(メイン画像:『暗やみの色』オープニング映像より(演出:西郡勲))
「見えるもの、見えないもの」をコンセプトにしたプラネタリウム作品『暗やみの色』。2005年に初上映がなされた本作は、音楽を担当したレイ・ハラカミの没後10年を機に、2021年6月末からリバイバル上映が日本科学未来館で行われている(上映は7月25日まで)。
7月3日、四度目となる今回の上映にあたって、『暗やみの色』に当時書き下ろしの詩『闇は光の母』を提供した谷川俊太郎、作品のナレーションと詩の朗読を担当したクラムボンの原田郁子、企画プロデューサーである森田菜絵によるトークセッションが実施された。そこで谷川俊太郎は以下のように語った。
「一緒に仕事をする仲間が次々と消えていく……それが心もとない。でもいなくなった人は、普通にその場にいてくれる人よりも存在が濃くなるところがある」(谷川俊太郎)トークイベント『「暗やみの色」から生まれることば』より
『暗やみの色』のコンセプト、私たちがレイ・ハラカミという稀代の音楽家を失って10年の時が経つこと、そして谷川俊太郎という詩人の生きてきた時間……さまざまなことをひっくるめたこの言葉を前に、私はいま自分が『暗やみの色』という作品に向き合ったことの意味を考えさせられた。少しばかりの時間が過ぎたが、未だ答えは見つからない。
「見えるもの」と「見えないもの」……2021年を生きる私たちに、この作品はどんなものを見せようとしているのだろう。
DOMMUNEの宇川直宏の言葉を借りるなら−−Google Earthが世界中の路地裏を可視化したように、あるいはTwitterが見知らぬ隣人のひとりごとをネット空間に浮かび上がらせたように、2005年当時と比べて、2021年のいま、「目に見えるもの」は確実に増えている。一方で「目に見えない」ものはどうだろうか。
「社会生活の中では、歳を取るほど『見えないモノ、理解出来ないモノ=存在しないモノ』という価値観でしか生きていけない、と勝手に思わされるフシがどうしてもあるわけで、実際にその方が楽だったりする」(レイ・ハラカミ)『「暗やみの色」公式ガイドブック』(2006年)より
レイ・ハラカミは『暗やみの色』というプラネタリウム作品に対して当時このような言葉を残していた。たとえばダークマターは未だに目には見えないし、人の心の痛みや愛のようなものだって、肉眼で捉えることができるようになったわけではない。「目に見えない」という事実のみで存在そのものを否定することはできなし、ハラカミが指摘するような「見えないモノ、理解出来ないモノ=存在しないモノ」としてしまう世界を生きるということは、とても恐ろしいことのような気がする。
それに目に見えないものの存在を最初から否定してしまう生き方はなんだか味気ない。音楽だって、朗読される詩だって、肉眼では捉えることはできない。しかしそのエネルギーは空気の振動以上の何かをはらみ、確実に「存在」している。そうした目に見えない何かによって、私たちの生は支えられ、(矛盾したような表現だが)彩られているのかもしれない。
ずいぶん前置きが長くなってしまったが、本稿は2005年と2021年に『暗やみの色』を鑑賞した黒田隆憲によるコラムと、レイ・ハラカミ『暗やみの色』におけるアンビエント性というテーマで原雅明が執筆したテキストによって構成されている。
この序文の締めに「2021年の鑑賞者が『暗やみの色』に触れて社会生活や日常生活に持ち帰れる感覚があるとしたら、どんなものだと思いますか?」という編集部からの質問に対する森田菜絵の回答を引用し、2人のテキストに繋げたいと思う。
森田菜絵へのメールインタビューより「2021年現在の社会は、『闇は光の母』の詩が書かれた当時より、さらに闇が深く、複雑になっているという言い方もできると思います。そういう社会状況のなかで、宇宙や科学技術のロマンを感じられるような体験がどういう意味をもつのか……そんなに楽観的なまま受け取れないという方もきっといるでしょう。
ただあえて言えば、ハラカミさんが当時『この世界を見限ってしまうのか、希望を持つかは、結局その人次第なのですから。生きてれば、こんなにロマンの溢れる仕事に参加出来たりする事もあるのだな、と改めて思えました』と書いてくださったように、誰かにとっては新しい支えになるかもしれないと期待しています」(森田菜絵)
約15年前、谷川俊太郎から受け取ったおまじない。その言葉は、人生の「暗やみ」を照らし続けた
テキスト:黒田隆憲
いまからおよそ15年前、ぼくは日本科学未来館にあるプラネタリウムで特別なプログラムを観た。タイトルは『暗やみの色』。音楽をレイ・ハラカミが手がけ、ナレーションをクラムボンの原田郁子が担当し谷川俊太郎による書き下ろしの詩を朗読するという。
プラネタリウムで、詩を「朗読」? 幼少の頃から大の天体好きで、渋谷駅前にあった「天文博物館 五島プラネタリウム」(2001年に閉館)に毎週のように通い詰めていたぼくは、それがどれだけ「特別」なプログラムであるか、観る前からある程度の予想がついていた。が、そこでの体験はこれまでぼくが一度も味わったことのないものだったし、原田が朗読した谷川の詩『闇は光の母』にある、「闇は無ではない 闇は私たちを愛している」という一節は、まるで「おまじない」のようにずっとぼくの心のなかに残り続けたのだった。
レイ・ハラカミ“yami wa hikari no haha”を聴く(Apple Musicはこちら)
『暗やみの色』は、日本科学未来館(以下、未来館)の6階にあるドームシアターガイアにて、2005年12月から2007年の3月まで上映されていたプラネタリウム番組である。
2004年7月、元ソニーのエンジニアだった大平貴之が個人で開発した「MEGASTAR-II」を、未来館が常設するニュースが流れたときは、ちょっとした話題になったこともおぼろげながら覚えている。そのころ館長を務めていた宇宙飛行士の毛利衛が「MEGASTAR-II」を見て、「宇宙で見た星空にもっとも近い」と感じたことが、導入のきっかけになったという。『暗やみの色』は、その初の常設機「MEGASTAR-II cosmos」を使用して作られた第二作目のプログラムだった。
ハラカミと原田、そして谷川というキャスティングもプラネタリウムとしては珍しかったし(当時は学術色の強いプログラムが主流だった)、「MEGASTAR-II cosmos」という装置もまだまだ未知数。そればかりか扱うテーマでさえも、その頃のプラネタリウム業界では極めて異例のものだった。
当時のプランナー / プロデューサー森田菜絵は、肉眼では確認できない暗い星まで投影できる「MEGASTAR-II cosmos」の特徴に着目し、「見えないものに目を凝らす」という文学的かつ哲学的なコンセプトを打ち立てる。
赤外線や紫外線、X線など可視光以外の「見えない光」を使って解明されてきた宇宙の暗闇の、それでもまだ見えない「ダークマター」「ダークエネルギー」という名の深淵に迫ろうというのが、『暗やみの色』のテーマだったのである(参照:『ユリイカ2021年6月号 特集=レイ・ハラカミ』森田菜絵コラム「『暗やみの色』が生まれた頃」)。
そんな、それまでのプラネタリウムの常識に囚われないプログラムを彩る音楽の作り手として、白羽の矢が立ったのがレイ・ハラカミだった。森田からオファーを受けたハラカミはこれを快諾。「MEGASTAR-II cosmos」により投影される星の数と、自身の楽曲で用いる音の数のバランスなどにこだわりながら、およそ4か月で『暗やみの色』のサントラを完成させたという(参照:同上コラム)。
いまとなってはレイ・ハラカミの数ある作品のひとつとして親しまれている『暗やみの色』。しかし、ドーム型スクリーンに映し出される無数の星を仰ぎ見ながら本作を聴いたときの衝撃は忘れることができない。
レイ・ハラカミ“intro”を聴く(Apple Musicはこちら)
たとえば、不規則にビブラートするエレピや飛び交う電子音、ゆっくりと変調していくシンセパッドといった曲中のフレーズが、かすかな星の瞬きや天を横切る流れ星、わずかに揺らぐガス状星雲などとシンクロしているように聞こえる。かと思えば、星と星の間に広がる「目に見えないもの」の存在にまで意識が向かうような、抽象的な残響音が空間(スペース)を満たしていく。
暗やみと、無数の星々と、ハラカミの紡ぐ音像が完全に調和し、ぼく自身さえもそのなかのひとつとなる。思えば宇宙が「混沌」から生まれたように、ぼくたちも「混沌」から様々なものを生み出している。音楽も詩もそうだ。無数の音のなかから、無数の言葉のなかから秩序を見出し「世界」をかたちづくる。そう、つまりぼくたちもその身体のなかに、「宇宙」を内包しているのだ。
「すべての物質をつくるもとになる元素たちは、ことごとく星の中で合成され、星が超新星爆発というかたちで終焉を迎えた時、宇宙空間にばらまかれますが、私たち人間も、その『星のかけら』が集まってできているのですから、脳の中に、はるかな宇宙進化の記憶が刻み込まれているといっても言い過ぎではないのです」佐治晴夫『からだは星からできている』(2007年、春秋社)より(外部サイトを開く)
宇宙進化の記憶が刻み込まれた「星のかけら」でできたぼくたちは、いつか再び宇宙へと還っていく。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という絵画を描いたのはポール・ゴーギャンだが、そんな人類にとって永遠の問いの答えが宇宙の「暗やみ」に隠されているのだとしたら、いつかぼくたちはその「暗やみ」へと還っていくのだとしたら、恐れることは何もない。原田が朗読する『闇は光の母』を聴きながら、15年前のぼくはそう確信したのだ。
「闇は無ではない 闇は私たちを愛している 光を孕み光を育む闇の その愛を恐れてはならない」谷川俊太郎『闇は光の母』より
あれから15年。『暗やみの色』が再び上映されている。30代半ば、自分の「暗やみ」とどう折り合いをつけていいのかもわからず、先の見えない未来にただただ怯えていたあの頃に観た『暗やみの色』と、人生の折り返し地点もとうに過ぎたいまの自分が観る『暗やみの色』とでは、やはり味わいも変わっていた。
「暗やみ」は以前よりもずっと近くに感じるし、その気配はあたたかく豊かだ。きっと、ぼくがこれまで失くしてきたもの、喪ってしまったものがそこにある。「闇は私たちを愛している」というおまじないは、大袈裟でもなんでもなく、ぼくに生きる力をずっと与えてくれていたのだと思う。
レイ・ハラカミ『暗やみの色』におけるアンビエント性が指し示す先
テキスト:原雅明
『暗やみの色』の音楽について、僕自身も、「アンビエントのような」という形容を使ったことがあるのだが、アンビエントミュージックなのかと改めて問われるならば、いささか違和感を覚える。
レイ・ハラカミが『暗やみの色』の前に制作し、発表したアルバム『lust』(2005年)と比べてみると、『暗やみの色』の音数は少なめで、ビートが導いていく展開も控えめであり、限定的だ。
レイ・ハラカミ『lust』を聴く(Apple Musicはこちら)
それゆえに、アンビエントのように響く局面が続いているのはたしかである。ただ、少しディテイルを聴き込んでいくと、それは未分化な何を残し、曖昧さを許容し、何処に到達するのかわからない音楽に聞こえもする。使われている音色やメロディも、音の揺らぎや質感も、レイ・ハラカミの音楽として聴き覚えはあるが、それらが形作る全体は、空間に余裕があって、必要以上に音で埋めることなく成り立っていた。
特に、メインの4パートからなる楽曲“sequence”では、それまでのレイ・ハラカミの音楽の構造は保たれつつも、スケッチの如く、骨格を組み立てる過程をトレースしていくようでもあった。それゆえに、できあがった音楽は、さまざまな「余地」を残していた。
レイ・ハラカミ“sequence_01”を聴く(Apple Musicはこちら)
レイ・ハラカミを特集した2021年6月号の『ユリイカ』誌には、『暗やみの色』の企画と映像に携わった関係者の方々も寄稿しており、その制作プロセスが明かされている。
それによれば、音楽がまず先行して制作された。最新の光学式のプラネタリウム投影機「MEGASTAR-II cosmos」を使って上映されるオリジナルコンテンツを制作するという大枠のアイデアがまずあり、上映時間によって決められた尺に合わせて音楽が制作された。つまり、現実にはまだ存在していない、プラネタリウムに投影される映像作品を想像して制作された音楽でもある。
レイ・ハラカミが、『暗やみの色』ののちに制作した映画『天然コケッコー』(2007年)のサウンドトラックのように(そして、一般的な映画や映像作品のサウンドトラックの大半がそうであるように)、映像に合わせて制作された音楽ではないということだ。
レイ・ハラカミは、当該の投影機を実際にプラネタリウムで体験しており、家庭用に発売されたプラネタリウム機も貸与されていた。それらから、ある程度のイメージを得て制作に臨んだのであろうと思われるが、実際には、何らかの映像を具体的に思い描くこともなく制作されたのかもしれない。
レイ・ハラカミ“sequence_02”を聴く(Apple Musicはこちら)
そう思うのは、音楽家レイ・ハラカミとしてデビューする以前に残していた彼の映像作品を見たことがあったからだろう(関連記事:レイ・ハラカミ映像作品展で初期10作品を上映、映像作品集も発売)。それらの作品は、映像と音楽とのリンクに過剰な期待も幻想も抱いていなかったように感じさせたからだ。
プラネタリウムで聴く『暗やみの色』は、アンビエントのように聴き流すことができる音楽ではなかった。しかしながら、映像と逐一シンクロして、リニアにストーリーを進行させる音楽とも異なっていた。
もちろん、レイ・ハラカミの音楽に合わせて映像は制作されているのだから、当然のことながら、ストーリーの整合性を取られているのだけど、自由に断片を聴き取り、映像と共に楽しむ「余地」が残されているのを感じたのだ。そして、この「余地」に耳を向かわせることもアンビエントを意味するならば、矛盾するようだが、『暗やみの色』は更新されたアンビエントミュージックだったのかもしれない。
「1990年代のアンビエントの潮流と、2000年代に流行するエレクトロニカの間にあって、世紀末の奇妙な静けさの中で生まれた稀有な音楽でした」『ユリイカ2021年6月号 特集=レイ・ハラカミ』より(外部サイトを開く)
同じ『ユリイカ』誌にコメントを寄せた細野晴臣は、1999年に初めて聴いたアルバム『opa*q』について、こう述べていた。「1990年代のアンビエントの潮流」とは、まさに細野自身もその一翼を担ってきた。
以前、ぼくが話を訊いたインタビュー(Time Out Tokyo「細野晴臣の轍」)では、アンビエントを制作していた自分自身を振り返り、「当時は、世界中のアンビエントをやっている人たちと繋がっている感じがしていた」と語った。アンビエントは音楽のスタイルやジャンルを意味するだけではなく、一人で孤独に作られた音楽が世界と結びついている感覚を表現してもいたのだ。
レイ・ハラカミ『opa*q』を聴く(Apple Musicはこちら)
では、「2000年代に流行するエレクトロニカ」とは何だろう。レイ・ハラカミの音楽は、時にエレクトロニカと呼ばれてもいたが、本人はその形容をあまり気に入っていなかったと記憶している。それは、ジャンルのレッテルを拒むという意味と、エレクトロニカと呼ばれはじめた音楽を聴いて惹かれなかったという意味の両方があったと思う。
いま現在の視点から、2000年代以降のエレクトロニカの歩みを振り返ると、エレクトロニックミュージックから逸脱していく音楽だったと言うこともできるだろう。それは、歌やアコースティックのサウンドも呼び込み、他者も迎え入れて作られていったからだ。
『暗やみの色』は、一人で孤独に作られたエレクトロニックミュージックの痕跡を残している。その孤独な音楽は、1990年代のアンビエントを遡り、1980年代の環境音楽、さらに1970年代半ばの黎明期のアンビエント(ブライアン・イーノ)とニューエイジ(ヤソスとスティーヴ・ハルパーン)にまで繋がる。
1990年代のアンビエントと2000年代のエレクトロニカの狹間にあって、レイ・ハラカミが次に繋げようとしていたのはそんな音楽の系譜の先にあったのだと、『暗やみの色』に微かに、しかし確実に顕れている響き、感覚、感情から伝わるのである。
レイ・ハラカミ『暗やみの色』を聴く(Apple Musicはこちら)
- イベント情報
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- 『リバイバル上映「暗やみの色」』
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2021年6月26日(土)~7月25日(日)
会場:東京都 お台場 日本科学未来館 6階 ドームシアター定員:各回61名
料金:一般940円、18歳以下310円、未就学児100円
※6月26日(土)~7月4日(日)は土日のみ16:30より上映
※7月10日(土)~12日(月)と7月14日(水)~25日(日)は毎日16:30より上映
※要事前予約
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