『TENET』考察。「知っている / 知らない」は等しく孤立への道

クリストファー・ノーランの作品には、人間が孤立してしまうことへの屈折した美学がある。

例えば『メメント』(2000年)では、10分しか記憶を保てない男が、過去の自分の行動を忘れてしまっているがために永久に満たされない妻殺しの犯人への復讐に衝き動かされ続ける。あるいは『インターステラー』(2014年)では、人類滅亡を打開する策を見つけるべく外宇宙へと旅立つ父と、地球でその帰還を待つ娘のドラマを軸とするが、冒頭で起きた超常現象がじつは量子世界に辿り着いた父からのメッセージだと判明する。それによって滅亡は免れたものの、再会した娘は父よりも遥かに年老いてしまっている。『TENET』同様のスパイ映画である『インセプション』(2010年)にしても、多重構造の夢の世界から帰還した主人公が本当に現実の世界に戻って来れたのかを曖昧にしたまま終わる。

こうしたノーランの孤立へのオブセッションは物語にのみ見られるわけではない。『メメント』『インセプション』あるいはDCコミックを映画化した「ダークナイト」三部作(2005~2012年)でも、主人公は犯罪や自警といった非合法・インフォーマルな活動に関わっている。あるいは現代文明が崩壊しつつある『インターステラー』や、第二次世界大戦という例外状態を舞台とする『ダンケルク』(2017年)のように、一般的な法や倫理から個人や世界全体が疎外され孤立した状況を一貫して彼は題材にし続けてきたのだ。

※本記事は映画本編の内容に関する記述を含みます。あらかじめご了承下さい。

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未来と現実。「知る」ことと「知らない」ことは何を意味するのか。ノーランが描き続ける「虚無」への憧れ

では、コロナ禍を経てようやく公開された『TENET』(2020年)はどうだろうか。CIAエージェントの名もなき男「主人公(The Protagonist)」は、プルトニウム回収作戦を偽装した「テスト」によって社会的に抹殺されることで、時間の順行と逆行を巡る物語に関わることになる。幽霊的存在となった彼が加わる「TENET」は遥か未来で結成された秘密組織だというが、「What happened is what happened(起きたことは、起きたこと)」=過去も未来もすべてはあらかじめ決定されていて変化しない、変化したようであってもそう見えるだけ……という運命論的な時間の仕組みを名もなき男が理解していくと、この映画内で描かれたシナリオ自体が、じつは未来の自分が描いたものであることが明かされる。

「いま」「ここ」の渦中にある名もなき男は、「知らない」ことによって驚きや興奮を得られるが、いずれすべてを「知って」しまうことになる未来の自分自身にとっては、この視覚面・音響面の両方で過剰にめまぐるしく、複雑きわまりない『TENET』の物語ですら、ほとんど静止した、ひどく退屈なものに見えるだろう。

『メメント』の主人公が「無知」であり続けることで内向きに孤立していくとすれば、『TENET』の名もなき男は「知る」ことで外に向かって孤立している。名もなき男が母子を遠くから寂しげに見送るラストシーンは、彼がこれから先もあらゆる事象から疎外され、孤立し続けるであろうことを冷酷に示唆する。

映画『TENET テネット』予告

それは名もなき男に先んじて時間の仕組みを知ってしまった悪役セイターの狂気じみた世界への絶望・諦念にも通じている。「知る」ことも「知らない」ことも、等しく孤立することである以上、そのバランスが保たれるギリギリの境界線上で正気を保ちつつ、いずれ訪れる自分と世界の死を待つ。劇中で何度も自分の脈拍を確認し、決定的に逸脱(孤立)しないことに執着するセイターは、名もなき男にやがて訪れる虚無的な未来の姿なのかもしれない。

しかし、そのような屈折した人間性や人生のありようこそ、ノーランが惹かれ続けてきたものだ。『ダンケルク』における極限状況としての戦争。『ダークナイト』(2008年)や『ダークナイト・ライジング』(2012年)で描かれた人間性の臨界。『インターステラー』における文明の終焉、そして『インセプション』や『TENET』における、崩壊し無意味化する時間。彼が多様な終末ばかりを描いてきたのは決して偶然ではないはずだ。

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意図的に作り上げられた「映画」としての構造。緻密に設計されたゲームのような不気味さ

だが、この屈折の美学は危険なものだ。『TENET』に限らず、すべてのノーラン作品では、あらかじめ決められた映画的構造、約束された終末に向けて、人や事物が閉じ込められすぎている。

第二次世界大戦期の史実に基づいた『ダンケルク』ですらも、陸の1週間、海の1日、空の1時間という異なる時間軸を「映画の時間」のために歪曲することをドラマの軸とすることで、登場人物たちはその都合に応じて苦しめられたり、死んだり、歓喜したりする。その姿は、まるでチェスや将棋の駒のようだ。

ノーランが賞賛されつつ同時に批判されるのは、映画的構造の完全性のために、個の尊厳や自発性をソフトに抑圧しているからに他ならない。『TENET』のパンフレットでは全俳優が彼を賞賛しているが、同時に「クリスから『そんなに(脚本を)分析しなくていいよ』と言われたこともあります」(ジョン・デイビッド・ワシントン)、「クリスの現場はすごく精密で、自由を与えられる一方、とても厳しいんです」(エリザベス・デビッキ)といったコメントも紹介されている。

映画『ダンケルク』予告編

象徴的なのは例えば敵の描写だ。ケネス・ブラナーの熱演によって、時間操作を利用して私腹を肥やすセイターのイメージは観客に強く印象付けられる。だが、終盤に登場する敵基地への大規模な襲撃シーンを注意深く観察すると、敵の姿が明確に描かれてないことに気づく。

人類を滅亡させる装置を止めるために、過去から順行する「レッドグループ」と未来から逆行する「ブルーグループ」で敵を挟み撃ちするという挟撃作戦はトリッキーだが、実際に視覚化されているのは似た格好をした味方同士が発砲や爆撃を繰り返しつつ、ただ通り過ぎて退却するスラップスティックな10分間だ。

意図的に順行側と逆行側を混同させるような編集や、建物の崩壊が順行/逆行するヴィジュアルの強烈さに目をくらまされてしまうが、まるでそれは、混乱した味方同士が殺し合いを演じているだけの不気味なゲームのようだ。ノーランがここで求めたのは実際的な戦争ではなく、あくまでも「型」としての戦争でしかない。

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『TENET』の世界と私たちの世界。明らかに通じ合う格差の構造と、このクソッタレな世界に縁を切る唯一の手段

敵なるもの、それを支えているシステムやインフラの実体が曖昧なままに、名もなき男がわけもわからず労苦を重ねること(それは主役の席に座らされた観客にもたらされる「混乱」と同義である)の運動性が『TENET』のドラマトゥルギーだが、これは新自由主義を推し進めた結果、経済やコミュニケーションの統御の効かなくなった今日の世界の隠喩にも思えてくる。

そのような世界で現在進んでいるのは、クラウドソーシングという名で促されるフリーランス労働の推奨=非正規雇用の増進と、強権的な政治体制による支配構造の強化と再編成である。GoogleやFacebookが構築したデジタルネットワークの結合力を借りて、かつては国家や民族や宗教による縦のレイヤーで分断されていた人々が、経済力やエンジニアリングによる横のレイヤーで分断され、国境を超えたピラミッド型の超格差社会に押し込まれてしまったのが今日の世界だろう。

それを踏まえると、『TENET』の世界には、いわゆる市民や庶民はほとんど描かれず、ピラミッドの上部に位置する富裕層や、彼らにアクセス可能な技術とコネを持ったエージェント/エンジニアだけが存在を許されているのがわかる。

ワンシーンのみ登場する年老いた富豪役のマイケル・ケインに「(贅沢は)特権ではなく我々が支配している」とわざわざ宣言させるのは英国風のジョークとしても皮肉が強すぎると思うが、そのような固定的な富める側の世界を描くことにノーランは自覚的であり、富裕層が活用する資産としての美術品売買と関税回避のためのフリーポートビジネスが前半の重要なアイデアになるのはそのあかしだろう。いかなる国家にも属さず、したがって関税のかからないフリーポートでは、美術品はその資産価値を効率よく高めるために死蔵され続けている。

その他にも、希少性によって価値の安定が約束された金塊や、高い危険性はありつつもエネルギー供給と効率性に優れた原子力発電の燃料となるプルトニウムが作中に登場するのも示唆的である。これらはどれも限りなく「永遠」であることに高い価値が見出される事物であるからだ。

「知らない」ことが運動し続けることのモチベーションとなり、「知る」ことが停止を促すというのは『TENET』世界の不変の法則だが、「知る」=「停止に近づく」ことと社会階層のピラミッドの上位にいるのが同義だとすれば、彼らが欲する美術品、金塊、プルトニウムの価値は、永遠性・静止によって保証されている。

だが先に述べたように静止が死に漸近することのアレゴリーである以上、そのような資産の永遠性を希求する富める者たちは『TENET』の世界においては憂鬱と諦念によって自壊していくか、死んだように生きるゾンビとして人生をやり過ごすほかないだろう。運動を促す多様性がなければ、生物は滅ばざるをえないのだから。

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それを現実社会の問題解決(支配層の自滅を待つ革命!?)に投影して考えるのはあまりにも青臭いが、『TENET』をポジティブに解釈するならば、ノーランの創造する時間の袋小路が、その構造の完全性・閉鎖性によっていつか自壊する可能性に賭ける以外はないだろう。あるいは、セイターに虐待を受けるキャットが「自由に向けて跳躍する」イメージを過去の自分に植え付けたように(あのシーンは、夢を植え付けることで現実を改変する『インセプション』のアイデアを思い出させる)、自壊を待つのではなく、怒りと共に鮮やかに逃走してみせるのも、このクソッタレな世界に縁を切る一つの手かもしれない。

とはいえ、そこに至るまでの、あまりに記号的なキャットの「ファム・ファタル(男たちを翻弄する運命の女)」像は、最初の作品『フォロウィング』(1998年)以来何度も再生産されてきたものであり、「ノーランはいつまでも変わらない」と痛感させられもする。

ノーランが創造する建築的な映画構造を『TENET』では思う存分堪能させてもらった。コロナ禍で失われた映画館での視聴経験を快復するものとしても、本作は極上のエンターテインメントでもある。だが、これが新しい場所へと私たちをぶっ飛ばしてくれる内容であったかと問われたなら、否と答える。

作品情報
『TENET テネット』

2020年9月18日(金)から全国公開中

監督・脚本:クリストファー・ノーラン
出演:
ジョン・デイビッド・ワシントン
ロバート・パティンソン
エリザベス・デビッキ
ディンプル・カパディア
アーロン・テイラー=ジョンソン
クレマンス・ポエジー
マイケル・ケイン
ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画



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