「ジョーカーの恋人」ではなくなったハーレイ・クイン
『バットマン』テレビアニメシリーズで、バットマンの宿敵ジョーカーのガールフレンドとして、初めて登場したハーレイ・クイン。実写映画『スーサイド・スクワッド』(2016年)では、人気絶頂の俳優マーゴット・ロビーがハーレイを演じ、映画自体の内容よりも、そのキャラクターやポップでカラフルなファッションなどが話題を呼び、多方面から称賛を浴びることになった。その絶大な人気を受けて制作された、ハーレイ・クイン単独の映画が、本作『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(2020年)である。
だが本作は、クリエイターの背景や、アメリカを中心とした社会の動きなどを考えに入れていなければ、あっけないほど簡単に通り過ぎてしまうような娯楽作品の一つだと感じられるところもある作品だ。ここでは、複数の視点から本作をあらためて観ることで、その真価を明らかにしていきたい。
本作は、冒頭からジョーカーと別れることになったハーレイの境遇が描かれていく。彼女は、ジョーカーに忠誠を誓うために、彼と同じように化学薬品工場の溶液に飛び込んで、狂気を感じる真っ白の肌となっていた。そんな思い出の工場を爆破させ、犬の首輪のようなネックレスを捨て去ることで、ハーレイはジョーカーへの想いを、ヴィラン(悪役)らしい方法で捨て去るのである。
これまでハーレイは、夜の街でどれだけ羽目を外して、マフィアの両足をへし折ったとしても、悪党たちに狙われたり報復されることはなかった。なぜなら、彼女のバックにはジョーカーが存在していたからだ。ハーレイを少しでも傷つけようなものなら、どんな狂った方法で復讐されるか分からない。だが、そんな特別待遇も終わりだ。ハーレイは、ジョーカーと別れたことが知れ渡った途端に、他の悪党に命を狙われ始める。
パートナーに依存する生活を捨て、自立した存在へと「華麗なる解放」を遂げようとする戦いの物語でもある
「ハーレイ・クイン」は、もともとイタリアの即興喜劇における道化師の役回りを意味する言葉(Harlequin)だ。そんな名前をアイデンティティとする彼女は、道化を演じながら悪行を重ねるジョーカーに付随する存在として、そもそも創造されたキャラクターである。ジョーカーはハーレイを失っても、その存在が揺らぐことはないが、ハーレイがジョーカーを失うということは、自分の存在意義そのものがなくなることにも等しい。彼女は彼女自身として語られることはなく、いつでも「ジョーカーの彼女」という属性のなかで認知されていて、そのことをハーレイ自身も得意に思っていた。
これこそが、本作の大きなテーマだ。原題のタイトル『Birds of Prey: And the Fantabulous Emancipation of One Harley Quinn』にある、「ファンタビュラス・エマンシペイション(華麗なる解放)」が示す通り、本作でハーレイはついにジョーカーの庇護と、彼への依存心から解放されるため努力することになる。爆破や盗みなど、やっていること自体は悪事そのものの場合もあるが、ここでの彼女の生き方の転換は、恋人や夫に精神的、経済的に依存する生活を捨て、自立した存在になろうという女性の生き方そのものでもある。本作は人気キャラクターを主役とするアクション映画であると同時に、一人の女性の精神的な冒険と、生存と誇りをかけた戦いを描く作品でもあるのだ。
米ヒーロー大作映画を手掛けた初のアジア系女性監督となったキャシー・ヤン
本作の監督を務めたキャシー・ヤンは、中国生まれのアジア系アメリカ人。近年は、『ワンダーウーマン』シリーズのパティ・ジェンキンス監督や、『キャプテン・マーベル』のアンナ・ボーデン監督など、女性を主人公にしたヒーロー映画での女性監督の活躍が目覚ましいが、アジア系の女性が本作のようなアメリカのヒーロー大作映画に起用されたのは史上初のことだ。
ヤン監督は、『Dead Pigs』(2018年)で『サンダンス映画祭』審査員特別賞を獲得したばかりの俊英。この作品では国際的なキャストを集め、現代中国を舞台に、新しく到来する時代と置き去りにされる時代の衝突を描いた。そこには、『ウォール・ストリート・ジャーナル』で報道の仕事を担っていたという監督のキャリアが活かされているし、本作『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』にも、女性への現代的な視点が反映されているのだ。
キャシー・ヤン監督(一番左)と『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』のキャスト
残忍なブラックマスクに相対する生身の人間としてのハーレイ。生活感も垣間見える
ヤン監督らしさの一端として表面に分かりやすく表れているのは、アジア系アメリカ人でティーンの出演者エラ・ジェイ・バスコだ。彼女が演じる、『バットマン』のコミックにおいて重要なキャラクターであるカサンドラ・ケインは、本作では悪党に追われる子どもとして登場する。印象深いのは、アメリカ社会における彼女の生きづらさである。同じく悪党から命を狙われているハーレイは、自分が助かるためにカサンドラを庇護することになるが、同じく危機にある彼女に対して仲間意識のようなものを感じ始める。
その関係が最もよく表れているのが、ハーレイのセーフハウスで、短い期間だが二人で生活する姿を映し出す場面だろう。ヒーロー映画において、女性の生活そのものというのは、これまであまりフォーカスされてこなかった部分だ。とくにハーレイ・クインが、どんな生活をしているかというのはほとんど想像し難い。しかし、意外に生活感がある現実的なシーンを見ていると、彼女に対して親近感を覚えるとともに、「ハーレイも生活してるんだ……」という、当然の事実に突き当たるのである。
本作でハーレイを追いつめるのは、ユアン・マクレガーが演じるブラックマスク。彼は闇の社会を仕切るサディストで、劇中では女性を、人格が存在しないモノのように扱う描写がある。彼のような考え方の人間にとって、女性は自分の欲望や支配の対象でしかない。本作は、ハーレイが生活をする生身の人間であることを強調し、このような偏見に対抗する。そして、ハーレイのファッションも、本作では多くの男性にとってのセクシーさより、より自分らしさを追求したものにシフトしているように感じられる。
バーズ・オブ・プレイとハーレイ、正義と悪の枠を飛び超えた共闘が表すもの
そして本作は、ハーレイやカサンドラの物語を描くとともに、原題でもある「Birds of Prey(バーズ・オブ・プレイ)」の活躍を映し出す映画でもある。これはコミックにも登場する、女性ヒーローたちで構成される正義のチームだ。本来ならヴィランであるハーレイ・クインとは敵対関係となる存在だが、本作においては、両者を踏みつぶそうとするブラックマスクと戦うため、共闘することになるのだ。
この構図は、現実の社会における性差別に抗う女性たちの関係を表している。様々に違った立場で違った考え方を持っている女性たちも、男性上位的な考えで女性をモノとして扱うような風潮と戦うときには、差異を超えて同じ目的のもとに連帯するのだ。彼女たちがともに協力する戦闘シーンは、1960年代の『バットマン』テレビシリーズを想起させる、ポップで楽しい演出で表現されている。その時代は、日本も含めた世界中で、女性の社会での扱いに対して女性たちが声を挙げるウーマンリブ運動が盛んに行われたことでも知られている。
仲間を守るため、ハーレイや女性ヒーローたちが一時だけ力を合わせる。そして、彼女たち全員の想いを背負ったハーレイが、自分らしさを象徴するローラースケートで力いっぱいに疾走するクライマックスは、前述しているような考え方が根底にあるからこそ、単なるアクションを超えた表現となっている。
しかしこの正義と悪の枠すら飛び越えた共闘を終えれば、ハーレイとバーズ・オブ・プレイは敵同士。互いに自分たちの信じる道を進んでいくことになる。それぞれの考えで自由に生き方を選べるのは、彼女たちが男性上位の社会の一角を突き崩したと同時に、自立した存在として自己を確立できた結果でもあるのだ。
- 作品情報
-
- 『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』
-
Blu-ray・DVD販売中、デジタルセル・レンタル配信中
監督:キャシー・ヤン
脚本:クリスティーナ・ハドソン
出演:
マーゴット・ロビー
ユアン・マクレガー
メアリー・エリザベス・ウィンステッド
ほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
- フィードバック 3
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-