第4回
浦上満春画で絵師の腕が試される
豊かなイマジネーションと、細やかな描写
浦上:次にご紹介するのは礒田湖龍斎(いそだこりゅうさい。江戸時代中期の浮世絵師)。鈴木春信(すずきはるのぶ。美人画で人気を博した浮世絵師)の後継者として知られ、柱などに飾られた縦長構図の柱絵を得意とした絵師です。当時の人気遊女に最新ファッションを着せた『雛形若菜の初模様』は、女性の絶大な人気を獲得したと言います。湖龍斎の春画はシチュエーションが面白いんですよね。例えばこれ。
男女3人が登場しますね。男性1人が蚊帳の中に潜っていて、もう1人の男性があとから入ってきているように見えます。それと右上に、針金のような謎のカギ型が描かれています。
浦上:それはね、雷鳴を表現しているんですよ。亭主の男はカミナリが怖くて、蚊帳の中に敷かれたふとんに隠れている。その妻は「大丈夫?」と夫を気づかっているけれど、じつはその背後に間男がいて、もうすっかり始めてしまっているという。
なんですか、そのありえないシチュエーションは(笑)。
浦上: イマジネーションが豊かですよね。以前、香港のコレクターから「日本のAV監督は春画を見ていますか?」と聞かれたことがあります。はっきり答えられるほどそっちの知り合いはいないですけど、「たぶん見ていないと思う。春画を見ていたら、もっと粋で情緒のあるAVを作っているはずだ」と答えました(笑)。湖龍斎の『色道取組十二番』では、手紙をしたためている間に背後から抱かれて、気持ちよさに思わず筆を誤るというシーンも描かれています。
これは、定番の「料理中に後ろから」を思い出しますね。
浦上:春画は本当にシチュエーションが豊かで、9月9日の重陽の節句を表現するために美しく咲いた菊を庭先に描いたり、高まる2人の感情を表現するために背景のふすまに波の模様を忍ばせたりしています。それ以外にも、神さまから小人になる薬を授かった「真似ゑもん」が、あらゆる男女の性交の現場を訪れて色道の勉強に励む(鈴木春信『風流艶色真似ゑもん』より)とか、屏風の中に描かれている寿老人が男女の交わりを見て微笑んだり、同じく画中の小猿が射精したり……。小さいものから大きなものまで、多彩なネタが暗号のように散りばめられているんです。古典や歌舞伎を題材にして笑うような、教養を必要とするネタも多くあって、知的な娯楽でもあったことがわかります。もちろん、浮気封のために女性が男性器に筆でイタズラ描きをするとか、羽織を着せて人に見立てるとか、くだらないネタもたくさんありますよ(笑)。俗っぽさと知性が混ざっているのも、春画の魅力なんです。
いつから人々は性に対して
恥じらいを抱くようになったのか?
浦上:続いては、葛飾北斎。さっき紹介した「男性器に羽織」も北斎の作品で、彼のイマジネーションの豊かさは飛び抜けていますね。おそらく春画に詳しくない人でも「大ダコと小ダコが海女を襲う」という絵を見たことがあるのではないでしょうか。これは北斎の3冊組の艶本『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』の中の1シーン。これを見た19世紀の西洋人は「こんなグロテスクな絵はない!」と言っています。
西洋ではタコは悪魔の象徴ですから、悪魔に女性が襲われている絵とも解釈できますね。
浦上:でも、背景の「書入れ」(人物の台詞や喘ぎ声、擬音等を書いたもの)を読むと、ほとんど艶笑落語の世界。大ダコは「俺はこの機会をずっと狙ってたんだ。あんまりかわいいから竜宮城に連れていってしまおうかしら」。小ダコは小ダコで「親方の後は俺の番だ」なんて言っている。じゃあ海女はたいそう可哀想なことになっていると思いきや「なんて気持ちいいのかしら!」なんて言っている(笑)。獣姦もあれば、SM的な描写も肯定的に描かれていて、春画に込められた性意識は本当におおらかなんですよ。当時はキリスト教的な原罪意識も皆無だったから、ヨーロッパの人が面食らったのも無理はない。
自由すぎる発想に、現代人の私たちは驚かされっぱなしです(笑)。気になるのは、江戸時代の人々はこんなに開けっ広げだったのかということです。
浦上:そこは重要なポイントですね。江戸時代では、銭湯は男女混浴でしたし、夜這いも習慣として認められているような側面もありました。明治初期までは裸で公共の場にいることもわりと普通で、日本にやって来た外国人が面食らうということもしばしばだったと言います。そのあたりで、欧米に対する近代日本のイメージ向上を計った明治政府によって、江戸時代の豊かな文化が規制されていくわけです。そうして、現代の価値観に移り変わって行ってしまったんですね。
性を肯定する春画は、縁起物でもあった
春画に描かれているような情事は、当時、実際に繰り広げられていたのでしょうか?
浦上:いえいえ。当時の川柳に「馬鹿夫婦 春画の真似して 筋違い」というのがあるように、春画に描かれた構図やアクロバティックな体位は、そもそもフィクションだと思われていました。先ほど「春画は男女何人かで見るもの」と言いましたが、そうやって「こんなのありえないでしょ!」「すごいこと考えるなあ!」と、みんなで集まってワイワイ話すためのツールが春画だったんです。
なるほど。たしかにいまも取材スタッフ全員(男2人、女3人)が、性別も年齢差も超えて盛り上がっています。
浦上:でしょ(笑)。そうやって気持ちが明るくなることが、春画の何よりの効用だと僕は思っています。春画を見ると鬱にならないとも言われていたんですよ。
くだらない悩みは吹っ飛びますね。
浦上:日清・日露戦争では弾除けのお守りとしてヘルメットにブロマイドサイズの豆判を忍ばせたりもしていましたね。それ以外にも、嫁入り道具に欠かせないものとして春画が大切にされていました。大名たち武士階級も、春画の交換会をしていた記録が残っています。春画は縁起物でもあったんですね。
子孫繁栄や長命の願いが込められていたんですね。
浦上:そう。その2つを否定したら、国家も地域も家も発展しないですからね。春画は性を肯定するものでもあったし、夢想する性の理想型を楽しむものでもあった。性の現実と理想の両面をきちんと分けながら楽しむことのできた江戸時代の人々は、とても民度の高い人たちだったと思います。いろんなルールや既成概念にがんじがらめになっている現代人よりもスマートだったかもしれませんね。
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