「デジタルコミュニケーション」をキーワードに私たちの未来を読み解いてきた当連載。第5回目となる今回は、クリエイティブディレクターの伊藤直樹氏に登場していただきます。伊藤氏は、バンド「androp」のTwitterを活用したミュージックビデオゲームや、アメリカによる東日本大震災「TOMODACHIプロジェクト」のロゴなどを手掛けた、クリエイティブラボ「PARTY」のCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)。国内外で評価が高い、現在、最も注目されているクリエイターの1人だと言えます。
TwitterやFacebookなどが普及し、日常的にインターネットを使ってコミュニケーションをすることが増えてきた昨今。ややもすれば、デジタルの中で完結するものだけを「デジタルコミュニケーション」だと思いがちですが、伊藤氏は「身体性」や「体験」を重視する作品を発表し、大きな反響を得ています。代官山駅にほど近いPARTYのオフィスで行われたインタビューは、次世代のクリエイターに求められる能力や心構えにまで話が及ぶ充実したものになりました。
伊藤直樹
Creative Director, CCO
クリエイティブディレクター。静岡県生まれ。ADK、GT、ワイデン+ケネディトウキョウ代表を経て、2011年クリエイティブラボ「PARTY」を設立。チーフ クリエイティブ オフィサー(CCO)を務める。これまでにナイキ、グーグル、ソニーなど企業のクリエイティブディレクションを手がける。「経験の記憶」をよりどころにした「身体性」や「体験」を伴うコミュニケーションのデザインは大きな話題を呼び、国際的にも高い評価を得ている。これまでに国内外の150以上に及ぶデザイン賞・広告賞を受賞。カンヌ国際広告祭においては日本人受賞記録最多となる5つの金賞を含む14のライオン(賞)を獲得。相模ゴム工業「LOVE DISTANCE」では日本人として13年ぶりとなるフィルム部門での金賞を獲得。D&AD,NYADC,カンヌなど国内外の10以上のデザイン賞・広告賞で審査員を歴任。東京インタラクティブアドアワード(TIAA)2011,2012年審査員長。ストックホルム、ロンドン、メキシコシティ、台北など海外での講演も多数。経産省「クールジャパン」(2011)クリエイティブディレクター。「クールジャパン官民有識者会議」メンバー(2011,2012)。京都造形芸術大学教授。
―伊藤さんは、カンヌ国際広告祭で日本人最多となる14のライオン(賞)を獲得するなど輝かしい実績を残し、クリエイティブディレクターを目指す人の憧れとなっています。読者も伊藤さんの「バックグランド」に興味があると思いますので、まずはご経歴から聞かせてください。
伊藤:そもそもからお話しすると、僕の出身は静岡県なのですが、高校から東京に引越して、都立小石川高校に進学しました。この高校は「やんちゃ」な校風で知られていて、小沢一郎さんやソフトバンクの広告を手掛けるクリエイティブディレクターの佐々木宏さん、TUGBOATの岡康道さんなどを輩出していることでも知られています。そういう学校で高校時代を過ごして、映像や文章で社会に影響を与えたいと思うようになったのが、表現を仕事にしたいと考えたきっかけです。そういうわけで、将来はマスコミ関係に行きたいと思って、マスコミへの就職率が高かった早稲田大学の各学部を手当たり次第受け、法学部に入学したんです。
―早稲田大学では、どのような学生生活を過ごされたんですか?
伊藤:大学時代はシネマ研究会に所属して、映像に没頭してましたね。アルバイトをして、発売したばかりのPower Mac8100とかビデオカメラを買ったんですけど、当時はまだアナログの時代だったから、機材もすごい高いんですよ。確か160万円くらいはかかったと思います。
―本当に映像にどっぷりだったんですね!
伊藤:撮影するだけじゃなくて、友人の映画に出演したり、世界中の映画を観たりもしていました。自分自身にノルマを課して、1日3本くらいのペースで観ていましたね。
―インターネットに出会ったのも、学生時代だったのですか?
伊藤:そうですね。インターネットとの出会いは人生の転機でした。テクノジャーナリズムを標榜する雑誌『WIRED』に影響を受けながらサイバーパンクの夢を見て、「インターネットに賭けてみたい」と強く感じたんです。学生時代に映像とインターネットに出会って、自然と両者を融合した表現に取り組んでみたいと思ったことが、今に繋がっていると思います。
―なぜ、テレビ局や新聞社ではなく、広告代理店のADKに就職したのでしょうか?
伊藤:テレビや新聞より、広告業界の方がより早くインターネットを利用した表現を取り入れると思ったからです。狙い通りに入社間もなくして社内にデジタル部門が新設されて、「絶対にそこに行きたい!」と意気込んだんですが、当時はまだ業務経験が少ないただの若造で、そんなわがままは聞いてもらえそうになかったんです。だから少しでも「インターネット」に関する実績を作ろうと思って、日本広告業協会の懸賞論文にインターネットについての論考を投稿して、新人賞をいただいて。それも効いて、デジタル部門に配属されることが決定したんです。
―すごいですね! インターネットに賭ける執念が感じられます。
伊藤:僕は基本的についてなくて(笑)、オイルショックがあった頃に生まれ、阪神大震災、地下鉄サリン事件が起きた年に社会人になった「不況世代」なんです。だからもう、若い時期にインターネットが出てきたことは、僕にとって数少ないラッキーな出来事だったんですよ。
―当時と比べて、インターネットの世界はどのように変化しているとお考えですか?
伊藤:もちろんテクノロジーの進化はありますが、根本的な思想は変わってないと思います。スティーブ・ジョブズが読んでいた雑誌『ホールアースカタログ』や『WIRED』の元編集長で、『FREE』の著者としても知られるクリス・アンダーソンが思い描いていたインターネット像、つまり「自分たち自身で自由や健康、身の安全を手に入れるんだ」というDIY精神が今も根付いていますよね。
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