黒人ゲイ男性はいかに語り始めたか 『タンズ アンタイド』を紐解く

2020年5月、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが白人の警察官に首を圧迫されて死亡した事件を発端に、全米、そして世界へと「黒人の命は大切だ」と叫ぶ「ブラック・ライブズ・マター運動」が波及した。それは黒人に対する差別的な状況に人々が「自分ごと」として目を向け、知識を蓄えたり、声を上げることの大切さを学ぶ、重要な機会になった。しかし、それから約1年が経ったいまも、差別的な思想や言動、行動が世界から消え去ったとは到底いい難い。それらは簡単になくならないからこそ、われわれは運動を続けなければならないのだ。

今回CINRA.NETでは、上映団体・ノーマルスクリーンと共同で映画『タンズ アンタイド』の無料オンライン上映を行う。同作は白人からも、同胞であるはずの黒人からも激しい差別意識を向けられた、黒人ゲイ男性の経験を映し出すドキュメンタリーだ。30年以上も前に作られたこの作品が、人種のみならず、性別やセクシュアリティにまつわる差別に対しても抵抗している様子を観ると、なおさら上述の意識を薄めてはならないと感じる。

この記事では、『タンズ アンタイド』の日本語字幕製作を手掛けたスタッフが、作品の重要人物や、その意志を引き継ぐ現代の映画やドラマなどを紹介。なぜこの映画が30年以上も影響を与え続けているのかについて、ヒントを得ることができるだろう。

「苦しい時代だね、プリティ・ベイビー」。エイズによる合併症でこの世を去った黒人ゲイ男性、エセックス・ヘンプヒルは画面のなかから語りかける。映画と現実を交互に見つめながら、差別のない世界を諦めないためのアイデアについて考える機会が作れたのなら幸いである。

「固有の顔と声を失うことなく語ること」を重要視。再評価の動きも進む『タンズ アンタイド』

2019年に公開30周年を迎えたことを契機として、昨今、映画『タンズ アンタイド』の再評価が進んでいる。

同作をユニークで刺激的なものにしている最大の特徴は、米国黒人ゲイ男性、あるいは黒人の人々に特有の多様な表現形式を、リズミカルに映像に織り込んでいくリミックス的な語りのスタイルにあるだろう。

指を鳴らすしぐさ(スナップ)のさまざまなバリエーションを披露するユーモラスな「スナップ講座」。タキシードを着た黒人男性コーラスグループが歌う甘くノスタルジックなドゥーワップナンバー。心のうちの孤独や憧れを代弁するかのような、伝説的な黒人女性シンガーのビリー・ホリデイやニーナ・シモンたちの歌声。公園でのダンスや、食事をしたり歩きながらおしゃべりをする仲間同士のドキュメント的な映像。同作は自分たち(黒人ゲイ男性)のコミュニティー内部で流通する特有の言葉や表現、固有の文化を、映像のなかでダイレクトに示して見せる。

映画『タンズ アンタイド』予告編

そしてそのダイレクトさが顕著に現れるのが、作品の軸となる詩の朗読の場面である。詩人でもある監督のマーロン・リグスや、黒人でゲイの詩人エセックス・ヘンプヒルなどが画面に一人で現れ、それぞれ固有の顔と声を失うことなく、作品の鑑賞者・観客と対話を開こうとするように力強く語る。

カメラをじっと見据えた詩人たちによって発話される言葉を受け、観客は彼らに直接訴えかけられているかのような感覚を覚える。識者による解説やコメント、ナレーションといった客観的な言葉が紛れ込まず、個々の語りが尊重されることこそが『タンズ アンタイド』の特徴だ。

自身の姿をも通して、アメリカの黒人ゲイ男性の声を繋げた映像作家マーロン・リグス

『タンズ アンタイド』を監督したのは、1994年に37歳にしてその生涯を終えた黒人でゲイの映像作家マーロン・リグス。1957年にテキサス州のフォートワースで生まれ幼少期を過ごした彼が、ハーバード大学を卒業し、カリフォルニア大学バークレー校でジャーナリズムの修士号を取ったのは、いまからちょうど40年前の1981年。その年、「珍しい肺炎」にかかったゲイ男性やその死亡が確認され、世間ではそれらが「ゲイの癌」と呼び始められた頃だった。後にエイズを引き起こすHIV(ヒト免疫不全ウイルス)が医学的に認識されたが、根強い偏見と差別がそれ以来続いている。

そんななか、精力的に作品制作を続けたリグスは、当初から自身が黒人であり、男性で、そしてゲイであることを意識し、アメリカにおける人種差別や性のあり方、性に関わる差別について実験的な手法をもちいながら表現を続けた。

そして、アクティビズムにも参加していたリグスは、自分と同じカリフォルニア州を拠点とする人々や、黒人でゲイの詩人を登場させて『タンズ アンタイド』を撮影し終えた。その編集過程で、「自分自身にもカメラを向ける必要がある」ことに気づいたという。

マーロン・リグス監督

リグスは自分の経験を冗談っぽく、しかしどこか悔しさを滲ませながらも、堂々と話す。いじめられてきた幼少期の経験。白人からも黒人からも投げかけられる言葉の暴力。白人中心のゲイコミュニティーでの疎外感。その姿は、最終段階で決断がされたとは信じられないほど、劇中で重要な役目を果たしている。リグスは巧みな撮影と編集技術だけではなく、自身の姿をも通して、さまざまなアメリカの黒人ゲイ男性の声を丁寧に繋げているのだ。

私もまた怒りを知っている
私の体内には水分と同じくらい怒りが含まれている
私という家は怒りを資材にしてできている
人知れず泣く血色のレンガだ

ジョセフ・ビーム『Brother to Brother』より

エイズによる合併症で亡くなるまで、黒人のゲイとして表現を続けた詩人エセックス・ヘンプヒル

さて、本作にはリグスと並んでもうひとり、象徴的な顔となる人物がいる。それが、冒頭でも言及した詩人、エセックス・ヘンプヒルである。彼はリグスと同じ1957年生まれ。1960~1970年代のアメリカで多感な時期を過ごし、1980年代からワシントンDCで黒人のゲイとして、人種、セクシュアリティ、家族について詩を書き、パフォーマンスも行った人物である。

黒人でゲイである経験を正面から語った『タンズ アンタイド』がそのタイトルの意味(「ほどかれた舌たち / 話しはじめた口」)通り、映画・映像作品の沈黙を破った記念碑的な作品だとするならば、それを詩の世界で一足先に行っていたのがヘンプヒルであった。『タンズ アンタイド』にも登場する彼の奥深い声と姿に触れると、リグスが彼の作品とパフォーマンスをベースに同作を構築していったのだろうと想像させられる。

左から:マーロン・リグス、エセックス・ヘンプヒル Photo courtesy of Signifyin' Works
左から:マーロン・リグス、エセックス・ヘンプヒル Photo courtesy of Signifyin' Works

登場場面も多いヘンプヒルは劇中でさまざまな表情を見せる。自信に満ち溢れ、誘惑するようにこちらに語りかける姿。それが別のシーンでは、怒りをあらわにし、死への恐怖を思わせる不安な表情をみせる。

「近頃はセックスと死の可能性が切り離せなくなった」と語るヘンプヒルはエイズによる合併症で、リグスに続いて1995年にこの世を去った。彼の存在やその詩の言葉は今も人々を力づけている。最近も、米国の黒人音楽アーティスト、サーペントウィズフィートが楽曲“Same Size Shoe”のミュージックビデオ中で、リグスなどと並んでヘンプヒルへの感謝を表明している。そして彼はインタビューで次のように語っていた。「彼らがいなければ、私が今のように活動するスペースも、勇気も、言葉もなかったでしょう」と。

悼みの感情は 身に付けるものじゃない
ドレスやウィッグとは違う
私のシスターのハイヒールとも違う
それは暗い
銀色の車のエンジンをふかしてやってくる
私の夢の男よりも

エセックス・ヘンプヒル『Homocide』より

『タンズ アンタイド』と精神を分かちあう現代の映画やドラマ

1989年に『タンズ アンタイド』が発表されてから約30年、いまだ差別的な状況がなくなったとはいい難いものの、リグスやヘンプヒル、そして劇中に登場した一人ひとりの意志はさまざまな形で確かに引き継がれている。ここではそのいくつかの例を紹介したい。

■映画『ムーンライト』(2016年)

『アカデミー賞』で作品賞を受賞した黒人監督バリー・ジェンキンスによる同作は、ある黒人の少年が一人前の男性になるまで、いかに生き延び、成長していったかが描かれている。

主人公の男の子 / 少年は「ソフト」な性格で、典型的な「男らしさ」を示さないことから、周囲の同じ黒人の友人たちからいじめを受ける。家族やコミュニティーが機能不全に陥るなかで、突発的に訪れる同性の友人との性的で親密な体験が、主人公の生にとっての決定的な出来事として意味を持つ。

映画『ムーンライト」は日本では2017年3月に公開された

一人の黒人少年が大人になるまでをたどった語りは、『タンズ アンタイド』のなかにも見出すことができる。それは、監督であるリグスが画面に出現し、自身がそれまでにくぐり抜けてきた経験、出来事、そのときどきの感情、得た認識などを、時系列で自伝的に語っていくパートだ。

『ムーンライト』の主人公がゲイのコミュニティーやカルチャーに出会うことはなかった一方で、『タンズ アンタイド』の黒人ゲイ男性たちにとって、そうしたコミュニティやカルチャーの存在は彼らの生にとって欠かせないものとしてある。この違いに注目すると、二作品をより深く味わえるだろう。

■ドラマ『POSE』(2018年~)

Netflixなどで配信中のドラマシリーズ『POSE』は、『タンズ アンタイド』が発表されたのと同じ1980年代後半から1990年代初頭を舞台に、アメリカに生きる黒人やラテン系のトランスジェンダー女性やゲイ男性たちの姿を描いた近年の話題作だ。

日本ではNetflixでシーズン2までが配信されている

『POSE』は、ボールルーム・カルチャーを背景とするドラマである。ここでの「ボール」とは、その日のお題に従ったファッションや、雑誌『ヴォーグ』のモデルポーズに由来した「ヴォーギング」と呼ばれるダンスパフォーマンスで、スコアを競い合うコンテスト。

「ボール」の参加者たちはそれぞれ、母親的な存在である「マザー」を監督者とする「ハウス」に属し、団体戦を行う。そしてそこに集ってくる人の多くが、前述したような黒人やラテン系のトランスジェンダー女性やゲイ男性たちを中心とする人々だった。

『タンズ アンタイド』にも、ヴォーギングのシーンが含まれる。ここでヴォーギングは、黒人でゲイである男性たちがパフォーマンスを通して自己を表現をし、歓びや快感を得る活動としてある。この映画の中に出てくる黒人ゲイ男性は、詩を書くこともあれば、スナップを交えながら仲間たちと語りもする。出会いの場へと繰り出すことも、恋しい相手と抱き合うこともある。また、社会運動へと身を投じることもある。ヴォーギングもそういった表現行為のうちの一つとして現れるのだ。

『POSE』の劇中では、『タンズ アンタイド』にも表れているように同時代のコミュニティーを描くうえで避けては通れない「エイズ禍の状況」について、しっかりと刻み込まれていることにも、注目してほしい。

苦しい時代だね
プリティ・ベイビー
豆は焼かれて
ボロボロの鍋の底におこげを作る
激しく愛し合おう
貼りぐるみの
お古のソファの上で

エセックス・ヘンプヒル『Black Beans』より

性差別や人種差別は一様な現象ではない。複雑で多様な側面を持つ、差別との闘いの歴史

それまでアメリカ国内で行われていたブラック・ライブズ・マター運動が2020年5月末に世界的に波及した際、アメリカでは同時期に複数起こった黒人トランスジェンダーの人々の殺害事件を契機とした「ブラック・トランス・ライブズ・マター運動」も大きな広がりを見せた。黒人のなかでもトランスジェンダーの人々はとりわけ暴力にさらされやすいことや、その暴力や死の現実が無視されていることに対し、多くの人が怒りの声を上げたのだ。

『タンズ アンタイド』より Photo courtesy of Signifyin' Works
『タンズ アンタイド』より Photo courtesy of Signifyin' Works

ブラック・ライブズ・マター運動の共同創設者の中にはクィアの黒人女性がおり、クィアの人々の思考や行動の蓄積が運動のなかで重要な役割を果たしてきたが、そのことは日本の大手メディアではあまり取り上げられてこなかった。

ここで注目してほしいのが、ブラック・ライブズ・マターにおける「交差性(インターセクショナリティ)」の視点である。交差性とは、1970年代から有色人種のフェミニストたちが築き上げ、1989年に黒人女性で法学者であるキンバリー・クレンショーが概念として提唱した考え方だ。

性差別や人種差別は、あらゆる人に同じように経験される現象ではなく、人種、性別、階級、セクシュアリティなど複数のアイデンティティの重なりあいによって多様なかたちを取る。「交差性」は、人種や性別といった一つの要素だけに注目していると見落とされてしまう、個々の特殊な経験をとらえようとする発想である。

ブラック・ライブズ・マター運動の基盤にあるのは、このように人種、ジェンダー、セクシュアリティの問題は切り離すことができないという認識であり、差別と闘ううえで、さまざまなかたちで疎外される「マイノリティ」を誰一人として置き去りにしない姿勢だ。

『タンズ アンタイド』もまた、交差性という考え方が広く知られるようになる以前からそうした視点を持ち、顧みられることの少なかった黒人ゲイ男性に固有の現実を示そうとした作品と位置づけることができるだろう。

『タンズ アンタイド』より Photo courtesy of Signifyin' Works
『タンズ アンタイド』より Photo courtesy of Signifyin' Works

『タンズ アンタイド』では、黒人コミュニティーのなかで疎外されてきた個人の経験が語られたのち、後半では、黒人ゲイ男性たちによる差別との闘いが、奴隷制廃止運動から公民権運動までに至る、黒人解放運動の歴史と結びつけられていく。公民権運動のデモ行進の映像が、プライドマーチの映像と接続されていき、公民権運動においてアンセムとなっていた楽曲“Ain't Gonna Let Nobody Turn Me Round”が同性愛差別に抵抗する歌詞に書き替えられて歌われる。

The Freedom Singers“Ain't Gonna Let Nobody Turn Me Round”を聴く(Apple Musicはこちら

昨年ブラック・ライブズ・マターの報道を通じて、公民権運動から半世紀を経てもなお、人種差別との闘いはそのプロセスの只中にあることが日本でも広く知られることとなった。『タンズ アンタイド』は、黒人の人々の闘いの歴史が複雑で多様な側面を持つことを考えるきっかけを与えてくれることだろう。

物足りないと感じたら
俺みたいにやってみな
宇宙から借りてくるのさ
棚から取ってくるように
自分のために

スティーブ・ラングレー『Borrow Things from the Universe』より

イベント情報
映画『タンズ アンタイド』オンライン上映会

2021年6月29日(火)、30日(水)
上映作品:『タンズ アンタイド』(監督:マーロン・リグス)
料金:無料

プロフィール
ノーマルスクリーン

ジャンルや時代や地域を問わず、主に性的マイノリティーの人々の視点や経験を描いた映像作品を上映/紹介するシリーズ/プラットフォーム。2015年より東京を中心に活動し、年に一度、京都でQueer Visionsという上映イベントも共同開催している。



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