映画『キャプテン・マーベル』は、これまでのマーベル映画のラインナップ=MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)作品でも異色の作品だ。初の単独女性主演作&初の女性監督作であることはもちろん、大げさな脚色ではなく、心の機微を繊細に捉えたキャラクター描写や、大胆なツイストを含むストーリー。それだけではなく、『キャプテン・マーベル』の物語は現実社会のジェンダーギャップ、抑圧の問題を内包し、これまでのMCU作品が与えてくれた喜びは十分に継承しつつ、大きな主語に回収されない拡がりを獲得しようとした。
MCUのフェイズ3にピリオドを打つ『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の公開、『キャプテン・マーベル』のパッケージ版のリリースを目前に控えた今、本作品が──そして、主人公キャロル・ダンヴァースが──辿った道筋について、サントラや現実世界との関わりから新たに紐解く。
『キャプテン・マーベル』が、単なる「女性ヒーロー映画」以上に背負っていたもの
「Girls on Tops」というプロジェクトがある。ミア・ハンセン=ラブやグレタ・ガーウィグ、マヤ・デレン、クレール・ドゥニなど、映画史に名を残す女性たちの名前を記したTシャツを販売するというもので、売り上げの一部は女性主導での映画製作への出資や、映画における女性たちについての執筆活動に充てられる。その生まれはこうだ。
Girls on Topsオフィシャルサイトより筆者訳(サイトを見る)「『20センチュリー・ウーマン』を観て、みんなであれこれ言いながら帰った夜。家に着くなり、ネットであのTalking HeadsのTシャツを買う友人を見て思った。もしも映画史上の女性たちが、ロックスターのように扱われたら……グレタ・ガーウィグやアネット・ベニングの名前がTシャツにプリントされていたらクールじゃないか?」
「私が求めているのは、『テーブルに椅子を増やす』ということです。それは決して、今すでにある椅子を奪うわけではありません」。『キャプテン・マーベル』の主演ブリー・ラーソンは、映画公開タイミングでの取材でこう語った(FOX 5インタビューより筆者訳)。
白人男性以外の関わる機会が圧倒的に少なく、不均衡がみられる映画業界にもっと多様性を、というメッセージだ。『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』を除く22本に及ぶMCU作品で、『キャプテン・マーベル』は初の単独女性主演作にして、初の女性監督作となった。そして興行的にも、『キャプテン・マーベル』はMCU全22作品のなかで6番目のメガヒットを記録。「女性を主人公に据えた物語は大ヒットしない」という不当な定説を覆す成功だ。
もちろん、シリーズに一旦の区切りをつけた『アベンジャーズ/エンドゲーム』公開直前というタイミングも影響しているだろう。しかし、この映画を単なる「フィナーレへの序章」として考えるのはあまりにもったいない。『キャプテン・マーベル』はこれまでのヒーロー映画とは明らかに一線を画す作品であり、皮肉っぽいユーモアとともに、過去・現在・未来をつなぐ多層的な時間のレイヤーをもって力強い物語を形成した、単独でも評価されるべき重要な作品なのである。
冒頭シーンの真意。文字どおり風穴を開けるごとく登場したキャプテン・マーベル
舞台は1995年。記憶を失った状態でクリー帝国の惑星・ハラに暮らすキャロルは、ジュード・ロウ演じるメンターのヨン・ロッグから戦士としての指導を受けながら、敵対するスクラル人たちとの戦いを続ける。その最中、ロサンゼルスのレンタルビデオ店「ブロックバスター」に不時着。彼女は地球で自身の過去を探し求める。映画は冒頭から1990年代への愛あるオマージュで溢れ、『トゥルーライズ』(1994年)のスタンディや『ライトスタッフ』(1983年)のVHSがスクリーンに映される。
地球にやってきたキャロルが人間の衣服とバイクを奪う様は『ターミネーター』(1984年)を、ニック・フューリーらの黒いスーツは『パルプ・フィクション』(1994年)や『メン・イン・ブラック』(1997年)を、彼女が操縦する戦闘機からは『トップガン』(1986年)を……といった具合に過去の名作フィクションの断片を観客に想起させながら物語は進む。
目まぐるしい展開は他のMCU作品と同等の楽しさを与えてくれるが、同時にはたと気づく。ここに挙げた名作のすべてが、男性中心のストーリーテリングであったことに(筆者註:『ターミネーター』シリーズにおけるサラ・コナーは映画における戦う女性ヒーローの先駆と言えるが、「未来の救世主を身籠もり、それを守る」という運命をあらかじめ定められており、これは一元的、かつ典型的な女性=母性の神聖化とも見て取れ、女性を主体としたストーリーテリングであったかは疑問が残る)。
そうした今までの大ヒット作品──ブロックバスターに、文字どおりの風穴を開けるがごとくキャロルは地球に降り立ったのだ。
アンナ・ボーデン監督の作家性と、1990年代の名曲たちに彩られたサウンドトラック
過去・現在・未来をつなぐ要素として、音楽も重要な役割を果たす。『キャプテン・マーベル』の監督アンナ・ボーデン、そしてパートナーであり共同監督のライアン・フレックは、これまでも音楽が鍵を握る作品を撮ってきた。
『なんだかおかしな物語』(2010年)ではBroken Social Scene、コモン、ファラオ・サンダース、The xxからBlack Sabbathまで多種多様なアーティストの楽曲を用いつつ、劇中で「Vampire Weekendのライブに誘う」「Queen & David Bowieの“Under Pressure”を演奏する」なんてシーンもある。過去の名曲と現行シーンで光る楽曲を絶妙なセンスで取り合わせ、かつ、使用楽曲に演出上の大きな意味を持たせる作家である。
一般にサウンドトラックは、その映画のために作曲された劇伴音楽を使用する場合と、すでに存在するポピュラー音楽を挿入する場合で大まかに分けられる。書き下ろされた劇伴音楽がその作品に寄り添うようにある一方で、映画に挿入されるポピュラー音楽は、フィクションと現実を行き来する存在にもなる。その楽曲がもともと現実に存在していた以上、物語自体とは関係なく、個々の観客や世界の記憶を呼び起こし、作家の意図を超えた受け取られ方をされ得るからだ。
『キャプテン・マーベル』の監督ふたりは、過去の映画製作からそのことを十分に認識したうえで、本作でも(劇伴は用いつつ)同様の手法を取った。No Doubt、Hole、TLC、Elastica、Garbage、デズリー……第三波フェミニズムの起りともリンクした1990年代の、女性たちが歌う名曲で全編が彩られ、時代のムードと本作のメッセージをこれ以上なく結びつける。
『キャプテン・マーベル』のオフィシャルプレイリストを聴く(Spotifyを開く)
それだけはない。2019年のわたしたちは、これらの90’sアンセムの先にある、ビヨンセの『Coachella Festival 2018』でのパフォーマンス『HOMECOMING』を知っている。ビリー・アイリッシュのライブでの大合唱と熱狂を知っている。アリアナ・グランデがこの映画ともつながるようなスタイルで、2000年代の女性映画の数々を引用して作った“thank u, next”(2018年)のミュージックビデオを知っている。『キャプテン・マーベル』における過去の召喚は、単なる郷愁のためではなく、今、そしてこれからにそのまま呼応し得るポリフォニーとして立ち現れる。
Nirvana“Come As You Are”がもたらす違和感とその意味
そんなサントラのなかで特に肝となる曲、それはNirvanaの“Come As You Are”(1991年)だ。なぜなら、本作内における数少ない男性の歌う曲であり、時系列からしても違和感があるから。当時地球にいなかったキャロルは、1991年に発表されたこの曲を知らないはずだ。もちろんキャロルがどこかで耳にした可能性はあるが、そのことは描かれない。重要なのは、この曲が相手によって見た目を変える高度な生命体スプリーム・インテリジェンスとの邂逅の場で流れること、そして、わざわざ幻想のターンテーブルが表出し、ダイエジェティック──物語世界のなかでキャロルに聴こえる──な音だと強調されるということである。
スプリーム・インテリジェンスが「人間時代」のキャロルが尊敬し慕っていたウェンディ・ローソンの姿になるならば、その後ろで聴こえる“Come As You Are”も彼女にとって精神上大きな存在と言える。“Just A Girl”が流れるシーンでは他に200曲は候補を考えたという監督だ。時系列、筋書きの「自然さ」から逸脱したこの選曲に、意味を見出さないほうが難しい。
カート・コバーンのフェミニストとしての横顔
「もし、どんな形であれ、同性愛者や自分と肌の色が違う人、あるいは女性のことを憎む者がいるならば、頼むから俺たちのことをほっといてくれ!ライブに来ないで欲しいし、レコードも買わないでくれ」
これはアルバム『Incesticide』(1992年)のライナーノーツでカート・コバーンが記した言葉だ。1992年、オレゴン州で「同性愛を容認しない」趣旨を含む内容の是非を問う住民投票が行われた際には、Nirvanaは抗議・反対キャンペーンのライブを行った。
彼らの代表曲“Smells Like Teen Spirit”(1991年)のタイトルは、カートの友人であり、ライオットガールの先駆Bikini Killのキャスリーン・ハンナがカートの住むアパートの壁に記した落書きから取られた。「Kurt smells teen spirit.(カートはティーン・スピリットの匂いがする)」――これは当時カートが交際していたBikini Killのトビ・ヴェイルが、キャスリーンとともにTeen Spiritというデオドラントを揶揄したことから生まれたジョークだった。
フェミニズムを身近に感じ、寄り添おうとしていた彼にとって、“Smells Like Teen Spirit”の想定外の大ヒットは重荷となる。この曲はそれまでNirvanaを流していたラジオ局だけでなく、メタル / ハードロック中心のラジオ局でもヘビーローテーションとなった。
「カートはレーベルがメタル寄りのプッシュをすることに困惑していた。彼は知っていた。メタルファンは圧倒的に男性が多く、フェミニストや同性愛者の権利への彼の理解に共感するものがほとんどいないことを」。当時のNirvanaのマネージャー、ダニー・ゴールドバーグは自著『Serving the Servant: Remembering Kurt Cobain』(2019年)でそう回想する。
本来アルバムからの先行シングルとしてリリースされるはずだったのは、“Smells Like Teen Spirit”ではなく“Come As You Are”だったという。意図せず社会から押しつけられたイメージと、自身の感情との乖離。望まぬ形で呪いとなった“Smells Like Teen Spirit”に対する、“Come As You Are(ありのままで)”。この曲が流れた意味が見えてくる。
何度でも立ち上がってきたキャプテン・マーベル。彼女が戦っていたものの正体
「この映画で最もパワフルに感じられるのは、主人公キャロルが自身の限界を超える力を自らのものにした喜びだ」。アメリカのフェミニズム系メディア『BUST』はこのように評した。
『キャプテン・マーベル』では、ヒーロー映画にありがちな、わかりやすく善悪の構図を規定するものが劇中には存在しない。キャロルの最大の敵として描かれるのは、「感情的になるな」「女には無理だ」といった、彼女に対して向けられる抑圧だ。皮肉なことに、キャロルがこの映画で抱えた苦悩は、現実世界でこれ以上ないほどに可視化された。『キャプテン・マーベル』はネットトロール(荒らし)たちの標的となったのだ。
公開前、アメリカの映画レビューサイトRotten Tomatoesでは、『キャプテン・マーベル』の「WANT TO SEEスコア(鑑賞意欲を測る指数)」が集団投票によって28%まで低下、レビューとは到底言えないようなコメントも相次いだ。誰も映画を観ていないのにも関わらず、だ。「女性らしい笑顔がない」という理由で、キャロルを演じるブリー・ラーソンの顔を笑顔に加工した画像が流布されもした。もはや荒らしとは呼べない、れっきとした差別行為である。劇中でキャロルに対して向けたられた抑圧は、決してフィクションのなかだけの出来事ではない。
キャロルが力を得たのはアクシデントであったが、それを引き起こしたのは彼女のとっさの選択だ。もっと言えば、彼女は力を得る前から何度も立ち上がってきた。しかし、大事なのは彼女のパワーや立ち上がったことではない。常にそこに彼女の選択があったこと。抑圧を無にし、常に選択の余地を自らの手元に持つこと。誰かがそれを許されない状況を強いられていたら、そのために立ち上がり、手を貸すこと。キャロルは立ち上がったからヒーローというわけでも、ヒーローだから立ち上がったわけでもない。キャロルはただ、キャロルであろうとした。記憶喪失や洗脳、抑圧は彼女にそれを許さなかった。
それでも、愛する親友との会話や、そこに残された記憶喪失以前の写真──「それは=かつて=あった」ことを示す写真が、キャロルの現在へと指向するというシークエンスは、そのままこの映画自体の構造と相似を成す──によって、彼女は「ありのままを新たに見つける」という矛盾にたどり着く。挫折から覚醒へのわかりやすい力学を用いない本作は、これまでのヒーローの物語からすると外連味がないかもしれない。だからこそ、この映画が提示したヒーローのロールモデルとストーリーは、観る者の記憶に、日々に、これからに強く直結する。
「ありのままで」。使い古された言葉だが、『キャプテン・マーベル』はその響きを恐れない。ステレオタイプ、カテゴライズ、大きな主語、抑圧に対して、個の選択をもって何度でもNOを突きつける。1995年、キャロルが着たのはNine Inch NailsのTシャツだった。もちろんそれはそれで最高にクールだけど、もしかしたらこの先、同じようにグレタ・ガーウィグやアネット・ベニングの、あるいはブリー・ラーソンのTシャツを着るヒーローも出てきたら、どんなに素敵だろう。
Nirvanaがライブで抗議を表明したオレゴン州の住民投票では、同性愛者の住む家に爆弾が投げ込まれ、殺害されるという悲惨な事件が起きる。これに対し、あるグループがホワイトハウスの前で文字通り「火を食べる」抗議活動を行った。そのグループの名前は「Lesbian Avengers」。彼女たちが火を口にしたときのチャントはこうだ。「炎は私たちを焼き尽くしはしない。私たちはそれを飲み込み、自分のものにする」(Lesbian Avenger Documentary Projectオフィシャルサイトより筆者訳)。
『キャプテン・マーベル MovieNEX』ジャケット(Amazonで見る)
- 作品情報
-
- 『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』
-
2019年6月28日(金)から全国公開
監督:ジョン・ワッツ
脚本:クリス・マッケナ、エリック・ソマーズ
原作:スタン・リー、スティーヴ・ディッコ
出演:
トム・ホランド
サミュエル・L・ジャクソン
ゼンデイヤ
コビー・スマルダーズ
ジョン・ファヴロー
J・B・スムーヴ
ジェイコブ・バタロン
マーティン・スター
マリサ・トメイ
ジェイク・ギレンホール
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
- リリース情報
-
- 『キャプテン・マーベル MovieNEX』
-
2019年7月3日(水)発売
価格:4,536円(税込)
監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
出演:
ブリー・ラーソン
ジュード・ロウ
サミュエル・L.ジャクソン
クラーク・グレッグ
-
- 『キャプテン・マーベル 4K UHD MovieNEX』
-
2019年7月3日(水)発売
価格:8,640円(税込)
※2019年6月5日(水)より先行デジタル配信中
(C) 2019 MARVEL
- フィードバック 4
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-