『アラバマ物語』から幾年月。南部に現れた新ヒーロー
アラバマ州モンロービル。そこはアラバマ州南部にある、人口7000人にも満たないとても小さな町だ。その町のオフィシャルサイトを開くと、「文学の中心地モンロービル」の文字がすぐに目に入る。そして、サイトに書かれた町のニュースには「市長が自ら『アラバマ物語』で有名になった町を案内」とある。アラバマ州モンロービルは、映画『アラバマ物語』(ロバート・マリガン監督 / 1962年)の原作を書いた作家ハーパー・リーの生まれ故郷であり、原作はアラバマ州の架空の町となっているが、映画では撮影現場としてモンロービルも使われており、確実に原作のモデルとなった町である。そして、南部を転々としていた小説家トルーマン・カポーティ(『ティファニーで朝食を』『冷血』で知られるアメリカの作家)もモンロービルに住んだことがあるという。ハーパー・リーとは幼馴染で、『アラバマ物語』に登場する主人公の近所に引っ越してくるディル少年は、カポーティがモデルといわれている。
そんな訳でモンロービルは「文学の中心地」と名乗るようなった。『アラバマ物語』は、モンロービルで無邪気に遊ぶ小学生の兄妹の父が弁護士で、今度は婦女暴行容疑にかけられた黒人青年の弁護を担当することになる。青年は恐らく冤罪であるが、人種差別がはびこるモンロービルの町で、青年の無罪を勝ち取るために果敢に戦う父の姿を娘の目から追った作品だ。小説は「ピューリッツァー賞」を受賞し、映画化されたときには父アティカス・フィンチ役を演じたグレゴリー・ペックが「アカデミー主演男優賞」を獲得している。そしてアメリカン・フィルム・インスティテュート(「映画芸術の遺産を保護し前進させること」を目的とする機関。通称「AFI))が2003年に発表した「アメリカ映画100年のヒーロー」で堂々1位に輝いたのが、スーパーマンではなく『アラバマ物語』の主人公アティカス・フィンチだった。
そんなアラバマ州モンロービルに、再びヒーローが生まれた。しかも小説や映画の主人公ではなく、実在するヒーローだ。それが映画『黒い司法 0%からの奇跡』(デスティン・ダニエル・クレットン監督 / 2020年)の主人公ブライアン・スティーブンソン(マイケル・B・ジョーダン)である。スティーブンソンが生まれ育ったデラウェア州は、ミズーリ協定では奴隷制が残る奴隷州だが、南北戦争では連邦軍についた、いわゆる「中間諸州」だ。スティーブンソンの母が教育熱心だったこともあり、ハーバード大学の法学科に奨学金で進み、法務博士を取得している。そんなスティーブンソンが故郷を離れ、なぜ差別が色濃く残る『アラバマ物語』で知られるモンロービルに行くこととなったのか? こちらは、劇中で語られているのでそちらでしっかりと確認してほしい。彼の決断と行動力こそが、どの映画で見たヒーローよりも勇敢だった。
公民権運動後も色濃く残っていた、アラバマ州の人種差別
本作は1986年の11月にモンロービルで起きた女性の殺人事件をきっかけに実際に起きた出来事の映画化だ。容疑者となり起訴されアリバイがあったのにも関わらず、たった一人の証言で裁判にて有罪となったのが黒人の「ジョニー・D」と呼ばれているウォルター・マクミリアン(ジェイミー・フォックス)だった。1980年代といえば、人種差別撲滅を目指した公民権運動が1964年の公民権法などが制定され20年前に終わっており、人種差別は違法となっていたはずである。しかし実際には、人種差別は色濃く残っていた。1964年公民権法制定のきっかけとなるのが、1955年に起きた「モントゴメリー・バス・ボイコット」である。ローザ・パークスという女性が「黒人は白人にバスの席を譲る」というルールに反して、席を譲らなかったために逮捕されてしまう。そこに登場するのがモントゴメリーの教会に赴任したばかりで若干26歳のマーティン・ルーサー・キング牧師である。キング牧師の導きによって、バス・ボイコットが始まり、そして公民権運動が活発化していくことになる。
その舞台となったモントゴメリーという町があるのも、アラバマ州。モンロービルと同じくアラバマ州南部にある町だ。さらにアラバマ州は、1950年代から1960年代にかけての公民権運動で激戦地となった場所だ。映画『グローリー/明日への行進』(エヴァ・デュヴァネイ監督 / 2014年)でも描かれた「血の日曜日」といわれているセルマからモントゴメリーへの行進、後にスパイク・リー監督がドキュメンタリー映画『4 Little Girls』(1997年 / 日本未公開)としてまとめたバーミングハムの教会にて4人の少女が爆弾の犠牲になり亡くなった事件も、全てがアラバマ州で起きた。そして本作が描かれた1986年、アラバマ州知事はジョージ・ウォレスであった。彼は「今こそ人種隔離を! 明日も人種隔離を! 永遠に人種隔離を!」と人種隔離政策を訴えた政治家で、キング牧師とは何度も対立していた。そんな人物が1986年当時でも政治の世界にいたのだ。劇中ではその当時にあった人種間にある緊張感が数多く描かれているので、当時の差別の悲惨さは一目瞭然だろう。
モンロービルに舞い降りた同じ弁護士ということもあり、『アラバマ物語』は本作でも何度か言及されている。アメリカ映画100年の歴史で1位となったヒーロー、アティカス・フィンチは地元民にとって自慢であるのがよくわかる。彼らは、アティカス・フィンチは架空の人物であって、今そこにいるブライアン・スティーブンソンこそ実在する真のヒーローだと分かっておらず、平気で彼に嫌がらせをするのが劇中、とても皮肉にみえる。
アメリカに住む筆者が経験から記す、北部と南部の違い
アラバマ州ではないものの、同じように公民権運動の舞台ともなった南部に筆者は8年住んでいる。過去にはハワイのオアフ島やカリフォルニア州にそれぞれ3~4年ほど住んだことがあるが、ここ南部での経験は、やはり他とは大きく異なる。学生時代にホームステイを経験した北部では日本人への差別語となる「ジャップ!」と叫ばれたことがある。それは遠くからいわれるだけで、目を合わせない卑怯者による差別の印象を受けた。ここ南部では、目を合わせて悪意を剥きだして無視したり嫌がらせされたりする。買い物をしていると商品の場所を聞いてくる年配者がいる。「あれ? 店員じゃないの? 英語分からない?」と、わざわざ近づいてこられたこともある。筆者も彼らと同じように買い物客だとわかる目立つ大きなカートを引いているにもかかわらず。そんなときには目を合わせて「店員じゃないので知りません」と英語で返す。もちろん相手からの謝罪の言葉はない。そんなところに、北部と南部の断固とした違いを感じてしまう。
しかし、その一方で南部特有のよさもある。「サウザン・ホスピタリティー」といわれている温かいおもてなしだ。人懐っこい人間も多く、歩いているだけで普通に挨拶や話しかけてくる人が非常に多い。これまた買いものをしていたときに、「エシャロットって分かる? 材料にエシャロットってあるんだけど、聞いたこともなくて!」と、突然話しかけられたれたことがある。これには気持ちよく「小さい玉ねぎみたいな野菜かな? 野菜コーナーで見かけましたよ」と返した。同じ土地でも、先述した状況と違うのがわかっていただけるだろうか? 先述したときには、筆者は相手からいわゆるレイシャル・プロファイリングをされていた。アジア系なので、「英語ができない」という先入観で決めつけられ、嫌がらせをされたのだ。
映画『黒い司法 0%からの奇跡』からは、そんな肌で感じた南部のよい所も悪い所も感じ取れる。悪い部分は、ブライアン・スティーブンソンが受けた嫌がらせや、レイシャル・プロファイリングをされたジョニー・Dをはじめとする冤罪で刑務所にいる人々の状況から伺える。よいところは、ジョニー・Dを気に掛けて集まった近所の人々のシーンから汲み取れるだろう。お茶くみおばさんに、「Y'all」おばさん……。あのシーンこそ、私が好きで住んでいる南部そのものだ。ちなみに「Y'all」は、南部で頻繁に使われる「みんな」や「あなたたち」を意味するスラングだ。お茶くみおばさんは、「サウザン・ホスピタリティー」を体現しているキャラクターである。そして本作のエヴァ(ブリー・ラーソン)のように、親身になって寄り添ってくれる人たちも多い。同じ人種や国の人でも、天使のような人もいれば悪魔のような人もいるので、要は人種や国が人を作るのではないという当たり前のことを、筆者は南部に住んで実感したのだ。それこそ、キング牧師が『私には夢がある』という有名な演説で語った「私の子どもたちがいつの日か、肌の色ではなく彼らの性格で判断される」を心の底から感じた。
そんな重要なことを教えてくれた南部の人たちと、映画館という場所で本作を共有し、とても興味深い経験をさせてもらった。お茶くみおばさんのシーンでは「(こういう人)いる!」と大笑いし、つらいシーンでは「ノー」という言葉が漏れ、そして最後のクライマックスでは拍手が鳴り響いた。この映画で描かれた苦境やセリフに南部の観客たちが感情移入をしたことを、一喜一憂する彼らのリアクションで知った。南部での彼らがスクリーンに存在したという証拠だろう。彼らにとってこれはフィクションの物語ではなく、彼らの人生そのものなのだ。
- 作品情報
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- 『黒い司法 0%からの奇跡』
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2020年2月28日(金)から公開
監督:デスティン・ダニエル・クレットン
脚本:デスティン・ダニエル・クレットン、アンドリュー・ランハム
原作:ブライアン・スティーブンソン『黒い司法 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う』(亜紀書房)
出演:
マイケル・B・ジョーダン
ジェイミー・フォックス
ブリー・ラーソン
ほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
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