初めてあなたと出会ったのは2000年初頭のことでした。私は当時、大阪の芸大生。どこかのお店で、ふと手にしたチラシであなたにひと目惚れし、1人映画館に向かったのを覚えています。今はなきミニシアター、扇町ミュージアムスクエアでした。スクリーンの中で動き始めたあなたは、悶えるほどの可愛さでした。あの歩き方、話し方、倒れ方、そして、ずるい上目遣い……。私はガッチリとハートを掴まれてしまったのです……。というわけで、思い出される10数年前。『relax』や『Olive』を読むようなサブカル女子たちがこぞってミニシアターに足を運び、「ワー! キャー!」いいながらチェブラーシカに夢中になった時代がありました。
そして現在、八王子市夢美術館で開催中の『チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち』展。「正体不明」の「ばったり倒れ屋さん」な生き物、チェブラーシカというキャラクターの知られざる生い立ち。作品を生んだロシアのクリエイターたちの仕事やその背景にも触れられると聞いて、さっそく八王子へと向かいました。
「熱帯からきた普通では知られていない動物」という設定だったチェブラーシカ
日本では既に知名度のあるチェブラーシカ。でも、その生い立ちを正確に知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。茶色の子ザルみたいな、タヌキみたいな、摩訶不思議な動物、チェブラーシカはロシア・アニメに登場するキャラクター。日本のドラえもんや、フィンランドのムーミンのように、ロシアを代表するキャラクターとして世界中で愛されています。生みの親は童話作家のエドゥアルド・ウスペンスキー。ここであれ? と思った人もいるはず。そう、チェブラーシカはもともとアニメではなく、絵本のキャラクターとして誕生したのです。
その童話とは、1966年に出版された『ワニのゲーナとおともだち』。主人公はワニのゲーナで、その中のいちキャラクターとしてチェブラーシカが登場しました。会場に入ってすぐの展示棚には当時の絵本が並んでいます。しかし、表紙にしっかりと描かれているのはワニのゲーナばかり。そこには私たちの知るチェブラーシカらしきキャラクターは見つかりません。「童話の時点ではチェブラーシカはあくまで脇役だったのです」と話してくれたのは担当学芸員の川俣さん。
川俣:童話作家のエドゥアルド・ウスペンスキーは物語を紡ぐのが専門でしたので、オリジナルのチェブラーシカは文字でしか残されていません。そこから想像してそれぞれの挿絵画家が絵を描いたため、姿形がさまざまなのです。アニメーション作品版のチェブラーシカのイメージが一般化した後でも、原作をもとに自由なチェブラーシカを描く作家がいるくらいなんですよ。
ちなみにエドゥアルド・ウスペンスキーによるチェブラーシカはこんな文章で紹介されていました。「ミミズクのような大きな黄色い目」「うさぎのような頭」「子グマのような尻尾」を持つ「熱帯からきた普通では知られていない動物」。なるほど、これは時代を超えて絵描きの想像力を刺激するはずです。
黒いたぬきのようなシルエットで描かれたチェブラーシカ、表情豊かでファニーなチェブラーシカ、SFキャラクターかと見紛う赤い目のチェブラーシカ……。アニメーションのイメージに親しんだ私たちからすると、童話の中のチェブラーシカは実にユーモラス。これが!? とびっくりするようなチェブも存在します。
川俣:このことは、ミッキーマウスとチェブラーシカの決定的な違いでもあります。どちらも世界的な人気者ですが、ミッキーマウスを生んだウォルト・ディズニーはアニメーターで、キャラクターと絵は一体化したものでした。一方、エドゥアルド・ウスペンスキーは作家。自分では絵を描かずに言葉だけでキャラクターを表現した。さらに彼は「チェブラーシカはそれぞれの人の心の中にある」とも語っているのです。
のちに、多様なデザインのチェブラーシカグッズが登場するのもそれゆえ。チェブラーシカはのびのびとした空気の中、まずロシアの人気者へと成長していったのです。
巨匠ユーリ・ノルシュテインがアシスタントとして参加していた、初代アニメーション作品
童話のキャラクターとして人気が出たチェブラーシカは映画監督ロマン・カチャーノフの目に止まり、アニメーション版の制作が始まります。脚本には原作者のエドゥアルド・ウスペンスキーも参加。カチャーノフが所属するロシア(当時はソ連)の国営映画スタジオ「ソユズムリトフィルム」で制作されました。ちなみに、このときアシスタントとして制作に関わったのが、のちに世界的に評価されるアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインでした。
さて、私たちが知るチェブラーシカは、いよいよカチャーノフが手がけたアニメーション版の中に登場します。下の写真は1970年代にカチャーノフ監督が残したラフスケッチ。姿形だけでなく、ちょこんと座る仕草やあどけない表情もお馴染みのチェブラーシカそのものです。その可愛さといったら……ささっと書いたラフスケッチにその特徴がすべて詰まっていることにも感動。さすが監督です。
一般に、キャラクターデザインを担当したのは美術監督のレオニード・シュワルツマンといわれていますが、カチャーノフ監督のラフスケッチから察するに、キャラクター像はスタッフ一同で作られていったのではないでしょうか。もちろん脚本に参加した原作者ウスペンスキーのアイデアも入っていたはずです。できれば当時の絵コンテを見たいところですが、残念なことにほとんど残っていないそう。その代わり今展示ではシュワルツマンが描き下ろした場面スケッチやキャラクターデザインを公開しています。中には本邦初公開の資料も。エスキースには丁寧に着色が施され、チェブの世界観がより伝わってきます。
1969年に1作目の『ワニのゲーナ』が公開されると、1971年に2作目『チェブラーシカ』、1974年に『シャパクリャク』、1983年に『チェブラーシカ学校へ行く』と10年以上にわたって全4作品が制作されました。そしてチェブラーシカは、オリンピック・ロシア選手団の応援マスコットになるなど、国民的キャラクターとしても成長していきます。これもアニメーション化の影響が大きかったはず。童話から飛び出したチェブラーシカは、表情や声を与えられ、より生き生きと動き始めたのです。
そして、ゆるいグッズ展開にロシアらしさを見る
また、人気の高まりとあわせてキャラクターグッズも増え始めます。展覧会ではモスクワ東部にある「チェブラーシカ博物館」が収蔵するレアグッズを展示。中でも真っ黒なチェブラーシカのぬいぐるみは1960年代に作られたもので、マニアが飛びつく相当貴重なグッズだとか。オリンピック開催時に作られたピンバッジや、1970年代に入って作られたビニール人形など、時代を感じさせるアイテムも数多く公開されています。中には「これ、チェブラーシカ?」というものも(笑)。規定されたマニュアルのない、このゆるい展開もチェブラーシカらしさの1つ。ロシアという国の性格も透けてみえてくるようです。
続いて、ドーンと目に飛び込んできたのは大きなサーカス小屋の舞台セット。今展示の目玉の1つ、日本では2010年に公開されたチェブラーシカ最新作のアニメーションセットです。全3話からなる新作は、前作の美術監督だったシュワルツマンの弟子、ミハイル・アルダーシンとミハイル・トゥメーリャが美術監督を務めました。
精巧に作られた舞台セットは、想像していたより大きめ。あの繊細な動きや表情を描くには、確かにこのサイズのセットがないと作れないのだと納得します。新作の制作にはロシア以外にも日本や韓国のスタッフが大勢参加。監督は中村誠、撮影は韓国のアニメーションスタジオで行われました。制作は6年越しで行われ、その仕上がりには原作者のウスペンスキーや、初代アニメ版のアシスタントだったユーリ・ノルシュテインも賛辞を贈ったといいます。
原作や初代アニメーション版への敬意を込めて作られた新作。中でもそれを感じるのが、美術監督ミハイル・トゥメーリャのスケッチブックです。学芸員の川俣さんからは「今回の展示で一番の見所!」と興奮気味に話して頂けました。B4サイズほどある分厚いノートに、ぎっしりとキャラクターの動きやセットイメージが書き込まれています。
川俣:ミハイル・トゥメーリャのスケッチブックは、これだけで作品と呼べるほどの完成度。描き込みが半端じゃなく、ラフというより1冊のアート作品です。普段美術作品をよくご覧になる方や、クリエイターの方はきっと大きな刺激になるはずです。
会場には実際に撮影に使われた人形も数多く展示されています。チェブファンにとっては、アニメの中の世界がそのまま現実へと広がり、好きな芸能人に会えたような気持ちになるかも。私も、新作にゲスト出演している『霧の中のハリネズミ』(ユーリ・ノルシュテイン監督)のハリネズミ(ヨージック)の人形を見つけ、ひとしきり盛り上がってしまいました。
宮崎駿に多大な影響を与えた『雪の女王』などが並ぶ、ロシア・アニメーションの世界
展示の締めくくりは、アニメ版チェブラーシカが生まれる前後に制作されたロシア・アニメーション作品の紹介です。ロシアには国営スタジオ「ソユズムリトフィルム」があったことはお話しましたが、国が運営方針を決めるゆえ、時代ごとにさまざまな規定が強いられました。たとえば、1930年代はロシア版ディズニーアニメを制作すべく、大規模分業の制作体制を採用。国の一大プロジェクトとしてアニメーションが作られました。しかし、1950年代のスターリン死後は、それまでタブーであった民衆の心情が描かれた作品が増え始めます。1960年代に「幼児教育に素晴らしい!」とアニメーション制作が推進されると、カチャーノフやノルシュテインを始め次々と優れたクリエイターが登場。ロシア・アニメーションの最盛期ともいえる華やかさをみせます。
チェブラーシカもそんな1960年代の作品ですが、会場にはもう1つ、この時期のロシア・アニメを代表する重要作品が展示されています。それは、若き日の宮崎駿監督にも影響を与え、アニメーターを志すきっかけとなったレフ・アタマーノフ監督の『雪の女王』。ドラマティックなストーリー展開、なめらかな動き、くすみのある独特の色使い。50年近く昔のアニメとは思えない新鮮さがあります。ちなみに、このアニメの美術監督を務めたのも、チェブラーシカと同じシュワルツマンでした。
多くの名作を生み出した国営スタジオ「ソユズムリトフィルム」ですが、ソ連崩壊と共に状況は一変。その活気は急激に失われていきました。1989年に民営化、2003年に再び国営化され、現在は小さなスタジオとして機能しています。ただ、このスタジオがあったことでロシア・アニメーションが飛躍的に成長したことは間違いありません。
精神性を重視するロシア文化、哀愁ある作品世界、だけど……
現在のロシアでもアニメ制作は盛んです。会場では気鋭の若手作家の作品も上映。彼らの多くは独立系のスタジオをつくり、そこを拠点に活動しています。1993年に設立されたスタジオ「シャール」は、新作チェブラーシカにも関わったミハイル・アルダーシンらの世代が教鞭をとり、若手を育てています。また世界初の映画学校「全ロシア国立映画学校」にも2003年にアニメ・マルチメディア学部が発足。独特のタッチが印象的なスヴェトラナ・ポドヤーチェワや、SF的な世界観も感じるディナ・ヴェリコフスカの作品は大学の卒業制作作品。ロシア国内のさまざまなアニメ映画祭で評価を受け、今、注目されている新人です。
チェブラーシカからロシア・アニメを振り返って感じるのは、その独特の哀愁。かわいいキャラクターが登場するアニメであっても、日本のアニメのような明るさや、賑やかさは感じられません。チェブラーシカでさえ大人が観れば、人間の孤独や悲しみについてのメッセージをストーリーのあちこちに感じることができるのです。それが、精神性を重視するロシアらしい文化であり、私たちの心に深く、いつまでも残ってゆく理由なのかもしれません。
さて、会場を歩いてすっかり10数年前の興奮が蘇ってしまった私は、オリジナルグッズを念入りにチェック。美術館入口の巨大チェブラーシカの写真もしっかり撮って帰路につきました。展示を観た感想は「ロシアの文化も歴史もわかったうえで、やっぱりチェブはめちゃくちゃかわいい!」の一言に尽きるな、と。第一次ブームで盛り上がった人はあの頃を懐かしみながら、まだ子どもだったという人は今こそ、チェブラーシカの魅力にこてんぱんになってみてください。
- イベント情報
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- 『チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち』
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2013年7月12日(金)〜9月1日(日)
会場:東京都 八王子市夢美術館
時間:10:00〜19:00 8月2日と8月3日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(7月15日は開館、7月16日は休館)
料金:一般500円 学生(高校生以上)・65歳以上250円
※中学生以下無料
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