石原海『ガーデンアパート』が起こした小さな革命 3人がレビュー

今から約1年前、新宿で、ある1本の映画が公開され始めた。その名は『ガーデンアパート』。湿りきった6月の夜に蹴りをいれるように、1週間限定でレイトショーを始めた同作は、UMMMI.名義で映像作家としても活動する、石原海による初長編映画だった。

UMMMI.は、愛、ジェンダー、個人史と社会を主なテーマに、フィクションとノンフィクションを混ぜて作品制作をするアーティスト。東京とロンドンを拠点に、英BBCテレビで『狂気の管理人』(2019年)を監督したり、ルイ・ヴィトン『2020秋冬メンズ・ファッションショー』の様子をショートフィルムで捉えたりと、国境やジャンルを軽々超えて、活躍を続ける姿が注目されてきた。

石原海(UMMMI.)
アーティスト / 映像作家。愛、ジェンダー、個人史と社会を主なテーマに、フィクションとノンフィクションを混ぜて作品制作をしている。初長編映画『ガーデンアパート』、東京藝術大学の卒業制作『忘却の先駆者』がロッテルダム国際映画祭に選出(2019)。また、英BBCテレビ放映作品『狂気の管理人』(2019)を監督。現代芸術振興財団CAF賞 岩渕貞哉(美術手帖編集長)賞受賞(2016)など。

そんな彼女は、なぜ長編映画を撮ることを決意したのだろう? 『ガーデンアパート』の公式サイトには、監督によるこんなコメントが記されている。

短い映像をいくつか撮り続けて、アタシは少しづつ欲が出てきました。段々と世界を変えたいという気持ちが抑えられなくなったのです。世界を変える、というのは、政治とか社会とか誰かを救うとか大きいものではなく(もちろんそれも含むけれど)まずは、アタシの映画を捧げるひとに小さな革命を起こしたいと思いはじめました。

この初めての長編映画「ガーデンアパート」は、そうやって出来上がった、青臭くて恥ずかしい映画です。

小石を池に投げ込めば、そこには必ず波紋が広がるように、誰かが革命を起こしたのなら、例えそれがどんなに小さなものでも、熱は広がり続けていく。この記事では、その波を受けたCINRAのスタッフ3名が、それぞれの中で育った『ガーデンアパート』への想いを1年越しにレビュー。なぜ1年越しかというと、来る6月16日に『CINRA CINEMA CLUB』という企画があって、そこで『ガーデンアパート』をオンライン上映させていただくから、という色気のない理由もあるのだけれど、これをやる意味はそれ以外にもあると思っている。映画を観た時や音楽を聴いた時、世の中で大きな事件が起きた時、突発的に溢れ出る言葉も大切にしたい一方で、ゆっくりと想いをめぐらせ、少しずつ気持ちを吐き出したい時はないだろうか。以下に綴られた至極個人的なレビューのもとになっているのは、そのようにして発酵してきた想いたちだ。気持ちはすぐに言葉にしなくてもいいし、いつ言葉にしてもいい。そんな当たり前のことに、この記事が少しでも寄り添えたのなら嬉しく思う。

※本記事は『ガーデンアパート』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

「愛は映画みたいなもので」 テキスト:井戸沼紀美

「愛とは愛以外のすべてのもの——憎悪・羨望・怒り・嫉妬・物欲・エゴなど——の不在である。愛は不在。愛は無——しいて言えば——」(1969年11月の「日記」より)

上記は、映画作家であり詩人のジョナス・メカスが、今から約50年前に自身の日記に綴った言葉だ。いま誰かから「愛って何」と尋ねられたら、あなたは何と答えるだろうか。あるいは人から尋ねられなくても、「愛」を定義することが出来るだろうか。

『ガーデンアパート』は、幕を開けるないなや「愛」についての解釈を炸裂させる。「愛は映画みたいなもので、政治みたいなもので、料理みたいなもので、庭みたいなものだ」「1度始まってしまったら、終わるまでそれをやめることができない」と。そして音楽が流れ始める。

『ガーデンアパート』予告編

同作の主人公の1人である、アルコール中毒気味の京子は、メカスの書いた「憎悪・羨望・怒り・嫉妬・物欲・エゴなど」に取り憑かれ、もがいているような人だ。しかし『ガーデンアパート』は京子を「愛=不在」から無縁の人のように描かない。

京子は、若者たちを自宅に住まわせる。突然姿を消したその内の1人を想い、電柱にすがりつく。初対面の「ひかり」の頰に、全く喜ばれないキスをする。京子は「植物が沢山生い茂っている場所」で出会ったという夫を、若くして亡くしていた。

ここでふと「京子はむしろ不在から出発した人間なのだ、だからどんなに荒んだ彼女にも、愛が潜んでいるのだ」と、解釈してしまいそうになる。ある家の壁に生え始めた蔦が、そこに人が住まなくなっても繁り続けることがあるように、亡き夫の愛(その中心のない家)が、京子を生かし続けているのだと。しかし、夜な夜な酒に溺れながら、故人に語りかけるボロボロの京子の姿を思うと、そんなぬるいことは言っていられない。

『ガーデンアパート』から伝わってくるのはむしろ、1度愛を手にし、それを感じた人でも、心を愛、すなわち「不在」で埋め尽くすことは難しいという厳しさだ。世の中が狂ってしまったのか、自分がうまく調音出来ないのか。心はすぐに邪念で埋まるし、キラキラの安っぽい指輪で「テンションあげないとやってられない」という京子の言葉が、平凡な私にも刺さる。

メカスの言葉のように、心を愛で満たし、それ以外の醜い感情を取り除くことが出来たのなら、どんなに素晴らしいだろう。目的地は「不在」。それは絶対だ。そう信じていたとしても、ゴールに辿り着けるまで、ハンドルを握り続けることが出来るのか、自信をなくしてしまうことがざらにある。そんな時、目的地から猛スピードで逆走をしてきたような京子の車が、ギラギラと道を照らしてくれるような気がしたのだ。

愛にすがりながらも、愛を手にすることが出来ず、もがく人。その人はしかし、愛から見放してもらうことも出来ない。そんな絶望なのか希望なのかわからない日々を、海監督は絶望なのか希望なのかわからないままに、描き切った。しかしそこにはどっちつかずの曖昧さはなく「今の所、これが愛だと思います」という確信が溢れている。明るいかとか暗いかとか、曲がり道だとか坂道だとか、そういうことは置いておいて、まずはそこに「不在」に続く道があるという、そのことを知らしめたのだ。愛、すなわち。あなたは何だと思いますか。

「庭」 テキスト:柏木良介

渋谷の道玄坂脇にある名曲喫茶に時々珈琲を飲みに行く。年季の入った木製の扉を押し開けて、使い古されてくすんだ色合いの椅子に腰掛けて、くすんだ色合いと反比例するように妙に跳ね返りの強いクッションスプリングの上で重心を微調整して座り心地の良いバランスを探り、壁一面の音響システムから降り注ぐクラシック音楽に身を沈める。植物こそ生い茂っていないけれど、いつ行っても薄暗いその喫茶店は、都市の明るさが届かない鬱蒼とした庭(=ガーデン)のような空間だ。

先日久しぶりにその喫茶店に訪れると、コロナ対策なのか、普段は締め切っている入口扉と壁沿いの明かり窓を開け放した状態で営業していた。店内は普段よりもずっと明るくて、初夏の心地よい風が吹き抜けていた。開け放たれた扉から遠慮なく侵入してくる近所の建替工事の騒音と、室内を満たすクラシック音楽の不釣り合いなハーモニーが楽しい。扉と窓が開いているという、距離にするとわずか数センチの違いで、こんなにも空間が変化するのかと驚きながら、映画『ガーデンアパート』のことをぼんやりと考えていた。「京子さん」や「ひかり」の庭には今頃どんな風が吹いているのだろうか?

『ガーデンアパート』より。左から、ひかり、太郎、京子

京子さんは植物が好きだった亡夫との思い出に囚われたまま、植物が生い茂る鬱蒼とした屋敷に若者たちを招き込んでアルコールとパーティー三昧の刹那的な日々を送っている。(さらりと「若者たち」と書いたけれど、これがまた爆イケなヤング達で、京子さんの庭に集う色鮮やかな蝶々のような彼女達のパーティーシーンはこの作品の忘れ難い一場面だ)。結婚と出産を控えた若いカップル、ひかりと太郎が京子さんと出会うことで物語が動き出していく。

京子さんの屋敷が「夜 / プライベート」な庭であるのに対して、ひかりと太郎が本作の最後で彷徨う明け方の公園は「昼 / パブリック」な庭だ。誰に対しても開かれている透明な場所だけど、誰のものにもならない場所。

愛する人に先立たれたことで、いつか自分が愛されなくなるかもしれないという不安から解放された、と語る京子さんの庭が愛を養分にしているとすると、「愛したり愛されたりということにも得意不得意があるという当たり前のことに絶望する」と語るひかりは、京子さんの庭に留まるよりも、誰のものでもない公園を寄る辺なく彷徨う方がしっくりくるのだろう。

繊細な人造物である庭は人が手を加えることによって、あるいは加えないことによって日々変化する。もちろん季節や年月の影響も受ける。何十年も時が止まったような渋谷の喫茶店にも変化が訪れるように、永遠のように思える庭も少しずつ変わっていく。映画『ガーデンアパート』を観て、落ち着かない気持ちになるとすれば「ガーデン=庭」というモチーフ自体がそうした変化の予感を内包しているからなのだと思う。私たちが本作で目撃する京子さんの庭やひかりの庭は、二度と戻れない一度きりの場所なのだ。ひかりは愛の庭を育てることが出来るのか、京子さんは愛の庭から脱出することが出来るのか、その答えは分からないけれど、あの日スクリーンを通して同じ夜を過ごした二人の庭に、気持ちの良い初夏の風が吹き抜けていますようにと願うばかりだ。

最後に『CINRA CINEMA CLUB』に寄せて一言。『ガーデンアパート』を一緒に観ながら皆さんのお気に入りの「庭」についての話を聞いてみたいなと思っています。あと、ひかりは太郎の何が好きなのか? についても聞いてみたい。先に言っておくと俺は太郎無理だな、なんとなく。そんな独断と偏見に満ち溢れた断定も、皆さんと交換できたらと想像するだけで今から楽しみです。

「すべてを変えてしまうような夜と赤色のこと」 テキスト:竹中万季

1年前の今頃、テアトル新宿で『ガーデンアパート』を観たときのことをよく覚えている。映画館を出たら海さんがいて、そのとき恋人と別れたばかりだったわたしは勢いづいて「愛って難しいですよね……」なんてことをいきなり海さんに話したのを記憶している。愛することや愛されることがどういうことなのかまったくわからなくなり、完全な孤独に身を置きたいと思い立って突然海外に2週間行って帰ってきたばかりだったから、この物語に出てきたひかりの「走ることが得意な人がいるように、愛したり愛されたりということにも得意不得意があるという当たり前のことに絶望する」「誰もいないところへ行きたい。完全無欠に誰もいないところへ。そして誰からも愛されないことに一人納得する。だって、そこにはわたし以外の誰もいないのだから」という言葉に触れたときに、いま彼女と出会ったら夜通し話せるだろうなという心強さを感じた。

1年経った今、映画館ではなく、ベッドの中でこの映画を観た。あのときのことを思い出しながら、あのときとはまた違った感情が湧いてきて、すぐに誰かと話をしたくなった。この夜で描かれている、幻みたいな、でもすべてを変えてしまうような強さを持った夜は、自分にも見覚えがある。永遠に続いていくかもしれない、やり過ごしていた違和感を全部取っ払ってくれるような、一過性の夜。新型コロナウイルスの流行に伴い、そうした夜の記憶が遥か彼方にいってしまったように思えていたけれど、たしかに存在していたことを実感して、やけに愛おしく思えた。

この映画では、いろいろなシーンに強烈な赤色が流れ込んでくる。京子さんと女の子たちが暮らしている緑で溢れた「ガーデンアパート」に差し込まれる鮮明な赤色のこと。赤いランジェリー姿、机に並べた赤いチェリー、暗闇を照らす赤いライト。死んだ夫と会話する、赤い布を張り巡らせた部屋。京子さんを象徴する色のように思えたけれど、ひかりが世界と一緒にガーデンアパートを抜け出して向かったランジェリーショップで、彼女は赤色の下着を身につけていた。そういえば、彼女が身に着けている落ち着いた色のタイトスカートのチェック柄にも、よく見ると赤色が入っている。

わたしも、赤色の服を身にまといたい気分のときがある。赤は血の色。人を高揚させる色。救急車のライトの色、炎の色、レッドカードの色。危険な感じがする色、でも、生きているという感じがする色。無表情のひかりと、ボロボロの顔で泣き叫ぶ京子さんは、一見重なるところがないように思えていたけれど、彼女たちの行き場がない孤独が、その赤色で繋がれているような気がした。

愛することってなんだろう。いまでも全然わからないけれど、この映画で描かれている夜みたいに、頭の中でぐるぐると考えていることを一瞬で超えてくれる、理由はわからないけれどすべてを変えてしまうような夜はたしかに存在している。緑色の日常も愛したいけれど、そこに流れ込む滾るような赤色のことも信じたい。部屋からなかなか出られない日々を過ごすわたしたちも、そうした夜の記憶を忘れてはいけないし、またあの夜を取り戻したいなと強く思った。

イベント情報
『CINRA CINEMA CLUB vol.1』

2020年6月16日(火)
時間:21:00〜
上映作品『ガーデンアパート』(監督:石原海)
※上映後、監督も参加の交流会を開催
参加方法:Peatixで1500円のチケットを購入いただいた方、またはShe isのHalf Moon MEMBERS(月¥800)に加入頂き、お申し込みいただいた方に本編の視聴リンクと、交流会のURLをお送りいたします。



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