過去作も含むホン・サンス×キム・ミニのタッグ作4作品をまとめて日本で連続公開することになったのか。CINRA.NETでは4作品の配給・宣伝を担うクレストインターナショナルにインタビューを敢行。買い付けを担当した同社代表取締役・渡辺恵美子氏と宣伝担当の鏑木知都世氏に、今回の4作品連続上映に込めた思いや裏話を訊いた。
「これは事件だと確信した。やるなら4本まとめてやらないと意味がない」
ことの始まりは昨年の『第70回カンヌ国際映画祭』にさかのぼる。同映画祭に出品されていた『クレアのカメラ』『それから』の2作品を観賞したことがきっかけだったという。『クレアのカメラ』はコンペティション部門、『それから』はアウト・オブ・コンペティションに出品されていた。
渡辺恵美子(株式会社クレストインターナショナル代表取締役):正直言って、ホン・サンス作品はそんなに多くは見ていなかったのですが、この2作はとても新鮮に映りました。なによりキム・ミニがとても魅力的だと思ったんです。当時はすでにホン・サンスとキム・ミニの不倫関係は公になっていましたが、ふたりは映画監督と女優としても出会うべくして出会った、それは幸せな出会いだと思えました。
そこで、ふたりが初めて組んだ作品『正しい日 間違えた日』、そしてキム・ミニをベルリンの主演女優賞に輝かせた『夜の浜辺でひとり』も観てみたら、やはりこれは事件だと確信しました。
『クレアのカメラ』 ©2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
『それから』 ©2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
キム・ミニというミューズに出会ったホン・サンス
ホン・サンスの日本劇場未公開作品には、2016年の『あなた自身とあなたのこと』もあるが、この作品にはキム・ミニは出演していない。キム・ミニが出演している4作品を見て「やるなら4本まとめてやらないと意味がない」と思ったという渡辺氏は、ホン・サンスは日本にも熱狂的なファンがいる映画作家であることを知っていたが、自身の会社で配給するのであればこれまでとは異なる角度でアプローチしたいと考えた。
渡辺:弊社が配給するならこれまでのホン・サンスのイメージから離れてキム・ミニとの新たなステージに入ったホン・サンスを打ち出してみたいと思ったのです。ある意味“新装開店”ですね。これまでの一部の熱狂的なファンだけのものという印象を変えたいとも思いました。この4作品はホン・サンスを初めて見る人にとっては新鮮で素直に面白いと思ってもらえるのではないかと。
ホン・サンスの映画は男女の機微を描いてばかりいますが、ホン・サンスがこの4本を追うごとに、更にその核心に入り、衒いなく男女の機微を超えた人間の真実を見せた気がしたのです。それは紛れもなくキム・ミニという存在があるからでしょう。ミューズというのはこういうことか!と。スゴイことですよね。じゃあ、4本すべて配給しようと。
往年の映画監督×女優の名コンビの系譜を感じさせる『それから』
どこか情けない女好きの男性キャラクターが女性と出会って酒を飲み、酔っぱらい、語り合う、というのがホン・サンス映画の多くに共通する展開だ。起用する俳優も常連俳優が多いが、キム・ミニとの出会いはそんなホン・サンス作品にどのような変化をもたらしたのだろうか。
4作品の製作順は『正しい日 間違えた日』(2015年)、『夜の浜辺でひとり』(2017年)、『クレアのカメラ』(2017年)、『それから』(2017年)。各作品の違いや見どころを訊いてみた。
渡辺:ホン・サンス×キム・ミニの4作目となる『それから』は、キム・ミニというミューズを得て、ホン・サンスが成熟に到達した傑作といえます。主人公は情けない男で、全編に漂うそこはかとないユーモアというのはこれまでと同じですが、実生活のスキャンダルを経て、ホン・サンスが更に達観した視点に立ったような気がします。
キム・ミニとホン・サンスの関係が報道されたのは2016年のことで、2人は翌年の3月に実生活で恋愛関係にあることを認めた。2015年の作品『正しい日 間違えた日』の撮影をきっかけに出会って恋に落ちたキム・ミニとホン・サンス。2人の関係は韓国内で大バッシングを受けるも、『夜の浜辺でひとり』『クレアのカメラ』と次々に作品を撮り続けた。
『それから』 ©2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
『それから』ではキム・ミニ演じる出版社勤めの主人公が社長の不倫騒動に巻き込まれていく様が描かれる。
渡辺:これまでもロベルト・ロッセリーニとイングリッド・バーグマン、ゴダールとアンナ・カリーナ、小津安二郎と原節子と語り継がれる映画監督と女優の名コンビが数々の名作を世に送り出してきましたが、『それから』にはホン・サンスとキム・ミニもその系譜に連なるのではないかと思わせる名作の風格があります。特に、雪が降るシーンのキム・ミニの美しさは圧巻です。映画の至福です。是非スクリーンで堪能してほしいです。
ベルリン主演女優賞の『夜の浜辺でひとり』、初タッグ作『正しい日 間違えた日』、イザベル・ユペール出演の『クレアのカメラ』
ドイツ・ハンブルクと韓国・カンヌンという2つの海岸都市を舞台にした『夜の浜辺でひとり』では、キム・ミニが不倫スキャンダルによってキャリアを捨ててドイツに逃げてきた女優を演じている。
渡辺:『夜の浜辺でひとり』は、なんといってもキム・ミニの圧倒的な存在感です。キム・ミニは、本作で韓国人俳優初となる『ベルリン国際映画祭』の主演女優賞に輝きました。恋もキャリアも失って、ひとり遠い異国に逃げるヒロインの心情がひしひしとスクリーンから伝わってきて、特に女性には強い共感を得られる作品だと思います。
ホン・サンスとキム・ミニの初タッグ作となる『正しい日 間違えた日』は、運命的に出会った男女がタイミングの違いによって異なる結末を迎えるまでの2つのケースを、映画の前半と後半の2つの展開で見せる。
渡辺:ホン・サンスとキム・ミニが出逢った記念碑的作品『正しい日 間違えた日』は、新感覚ラブストーリーです。これは『夜の浜辺でひとり』とは違うキム・ミニの小悪魔的可愛さにノックアウトされてください(笑)。ヒロインと恋に落ちる映画監督を演じるチョン・ジェヨンも、こんなにもチャーミングにダメ男を演じられるのは他にはいないと思わせます。恋が始まりそうで始まらない、または恋のはじまりの瞬間を目撃する楽しさに溢れた一作です。
7月14日から公開される『クレアのカメラ』は、2016年の『第69回カンヌ国際映画祭』開催時にカンヌで撮影が行なわれた。イザベル・ユペールは『エル ELLE』、キム・ミニ『お嬢さん』がそれぞれコンペティション部門に出品されていたため、カンヌを訪れており、その機会を利用したわずか数日の撮影で生まれた作品だ。
渡辺:『クレアのカメラ』は、フランスの至宝イザベル・ユペールが出演し、キム・ミニと息ピッタリのコラボレーションを見せてくれます。ユペールはポラロイドカメラを片手に、カンヌ映画祭に観光にやってくる音楽教師を演じていますが、その不思議なオーラがたまらなく面白いです。
ホン・サンスとユペールの二度目の作品になりますが、ふたりの相性の良さは抜群です。ここにもホン・サンスの人間観察の目がいきていると思います。
『クレアのカメラ』 ©2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
「人間ドラマの傑作『それから』、女性讃歌の決定版『夜の浜辺でひとり』、新感覚ラブストーリー『正しい日 間違えた日』、フランスの大女優ユペールとキム・ミニのライトコメディ『クレアのカメラ』」と4作品を分類する渡辺氏。「あまりホン・サンス作品だと気負わず、気分に合った作品どれか1作品でも観てほしいなと思います」と語る。
スキャンダルから生まれた視点の変化。ヒロインの描き方にも
4作品のうち、唯一『正しい日 間違えた日』だけがスキャンダル発覚前に撮影された作品だ。発覚前と発覚後でも変化は見られるのだろうか。
渡辺:ホン・サンスは人間観察の達人で、これまでもその観察眼を映画に生かしてきたと思いますが、『正しい日 間違えた日』以降は客観からより主観に入ったと言えるのではないでしょうか。スキャンダルこそがその変化を生んだわけですよね。ホン・サンスのスゴイところは、その渦中にありながら、主観的な視点と客観的な視点の両方を持ち合わせて映画に昇華していく。その主観と客観の対比が『クレアのカメラ』につながっていたのではないかと思います。
『それから』のテーマは「人生はままならぬ」。スキャンダルを通して「人生ままならないな~」と思ったのかもしれませんね(笑)。そんなことが伺えます。けれど、そうした人生すべてを肯定し、世界は美しいと思うようになったんだなと分かるシーンが『それから』にはあります。なんだか謙虚さを感じてしまいますよね。
『正しい日 間違えた日』 ©2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
また渡辺氏はヒロインの描き方の違いも指摘する。
渡辺:これまでのホン・サンス映画では、女性はあくまでも男の欲望の対象が多かったと思うのですが、『正しい日 間違えた日』以降は、女性がヒロインとしてきちんと立っています。映画が女性に寄り添って、女性の気持をきちんと理解していると感じます。愛は人を謙虚にするとホン・サンス自身もインタビューで語っていますが、まさにその通りですよね。
宣伝は「ホン・サンスの特集上映」ではない見せ方を意図
渡辺氏をはじめ、配給元のクレストインターナショナルは今回の4作品連続上映にあたって、新たなホン・サンスのファン層を開拓し、広くホン・サンス作品の魅力をアピールしたいと考え、宣伝方法にも工夫を凝らした。
「今回どこまで新たなファンを獲得できるかというのが勝負の分かれ道で、宣伝もそこを強く意識しながらやっていきました」と語る宣伝担当の鏑木知都世氏は「ホン・サンスの特集上映」という見え方ではなく、それぞれ1本の新作映画として打ち出せるよう宣伝コンセプトを作り、4作品のビジュアルもそれぞれ趣向を変えたデザインを採用したと明かす。
鏑木知都世(クレストインターナショナル):4作品それぞれビジュアルを変えたチラシを作り、4作品それぞれ別の著名人からコメントをもらう…といったように、あくまで新作4本が公開されるというスタンスで宣伝を展開しました。4作品の上映スケジュールなどが載った、いわゆる特集上映的なチラシも作らなかったですね。
また公開前には、キム・ミニの出演作であるパク・チャヌク監督の『お嬢さん』の1週間限定上映を実施。
鏑木:キム・ミニはこの作品で、日本でも広くファンを獲得していましたし、ここでホン・サンスの過去作を上映するのではなく、キム・ミニの新作が4作品公開になるのだという印象をつけようと思いました。パク・チャヌク監督ファンとホン・サンス監督ファンはそんなに重ならないような気がしますし、『お嬢さん』を観にきたパク・チャヌク監督ファンも取り込めたらいいなと思いました。
作品ごとに異なる4枚の「格言カード」
劇場では、各作品ごとのビジュアルをあしらった手のひらサイズの4枚カードが配布されている。異なる色で縁取られた裏面には、それぞれ印象的なコピーが記されており、4枚全て集めたくなるようなデザインになっている。
鏑木:ホン・サンスの映画って、何気ない会話の奥に人生の真理みたいなものが隠れているような気がしています。そんなところをうまく伝えるにはどういう形がいいだろうと考えた時に、格言カードのようなものは面白いかもと思ったんです。それと、まさに4枚全部集めたいというコレクター心をくすぐりたいという狙いもありました。
これだけ公開される映画の数が多いと、いかにチラシを手取ってもらえるかがすごく重要です。このカードならかさばらないし、4作品全部手に取ってもらえるのではないかなと考えて作りました。実際すべて持って帰って、かつSNSに投稿してくれる方もたくさんいたので、成功だったと思っています。
鏑木:またこのコピーは宣伝スタッフみんなで頭をひねって考えました。一番最後までいいコピーが出なかったのは、『正しい日 間違えた日』の「恋よ来い 早く来い」です(笑)。なにか良いキャッチコピー降りて来い~と唸っていたところから生まれました。
「俺たちのホン・サンス」は実は恋愛巧者?
こうした宣伝の努力が実ってか、今回の連続上映ではホン・サンスファンの観客に加えて、各作品で異なる客層が見られるという。
鏑木:女性映画として打ち出した『夜の浜辺でひとり』は若い女性のお客さまが多いです。漱石の『それから』から名付けられたということもあり、文学の要素を加えていった『それから』にはシニアのお客様も来て下さっています。
『夜の浜辺でひとり』 ©2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
日本では今回の上映を機に新たなファン層を開拓しつつあるところかもしれないが、カンヌでたびたび作品が上映されているフランスではすでに広く認知されているという。
渡辺:フランスでのホン・サンスの人気はスゴイですよね。日本よりも圧倒的に人気があるように思います。カイエ系のシネフィルだけでなく、普通の映画ファンもホン・サンス作品を見ていますよね。まあ、フランスの映画ファンの成熟度がうらやましいという話になってしまいますが。
さらに渡辺氏は日本では「『俺たちのホン・サンス』というように支持されている」としつつも次のように明かしてくれた。
渡辺:でも、ホン・サンス自身は、彼の映画の中に出てくるようなダメ男ではないと思います。実は恋愛巧者で、女の扱いに長けている。だからフランスで受けるのは当然な気がします。
この4作品を見ると、ホン・サンス×キム・ミニの最新作『Grass』も観たくなってしまうところだが、クレストインターナショナルでは今のところ『Grass』の配給の予定はないが、検討は続けているという。また最後に韓国映画ファンには嬉しい答えが返ってきた。
渡辺:弊社は基本的にはヨーロッパ映画の配給が多いのですが、その中でもキム・ギドク監督やイ・チャンドン監督、ウニー・ルコント監督(フランス・韓国合作)の配給宣伝もやってきたので、今後も面白い作品があったら考えていきたいですね。
『正しい日 間違えた日』『それから』『夜の浜辺でひとり』の3作品は、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町で公開中。『クレアのカメラ』は7月14日から両館で公開される。
- 作品情報
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- 『それから』
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ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開中
監督・脚本:ホン・サンス
出演:
クォン・ヘヒョ
キム・ミニ
キム・セビョク
チョ・ユニ
上映時間:91分
配給:クレストインターナショナル
- 『夜の浜辺でひとり』
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ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中
監督・脚本:ホン・サンス
出演:
キム・ミニ
ソ・ヨンファ
クォン・ヘヒョ
チョン・ジェヨン
ソン・ソンミ
ムン・ソングン
上映時間:101分
配給:クレストインターナショナル
- 『正しい日 間違えた日』
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ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中
監督・脚本:ホン・サンス
出演:
キム・ミニ
チョン・ジェヨン
コ・アソン
チェ・ファジョン
ソ・ヨンファ
ユン・ヨジョン
上映時間:121分
配給:クレストインターナショナル
- 『クレアのカメラ』
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2018年7月14日(土)からヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
監督・脚本:ホン・サンス
出演:
キム・ミニ
イザベル・ユペール
チャン・ミヒ
チョン・ジニョン
ユン・ヒソン
イ・ワンミン
カン・テウ
マーク・ペランソン
シャヒア・ファーミー
上映時間:69分
配給:クレストインターナショナル
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