※本記事は作品のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
決定的瞬間を撮り逃がす。「失敗」したドキュメンタリー
「ひまわり運動」は中国語で「太陽花學運」と表記される。名称は、立法院議事堂を占拠している学生たちに支持者からひまわりの花が届けられたことに由来するという。本来、中国語表記は日本と同じ「向日葵」。そこをあえて「太陽花」と使っているのは、騒動の発端となった立法院で強行採決された台中間の「サービス貿易協定」に異議を唱え、「ブラックボックスに光を差し込む」という意味が込められている。さらにもう1つの意味があったように思う。彼らは院内の様子を随時メディアや動画配信サイトを通して生中継し、自分たちの言動をもカメラの前で詳らかにした。主たる目的は自分たちの主張を広める広報手段だったと思われる。だが結果的に中国共産党の影響を色濃く受けた政界の古狸との差別化、自分たちの覚悟と決意の表明、さらには院外にいる人たちとの連携を強めた。IT時代の、メディアの効力を生かした市民運動の到来を実感したものだ。
彼らの行動は、多くのドキュメンタリストたちの心も動かした。その代表が独立系映像制作者の労働組合である「台北ドキュメンタリー・フィルムメーカーズ・ユニオン」のメンバーで、立法院占拠からの24日間を9人の監督たちが様々な角度から現場を見つめて1本の作品『太陽花占拠』(2014年)を発表した。歴史的な事実を記録し、検証する材料とすることがドキュメンタリーの使命であるとするならば正攻法の作品だ。だとするならば、傅楡(フー・ユー)監督『私たちの青春、台湾』は、「失敗作」と言えるかもしれない。学生運動の中心人物・陳為廷(チェン・ウェイティン)と、天安門事件に影響を受けて台湾の社会運動に参加する、人気ブロガーの中国人留学生・蔡博芸(ツァイ・ボーイー)を通して、社会が変わるかもしれない瞬間を自分のカメラで全て収めたいという思いから撮影を始めた。にもかかわらず、致命的なミスを犯す。立法院占拠をそれまでにも何度か試みていた陳の手法に疑問を抱いたことから、多忙を理由に距離を置き始め、あろうことか2014年3月18日の立法院突入成功の瞬間、その場にいなかったのだ。だから本作では、他者の映像を借りて使用している。劇中で監督自身も後悔の念を口にしているが、ドキュメンタリストとして「撮り逃した」という事実は屈辱以外の何物でもないだろう。
英雄たちを作り上げようとした、ドキュメンタリストのエゴ
だが変わって本作は、「罪」とか「罠」のほうを浮き上がらせた極めて興味深い作品となった。本作は傅監督の「ひまわり運動」を回想するモノローグから始まる。そう、本作は「ひまわり運動」を通して味わったドキュメンタリストの葛藤を描いた作品であり、傅監督のセルフドキュメンタリーと言っても過言ではない。
ドキュメンタリーの概念については、『A』(1997年)や『i ー新聞記者ドキュメントー』(2019年)で知られる森達也監督が、著書『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)で次のように鋭く指摘して、大いに話題になった。ドキュメンタリーは事実の客観的な記録だと認識されているが、全ての映像は撮り手、あるいは制作者の主観や作為から逃れることはできないのだと。ドキュメンタリーと言えども、製作者はある程度のシナリオを思い描き、編集で作為的に自分の主張を込めることも可能だ。
本作の傅監督も、陳たちが起こした学生運動に自分の夢を載せ、ヒーロー、ヒロインの誕生を魅せる英雄伝を想定していたのだろう。しかしそれは陳との活動理念の相違、さらには陳のスキャンダルの発覚、中国出身の蔡を通して知った思った以上に根深い台中問題という現実に阻まれ、どんどんシナリオは脱線していく。予期せぬ事態はドキュメンタリーにとっては「おいしい」エピソードのはずだが、被写体との距離と思い入れが近すぎてしまって対応できなくなってしまったのだろう。それがラストに監督が行った、陳と蔡を前にしての告白へと繋がる。
その詳細は映画を見てのお楽しみではあるのだが、要は2人に期待していたものの、なにも変革を起こせなかったじゃないかというあまりにも正直な、ドキュメンタリストのエゴ丸出しの内容である。そんな監督を前にして、時代の寵児となった陳と蔡の苦悩も露わになる。陳は、学生運動の神として祭り上げられる状況に恐怖すら覚えて、自ら過去の過ちを告白して傅監督を含めてメディアが作り上げたサクセスストーリーを打ち壊す。蔡に至っては傅監督にキッパリと「監督の期待を個人に背負わされても困る」と告げる。
他者に期待するだけでは社会は変わらない。監督自身に起きた変化
だが両者の言葉は、まんま私たち観客にも向けられていることに気づくだろう。ドキュメンタリーやリアリティー番組を見ながら、私たちは主人公たちに「こうあってほしい」という理想を思い描き、感動のストーリーを期待する。だが、そこからはみ出したら最後。「裏切られた」と攻撃が始まるのだ。期せずして、女優・芦田愛菜が、主演映画『星の子』(大森立嗣監督 / 2020年)の舞台挨拶で、そうした我々の心理を見事に言葉で表現していたので、ここに記したい。
「その人のことを信じようと思います」っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、「それがどういう意味なんだろう」って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな」と感じて。だからこそ人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれは、「その人が裏切った」とかいうわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えた」だけ。
本作には続きがある。映画を通して相手に期待しているだけではダメで「自分が社会を変える努力をする」という決意をした傅監督が、早速行動を移したのだ。本作が中国版『アカデミー賞』こと2018年の『台北金馬奨』の「ドキュメンタリー部門」で受賞したときのことだ。壇上で傅監督は「「いつか我々の国が真に独立した存在としてみなされることが、いち台湾人としての最大の願いだ」という趣旨の発言をした。これが台湾と中国を1つの国とみなす中国側の逆鱗に触れ、2019年の中国による映画祭のボイコットへと繋がった。密着している間に撮り手が被写体の影響を受けることはドキュメンタリーではよくあることだが、今回傅監督はアクティビストとして覚醒したのだ。
なにより陳と蔡たちが「ひまわり運動」を起こし、傅監督はもちろん、台湾の人々に与えた影響の大きさは歴史にしっかり刻まれ、本作にも記録された。間違いなく本作は、貴重な映像記録なのである。
- 作品情報
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- 『私たちの青春、台湾』
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2020年10月31日(土)からポレポレ東中野ほか全国で順次公開
監督:フー・ユー
主題歌:ヤン・イーアン“我們深愛的青春 Our Beloved Youth”
出演:
チェン・ウェイティン
ツァイ・ボーイー
上映時間:116分
配給:太秦
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