(メイン画像:Mirosław Bałka, Narcissussusch, 2018, Polished stainless steel, electrical mechanism ©Studio Stefano Graziani, Muzeum Susch/Art Stations Foundation CH)
人口200人の小さな村で、12世紀の修道院が美術館に
スイス東部、自然豊かなエンガディン地方の小さな村スーシュに新たなアートの拠点が誕生した。
1月2日にオープンしたスーシュ美術館(Muzeum Susch)は多角的な機能を持つアートスペースだ。1500平方メートルにおよぶギャラリースペースでは、サイトスペシフィックな作品の常設展示に加え、定期的に企画展が行なわれる。さらにシンポジウムや、芸術科学分野におけるジェンダーにまつわる問題の研究をサポートする学術機関、パフォーミングアーツの支援など様々なプロジェクトを展開し、2019年の後半にはレジデンシープログラムも開催する予定だという。
スーシュはスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼路の途中にある。イタリア、オーストリア、ドイツの国境近くに位置する人口約200人の村だ。美術館は12世紀に修道院として使われ、醸造所なども備えた複合建築の跡地を利用して作られた。
むき出しの岩壁や水源が残る場所も。自然と溶け合う建築
設計はスイスの建築家Chasper SchmidlinとLukas Voellmyによるもの。彼らはもともとの建築や立地の歴史的な文脈を尊重したアプローチをとり、建物の内外に自然の岩壁をむき出しのまま残した。ランドスケープデザインはチューリヒの造園家ギュンター・フォクトが務めている。自然の水源がそのまま残る場所もあるなど、周囲の環境と響き合う荘厳な環境を作り出した。
美術館は、展示室、オフィス、レストラン、レジデンススペースなどを擁する4つの建物で構成され、うち2つの建物は地下通路で繋がっている。元の建物や風景を保ちながらさらなるスペースを確保するため、9000トンもの岩石が彫り出されたそうだ。
高さ17メートルの展示室には巨大な立体作品が常設展示
醸造所の中央冷却塔だった場所は拡張され、天井高17メートルの展示室に生まれ変わった。ここにはポーランド・ワルシャワを拠点に活動するモニカ・ソスノフスカの巨大な立体作品『Stairs』が常設展示されている。ソスノフスカは2015年に東京・銀座メゾン エルメスで個展『ゲート』を開催しているので、その名に覚えがある人も多いのではないだろうか。
スーシュ美術館で見ることのできるサイトスペシフィックな常設展示作品には、ソスノフスカの作品をはじめとする11作品が並ぶ。その中にはミロスワフ・バウカ、アドリアン・ビジャール・ロハスらの作品や、晩年のマグダレーナ・アバカノヴィッチらの作品も含まれる。
創設者はポーランドの女性実業家。女性アーティストの作品収集に力を入れてきた
美術館の創設者は、ポーランド出身の実業家でアートコレクターとしても知られるグラジナ・クルチェク。彼女はポーランドで最も裕福な女性の1人に数えられている。
クルチェクは大学在学中の1970年代から美術品のコレクションを始めた。年月を重ねて作品の収集をする中で、主に女性作家の作品とコンセプチュアルアートの2軸にコレクションの焦点を当てるようになっていったのだという。
2004年には母国ポーランドでアートステーションズ財団を立ち上げた。財団は2017年からポーランドとスイスの両国で活動している。また彼女は男性社会のビジネス界で約30年間にわたって活動してきた経験を活かし、女性の起業家やSTEM(科学、技術、工学、数学)分野にいる女性への支援も行なっている。
オープニング展示は「feminine」という概念を再考する企画展。ルイーズ・ブルジョワ、サラ・ルーカスら30作家超の作品を展示
このような創設者の関心を反映するように、美術館のオープニングを飾る展覧会は『A Woman Looking at Men Looking at Women』と題されている。
「feminine」という概念を再考することをテーマにした本展は、アメリカの作家シリ・ハストヴェットの同名エッセイからタイトルをとっている。出展作家はハンナ・ウィルケ、マルレーネ・デュマス、ルイーズ・ブルジョワ、サラ・ルーカス、ルチオ・フォンタナ、マグダレーナ・アバカノヴィッチら。女性作家に限らず、「社会的通念に疑問を投げかけ、アートの可能性に挑む」30組超のアーティストの作品が紹介されている。展示作品にはグラジナ・クルチェクのコレクションも含まれる。
本展は、これまで周縁に追いやられたり、見過ごされたりしてきたアーティストや運動、思想に光を当て、広く知られる新たな機会を作り出すことに力を入れていこうとするスーシュ美術館のマニフェスト的な展示と言えるだろう。
人里離れた大自然のなかで出会う瞑想的な鑑賞体験
大自然に囲まれた歴史を感じさせる美しい建築に、著名作家の作品が集う企画展、サイトスペシフィックな常設展示と、アートファンを惹きつける魅力を多く備えたスーシュ美術館は、一方で思い立ってすぐに行けるような立地ではないことも確かだ。なぜ人里離れた人口200人の村にこのような気鋭のアート施設をオープンさせたのだろうか。
クルチェクはそれを説明するのに「slow art」という言葉を用いている。都会の喧騒や混雑から切り離された場所だからこそ、一つひとつの作品をじっくりと時間をかけて鑑賞することができる。ここでは作品との対話、自然との対話を静謐な空間で行なうという瞑想的な鑑賞体験が提供される。Artsyの記事では、美術館の建設にあたって直島からもインスピレーションを受けたことが明かされている。
美術館を取り巻く自然環境は季節によって変化する。のどかで美しい風景は、人間にとって脅威ともなる厳しい自然にも姿を変える。訪れる時期によって来場者に異なる印象を抱かせるだろう。辺境の地の広大な空間の中で、歴史の周縁に置かれたアーティストや、新たな文脈で紹介される女性作家たちの表現と対峙する――スーシュ美術館は日本からのアクセスを考えれば簡単でないが、訪れればここでしかできないアートとの向き合い方を体験できそうだ。
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