「フジワラノリ化」論 第12回 市原隼人 今、「熱血」という商売を問う 其の一 「最近よく出てるよね」という不安

其の一 「最近よく出てるよね」という不安

市原隼人のことを、「最近よく出てるよね」とする声をここ半年くらい聞いてきた。いや、自分も多分、雑談の中で何度かそうつぶやいてきたはずだ。しかし、「最近よく出てるよね」というのは危険な言葉である。そのままにしてはいけない。ならば、市原隼人を考えなければならない。そう思ったのだ。誰かの代替なのか、どの席を奪ったのか、或いはこの椅子は持ち込みなのか、単に蜃気楼のように熱意が瞬間的に映り込んだだけなのか。

まずは何故「最近よく出てるよね」が危険なのかを考える必要がある。今、優木まおみを見て安心している僕らは、この視線を眞鍋かをりに向けていたことをまだ忘れていない。お姉さんと知性の掛け算に男が顔を弛緩させてしまう単純構造だと嘆きつつも、優木まおみという需要を大いに歓迎しているし、そのポジションが常に一枠は用意されていることを認可している。そういえばここに眞鍋かをりがいたよなという回顧が同時に行なわれていく。消え切ったわけではない眞鍋かをりを思い出すことは容易い。事務所まわりのイザコザが取り沙汰されたからではなく、ここに住んでいた前の住人として、その出自と現在を比較することが出来る。その記憶と現在を、皆がキチッと用意出来るのだ。では、山本梓はどうなのか。夏川純ではどうなのか。旅番組で唐突に見かけた山田まりやのハイテンションに、今、僕らはどう向き合えば良いのか。知念里奈が舞台女優として活躍しているという情報を前にして、僕らが取るべき態度とは何なのか。

嵐の勢いが止まらないのは、V6のスケールがこじんまりとしていくことと無関係ではない。最初から1つしかない椅子取りゲームで眞鍋かをりの座席を優木まおみが奪ったように、SMAPの次のグループとして用意された6つの椅子に居座っていたV6に起立を求め、そこにやってきた嵐の5人も混ぜた上で再度椅子取りゲームのメロディーを流したら、座ることの出来た6人は、嵐の5人と岡田准一だったというこの現状。嵐ファンは決してV6との比較対象で嵐を語らないだろうけれども、常に席は限られていて、その席に座れた・座れないというジャッジを無意識にかましているのだ。つまり、V6の人気をそのままに、嵐の人気がここまで浮上してくるということはあり得なかった。アイドルでも俳優でも、人はその人を「この人しかいない」と感じるからこそ愛でる。愛でることで愛着が加熱する。しかし実は、その加熱するタイミングで、前にここに居た人のことを少しだけ考えている。そして比較するその人を加熱材のように使う。この人しかいない、と認識するために、必ず誰かとの比較を潜在的にかますのだ。その時に、比較対象として晒された誰それのことを真摯に考えはしない。少し考えるだけだ。薪に使うだけだ。おぉ燃えていると確認する時、ところで何によって燃えているんだっけかと確認しようとはしない。

しょっちゅう通っているコンビニの店員の顔を覚える。この時間には大体いるなと、その半端にかかったパーマを認識する。お店に入る度にわざわざ確認するわけではない。野菜生活と肉まんを買うと「袋をお分けいたしましょうか?」と気を使われて、ああ、またこのパーマかと認識する。その彼を見なくなった。あ、そういえばいなくなったなあと気づいたのは、おそらく3ヵ月くらい経った後だった。その間、派手なメイクの女子大生が新たに入ったことを知っていたけれども、誰かが欠けたという認識は持たなかった。半端なパーマのことを、勝手ながらそれなりに親しんでいたはずなのに、いなくなったことに3ヵ月も気づかなかった。

人は必要なことだけを頭に用意する。何故それが用意されたのかを考察しにかかる勤勉さを、たまには持ち合わせるものの、なかなかどうしてそれを重ねる時間を持てなくなる。有坂来瞳を天然面白系で楽しんでいたのではなかったか。金子貴俊を可愛い弟分として愛でていたのではなかったか。小柳ゆきを最強の女性シンガーと呼んではいなかったか。それらは、コンビニ店員の消失と同様に、気づいた時にはいなくなっていた。いなくなっていく様を丁寧に眺めていたわけではなかった。有吉弘行がJOYのことを「DAIGOの代わりでしょ」と言い、さすがの毒舌と言われていたが、これはちっとも毒舌ではない。事実の報告だ。この時、伝える媒体はJOYの活躍を中軸に据える。でもそれは間違っている。本当はDAIGOの効力がやや弱まってきたことに注視すべきではないのか。おそらくDAIGOはこのまま失速する。しかし、その失速を感知する機会は訪れないだろう。気づいたらいなくなっているはずだ。ジャニーズは勿論、知的お姉さんというような、常に誰かが座っている、ある特徴付けされた席を体系的に振り返ることはそんなに難しくない。しかし、そんな席なんて限られている。だから、席を持ち込むか、席を解体して新たな席を作り直すか、空気椅子で臨むか、体系ではなく単体で挑むしかなくなる。しかし、単体である以上、人気が消化されると、こちらは忘れる。残り香は漂わない。廃墟物件にすらならない。次に通ったときはもう、更地だ。

「最近よく出てるよね」というのは、だからとても危険な言葉なのだ。その言葉を聞く度に僕は不安になる。「最近出てるよね」には大抵、理由が無い。どうして出ているのかに向かわぬまま、「出てるよね」を褒め言葉だとして繰り返す。さんまやタモリがよく、「最近、出てるよね」と言う。それにはとても、重みがある。その2人にも知られているという事実は、成功と同義だ。しかし、それと我々平民の「出てるよね」は違う。こちらが「出てるよね」という認識を持った所で、浮上の後押しにはならない。

「フジワラノリ化」論 第12回 市原隼人

『QUICK JAPAN』が市原隼人特集を組んだ。その表紙を見た時に、「おっ、やった」と思った。何故なら「最近よく出てるよね」に答えを出してくれると思ったからだ。この雑誌は細かな「サブカルです…」のボリュームを上げて「サブカルですっ!」と無理矢理叫ぶ雑誌ではなかった。近年はとりわけ、テレビに頻繁に映り込む人の理由付けを適切にしてくれる雑誌だった。「ソニン」特集なんてのは、その象徴的な特集だった。だから、期待をした。「出てるよね」に留まっている市原隼人を捕まえて、どうして出ているのかを浮上させてくれると思ったからだ。でも、この特集はそうではなかった。映画とのタイアップとしか思えない内容だった。撮影同行ルポと本人インタビューだけに紙幅を費やした。「最近出てるよね」という市原を捕まえて、「最近出てるよね!」と問うただけだった。映画「ボックス!」の原作本が刊行版元から出ているし、単なるプロモーションじゃんかと断ずることは容易い。しかし、そんなことを『QUICK JAPAN』がするはずはない(いや実は、そうだろうとは思っているのだけれども、そうではないと思いたいという気持ちを半ば強引に高めている)。何故、市原隼人に向かう「出てるよね」への返答をしなかったのか、それは今回、市原隼人を取り上げる主因ともなった。

第1回から結論を先に出してしまうが、市原隼人は5年後には消えてしまうのではないかと思っている。視聴者としての体感、或いはこの原稿に向かうための下調べで出会った言動からの実感、そして何よりも世の彼に対する「最近出てるよね」までに留まる興味、彼は明確な椅子に座れないまま、ここまで上ってきたスケートボードにそのまま再乗車させられて坂道へヒョイと追い出されてしまうのではないか。

ポイントとなるのは、彼に帯びる熱血である。この熱血との向き合い方だ。市原隼人はずっとこのまま熱血を通すだろう。そうすると、その受け取られ方が、彼の寿命の長短を決める。さて、この熱血とどう向き合うべきか。次回はまず、『男子本意の「本気(マジ)」と、女子目線の「カワイイ」の親和性』と題して、市原隼人の「熱血・本気」が何故受け入れられているのか、彼の現状把握を含ませながら考えていきたい。



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