新世代に鳴る「非ジャンル」な歌声 黒沼英之についての考察

2013年初夏、未知数の才能を抱えた若き男性シンガーソングライターが『instant fantasy』でメジャーデビューを果たす。その名は、黒沼英之。柔らかく涼しげな歌声と、誰でも受け入れるようなポップセンスを感じる楽曲。ナチュラルで繊細そうなビジュアルも含めて、多くの人の日々の風景に、すうっと溶け込んでいきそうな存在だ。しかし、それだけじゃないんじゃないか? と思わせる「何か」が彼にはあるような気がしてならない。まだ、それを立証する手掛かりは少ない。『instant fantasy』の収録曲と、その歌詞やプロフィールが書かれた紙資料、さらに筆者自身がたった1回だけ見た短いライブに、彼自身のルーツが垣間見えるフリーペーパー『kuronumagazine』のみ。世間に出まわっている情報も少なければ、本人にまだ会ったこともないのだ。それでも追求したくなる「何か」を、ここで思いきり考察していきたい。彼が指し示す、新たな世代のミュージシャンの在り方や、独特のパーソナリティー。興味が尽きない。

愛情と罪悪感の間で揺れ動くジレンマ

黒沼英之は、1989年の1月18日生まれの24歳。小さな頃から歌うことが好きで、15歳の頃から曲を作り始めたのだという。そもそも音楽を生み出す才能を持っていたことがわかるが、それよりも気になるのは歌っていたキッカケ。「周りにいる人たちに、自分の歌を褒められることが嬉しかったから」なんだそうだ。さらに、小学生の頃に「黒沼の家は、裕福だから。いいよね」と言われた言葉が、深く突き刺さったのだという。この2つのエピソードからは、彼がとても大切に育てられながら、徐々にジレンマを感じていったことがわかる。彼の歌も、基本的に誰からも愛されそうな大衆性があるが、ふとしたところで彼の心の奥が覗けるのだ。“どうしようもない”という楽曲では、こんなフレーズがある。<どうしようもない / どうしようもない / どうしようもない僕でごめんなさい>。恵まれた環境や才能を、無邪気に受け入れることができないところに、彼らしさをひもとくヒントがあるような気がしてならない。

言い当てられないくらいのルーツを背負って登場

立教大学の現代心理学部映像身体学科に入学したところからは、彼の興味が音楽のみならず、自己表現に向かっていったことが伺える。見慣れない学科名だが、ここでは「心」と「身体」と「映像」の相互関係を学び、サブカルチャー全般へと精通していったのだという。『kuronumagazine』の中の「黒沼英之をつくる4つの素」に挙げられている名前は、宇多田ヒカル、よしもとばなな、コーエン兄弟、エゴン・シーレ……そう、ミュージシャンだけではないのだ。さらに、唯一挙げているミュージシャン、宇多田ヒカルについて、彼はこう語っている。「『非ジャンル化』という志を有言実行しているアーティストを、僕は他に知りません」。そう、小学生の頃に宇多田ヒカルを知ったことが大きかったのか、彼自身も特定の音楽のジャンルに嵌ることはなく、見るもの、聴くもの、出会うもの、全てを吸収しながらシンガーソングライターという場所に辿り着いた。名だたるミュージシャンの多くは、何らかのジャンルやシーンの中から頭角を現し、進化していくと同時に「その存在そのものがジャンル」と言われるようになっていくと思うのだが、黒沼英之は、もう最初から存在そのものがジャンルというか、言い当てられないくらいのルーツを背負って登場してしまったのだ。そのあたりからは、何ともニュージェネレーションたる、固定概念を覆す軽やかさを感じさせられる。

黒沼英之
黒沼英之

図書館に勤務していた、活字中毒的な読書家

彼のルーツの1つであるのが、本。彼は図書館に勤務していたくらい、活字中毒的な読書家なのだという。特に敬愛する作家は、先に書いたようによしもとばなな。「『この世に生まれたことをなんとか肯定して受け入れていくために、言葉の魔法を作り続けたい』とばななさんは語っています。僕の音楽も誰かにとってそんな風に鳴っていてくれたら、と思うのです」と彼はコメントしているが、それはきっと、彼自身がよしもとばななの著作を読むことによって救われたからなのだろう。

そういった思いもあるからなのか、彼の歌詞は決して難解な方向には行かず、親しみやすくまとめられている。<ふつうの暮らしの中の風景を / 少しずつ分けあっていくだけ / 何も特別なことなんかないけど / 重なり合ってく / この気持ちを信じたい>という“ふたり”の歌詞にも表れているけれど、誰にでもある、いつの時代にもある、そんなことを歌っていきたいという意思が伝わってくる。そう考えていくと、彼が歌う理由は、自分が楽しいからというよりは(それも大前提かもしれないけれど)、自分が最も生かせることが歌だから、なんじゃないだろうかと思えてくる。それは、小さい頃に歌い始めたキッカケである「周りにいる人たちに、自分の歌を褒められることが嬉しかったから」というところとも、繋がってくるけれど。そんな中に、“夜、月。”などで<窓辺のリリイ / 眠れないなら / 僕のところへ降りておいでよ>などといったロマンティックな言い回しも出てくると、彼のキャラクターや趣向が見え隠れしているようで、嬉しくなる。それと同時に、彼のストーリーテラーとしての一面は、まだまだ開花する可能性があることを、期待させられる。

普通に見えて、どこか変。そんなものにこそ強く興味をそそられる。

さらに、「黒沼英之をつくる4つの素」の、オーストリア出身の画家、エゴン・シーレに関しては「シーレの絵には切実さを感じます」「コンプレックスを強く抱く人間の、それでも外の世界と繋がっていたいという祈り。そんな切実さでしょうか」と綴り、映画『ノーカントリー』などを制作したコーエン兄弟に関しては「そういえば兄弟の宣材写真は、普通に見えて、どこか変。そんなものにこそ強く興味をそそられます」と綴る。そんな、「黒沼英之をつくる4つの素」に対する彼のコメントを全て読んだときに、はたと気づいた。これ、全て彼自身のことでもあるじゃないか! つまり、彼が「黒沼英之をつくる4つの素」を見つけていった歴史は、彼が自己を肯定していった歴史でもあるんじゃないだろうか。自分自身を映し出し、尊敬できる存在に出会えたことによって、彼がより自己表現に邁進できたところもあるだろう。

昨今では、フィンランドで年2回発行されているファッション&アート誌である『SSAW MAGAZINE』にて、唯一の日本人モデルとして登場。コム・デ・ギャルソンやGANRYUを着こなすという、モデル活動も行っている。それがまた、国内の雑誌ではなく海外、しかもフィンランドというところが、ユニークだし、彼らしい。確かに、彼の楽曲は日本語詞だし、彼のビジュアルは日本人然としているけれど、ジャンルやシーンに根を張るわけではない飄々としたスタンスは、いつだって遥か彼方まで飛んでいってしまいそうだからだ。

黒沼英之

十人十色な生活を包み込むような、柔軟性と包容力のあるポップス

彼の楽曲は、幅広いバリエーションがありながら、歌が中心にあるポップスというところからブレはない。高音やファルセットが魅力的だが、ただ上手いというよりは、彼の人間性や感情が滲み出ていると思う。そこに、ストリングス、ピアノ、ギターと、様々な楽器を従え、時にドラマティックに、時にアットホームに、カラフルに目の前を描いてみせる。喩えるなら、ラジオが似合う楽曲と言えるかもしれない。十人十色な生活を包み込むような、柔軟性と包容力があるから。ライブのときも、全てのオーディエンスにしっかりと歌心を届けたいというような、真摯な姿勢が伝わってきて、心地好く受け入れられていた。これだけのルーツやパーソナリティーを抱えながら、全てをポップに昇華してしまうところが、とても興味深い。カルチャーを掘れば掘るほど、ヒネくれてアンダーグラウンドな思考になってしまう人もいるけれど、彼の場合は寧ろ逆。掘った分だけジャンプもする、と言えるようなセンスの持ち主なのだと思う。彼のように、ディープな音楽ファンや、サブカルチャーの世界の住人に対しても説得力がある表現ができて、お茶の間で酸素のように音楽を吸い込んでいる人の心にも引っ掛かるミュージシャンは、とても限られているのではないだろうか。しかも、メジャーデビューの段階からとなると、さらに限られてくると思う。彼自身がその特殊性に対して自覚的かどうかはわからないけれど、知能犯にせよ自然体にせよ、希少な存在であることには間違いない。

大学進学後、彼は本格的に音楽活動をスタートさせていく。ピアノの弾き語りやバンドスタイルなどで、都内でライブを敢行。そして2012年10月には、初恋の嵐やスパルタローカルズ、HAPPY BIRTHDAYや凛として時雨といった、多彩なバンドを輩出してきたMoving Onのレーベルより、1stアルバム『イン・ハー・クローゼット』をリリース。タワーレコードの「NEXT BREAKERS JAPAN」に選出される。そして、11月13日には渋谷WWWで初のワンマンライブを行い、チケットは見事ソールドアウト……って、順風満帆過ぎるではないか。しかし、この才能をもってすれば当たり前のことのような気がするし、こんな状態でも彼の中では葛藤が渦巻いているに違いない。だからこそ、信頼できるのだ。

黒沼英之

ただ音楽として聴くだけでも楽しめる。でも、鳴らしている人柄を知れば知るほど面白い。そんなシンガーソングライター、黒沼英之。最初に書いた「何か」は数え切れないほど見つかったけれど、いずれにせよ、話を訊いてみなければはじまらない。というわけで、次回はじっくりと「何か」を掘り下げるインタビューを行う予定。その純粋そうなつぶらな瞳に、今、映っているものとは。線が細いようで自分の生き方を貫いてきた、その歩みが物語るものとは。今後、より広がり、深まりゆくであろう黒沼英之ワールドに期待しながら、まずは、実際に会って語り合うことを楽しみに待ちたい。

イベント情報
『黒沼英之 ONEMAN LIVE「instant fantasy」』

2013年9月19日(木)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:東京都 渋谷 duo MUSIC EXCHANGE
出演:黒沼英之
料金:全席自由 3,500円(ドリンク別)

リリース情報
黒沼英之
『instant fantasy』(CD)

2013年6月26日発売
価格:1,800円(税込)
VICL-64035

1. ふたり
2. 夜、月。
3. ラヴソング
4. ordinary days
5. サマーレイン
6. どうしようもない
7. 耳をすませて

プロフィール
黒沼英之

1989年1月18日生まれ。立教大学映像身体学科卒業。15歳の頃から曲を作り始める。大学進学後、本格的に音楽活動をスタート。ピアノの弾き語り、バンドスタイルなどで、都内でライブ活動を行う。2012年11月13日には渋谷WWWにて初のワンマンライブを開催し、チケットはSOLD OUT。また、フィンランド・ヘルシンキで年2回発行のファッション&アート誌「SSAW MAGAZINE」にて唯一の日本人モデルとして誌面に登場。2013年6月26日にMajor Debut Mini Album「instant fantasy」をリリース。



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